異邦人歓迎10

「……いきなり、失礼な事を訊いてくるものだ」


「おや、そうですか? 合理的な割に、礼節には五月蠅いんですね。てっきり感情面も合理化して、そういうのは気にしないと思ったのですが」


 ミドリが指摘すると、エリュクスはぱちりと瞬き。次いで考えるように、自らの顎を摩る。


「ふむ、確かに礼節など無駄の極みだな。それで? どうして我があの二人の体調不良に関与していると考えるに至った?」


 そしてあっさりとミドリの言い分を受け入れ、質問の意図を尋ねてくる。

 やっぱり合理的ですね……そう思いながらミドリはため息一つ。少しだけ肩の力が抜けた。

 しかし、すぐに身体の力を入れ直す。

 自身の予想が当たっているかは、ミドリにもまだ確証が持ちきれない。出来れば同族であるエリュクスの事を信じたいとも思っている。されど、もしも予想が当たっていたなら――――

 ミドリは覚悟を決めて、エリュクスの疑問に答えた。


「最初に違和感を覚えたのは、あなたが二人の身体を念入りに調べた時です」


「……ただ採血やスキャンをしただけではないか?」


「ええ。スキャンについては本当にただスキャンしただけだと思っていますし、採血だって血を抜いただけ。でもですね」


 抜いた血の中に、どうして

 ミドリがそれを尋ねた瞬間、エリュクスはほんの一瞬、その目をぴくりと動かす。本当に僅かな動きだ。恐らく、ミュータントとなっていない生物では認識不可能なほどの一瞬。

 しかしミュータントであるミドリの肉体の目には、ハッキリとその動きが見えていた。いくら誤魔化そうとしても無駄なぐらいに。


「……ナノマシンとは、なんの話だ?」


「あたしが寄生しているこの身体を、あまり見くびらない方が良いですよ。その気になれば分子レベルの構造体を視認出来るんですから。ナノマシンなんて馬鹿デカい代物、見逃す方がおかしいぐらいです」


 継実の血液内に含まれていたナノマシンは、血一ミリリットル中に一つ程度の、ごく少量しか含まれていない。分子量も僅か一万程度と、一般的なウイルスの十分の一以下という軽さだ。しかも電磁的なカモフラージュまで施されている。恐らく七年前まで地球に存在していた人類文明では、そこから数百年分テクノロジーが進歩しなければ捕捉出来ないだろう。正に超技術だ。

 されどミドリの目が持つ『視力』にとっては、目の前を飛び交う小バエよりも簡単に見付けられた。脳のイオン交換すら正確に視認出来る目から逃れるなんて、それこそナノマシンに用いられている技術が更に数千年は進歩しないと無理だろう。

 そして血液の中まで丸見えな視力を用いれば、


「それと、空気中に漂うナノマシン。正直こんなに漂っていたら、嫌でも見えてきます。床や天井、壁からも、どんどん染み出しているのが確認出来ました」


 継実達は空気中のナノマシンを吸い込み、それが彼女達の体内を循環していた。

 勿論これだけで継実達の不調をナノマシンの所為だとは決め付けられない。だがナノマシンの発生源がこの船の床や壁、つまりエリュクスの持ち物ならば……なんの説明もなく吸わせた彼に対し、どうして猜疑心を抱かずにいられるというのか。更にミドリは目視でナノマシンを確認した後、物質の遠隔操作能力を応用してこれを吸い込まないようにしていた。ナノマシンを吸わなかったミドリが元気で、吸い込んだ継実達が体調不良。これで原因だと疑うなという方が無理だろう。

 とはいえこれだけでは、まだまだ言い掛かりの段階に過ぎない。例えば「我々の星ではナノマシン治療は一般的なもの。許可を取るという意識が抜けていた」等と言われたら、正直ミドリは言葉に詰まる。現状途方もなく胡散臭いだけで、ナノマシンが悪さをしているという確固たる証拠はないのだ。

 しかしおめおめと引き下がるつもりもない。そう答えられたら、じゃあナノマシン治療を止めてみろと言うまで。これで体調が回復すれば決定的だ。そしてミドリの目なら誤魔化しなんて通じない。強いて備えるとすれば、エリュクスがその通りにしても容態が変わらない、或いは悪化した時に、素早く彼に土下座をするという心構えぐらいなもの。

 どんな答えが来ても、こちらの心は揺さぶられない。ミドリはそう決心していた。

 だが、


「ふむ。最早騙しきる事は不可能か」


 肩を竦めながらエリュクスが独りごちた一言で、決心は容易く破られる。

 それは予想通りの言葉。何より、そう言わせようとしていた言葉でもある。

 だけどミドリの背筋は凍った。

 悔しがるでも褒め称えるでもなく、誤魔化すでも話を逸らすでもない。まるで大した事ではないかのように、機械のように淡々と、エリュクスは事態を受け入れたがために。


「……随分簡単に、認めましたね」


「どのような否定をしたところで、次にお前がしてくるのはナノマシン投与の中止要請だと判断した。それをすればこの二人の体調が回復すると思われる。目視出来るというのが事実であれば、口だけで誤魔化す事も不可能だろう。ならば、余計な誤魔化しは時間の無駄でしかない」


「これを訊くのも野暮ですけど、少し、隠蔽が雑じゃないですか。バレた時の事が、あまりにも考えなしです。あと仕込んだのが昨晩の就寝中だとしたら、あたしの身体に飲ませる事も簡単だったでしょうに、何故やらなかったのです?」


「正直なところ、ナノマシンの存在が明るみに出る事は想定していなかった。分子量一万の物体を、肉眼で認識可能とは思わなかったのだ。故に隠蔽については左程意識していない。また同族であるお前の身体にナノマシンを注入する意義を見出せなかった。此度の実験は、純粋なこの星の生命が対象だったからな」


 ミドリが尋ねると、ぺらぺらとエリュクスは理由を答える。どの答えもミドリにとって「成程」と思えるもので、嘘偽りは感じられない。

 しかしあまりにも正直過ぎる。いくら合理的だからって、悪足掻きの一つもしないなんて何がおかしい。これではまるで機械のようじゃないか……ほんのついさっき抱いたのと同じ印象により、ミドリはますます表情を強張らせる。

 相手の考えが読めない。

 そんなのは当たり前の話だ。けれどもエリュクスの考え方は、あまりにも読めなくて、不気味さを感じてしまう。


「な、何故こんな、継実さんやモモさんを苦しめる事をしたのですか! それに実験って、どういうことですか!?」


 堪えきれないとばかりに、ミドリはエリュクスに迫る。

 核心に触れられても、エリュクスは表情一つ変えず。


「この生物体の身体が、我々の新たな宿主としてより優秀だと判断したからだ。そして効率的な活用には生体構造の研究が必要だった。故にナノマシンによる解析実験と『標本化』を行っていた」


 さも大した事ではないかのように、その真意を明かした。


「宿主として、優秀って……そ、それに標本化!? どういう事ですか!」


「そのままの意味だ。我々の肉体も非常に優秀だが、この星の生命体のそれと比べれば格段に劣る。お前も、その身体に寄生したなら分かるだろう?」


「そ、それは、確かにそうですけど……」


「その肉体は我々の繁栄に役立つ。故に研究するのだ。なんらおかしな事ではあるまい?」


 確かに、地球の ― 正確に言うならミュータントと呼ばれる『形質』の ― 生物は途轍もない強さを誇る。自分達の故郷をたった一体で滅ぼしたネガティブを、継実でさえも殴り倒し、それより巨大な生物ならば虫のように踏み潰せるほどに。

 その観点で言えば、継実達の身体を欲するのは理解出来る。種族の安定的な生存のため、宇宙最強の肉体を手に入れるという考えは極めて『合理的』だ。しかしいくら合理的でも、そのために相手を苦しめるなんて許されない。ましてや標本化、つまり殺害なんてご法度だ。これが自分達の『倫理観』だった筈。

 良心に問い掛けるつもりはない。だが、やってはならない事をやった理由が知りたかった。


「で、でも! あたし達は死体以外に寄生しないって決まりがあったじゃないですか! まさか最終的に殺すから該当しないなんて、そんな屁理屈を言うつもりじゃ――――」


「必要を感じない」


「……え?」


「死体以外に寄生するのを禁じる、必要性を感じない。生体を用いた実験をしない意味もだ。それは我々の繁栄を妨げる要因であり、廃止するのが合理的だろう。それに人間の身体というのは確かに優秀だが、どうにも非合理的な考え方をし、味覚などの不要な感覚器も存在する。身体機能を維持したままそうした不必要な機能を削除するには、生体データが必要だ。生きた状態で調査研究を進めるのが最も合理的なのは明白だろう」


「な、にを言って……あなたは、何を求めて……!?」


 予想していなかった返答に、ミドリは戸惑う。その答えは、自分達の種族が抱いてはならない無秩序の衝動。

 本来なら、恥じて声にも出せぬ考え。


「我の現時点での目的は、この星の生命全てに我が同族が寄生する事。この星を、我々の文明を再建する土地として利用する事にしただけだ」


 しかしエリュクスは臆面もなく、ミドリには受け入れ難い計画を告げる。

 いよいよミドリは言葉を失った。口は喘ぐように空回りするばかり。頭の中には何故だのどうしてだの、無意味な言葉の羅列が流れていく。

 どうしてエリュクスはこんな考えになってしまったのか。確かにミドリ達の種族にも個人差はあるし、考え方は宿主の身体に引っ張られる。だがここまで一方的で、傲慢な考えはただの人格破綻者。こんな奴が星の脱出時に連れていってもらえるとは思えないし、身体の意識に引っ張られるにしても全てが上塗りされるなんて余程の事がなければあり得ない。

 それこそ宿主の種族が、地球に棲まうミュータント並に出鱈目でもなければ……


「(……ああ、そうか。そうなんですね)」


 否定のために考えていた言葉が、全ての答えとなる。

 彼が寄生している生物の文明は、極めて合理的なものだ。味覚さえも不必要と判断し、健康のために消去する事が推奨されるように。

 高度な文明を維持・発展させるためには、ある程度の効率化は欠かせない。エネルギーも資源も、どれだけ領域を広げたところで有限なのだから。しかし不合理なもの、非効率なものを徹底的に排除したなら、一体何が残るのだろうか? 社会制度ではなく、その社会を形成する生物として究極的に合理的なものとは何か?

 答えは簡単だ。繁殖だけを考えるものである。

 何故なら食べる事も、性欲も、意識も、生物がそうしたものを持つのは繁殖のためだからだ。いや、正確に言うなら。だから食欲がなくなろうとも、色欲がなくなろうとも、自我がなくなろうとも、繁殖衝動だけは決してなくならない。或いは、どうやっても消せないほど強い繁殖の意欲を持つモノが生き残る。

 繁殖第一主義――――これこそが、エリュクスの寄生した生物の文明を支配していた『思想』なのだろう。そしてミドリ達の種族は、寄生相手の神経系を利用する都合、宿主の身体が持っていた考え方をいくらか引き継ぐ。引き継いでしまう。本来なら基本的な倫理観ぐらいは保てる筈だが、しかし此度の相手はあまりにも合理的過ぎた。自分達の倫理観すらも塗り潰され、強過ぎる繁殖欲求が全てを消してしまう。

 エリュクスは完全に相手の思想に染まってしまったのだ。寄生種族の能力でも制御出来ないほど、強力な生命体を宿主としてしまったがために。


「……あなたが辿り着いた星は、今、どうなっているんですか」


「既に我の子孫の浸食は始めている。が、高度な文明故にこちらの存在はすぐに発覚し、駆除作戦も進められている状態だ。状況は悪くないが、未だ油断は出来ない」


「ああ。文明再興の地が欲しいというのは、二重の保険という訳ですか。浸食している星を援護するための拠点、そして万一敗走した時の避難場所と」


「そうだ。とはいえ、最早そのどちらの理由も必要ない」


 にやりと、エリュクスが笑う。

 今までと違う、心底楽しげな表情。


「この星に棲まう生命の身体を用いれば、我が辿り着いた星のみならず、宇宙全域に我々を広める事が出来る。母星を滅ぼしたネガティブも、銀河帝国と呼べる規模を誇る高度文明も、何も恐れる必要はない。我々が、宇宙で最も繁栄した種族となるのだ」


 ならばこの『ケダモノの欲求』こそが、エリュクスが抱く唯一無二の、そして心からの願いなのだろう。

 素晴らしいだろう? 賛同してくれるだろう? そう言いたげな同族からの微笑みと、ありのままの言葉。ミドリは僅かに後退る。

 悔しさで唇を噛んだ。こんなとんでもない考えの奴だったと、今まで見抜けなかった事に。

 悲しさから目許が潤んだ。折角会えた同胞が宇宙を危機に陥らせているがために。

 混乱から身体は震え、無力感から拳を握り締める。様々な感情が胸の中をぐるぐると渦巻き、頭の中に無数の感情が浮かび、思考を塗り潰していく。もう言葉なんて殆ど浮かばず、原始的な想いだけが心を支配する。

 だからミドリは――――真っ正面からエリュクスを睨む。


「……止めてくれる気は、ありませんか?」


「あったら最初からしていない。そもそも必要を感じない。種の繁栄は生物にとってごく当然の衝動ではないか」


「ええ、そうですね。あなたの言う事は、とても正しい。だから、仕方ありません」


 大きく息を吸い、吐いて、ミドリはエリュクスと向き合う。

 鋭い眼。溢れ出る闘争心。確固たる意思。

 例え内側を覗き込まなくても理解出来る状態から、発せられる言葉は一つのみ。


「あたしが……あなたをやっつけます!」


 かつての同族に向けての宣戦布告。

 同族の再興と繁栄を妨げるのは、反逆と言えるかも知れない。しかしミドリの心に暗雲などない。

 エリュクスが寄生相手の星の思想に染まったように、今のミドリもまた、とっくのとうに地球生命の一員なのだから――――

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