異邦人歓迎09

「(……本当に、寝たようですね)」


 寝息を立てる継実とモモの姿を見て、ミドリはホッと、安堵の息を吐く。

 しかし心から安心する事なんて到底出来ない。

 寝ているにも拘わらず、継実とモモの顔は苦しげだ。意識はなくとも、身体はまだまだ苦悶の中にあるという事。疑いなど最初から抱いていないが、二人の不調が本当に酷いものだというのは窺い知れた。特に継実は眠りに付く前、何かを言おうとしていたが……それが出来なかった事から、相当に疲弊しているのだろう。一晩ぐっすりと眠り、体力は全快している筈なのに。


「二人とも眠ったようだ。船の高度を上げ、安全を確保しよう。この船がなんらかの生物に発見される可能性は低いが、熱圏まで行けば襲われる心配もなくなる」


 継実達の眠りを確認したエリュクスがそう言うと、僅かに宇宙船が揺れる。宣言通り、高度を上げ始めたのだろう。

 眠る継実達に、自分達の置かれている状況は分からない。

 いや、普段ならば『異変』を察知して起きただろうが、それが出来ないほどに今は疲弊しているのだ。されるがまま、地球の外側付近へと運ばれていく。

 唯一事態を理解しているミドリは、継実とモモの傍に駆け寄り……そしてしゃがみ込む。苦しそうな二人の寝顔を間近で見たミドリは、泣きたそうに顔を歪めた。


「……お二人とも……どうして……」


「我の方でも原因を調べてみよう。船のシステムを利用すれば、生体スキャンは問題なく行える」


 エリュクスが語れば、船はその意図を汲むかのように壁面や床の形を変化させた。アンテナのようなものが幾つも伸び、その中の何個から放たれた光が継実達に照射される。

 どのような調査をしているのか。見ただけでは詳細など窺い知れないが、高度な科学力は察せられた。これならきっと、継実達の不調の原因を調べ上げてくれるだろう。


「我々の科学力でも、外部スキャンだけでは知れる事に限度がある。血液や細胞片のサンプルも取りたいが、構わないか?」


 しかしエリュクス的には、念には念を入れたいらしい。

 そこまで必要なのかな? と思わなくもない。とはいえ調査は多角的に行う方が、真実を浮かび上がらせるには良いというもの。

 自分が二人の身体から採血やらなんやらする許可を出すというのは、ちょっと気が引けるが……二人はこの手の事を気にするタイプではないし、確実な治療のためなら仕方ないだろう。


「……じゃあ、お願いします」


「分かった。我々の採取技術であれば、痛みを与える事もない。すぐに作業は終わる」


 ミドリの許可を得たエリュクス。彼自身はなんの動きも見せていないが、天井から一本の管が伸びてきた。

 管の先端には非常に細い針があり、これを刺して採血するつもりなのだろう。早速針は継実の腕へと伸び、ぷすりと突き刺さる。管は金属的光沢を放っているため、中身を覗き見る事は出来ない。

 しかしミドリの観測能力ならば、中身の観測など造作もない事。管の中を流れていく血液を認識し、結構採るんだなと思い――――


「(……ん?)」


「む? こちらの、確かモモだったか? 彼女から採血が出来ないのだが、何が原因か知らないか?」


 首を傾げるモモだったが、エリュクスから尋ねられてそちらに視線を移す。

 天井から伸びてきた針はモモの腕にも刺さっていた。

 彼女の事を知らなければ、確かに採血出来ない事が不思議だろう。しかしその身体が体毛で出来ているという知識があれば、当然の結果としか思うまい。そこはただの毛の束なのだから。


「え。あ、ああ。モモさん、その身体は毛で作ったもので偽物なんです。本体は、ちょっと何処にいるか分からなくて……」


「そうか。出来れば彼女からもサンプルが欲しかったが、無理に採ろうとして傷付けては意味がない。同じ症状のようだし、一方から採血が出来れば調査は可能だろう」


 ミドリが説明するとエリュクスは納得したのか。モモからの採血は中断。スキャンのような調査だけを行う。

 精密な検査結果は、エリュクスに任せよう。ミドリはそう思いながら、自分に出来る事も探す。

 例えば体温測定。人間の平熱は三十六~三十七度であり、病原体が入っていると体温が上がるらしい。しかし体温というのは酵素を働かせるため、一定に保たねばならないもの。いわば諸刃の剣であり、高温であればあるほど体調が悪いと言える。四十度を超えると、かなり危険らしい。逆に言えばその高温状態は、身体を壊しても倒せない強力な病原体に犯されてある証とも言えるだろう。

 ミドリの能力を用いれば、分子の運動量から大凡の体温は測れる。その結果継実の体温はざっと三十九度になるかどうか。危険水準ではないが、それに近い悪さだ。モモの体温は更に高かったが、犬は人間よりも体温が高い動物。『悪さ』の程度としては同じぐらいだろうか。

 なんらかの病原体により、体調が崩れている。そう考えて良いだろう。


「(じゃあ、呼気からならどうでしょうか?)」


 地球に限らず大抵の生物であれば、病原体に身体を蝕まれている時、どうにかしてそれらを追い出そうとするものだ。咳や下痢などの諸症状は、そのための生理現象と言えるだろう。結果的にそれは周囲に病原体を広める行為でもあるが、自分が利益を得られれば適応的なのが自然界である。これで自分が健康になるなら、自分以外の個体が死滅しても生物的にはなんの問題もない。

 継実達は咳などしていないが、なんらかの病原体を吐き出そうとしている筈だ。呼気にそうしたものが含まれていないか? ミドリは意識を集中して、観察する。

 その目はすぐに見開かれる事となった。


「(えっ。これって……)」


 ミドリは辺りを見回す。その視線が向くのは船内の天井や床。

 嘗め回すようなミドリの視線に、エリュクスは何を感じたのか。訝しげな視線を向けてきたが、特に尋ねもしてこない。やがてミドリがその目を継実達の方に戻せば、エリュクスの意識もミドリから逸れた。

 だが、ミドリは継実達を見ながら、継実達以外の事を考える。

 どうして? なんで?

 理由を考えてみる。そうすれば様々な可能性が浮かんだ。良い考えもあるし、悪い考えもある。どれも一応は合理的な回答であるし、あり得る事だろう。そしてどれが真実であるかと確信するには、あまりにも情報が足りない。

 そう、足りないのは情報だ。今、何が起きていて、これから、何が起きようとしているのか。それを知るには情報がなければならない。

 今はまだ、動けない。

 だけど、もしも全てを知って、一つの可能性だけを信じるに至って、その結果が『悪い事』なら――――


「……………」


 ミドリの視線は自然と動き、それを見る。

 空中に浮かぶバーチャルなコンソールを叩き、真剣な顔をしながら様々な機材を操作している、エリュクスの姿を……

 ……………

 ………

 …

 果たして、どれぐらいの時間が流れただろうか。

 この宇宙船には窓がない。太陽どころか空も見えないので、今の時間を窺い知る事は出来ない状態だ。

 それでも腹具合などから判断して、夕刻にはなったぐらいかとミドリは思う。この感覚が確かなら、もう朝から半日以上経っているだろう。

 こんなにも長い間休んでいるのに、継実もモモも良くなる気配がない。いや、それどころか……


「なんか、悪化してる気がします……」


 ぽそりと、ミドリは抱いた印象を独りごちる。


「ぅ……うぅ……」


 ミドリが座り込んでいる傍には、継実とモモが寝ているベッドがある。恐らく半日は寝ている筈なのに、継実の顔色は眠る前よりも青くなっていた。それどころか未だ寝ているにも拘わらず息が荒くなったり、呻くようにもなっている有り様。

 モモの方は変化が見られないが、人の姿は作り物である。『本体』の調子は窺い知れないが、今に至るまで微動だにしていない辺り、良くはないだろう。

 これらはあくまでもミドリの勝手なイメージ。実際の体調がどうなのかは分からない……なんて言葉はただの気休めだ。見た目からしてここまで悪化しているのに、本当は良くなってるなんて希望的観測にも程がある。身体というのは存外正直者だ。悪くなってるなら悪くなるし、良くなってるなら良くなるもの。

 間違いなく、二人の体調は朝よりも格段に悪化していた。


「原因は未だ不明だ。病原体らしきもの、或いは腫瘍などの存在は確認出来ていない」


 エリュクスは空中に浮かぶコンソールを真剣な眼差しで眺めながら、ミドリの独り言に答える。

 不明。不明と来たか。

 ミドリはエリュクスの言葉を頭の中で噛み締める。彼の調査結果から得られたデータをよく理解し……そこから思考を巡らせる。

 未だ、確証は得られていない。

 当然だろう。事態はなんの動きも見せていないのだから。数多の可能性が脳裏を過ぎり、幾つかの選択肢の中は振り落とされたが、それでもまだまだたくさんの可能性が残っていた。数を絞る事は、まだまだ出来ていない。

 しかしここまではミドリにとっても想定内。


「(うん。ここまでは、あたしが考えていた通り。問題はここから)」


 もしも、全てがミドリの考えていた通りなら。

 まだ様々な可能性が残っている。どの結論に辿り着くかは分からない。しかし『一つ』の可能性についてなら、それが起きればすぐに定まる。

 もしも


「そこで一つ、試してみたい治療法がある。我々の科学で作り出した万能薬があるのだが、これを投与してみたい」


 そしてその言葉を、エリュクスは口にした。

 ミドリは振り返り、エリュクスの方を見遣る。

 エリュクスはその手に、銀色の錠剤を持っていた。とても小さな、大きさ二ミリ程度の粒一つ。うなされている継実達でも、水と一緒にならきっと飲んでくれるだろう。

 けれども、ミドリはエリュクスからの問いにYesと答えない。


「? どうしたのかね。何か不安があるなら質問してほしい。この錠剤の基本的な効用や原理については把握している。飲んだ場合の副作用なども説明出来るぞ」


 中々答えを決めないミドリに、エリュクスは質問を促す。医療を行う上で、薬の効用や副作用を知るのはとても大切な事だ。投与前にその説明をしてくれるというのだから、実に誠実であろう。

 確かに、ミドリには訊きたい事がある。

 それはこちらの思い違いで、全くの勘違いかも知れない。色んな可能性を考えたといっても、所詮は世界の一面を見る事しか出来ていないのだ。未知の証拠Xが出てくれば、それだけで全てがひっくり返る。

 だけど訊かねば分からない。それに間違っていたらごめんなさいで済むが、合っていたなら……一刻の猶予もない。

 だから、問う。


「……エリュクスさん。その錠剤を飲ませる前に、一つ、お尋ねしたいのですが」


「ふむ。なんだね?」


 エリュクスはミドリと向き合う。淡々としていて、表情からも感情を一切感じさせない。

 見ていて、寒気がするほどに。

 しかしミドリは退かない。じっと、こちらを見つめてくるエリュクスの瞳と向き合う。気持ちを落ち着かせるように大きく息を吸い、それから吐き出し……

 思いきって、告げた。


「あなたが、お二人を病気にした張本人なじゃないのですか?」

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