異邦人歓迎12

 指一本動かすのすら辛い倦怠感。油断した瞬間に何もかも出してしまいそうな吐き気。割れると本気で思ってしまうほどの頭痛。目の前が真っ暗になるような眩暈。針を仕込まれたかと錯覚しそうな筋肉の痛み……

 襲い掛かる数々の『不調』。膝を付いた状態を維持する事すら難しい、度し難い苦痛が全身を蝕んでいく。

 自分の身体に何が起きているのか?

 ミドリの抱いたその疑問に答えたのは、彼女の正面に立つエリュクスだった。


「ようやく効果が出てきたか。免疫効果も極めて高い……船内のサンプルでも把握していたが、やはり一度殺傷して免疫を止めなければ寄生は難しいな」


「どう、いう……げほ!? けほっ、えほっ……!」


「お前の身体にナノマシンを投入した。かなり量を注ぎ込み、最初から殺傷モードで起動していたのだが、効果が出るのに随分と時間が掛かったな」


 ナノマシンと言われ、ミドリはすぐに自分の体内に意識を向けてみる。普通の生命なら、そんな事をしても体内の様子など見えやしないが……観測に特化したミドリの能力ならば観測するのに問題はない。

 確かに血液中には大量の、一ミリリットル当たり十個程度のナノマシンが流れていた。ナノマシンはかなり刺々しい形状をしており、血管や臓器を形成している細胞をズタズタに引き裂くように動いている。更には神経に流れている電流を妨害したり、酵素が行っている化学反応の阻害を行っていたりしていた。

 細胞に付けられた傷自体は即座に回復している。神経の電流や化学反応も邪魔されている分を補うように活性化していた。もしもそうした活動が行われていなければ、それこそ『即死』しているだろう。だが症状をゼロにする事は出来ず、それが重度の体調不良として表面化しているようだ。

 原因と理屈は理解した。しかしそれでもミドリには解せない。自分の目はナノマシンを捉える事が可能であり、故に宇宙船内ではナノマシンが体内に入らないよう対策をしていた。一体このナノマシンは、何時の間に入り込んだのか?


「(! まさか、落ちてくる時に……)」


 ふと思い出す、船から地上に落下していた最中にエリュクスから加えられた『攻撃』。

 口や鼻を掴まれた時があった。あの時は圧迫による攻撃だと思い、こんなもの全然効かないと考えていたが……エリュクスの意図は圧迫ではなくナノマシンの投入だったのだ。

 エリュクスの身体は液体有機金属で出来ている。故にその身体の中に大量のマシンを格納出来ていた。分子変換装置を身体から取り出したように。ナノマシンも同じように身体に格納し、手から放出して口や鼻から流し込んだのだろう。

 まさかそんな方法で流し込むとは思わず、ミドリは体内や口元を全く観測していなかった。もしもちゃんと観測していて、口の中に大量のナノマシンがあると分かったら……くしゃみ一つで全部吹き飛ばせたのに。

 しかしいくら後悔してももう手遅れ。入ってしまったものをああだこうだ言っても仕方なく、悔やんでいるだけ時間の無駄というものだ。

 それよりも目の前にいるエリュクスを優先しなければならない。


「ぐ……う……ぐぅぅぅ……!」


「これで立ち上がるか。通常の生物なら即死している状態でも活動可能とは、ますますその肉体が欲しくなる」


「それは誉め言葉と、受け取っておきます……理屈も、分からないようなら、この身体を使いこなせるとは、思えませんけど……」


「かも知れない。だがそのための研究だ。科学とはそういうものだろう?」


 エリュクスは野望を諦める気配もない。じりじりと、ミドリとの距離を詰めてくる。

 今までミドリは、持ち前のパワーの大きさでエリュクスを圧倒していた。

 しかし体調不良の今、そのパワーを全力で出す事は難しい。出せない事はないだろうが、多分普段の百倍ぐらいスタミナを消費する。一撃必殺で仕留められるならそれをぶちかませば良いだろうが、フルパワーでもミドリにそこまでの強さはない。無理をしても、数回パンチを繰り出した段階でへろへろになって倒れてしまうだろう。エリュクスが回避に専念していればそれだけで勝負が決してしまう。

 だとすると無理をしない程度の力で殴り掛かるしかないが、果たしてエリュクスにどこまで通じるのか。不安になるが、こちらの身体能力がエリュクスを圧倒しているのは事実。弱っていてもまだ互角だと、心を強く持ってエリュクスと向き合った。


「しかしこれで終われば楽だったのだが、見たところまだ十分な戦闘能力を有しているようだな。こちらとしても少し本気を出さねばなるまい」


 決心は、エリュクスの言葉でへし折られてしまう。

 あんなのはただのハッタリだ。そう思ってしまうミドリ。しかしこんなのはただの願望であり、なんの根拠もない。そして独りよがりな願望というのは、何時だって裏切られる。

 エリュクスの手足から、ずるずると白銀の液体が溢れ出る。

 液体はある程度の量が出てくると、エリュクスから千切れるようにして分離。まるで自意識を持つかのように液体は独りでに変形していき、高さ二メートルほどの高さまで盛り上がる。そこから部分的に凹みながら形状を変えていき……人型ロボットへと生まれ変わった。人型といっても人間的な皮膚などなく、表情だってない。頭部にあるのは単眼のような赤いカメラ。手足は関節が剥き出しで、金属フレームがそのまま外気に曝け出されている。胸部や腰は分厚い装甲で守られ、『スタイル』さえも歪だ。

 実に武骨で、可愛げがなくて、無駄を省いた『合理的』な形態をしている。

 恐らくこれはエリュクスが辿り着いた星で使われている、ロボットなのだろう。エリュクスから流れ出た液体は全部で三つ。現れたロボットも三つ。そのロボット達は全員、ミドリをじっとカメラで捉えていた。


「(あ、これは不味いですね)」


 本能的に感じる危機感。理性ではなく本能が感じたからか、驚くほど簡単にミドリの頭は『現実』を受け入れる。

 もしもそうでなかったら、一斉に駆け出してきたロボットに対して何も行動を起こせなかっただろう。


「ひっ!?」


 遅れて認識した恐怖の感情で声が引きつる。反射的に腕が縮み、胸の前で折り畳むように構えてしまう。

 ロボット達はミドリの動作など気にも留めず、真っ直ぐに突進。両腕を広げ、恐らくは抱き着くように拘束してくるつもりなのだと察せられた。

 襲い掛かるロボットのスピードは、正直ミドリから見ても。すぐに全力で後退すれば逃げきれそうな速さだった、が、怯んでしまった事でそのチャンスを失う。今から逃げても、加速までに時間が掛かるので恐らく逃げきれない。

 いくらミドリが弱っているとはいえ、ただ抱き着かれているだけならダメージにもならないだろう。しかしだから黙ってこれを受け入れるなど論外。その油断が、口からナノマシンを流し込まれるという失態に結び付いたのだから。


「うっ……て、てやぁ!」


 ミドリは大きく、その腕を振り回す。

 構えにもなっていないような体勢で放つ、雑で大振りな攻撃。普通ならば大したダメージなどならない。

 しかしミュータントの腕力であれば、こんな適当なやり方でも金属の塊を粉砕する事など雑作もない。例えそれが高度な文明で作られた超合金であろうとも。

 ロボットの顔面に叩き込んだミドリの拳は、単眼状のカメラごと装甲を粉砕する! ロボットはそれでもミドリを掴もうとしてきたが、殴られた衝撃で機体は遠ざかるように後退……いや、ゴミクズのように吹っ飛んでいく。

 一体を吹き飛ばし、やった、と喜びたくなるミドリ。だが、相手は三体だ。

 残る二体は素早くミドリの両腕にしがみつき、その動きを妨げてきた。こんなもの、と思って今度は自信満々に振り解こうとする。が、その前に二体のロボットは突如として形を崩し、どろりと液体のようになってしまった。

 そして地面やミドリの足腰、それと腕を巻き込んだ形で固体化。一瞬にしてミドリは下半身と腕を金属に取り込まれてしまう。


「うっ……こ、このぐらい、痛っ!?」


 固められたとしても所詮金属。自分の力なら振り解ける、と思ったのも束の間、金属で固められた場所全体にちくりとした痛みが走った。

 なんだ、と考えた時には何もかも手遅れ。

 ミドリの身体を襲う不調が、一気にその強さを増大したのだから。


「あぐっ!? しま……」


 きっとこの金属の塊から注射器のようなものが生え、体表面に突き刺した場所からナノマシンを注入している――――最悪の考えが過ったミドリは、すぐさま身体に意識を向ける。予想通り体表面からじわじわとナノマシンが入り込もうとしていた。

 このままだと体調不良では済まない。青ざめたミドリは必死に暴れようとするも、ロボットが変化した金属は粘性も有していたようで、腕を振り回してもゴムのように伸びるだけ。引き千切ろうと身体を捻っても他の金属とくっつき、溶け合うだけで終わってしまう。

 暴れるだけではダメだ。そう気付いたミドリは打開策を求めて、右往左往するようにあちこちを見る。

 そこではたと気付く。

 このロボットや金属は、恐らくエリュクスにより操作されている。ならば、司令塔であるエリュクスを意識不明に陥らせれば、それらの動きも止まるのではないか?

 確証はない。が、操作者が気絶ないし死亡した瞬間制御不能になる機械なんて、あまりにもリスクコントロールを疎かにし過ぎだ。エリュクスが用いるテクノロジーのレベルからして、この手のセーフティはしっかりと作用している筈。

 エリュクスの意識を奪えば全てが解決する。

 ミドリからエリュクスまでの距離は、約十メートル。普通ならばどうやっても届かない距離だが、しかしミドリには普通じゃない能力が宿っていた。

 脳内イオンチャンネルに干渉出来る、元素の遠隔操作だ。今までミュータント相手に使っても、どうにもいまいち効果が上がらなかった技。されどエリュクスは自称宇宙でも優秀な種族の肉体であるが、ミュータントほどの身体能力はない。というか普通の生物は神経を弄くられたら即死するもので、なんやかんや耐えている方がおかしいのだ。この技を使えばエリュクスをきっと倒せる。


「(落ち着け……落ち着くんです……!)」


 意識を集中させ、エリュクスをじっと睨む。

 エリュクスはミドリの視線に気付き、警戒するように鋭い眼差しを向けてきた。だが無駄だ。どんなに警戒しようと、どんな防御を施しても、神経系への直接攻撃を防げる訳がないのだから。

 防げる訳がないのだ。

 


「あ……あれ……?」


 ミドリの口から、ぽそりと声が漏れ出た。次いで顔を青くし、カタカタと小刻みに震える。

 神経が、見えない。

 そんな馬鹿なと思って何度もミドリは見直した。けれども結果は変わらない。

 エリュクスの身体には、一本の神経も通っていなかった。

 全くの想定外にミドリの思考が一瞬止まる。だがよく考えてみれば、それも当然かも知れない。身体が液体有機金属で出来ているのに、神経なんて『支柱』を残していたら変形出来る形に限度が生じてしまう。それでは変幻自在で優秀な肉体がなものとなってしまう。

 進化の過程で退化したのか、それとも不要だからと切除したのか。経緯は不明だが、自分の必殺技が通じないと気付かされたミドリは身動ぎ。

 その隙を突くように、ミドリの目の前に新たなロボットが現れる。


「(あ。この機体、頭がない……)」


 自分が殴り飛ばした機体が戻ってきた。ただそれだけの事を認識するのにも、打ちのめされた心には時間が必要で。

 ロボットはミドリの口を塞ぐように、掴み掛かった。

 反射的にミドリは手を前へと出し、ロボットを突き飛ばす。しかしもう遅い。ロボットの手から出された大量のナノマシンは、もう体内に入り込んでしまった。

 どうしようと悩む暇すらなかった。急激に、そして止め処なく、今までも感じていた不快感が高まり……


「う、ぶぇぇ……」


 ついに吐いてしまった。

 一度吐くと、どんどんどんどん胃の中身が出てしまう。ついに胃液しか出なくなったが、それでも吐き気は収まらない。いや、吐瀉物と共に多少ナノマシンも出たのか、ほんの少し気持ちは楽になったが……もう、ミドリには自力で立つ事すら出来なくなっていた。下半身と腕を固定する金属に身を委ね、ぐったりと、磔にされたように項垂れる。

 これ以上の抵抗は出来そうにない。

 しかしまだ死んではいない。ミドリの身体の免疫システムが全力で動き、不快感や意識の酩酊を引き起こすほどの力でナノマシンの排除を行っていたからだ。じわじわとナノマシンの数は増していたが、すぐには生理機能を停止させるに至らない。あと半日はこの地獄の中でミドリは悶えているだろう。

 エリュクスは驚いたように、感動したように、何より呆れたように、その顔を顰める。


「ふむ。本当にしぶとい。身体機能の評価はどんどん高まっているが……流石にそろそろ大人しくなってほしいところだ」


 エリュクスがそう独りごちた。

 合わせて彼は、背中から大量の液体金属を

 比喩ではない。まるで氾濫した川のような、とんでもない量の液体金属が出ている。一体その身体の何処に溜め込んでいたのか、ついにエリュクスの背後に巨大な池が出来てしまう。

 池となった液体金属は次々と形を変えながら、空へと浮かび上がった。そこで全長十メートルほどの球を作ると、池から分離。更に形を変えていき、全長十五メートルにもなる、潜水艦のような『船』へと変化する。

 エリュクスの背中から出てくる金属はやがて止まった。だが今まで出ていた、池になるほど大量の金属はまだそこにある。金属の池からは次々と船が出来上がり、空へと飛び上がり……

 エリュクスが独りごちてから、時間にして恐らく一分も経っていない。

 たったの数十秒でエリュクスの背後には何十隻もの船が浮き、大艦隊を作り上げていた。


「……は、ははは。これは、流石に凄いですね……」


「我が持つ艦隊の一部だ。これだけあればお前に止めを刺すには十分だろう」


 唖然とするミドリに、エリュクスは淡々と告げる。これほどの大艦隊すらも戦力の一部とは、なんという『力』なのか。確かにこれだけあれば、自分を倒すには十分だとミドリは思う。

 やっぱり、自分なんかではこの程度が限界か。

 諦めたくはない、が、これ以上の手立てもない。何も出来なくなったミドリには、精々迫力のない眼差しで睨む事しか出来ない有り様。その最後の悪足掻きすら、エリュクスが生み出した艦隊の先端が開いて尖ったもの……砲台のような物体が現れれば恐怖で染まってしまう体たらく。

 自分は希少なサンプルだから、もしかしたらちょっとは手加減を――――なんとも甘い考えが過ぎったが、全く期待出来ない。継実という純粋な人間のサンプルがあるのに、自分という『不純物』混じりのサンプルなど必要なものか。精々生身が残っていれば使える程度にしか思わず、生き延びられてしまう方が面倒だからと確実に仕留める事を重視する筈。少なくともミドリがエリュクスの立場ならそうする。

 そんなミドリの考えが正しいと語るように、エリュクスは淡々と手を上げる。下ろした瞬間を、総攻撃の合図とするために。

 ミドリはついに恐怖に負けて、ぎゅっと目を閉じて『敗北』の瞬間から逃げようとした

 その時である。

 

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