異邦人歓迎17

「つ、継実さぁぁぁん!」


 勝利の余韻に浸っていたところ、継実を呼ぶ声がする。

 振り返れば、ミドリが恐らく全力疾走でこちらに向けて走っていた。大きな胸が高速振動しており、ちょっと、継実は笑いそうになってしまう。ついでにいうと「ヤベ。今までふつーに忘れてた」とも思ったり。

 なので平静を装って棒立ちしていると、ミドリは継実の胸に跳び込んでくる。泣いている様子はないが、ぎゅっと、継実を強く抱き締めてきた。継実も、そっと抱き締め返す。

 しばらくして顔を上げたミドリは、巨人となったエリュクスが倒れた場所を見遣る。尤も、そこにはもう何も残っていない。食事を終えたシロアリ達さえも、だ。

 ミドリは物悲しそうな、申し訳なさそうな顔を見せる。


「……本当に、倒したんですね。恐らく、宇宙で最も高度な文明の一つを」


「私じゃなくてシロアリが、だけどね。やっぱり社会性のある昆虫はヤバいわ。出来れば敵にはしたくないね」


「そのシロアリ達も、たくさん死んでしまいました。あたしの同胞が、地球の侵略なんて企んだばかりに……」


「いや、シロアリ達はむしろ感謝してんじゃないかなぁ。七年ぶりに大量の餌が食べられた訳だし」


 社会性を持つシロアリにとって、働きアリはただの『手足』に過ぎない。勿論働きアリ自身には自我もあるし、一個の命である訳だが、彼女達の第一目的は巣の繁栄だ。多くの餌を得るためなら個体の、自分自身の死さえも厭わない。

 命の数で数えれば目が眩むような犠牲だが、質量として考えれば数百万~一千万トン程度。そしてエリュクスの推定重量は、四千万~一億トン。シロアリ達は損失の十倍にもなる『利益』を得たのだ。

 これだけ莫大な金属資源が一気に流れ込んだのだから、今後フィリピンの生態系になんらかの影響を与えるのは確実だろう。しかしそれがなんだと言うのか。継実は殺されそうだったから抵抗して、シロアリ達は久しぶりの晩餐を楽しんだだけ。この結果引き起こされる事なんて、どちらにとっても『些末事』である。


「ま、宇宙人の侵略だって自然の一部みたいなもんでしょ。大陸が繋がれば動物は流れ込むし、流木を使えば島に流れ着く。それだけの話なんだから、ミドリが気に病む必要なんてないんじゃない?」


 だからそれは継実の本心。

 励まそうという気持ちもあまりないままに話した事だが、ミドリは何を想ったのだろうか。こくりと頷いてからも、しばらくエリュクスが居た場所を見続けて……


「おぉーい! 継実ぃー! ミドリぃー!」


 不意に声を掛けられた事で、ようやくミドリは動き出す。

 びくりと飛び跳ねたミドリと共に継実も声がした方へと振り向けば、大手を振ってこちらに駆け寄る『人物』が見える。

 モモだ。宇宙船脱出時に離れ離れになって以来だから、恐らく数十分ぶりの再会。「ようやく来たの?」とあまりにも遅い到着に、呆れつつも無事だった事に安堵して継実は笑みを浮かべた。

 尤も、笑みは即座に凍り付く。

 何故ならモモの後ろには、朦々と巻き上がる土煙があったから。ドドドドドというモモらしからぬ足音も聞こえ、大地が激しく揺れ動く。近付いてくるモモの顔に笑みはなく、なんというか、今にも死にそうなぐらい必死。

 そんなモモの後ろには、巨大なゴミムシが居た。大体、全長十五メートルぐらいの。

 ……どうやら巨大ゴミムシというのは、世界的に分布している成功者らしい。草原のみならず、フィリピンでも猛威を振るっているとは。成功の秘密はやはり硬い身体と多様性か。

 等と生物学的考察に浸れたのは一瞬。現実に戻った継実の意識はすぐに現状を解析し、モモが離れている間に辿った経緯を理解する。とはいえ難しい話ではない。空から落ちた彼女は、大方巨大ゴミムシのすぐ近くに着地。そのまま死に物狂いの追い駆けっこを今まで続けていて、どうにかこうにか此処に辿り着いたのだろう。

 七年間暮らしていた草原にも巨大ゴミムシはいたが、フィリピンの個体はそれよりもずっと大きい。色も赤やら黒やらで毒々しくて不気味であり、血走っていると分かるぐらい複眼がどぎつく光り輝く。しかも口から撒き散らした涎が落ちると、地面からじゅうじゅうと湯気が漂っていた。動きも何処か挙動不審で、全身が痙攣するように震える有り様。今し方撃破した宇宙人より、余程エイリアン染みている。

 そしてモモがこちらに向かってくるのは、どうにかしてこの化け物を振りきる手伝いをしてくれ、という事だ。

 継実はミドリの方を見遣る。ミドリも継実の顔色を窺う。目が合った二人は、同時にこくりと頷いた。

 そしてくるりと身を翻し、モモから離れるようにダッシュ。


「に、に、逃げろぉ!?」


「はひぃー!?」


「あ! ちょ、待ちなさいよ!? 助けなさいよぉーっ!」


 継実が逃げ出し、ミドリが付き添い、モモが追い付く。そしてゴミムシがそんな三人を、口から涎を撒き散らしながら追い駆ける。

 例え星を救おうとも、あんな程度の戦いは彼女達にとっては日常茶飯事。走って数分も経てば、異星人の侵略も思い出という形で遠くなり。

 もう、継実達の中でエリュクスとの戦いは、特筆するほどのものではなくなっていたのだった。
































 地球から、遥か離れた地点。

 月と地球の間に存在する虚空地帯に、一隻の船が浮かんでいた。

 全長百五十メートル。形は潜水艦のように丸みを帯びた寸胴な、それ以外のパーツを持たないつやつやとしたもの。白銀に輝く装甲の中には広々とした空洞が存在し、そこには一つの生命体が居た。

 それは白銀の身体を持つモノ。冷淡な瞳、端正な顔立ちをした人型の存在。されど細かな特徴を一つ一つ挙げていくより、ただ一言で出来る言葉がある。

 彼はエリュクスだった。


「……想像以上だな」


 エリュクスはぽそりと呟く。

 すると船体の壁や床が震え始めた。やがて震えは大きく盛り上がり、形を変え、壁や床だった場所から分離。自らの足で歩き出す。

 現れたのはまたしてもエリュクス。一人ではなく、五人もの。

 液体金属で出来たその身体は分裂も結合も自由自在。『自分』を分けて増やす事など造作もなく、を用意しておいたのだ。この星で『身体』が欠損する事態を想定して。

 そして船に残された彼等はバックアップであるが、地球に降下したエリュクスが見てきたものを知っている。彼の記憶と情報はデータ通信により一定間隔で送られていて、共有済みだからだ。彼等はエリュクスと同じ知識を持ち、同じ考え方をして、同じ判断を下す。人格や記憶が個人を形成するのだとすれば、此処にいる彼等はバックアップであるのと同時に、エリュクス本人でもあると言えよう。


「想像以上の生物達だ。是非とも欲しい」


「欲しいが、我々の制御が及ぶ代物ではない。知的生命体の身体も、そこに暮らす野生生物も」


「取得したデータからも、殺傷処理を行っても高頻度で蘇生する可能性が高い。蘇生する度に施設を破壊し、犠牲者が出ては割に合わない」


「拠点維持コストが明らかに生産性を上回る。設置するだけ損だ」


 エリュクス達は口々に意見を交わす。いや、交わすというのは正確な言葉ではないだろう。彼等は全ての情報を共有し、同じ結論に辿り着く合理的生命体なのだから。


「この星の生命を利用する計画はリスクが大き過ぎる。実用化への時間も相当必要だ」


「この星は適正外として、他の惑星の探査を行うべきだろう」


「異議なし」


「異議なし」


 エリュクス達は口々に意見を述べ、『自分』の意見を言い終えた個体は仲間の合図を待たずに後退。自分が出てきた壁や床に再び溶け込み、その姿を消していく。

 話し合いが行われていた時間はたった一分にもならない。あまりにも短い時間のうちに、エリュクスはまた一人になっていた。

 残されたエリュクスはため息を吐く。それから顔を上げた彼は、目の前にあるモニターをじっと見つめた。視線の先にあるモニターには、地球の映像が映し出されている。暗黒の虚空に浮かぶ、青く、美しい星だ。

 けれども映像を拡大すれば、そこに映し出されるものは決して楽園などではない。

 海上で、体長数十メートルを超える長大で手足を持たない鱗のある生物が、数百メートルもの長さを持つ軟体質で半透明な生物と絡み合って戦っている。

 砂漠で、五メートルはある四足の獣が、同じく五メートルはある八足の節足動物に秒速二十キロ以上の速さで追い駆けっこをしていた。

 山脈で、体長三センチ程度の粘液に身を包んだ四足の生物が、体長一センチしかない四枚翅の甲殻生物を襲おうとして、住処である山脈を粉砕するほどの激戦を繰り広げている。

 生態的のみならず、力の上でも常軌を逸した星の生命達。地球の直径は一万二千キロと、岩石惑星としては決して小さなものではない。しかしそこに息づく生命の力はあまりにも星の大きさに見合っていない強さだ。そしてどうにもこれが限界という訳ではないようだ。このまま進化を続け、世代を重ねる度に強くなれば……やがて奴等は生まれ故郷の星をも壊しかねない。比喩や妄想ではなく、データ的に。この宇宙にはそうした生命がごく少数だが存在している事実も、地球生命の進む先を示す。

 故郷の星をも壊してしまう生命が辿り着く先は何処か?

 大多数は滅びだ。母星を失って自滅する。強過ぎる力の末路としては有り触れていて、実につまらない結果。

 そしてもう一つは――――適応。宇宙空間に耐え、新天地を目指して飛び立つ。新たな星を征服し、その星も壊して次の星へ。そうして命をつなぐ種族と化す。そうした生命体の存在は、エリュクスも幾つか把握している。他の生物にとっては恐ろしい存在だが、これもまた自然の一つに過ぎない。

 地球の生命がどちらの結末に辿り着くか、現時点で確かな事はエリュクスには言えない。データを見る限り宇宙空間への適正は小さくないので、どちらもあり得るといったところ。けれどもどちらかの筈。どちらかでなければならないのだ。

 しかし彼の『本能』は訴えていた。

 ――――と。


「我が同胞よ。お前は我らが宇宙を支配する事を危惧していたが……我には、この星の生命の方が余程その危険性が高いと考えるぞ」


 青い星を見つめながら、独りごちた言葉は決して地球に届かない。そして届かなかったところで、彼等の予定が途中で変更される事はない。

 異邦人の宇宙船は、光に近しい速度で地球から遠ざかっていく。太陽系を超え、理想的な星を探すために。

 異星からの侵略者は去った。しかしこの星に静寂が戻る事はない。

 侵略宇宙人よりも遥かに恐ろしく、遥かに大勢の生き物が、己の生存のための競争を繰り広げているのだから。

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