第七章 生物災害

生物災害01

「きゃああああああああ!?」


 ミドリが悲鳴を上げながら青空の中を飛んでいる。

 一見して真っ直ぐ飛んでいるように見えるそれは、実はしっかりと放物線を描いていた。つまり彼女は空を飛んでいるのではなく、なんらかの物理的現象によって空へと打ち上がり、そして落ちているだけ。その速さは秒速七キロほどと、ちゃんと第一宇宙速度以内に収まっている。地球の重力を振りきる事は出来ず、そのまま引き寄せられるがまま。

 故に目の前に砂浜が迫ってきても、対策なんて打てず。


「どぶぇ!?」


 頭から砂浜に突き刺さり、ミドリはむき出しのお尻と生足という奇妙なオブジェクトに変化した。尤もすぐに這い出し、口に入った砂をぺっぺっと吐き出したが。

 普通の生物なら死んでもおかしくない『事故』だったが、生憎ミドリはもう普通の生物では非ず。秒速七キロで砂地に激突したぐらいなら、当たり所がいくら変でも命の心配は要らない。今回は柔らかな砂の上だったが、仮に岩石の上に落ちたとしても、小さなクレーターの中心でひょっこりと立ち上がってみせるだろう。ミュータントとはそういう生物だ。


「ようやっと来たか。どうだった? 一人でする空の旅は」


 なのでミドリよりも先にこの地に『着地』していた継実は心配なんてこれっぽっちもせず、暢気にミドリに感想を尋ねて。


「史上最悪ですっ!」


 想定外のミドリからの不平不満に、眉を顰める事となった。


「そう? 私は結構面白かったけどなぁ。刺激的だし」


「刺激的とかなんだ以前にこんなの空の旅とは言いません! ただの放物線落下じゃないですか! 常軌を逸してます!」


「いや、でもなんやかんやこれが一番安全っぽかったし」


「知的生命体が求めるのは安全よりも安心です!」


 継実の意見をずばりとミドリは切り捨てる。それってつまり安心出来れば実情は拘らないって事じゃん……と合理的な『野生動物』っぽい感想を抱きつつ、継実は苦笑いを浮かべた。

 しかし、確かにミドリの言い分も頷けなくはない。

 インドネシアからこの島に渡るための方法は、今までの旅では使った事のないものだったのだから。


「まぁ、確かに普通ではなかったよね……金属シロアリ達が作った『大砲』に飛ばされるというのは」


 思い返すはこの大きな島に辿り着く、ほんの数分前の出来事。

 昨日の戦い……地球侵略を企んでいたエリュクスと戦った継実は、そのエリュクスを貪り食った金属シロアリ達に尋ねてみた。此処から南の島に行く方法はないものか、と。

 シロアリに話し掛けるなど、七年前なら幼児しかしないような事だろう。しかし今の世界において、それは必ずしも愚行ではない。犬が喋り、木が嫌味を吐き、ツバメが口説く。野生生物達に知性が宿った事で、高度な会話は人間の専売特許ではなくなったのだ。

 勿論、だからシロアリ達が話せるかどうかは別問題。会話のための機構を持ち合わせているとは限らないし、そもそも人間と会話(それ以前にコミュケーションそのものを)する気がないかも知れない。特に後者の可能性は決して低くない。クマやらカギムシやらが会話もなしに襲い掛かってくるのは、継実達の言葉が分からないのではなく、食べ物と語らうつもりがないからである。

 しかし継実は意外とイケると踏んでいた。というのも金属シロアリ達は身体が金属で出来ていて、有機生命体を餌にしていない。加えて人間とは全く異なる仕組みだがシロアリは社会性を持つ動物だから、コミュニケーションに全くの無関心とは思えない。そしてエリュクスという莫大な量の餌を確保した事でご機嫌な今、お話をしてくれるかも知れないと期待したのだ。

 結果は期待通り。金属シロアリ達はお喋りに乗ってくれた。身体を擦り合わせた金属音との会話は中々大変だったが、意思疎通が出来たのである。また継実としては利用するつもりで知らせたエリュクスの存在も、金属シロアリ達にとっては正に天の恵み。感謝の念は流石に持ち合わせていなかったが、謝礼に南の島へと送る事はしてやろうと言ってくれたのである。

 そして出てきたのが大砲。

 ……流石は金属で出来たシロアリだけあって、文明的な道具作成もお手のもの。この大砲でどかんと南の島に吹っ飛ばしてやる、との事だった。継実も最初は「殺す気かアンタら」と思ったし、よくよく話を聞けばシロアリ達は自分達が分布を広げるための試作機の実施試験がしたいだけ。謝礼ですらない有り様だった。色々不安だったが、飛んでしばらくは金属マテリアルフィールドなるものが展開されていて、空で敵に襲われても大丈夫との事。

 じゃあそれなら良いかと思い賛同し、継実達は大砲を使用する事にした。大砲は継実達を大空へと撃ち出し、襲い掛かる海鳥は本当に金属マテリアルフィールドっぽいものが防いでくれた。島の傍まで到達した頃になると金属マテリアルフィールドは殆ど剥がれてしまったが、距離が近かったお陰で無傷のまま到着。

 かくして継実とミドリはインドネシアを脱し、南の島である此処……恐らくニューギニア島に到着したのだ。


「しっかし流石は南の国。此処も日差しが強いなぁ」


「話を誤魔化さないでくれません!? もうこんな方法じゃなくて、次はもっとちゃんとしたやり方にしましょうよ!」


 くどくどと文句を言い続けるミドリ。余程人間大砲が怖かったのだろう。流石にこれだけ怖がられると、如何に『安全』でももうちょっと別な方法を選ぶべきかなと継実も思う。

 それに。


「大体継実さんは何時も安全ばかりで安心を蔑ろにしてます! 知的生命体なんですからもっと精神を大事に」


「とうちゃーっく!」


「おぶぶぅ!?」


「あ。ごめん」


 後から来た奴モモに頭から踏み潰されたミドリを見て、ちょっとそんな情けない姿は晒したくないなと思った。


「……うん、そうだね。もっと安心な方法が良いよね」


「今のタイミングで言われても、含みしか感じないんですけど?」


「ん? なんの話?」


「大した話じゃないよ。それより、次の旅の始まりだね。気を引き締めないと」


 だから誤魔化さないでくれません? 等という声が背後から聞こえたような気がするが無視して、継実は砂浜に隣接する地形……森に目を向ける。

 ニューギニア島に広がる森もまた、フィリピンの時と同じく熱帯雨林。植物の種類こそ異なるが、どれも百メートルを優に超える巨大さを誇っていた。葉はどれもが青々と茂り、空を覆い尽くそうとせんばかり。高い場所を見れば黄色い果実や赤い花があちこちに咲いていて、やはり此処でもミュータントは季節を無視して繁殖しようとしている事が窺い知れる。

 そうした高さや葉、果実は立派なのに、幹は見窄らしいぐらい細い。一概には言えないが、直径三メートルもあれば太い方だ。大半は一~二メートル前後、一メートル未満のものも少なくない。地面に目を向ければ蔓や草の姿が見えたが、これらも全て非常に細く、酷く痩せ衰えている様子。単に葉に遮られて暗いだけならこうはならない……ミュータントの生命力なら夜のような暗さでも青々とした葉を広げる事を、継実は知っている。

 恐らく大量の植物達が限りある栄養を奪い合った結果、太い幹という『丸々太った』存在を許さなかったのだ。それに元々熱帯雨林では有機物の分解が早過ぎて土壌が痩せており、見た目よりも遥かに栄養分が少ないと七年以上前に継実はテレビで見た記憶がある。ましてやミュータントの旺盛な食欲ならば、土地が瞬く間に干からびるのは必然。今ではさぞや苛烈なが起きているに違いない。

 強い日差しという無尽蔵のエネルギーを得ながら未だ満たされず、苛烈な競争が繰り広げられている密林。見た目の植物資源の豊かさとは反比例するように、獰猛で貪欲な環境のようだ。南極への最短距離、つまり真っ直ぐ南へと進むならこの森を突っ切る必要がある。この森に適応した生態系も、きっと恐ろしいほどに獰猛な筈。今までの旅路と同じく、或いはそれ以上に一筋縄ではいかないに違いない。

 そして何より。


「(なーんか違和感があるなぁ……)」


 直感的に抱く、森への不信感。

 何がおかしいのかは、まだ分からない。しかし何かがおかしい事を継実の本能はひしひしと感じていた。危険な感じはないのだが、得体が知れないからこそ警戒を怠るべきではない。

 安全が確保出来るか、或いは危険の正体を知るか。どちらかが出来ない現状、あまりこの森には立ち入りたくないのが継実の本心。

 幸いにして継実達の目的地はあくまでも南極。それ以外は特に何も定まっていない。日程すら未定だ。だから南極に辿り着けるのなら、どんな遠回りをしても構わない。

 わざわざ最短距離を突っ切る必要などないのだ。海岸線を通って、ぐるっと一蹴して島の南側に出れば良い。此処が本当にニューギニア島であるならそこそこ大きな島であるが、ミュータントとなった継実達からすれば小さなもの。島を半周するぐらい、すぐに終わるだろう。


「森じゃなくて、海沿いを歩いて行こう。なーんか変な感じがするんだよね、あの森」


「あー、確かにねぇ。何かは分かんないけど、ちょっと変よね」


「え? そうなのですか? あたしには何も感じられませんけど……」


 継実の意見にモモは同意したが、ミドリは首を傾げる。じっと森を見つめているのは、森林内、或いは島中を索敵しているからか。しかし奇妙なものは何も見付からなかったようで、ミドリはまた首を傾げた。

 ミドリでも見付からないのだから、もしかしたらただの気の所為かも知れない。ミュータントだって完全な存在ではないのだから、勘違いや思い違い、警戒のし過ぎだってあるものだ。

 だが、もしも気の所為ではなかったら? もしも手に負えない生物がそこに潜んでいたなら……出会った瞬間に一巻の終わりだ。自然界には分かりやすいチャンスなんて保証されていない。ほんの小さな、うっかりすれば見落としそうなチャンスしかない時もあるだろう。そうしたものを掴むのもまた『適者』の資格である。

 元より急ぐような旅路でなし。急がば回れと昔の人も言っていたのだから、危険そうなものからは逃げるのが得策なのだ。わざわざ出向いて蹴散らすなんて無駄でしかない。


「ま、あくまでそんな気がするだけなんだけど、念には念を入れてね。それにさ、偶には貝とか食べたいし」


「貝! あたし、貝大好きです!」


「前に海で食べてからどっぷり嵌まってるわねぇ。あたしは全然食指が動かないけど」


「そりゃ、犬にとって貝は食べない方が良いもんだし」


 わいわいとお喋りを交わしながら、継実達は森の傍にある海沿いを歩く。これが最も安全な旅路だと信じて。

 継実の選択は、誤りではない。自分の持つ知識を用い、自分の実力を客観視して、起こり得る最悪を回避しようとしたのだから。されど継実は全知全能の神に非ず。世界を俯瞰した訳でも、ましてや世界の全てを知る訳でもない継実達に、本当の最善など知る由もない。

 そんな継実達が最善を知る時というのは、ただ一つの瞬間のみ。

 

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