異邦人歓迎08
大海原の広がる東側の地平線の先に、眩い輝きを放つ太陽がある。
南国フィリピンのそれに相応しい力強さであるが、夜の間によく冷えた空気のお陰で不快な暑さは感じない。空には小さな雲が疎らに浮かぶだけで、透き通るような青空が何処までも広がっていた。吹き付ける風はちょっとばかり強めだが、強い日差しの中では却って心地良いというもの。
今日も爽やかな一日になりそうだ――――そう予感させてくれる、素敵な天気。
「ぎもぢわるぅい……」
「ぎもぢわるうぅぅぅぃぃ……」
そんな天気を前にしながら、継実とモモは双子のように同じ言葉を口に出す。
勿論この言葉は青空と太陽に向けた訳ではない。彼女達は己が内面に込み上がってきた気持ちを言葉にしただけ。
何しろ継実は顔面蒼白で、ふるふると身体が震えているのだから。モモの顔色は普通で、身体の震えもないが、彼女の身体は作りもの。中身の方は今頃顔を青くしてぶるぶると震えているだろう。
二人揃って体調不良になっていた。それもかなり重篤な状態。正直継実は立っているのもやっとな状態である。
ちなみに二人が朝日を真っ正面から眺められる場所、正確には岩礁地帯の海沿いに立っているのは、美しい朝日を拝むためではない。吐き気などは今のところないが、もしも込み上がってきた時、咄嗟に海に向けて吐き出せるようにするためだ。吐瀉物の臭いで猛獣が寄ってくるかも知れないので、こうして海に吐き捨てて痕跡を消さねばならない。自然界ではどれだけ体調が悪くとも、何も考えずに休む訳にはいかないのである。
「うぅ……こんなに体調悪いの、何時ぶりかなぁ……」
「私は、生まれて初めてかも……なんか変なモノ、食べたかなぁ……」
「変な虫なら、食べたけどねぇ……」
原因があるとすれば、昨日食べたカギムシぐらいだと継実は思う。
毒がない事は継実だけでなくミドリも確認している。味覚という形で感じ取った成分にも、違和感のあるものは含まれていなかった。しかし継実達の観測能力で分かるのは、あくまでもその生物自身に含まれる毒のみ。
例えば表面、或いは内臓に含まれていた細菌が、強力な食中毒菌だったかも知れない。はたまた胃酸や酵素と結合し、有毒化する特殊な物質があったという可能性も考えられる。『見た目上無毒』だとしても、自分達が体調を崩す理由は幾らでも考え付いた。
果たしてそうした事が原因なのだろうか? しかし継実としては、どうにもしっくり来ない。
「あの……大丈夫ですか?」
何故なら今し方心配した様子で近付いてきたミドリが、何時もと同じように健康的なのだから。
食中毒とは体調や体質、更には食べた部位により、患うかどうか個人差が出てくる。そういう意味ではミドリだけが元気だとしても、なんら不思議はないのだが……体力面だけで言えば継実やモモの方が圧倒的に上の筈。食中毒ならどうしてミドリだけがぴんぴんしているのか、全く分からない。
とはいえ今はそれを疑問に感じるより、ミドリだけでも元気だった幸いを喜びたいと継実は思う。ミドリも倒れていたら、正しく『全滅』なのだから。それぐらい継実もモモも体調は思わしくなかった。
「うぅん……あまり……起きた時より悪くなってるぐらいかも……」
「私もぉ……」
「ええっ!? あ、あの、あたしに何か出来る事ありませんか……?」
「索敵、念入りにお願い……割と本気で頼んだから。今、ちょっとでも強い奴に、襲われたら……何も出来ずに殺される……」
本気のお願いに、ミドリは「分かりました!」と力強く答える。ミドリの索敵能力は優秀だ。これで不意打ちを受ける危険性はかなり減らせるだろう。
しかしながら昨日のハマダラカのように、ミドリでも見付けられない生物もこの地には居る。ミドリが全身全霊で周囲を探知しても、接近に気付けない生物が来ないとも限らない。
それに継実としては、そろそろ本当に立っているのも辛くなってきた。モモも似たようなものだろう。横になって休んだ方が良いのだろうが、こんな岩礁の上では流石に寝心地が悪い。もっと言うなら開けた場所で横になるなど、捕食者ひしめく自然界では自殺行為である。
何処か敵に襲われる心配が少ない、安全な場所を探さねばならない。
幸いにして、今の継実達にはその場所に心当たりがあった。
「まだ辛そうだな。我が船の中で寝たいなら、好きな時に休むと良い」
日差しを遮るように降下してきた、エリュクスの宇宙船だ。潜水艦に似た船体の前側が左右に開き、中から現れたエリュクスが継実達に休むよう促す。
エリュクスの船で寝るのは初めてではない。昨晩は有り難く使わせてもらっていた。何しろエリュクスの船はなんらかの光学迷彩を施しているようで、継実やミドリには見えるが、モモには視認出来ないような代物だ。見える連中からすれば非常に目立つので、巨木の洞や洞窟と比べて安全かはちょっと疑問だが……岩場の上で大の字になるよりは何万倍もマシだろう。洞窟などが見付かっていない今、拒む理由は何処にもない。
「うん……そうする……モモ、ミドリ。行くよ」
「あい、任せたぁ……」
「ご、ごめんなさい。あたし、飛べなくて……」
「気にしないでぇ……っと……」
継実は力を振り絞り、まずは単身で浮遊。続いて力を抜いたモモとミドリも能力で浮かべ、共にエリュクスの宇宙船へと向かう。
普段ならばモモとミドリぐらい重さも感じずに運べるが、体調不良である今日の継実はかなりしんどいと感じてしまう。それどころか自重だけでも力が足りず、がくんがくんと落ちそうになってしまう有り様。岩礁から宇宙船までの距離はほんの十メートルにも満たないのに、抱えているミドリを何度も心配させてしまった。
どうにかこうにか継実は船に辿り着いたが、着地と同時に崩れ落ちてしまう。元気なミドリはどうにか体勢を立て直したが、モモはごろごろと床を転がった。身体の頑強さ故にこの程度で怪我などしないが、それでも申し訳ない事をしてしまったと継実は後悔。
「うぅ……モモ……ごめん……」
「気に、す、ん……なぁぁぁ……」
モモはすぐに許してくれたが、その声はあまりにも弱々しい。
力尽きるように継実達二人は床の上に転がったまま。すると宇宙船の床がぐにゃりと波打ち、継実達の身体を船内の隅へと運んでいった。
継実とモモを隅まで寄せると、船内の床は二人を乗せた状態で大きく盛り上がる。次いで形を変形させて、柔らかで弾力のある、ウォーターベッドのようなものへと変化した。どぷんっといった水音こそ鳴らないものの、ついさっきまで床だったベッドは継実達の身体を優しく包み込む。
木の洞だとか洞窟だとか、野宿生活を続けていた七年間。最早忘れていた文明の感触は、継実に速やかな睡魔を運んでくる。
体調不良時には寝るのが一番。これならゆっくり休めそうだと継実が思っていると、隣から早くも寝息が聞こえてきた。チラリと視線を向ければ、モモが目を瞑り、動かなくなっている。どうやらもう寝てしまったらしい。作り物の身体であるため、眠りに入ったモモは微動だにせず、まるで死体のよう。
眠ってしまえば、苦しみなんて感じない。されど身体は不調に反応しているのか、モモの作り物の顔は少し苦しそうに見えた。自分もあんな顔をしてしまうかも知れないと思うと、継実は少なからずミドリに申し訳ないなと感じる。こんな訳の分からない風邪だか食中毒だかで死ぬ気はないが、ここまで苦しそうな姿を見せたら、きっと彼女は心配してしまうから。
それは継実の望むものではない。だけど疲弊した身体は、もう継実の意識を深淵に引きずり込もうとしている。
気丈に振る舞えるのも此処までか。そう思った継実は、この場に居るもう一人にミドリを託すべく気合と根性で閉じそうになる目を開き、
「(えっ?)」
胸の中にあった気合も根性も、全て吹き飛ぶぐらい呆けてしまう。
だって、そいつは笑っていたから。
継実の動体視力ですら一瞬しか捉えられなかった刹那の間、確かに笑っていた。即ち、ほんの僅かな気持ちのほつれから顔を覗かせた『本心』。偽りのない想いであり、見せたくて見せたくて仕方のないもの。勝利の余韻に早く浸りたいという、生物的本能の現れ。
そういう気持ちがあるのは良い。問題は、露わとなったその『
そいつがどんな気持ちを抱いていたのか。所詮他人である継実には分かりようがない。それに何をしたのかだって分からない。正直に言えばちょっと笑ったように見えただけであり、熱に浮かされて見た幻覚と言われればそれまで。論理的にはなんの確証もない事だ。
だが、本能的に感じる。
自分達は嵌められた、と。
「(ま、ずい……もう……意識が……)」
せめて一言、ミドリにこれを伝えなければ――――心は強く願えども、身体はもう限界を迎えていた。本能的な危機感も、自分に対してなら働くが、他者の危機には知らんぷり。むしろ一秒でも早く『戦闘態勢』に移れと命じるように、意識のシャットダウンを促す有り様。
想いに味方してくれるのは理性だけ。野生が鈍りに鈍った知的生命体ならもうしばらくは頑張れたかも知れないが、研ぎ澄まされた本能と身体に理性は一瞬で叩き潰されて。
継実の意識は何も告げられぬまま、眠りという名の暗闇に沈んだ。
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