異邦人歓迎02

 南国フィリピン。

 七年前の世界において、比較的順調な経済的成長を続けていた国の一つだ。主要産業は農業であったが観光地としても力を入れており、首都は巨大で立派なビル群が建ち並んでいたという。

 しかしながら本来、この地は高温多湿の熱帯性気候という環境。建ち並ぶビルは、生い茂る密林を切り開いて作られた『異物』である。大自然が文明以上の力を堂々と持ち、積極的に奪還したなら、そこに人の痕跡など残らない。

 それが今のフィリピン。

 樹高五十メートル超えなら低いぐらい。八十メートル、中には百メートルを超える巨大樹木が、島を埋め尽くすように生えていた。かつて巨大ビルを形成していた大量のコンクリートは、大地を覆い尽くす巨大樹木の根や蔓植物によって跡形もなく砕かれたのだろう。もうその痕跡は何処にも見られない。

 巨大樹木は枝葉を広げて空を覆い尽くし、地上に暗黒を満たしている。今は太陽が燦々と輝く真っ昼間だというのに、一メートル先すらろくに見えないほどの暗さだ。これなら見上げれば眩い星空が見える分、夜の屋外の方が遥かに明るいだろう。これほどの暗闇でありながら、一体何をエネルギー源としているのか地面には草や若木が生い茂っている。しかもかなり密に生えていて、行く手を遮る壁のようだ。

 最早人の立ち入りすらも許されない魔境。それが今のフィリピンであり、そこに生い茂る森の状態だった。

 尤も日本人である継実はかつてのフィリピンなんて、テレビで見たかどうかという程度の知識しかない。七年前に文明崩壊に直面している継実からしたら、今更外国の一つ二つが跡形もなく崩壊していると知ったところで今更な話だ。大体にしてこの森の横断はあくまで南極を目指すための道中であり、さくっと通過する予定である。

 その密林横断についても、旅の道中で通った森で多少なりと経験済み。日本の森よりも幾分歩き辛いが、ミュータントの体力ならばこの程度消耗とは言えない。既に一時間ちょっと歩き続けたが、まだまだ問題はなかった。隣を歩くモモも、ちょっと草木が鬱陶しそうだが問題はないように見える。

 問題があるのはただ一人。


「ぜぇー……ぜぇー……!」


 今にも死にそうなぐらい息を荒らげながら歩いている、ミドリだけだ。

 継実はちらりとミドリを見る。頭上を覆い尽くす樹木の枝葉により辺りは夜よりも暗くなっていて、ミドリの様子を視覚的に見る事は普通出来ない。しかし継実は能力により粒子の動きや光の反射状態を観測。色合いの識別や運動量などを正確に認識し、その顔色まで詳細を窺い知る事が出来ていた。

 ミドリは顔を青くし、表情に力が入っていない様子。足取りも覚束ず、ふらふらと揺れる身体は今にも転びそうだ。すぐにでも閉じてしまいそうなぐらい目付きが弱々しく、酸素が足りていないかのように息は荒々しい。今朝の元気さは一体何処へやら、文明が残っていたら今すぐに救急車を呼びたくなるほど不健康な様相である。


「(おかしい。いくらミドリが私達の中で一番体力が少ないといっても、こんな早く疲れる筈がない)」


 ミドリ本体は寄生性宇宙生物でも、動かしている肉体はミュータント化した人類。超音速で走り回るだけの体力があるのだから、一時間歩くぐらい余裕でないとおかしい。実際これまでの旅路でも、歩くだけで悲鳴を上げる事なんてなかった。悲鳴を上げるのは、ヤバい生物から全力で逃げている時だけである。

 しかしミドリが疲れきっている事実は変わらない。

 違和感から継実は少し考え込む。知的生命体であるからこそ、まずは考え込むのが人間だ。それが良いか悪いかは、ケースバイケースというものである。

 対して犬は思ったままに動く。モモは不思議そうに、ミドリに尋ねた。


「どしたのミドリ。元気ないわね?」


「す、すみません……なんか、急に体調が悪くなって……」


「んー、一旦森から出て砂浜で休む? 休憩中に私と継実で今日分の食べ物探してきても良いし」


 モモの提案に、ミドリは首を横に振った。


「だ、大丈夫です……少し気分が悪いだけですし……」


「そうは言うけど、見た目からしてかなりしんどそうよ?」


「……というかミドリって今どんな状態なの? 休んで治りそうなのかどうかも、何も知らなきゃ分かんないし」


 継実も考えるのは ― 結局なんの案も出てこなかったので ― 一旦止めて、緑に尋ねてみる。ミドリは辛そうな動きで継実の方へと振り返り、重々しい口調で症状を語ってくれた。

 曰く頭痛がして、身体が重く、倦怠感を感じていて、目眩とちょっとした寒気もあるという。

 モモは「ふーん」と声を出しつつも、いまいちピンと来ていないのか首を傾げるばかり。どうやら野生の本能による名診断は期待出来ない。対して継実は、ちょっと心当たりがあった。誤診をするのも申し訳ないのでよく思い出そうと少し思考を巡らせ、多分間違いないと信じる。


「……貧血じゃない? それ」


 継実の診断は、七年前の人類にとってはあり触れた病名だった。


「貧血? ……ああ、人間の貧血ってこんな感じなんですね。以前宿主にしていた生命体と違う感覚なので、分かりませんでした」


「以前っていうと、他の星の生物よね。ちなみにそれはどんな感じなの?」


「一概には言えませんけど、あたしが以前暮らしていた星では、全身が乾燥により干からびていきます」


「……は?」


「ですから、干からびるんです。血が足りないのですから、そうなるのは普通でしょう?」


 普通なのかなぁーと言いたげな顔をするモモ。継実も同じような顔になる。とはいえミドリは実際に宇宙人であり、そのミドリがこうだと言っているのだ。ならばきっと他の惑星ではそうなのだろう。何事も地球の感覚で述べてはいけない。

 なんにせよこれが人間の貧血の症状だとミドリは理解した。成程と言いたげにこくりこくりとミドリは頷いている。

 しかし、言い出しっぺである継実はどうにも納得出来ていない。

 人間、というより地球生命が貧血になる理由はごくシンプル。血を作る材料が足りないか、或いは失血が多くて、体液の量が適正な水準を下回っている……これだけだ。そしてこの状態に陥る一番の理由は、不健康な食生活や過激なダイエットなどによるものである。

 しかしミドリの場合、これらの原因は当て嵌まらないと継実は思う。新鮮な野菜や果物が中々手に入らない野生生活のため、自分達の食生活は肉中心。加えて喉を潤すためにも血は積極的に飲んでいる。この食生活が身体に良いか悪いかは兎も角、血の材料は大量に取り入れている筈だ。それに生きるか死ぬかの日々ではあるが、生物数が多いので喰うに困った事は殆どない。毎日腹一杯の血肉を取り入れているのに、ここまで重篤な貧血になるというのはいまいち納得出来なかった。

 確かに人間の女性の場合、生理という形で出血を伴うため貧血になり易いという特徴もある。しかしミドリがこの人間の身体に宿って一月以上経つが、これまで貧血を訴えた事は一度もない。栄養不足による月経不順で生理がなかったのか、遅い体質で一ヶ月半では来なかったのか、別の原因があるのか、そもそも貧血という診断が誤りなのか……

 納得出来ない故に新たな疑問を呼び、継実は再び考え込んだ――――そんな時の事だ。


「ところでミドリ。アンタ右肩にデカいもん乗せてるっぽいけど、それ、何?」


 モモが、不意にそんな事を言い出したのは。

 ……継実はミドリの右肩をじっと見てみる。けれどもやっぱりそこには何もいない。何かいたらとっくに気付いている。

 しかしミドリは何かを感じたのか、そっと右肩に手を伸ばした。

 するとように動いた。結構な勢いであり、呆気に取られたミドリの表情からして自発的な動きでないのは明白。

 明らかに、ミドリの右肩には何かがいた。


「……今更ですけど、身体が重いって感覚、よくよく考えてみたらこれ物理的な感じですね」


「へぇー……ところでモモ。なんで気付いた訳?」


「いや、ミドリの体調が知りたくて毛を伸ばしたらさ、そこに大きなものが乗ってるんだもん」


「ああ、触診しようと思ったのね。流石私の最高の相棒。頼れる」


「へっへー。まぁ、このぐらい朝飯前ってなもんよ」


 胸を張って自慢げなモモ。何時もならここでモモの身体をわしゃわしゃと撫で、モモがひっくり返ってお腹を見せるところだが……此度の継実はそんな和やかな事をしない。笑顔は浮かべていても、目が笑っていない。

 闘争心に満ち溢れた眼光が向くのは、ミドリの右肩。ゆっくりと動く継実とモモが挟むのも、ミドリの右肩。

 しばらくして、ミドリの右肩付近の景色がぐにゃりと歪む。

 まるで水飴を流し込んだかのような、透き通った歪な景色。だがそれは一秒と経たずに消え失せ、本来の姿を取り戻す。

 大きな複眼を持ち、針のように鋭い口器を有す独特な顔立ち。足や身体付きはか弱く思えるほど細いが、赤黒く染まった腹だけは大きくぷくりと膨らんでいた。二枚の細長い翅は大きく広げられ、今にも飛び立とうとしている。茶褐色という地味な色合いは如何にも一般的な生物っぽく、実際この生物は地球上では珍しいものではない。

 ハマダラカだ。世界の広い範囲に分布している一族であり、此処フィリピンにも生息している……尤も、ミドリの肩に停まっていたの個体は、七年前には世界の何処にもいなかっただろうが。そしてハマダラカのお腹はでっぷりと膨らんでいた。赤い色合いからして、たっぷりと血を吸ったのだろう。勿論右肩に口をぶっ刺されているミドリから。

 貧血の原因はコイツだと、継実はようやく理解した。

 そしてミドリは、どう見ても友好的でない生物が自分の肩に乗っていると今頃知った。


「っんぎゃあああああっ!? なんですかこの化け物!? というかなんで今まで居た事に気付かなかったのあたしぃ!?」


「蚊ってのは、何時の間にかやってきて、何時の間にか刺すものよ……きっとこの蚊はミュータント化によって、隠密能力に特化した能力を持ったんでしょうね……!」


「それに蚊の口というのは特殊な構造と細さによって、痛みを与えずに吸血が出来るらしい。人間もその生態を応用し、痛くない注射針を開発したみたい。何時の間にか刺されていた事にも頷けるか……!」


「どんな隠密能力があれば粒子の動きとか誤魔化せるんですかぁ!? あとこんなデカい針刺されたら構造とか関係なく痛いでしょ!? どう見ても太さ数センチありますから! 肩の肉ぶちぶち切り裂きながら刺さったでしょこれぇ!?」


 真面目な顔して理不尽な事を語る継実とモモ野生動物二匹に、ミドリは唯一の文明人として論理的に話す。が、肩に巨大ハマダラカが乗ってる事実は変わらず。


【チュゥー】


「あふんっ」


 最早隠す必要もないと思ったのか、巨大ハマダラカは力いっぱい一気飲み。失血により一瞬で意識が遠退いたであろうミドリは力なく崩れ、食事を終えたハマダラカはそのまま大空に旅立とうとする。

 しかし継実とモモがそれを許さない。


「逃がすかァ!」


 モモは全身から体毛を伸ばし、ハマダラカを捕らえようとする。ハマダラカも捕まる気は更々なく、体毛が伸びる速さを上回るスピードで急浮上。高い飛行能力を活かして逃げようとした。

 凄まじい速さであり、モモ一人だけでは捕獲は無理だったろう。しかし此処にはもう一人、獰猛なハンターが居る。


「喰らえッ!」


 粒子ビームを撃てる継実だ。

 繰り出したのは射出速度重視のもので、威力は ― あくまでミュータントの攻撃としては ― 決して強いものではない。だが細身なハマダラカにとっては脅威だったようで、大慌てでこれを回避しようと身体を傾けた。

 それをモモは見逃さない。


「とうっ!」


 力強く跳躍し、ハマダラカの足にしがみつく! 継実の攻撃を躱すため体勢を崩していたハマダラカでは、モモの素早い動きに対応出来ず。哀れにも捕まれ、身動きが鈍る。

 追い討ちとばかりに継実も跳び付き、ハマダラカの身動きは拘束された。バチバチとモモが放電を始める……が、何故か電撃は放たない。継実が粒子操作能力で周辺を探ってみたところ、何やら周辺電子がぷるぷると震えるばかりで動いていない状態になっていた。電流とは電子の流れであり、それが止まれば電流は流れない。どうやらハマダラカがなんらかの方法で妨害を試みているようだ。

 電撃を阻害するとは恐るべき力。されど継実達に他の手がない訳ではない。むしろ一番シンプルで簡単な方法がまだ残されている。


「ふんっ!」


 継実はハマダラカの頭に手を掛けるや、その頭を回すように力を込めた。

 ただそれだけでハマダラカの頭はぐりんと一回転。ぶちぶちと音を鳴らしたと思った直後、ぼとりと頭が地面に落ちる。見た目通り脆弱な身体では物理攻撃に対する耐性が殆どなかったのだ。勿論、核シェルターもぶち抜く継実の怪力から見ての話であるが。

 司令塔である頭を失ったハマダラカの身体は、バランスを崩して墜落。未だに翅や足がバタバタと激しく動いていたが、こんなのはただの本能的反応でしかない。もうこの身体が大空に旅立つ事はないのだ。

 それは継実達の勝利を意味する。


「よっしゃあ! 昼ご飯ゲット!」


「いぇーい!」


 正確には、今日のごはんの獲得と言うべきだろうが。

 その狩りをただただ見ていたミドリはよろよろと立ち上がりながら、乾いた笑みを浮かべた。


「ああ、やっぱり食べるんですねコレ……」


「そりゃね。まぁ、そんなに量はないと思うけど」


「蚊なんて見た目からして肉とかなさそうだもんねー。あ、そうそう」


 モモは何を考えたのか、おもむろにハマダラカの腹と胸の付け根を掴む。

 それから躊躇いなく、ぶちりと両者を力尽くでお別れさせた。

 モモは胸の方をぽいっと投げて、継実がそれを軽やかにキャッチ。未だモモの手の内に残るハマダラカのお腹からはじんわりと赤い液体が染み出す。どう考えてもそれはハマダラカが吸い取った、ミドリの血液だ。


「ほら、これを飲みなさい。そうすれば抜かれた血が戻るわよ、多分」


 そんなものを、モモはさも当然とばかりにミドリへと差し出してくる。

 ミドリが貧血時よりも顔を青くしてもモモはその物体を引っ込める事はなく。真剣な眼差しからしても、モモの言葉が本気なのは誰の目にも明らかだった。


「……いや、それ確かに私の血ですけど、でも輸血って口からやるもんじゃがぼがぼぉー!?」


「輸血じゃなくても、血を飲めば血の材料にはなるでしょ。ほら、頑張って一気飲みよー」


「がんばー。ぼりぼり」


 話は最後まで聞いてもらえず、ミドリは口から血をどぼどぼと注ぎ込まれた。継実はモモの狼藉を眺めながら、モモから分け与えられた胸を丸齧りするだけ。助ける気など毛頭ない。

 確かにミドリの言い分も継実には分からなくもない。血を飲んだところで、まずはその血を消化してアミノ酸や水やミネラル分に分解。それを腸で吸収して脊髄内の造血細胞まで運ばれ、造血細胞が『元血液』である栄養素を元にして新しい血を作る。ここまでのプロセスを経て初めて『血』となるのだ。要するにそれなりの時間が掛かるものであるし、どうせ胃で分解するのだからわざわざ自分の血に拘る必要もない。動物の血肉を食べれば同じ事であり、味覚だとか精神衛生を考慮すればこっちの方がずっと有益だろう。出てきた自分の血をごくごく飲んで即回復なんてのは漫画だけの話だ……七年前までは。

 ところがどっこい、血を飲めば飲むほどミドリの顔色は良くなっている。血の池地獄に落とされた亡者のような表情をしているが、それ以外の面ではミドリの身体が急速に回復している事が継実の目には見えていた。

 どう考えても血が戻っている。それも消化・吸収をすっ飛ばしたような猛烈な速さで。なんとも非常識であるが、脳内イオンチャンネルの遠隔操作が出来てしまう今の『人類』に七年前の常識なんて通じる訳がない。

 むしろこれこそが現代の常識と言うべきだろう。


「(うん。実にミュータントらしくてよろしい)」


 ミドリもすっかりこの星の一員になれたのだと、継実は感慨深さでこくこくと頷くのだった。

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