南海渡航17
ふらふら、へろへろ。
そんな音が聞こえてきそうなほど左右に揺れながら、しかし超音速で海の上を飛ぶ四つの物体がある。
ツバメ、そして彼に連れられている継実達だった。全員が竜巻脱出時よりもボロボロ。継実は髪の毛がアフロと化し、モモは身体の半分ぐらいが熱で溶け、ミドリに至っては白目を向いて失神していた。全員がひーひーと息を荒くしているが、それは雲一つない空で燦々と輝くお昼の太陽が暑いからではなく、体力が底を尽きた身体に少しでもエネルギーを充填するための足掻きである。
「も、もぉ無理ぃ……まだ、陸地は、まだぁぁ……?」
「あと、少し……だぜ……あふん」
声すら満足に出てこないぐらい体力が減っている継実に、ツバメは同じく枯れた声でそう答えた。直後、ちょっと力が抜けたのか高度ががくんと落ち、四人が海面に近付く。
その瞬間を狙っていたように、海から無数の半透明な触手が生えてきた。
どうやら大型のクラゲが海中に潜んでいたらしい。触手はうねうねと伸び、失神していたミドリの生足にぴたりと付着。
「ほげええええええっ!?」
ビリビリと古典的な音と共に流された電撃で、ミドリはぱちりと目を覚ました。
電気クラゲって刺されるとビリビリ痺れるのが由来で、本当に電気を流してどうすんのよ……等と一瞬暢気に継実が考えてしまったのは、きっと疲労の所為か。すぐに我を取り戻した継実は早く取り除かねば不味いと思い手を伸ばそうとしたが、流れる電流があまりに強く、無策で掴めばこちらも感電してしまうだけと気付く。継実にはどうにも出来ない。
「ごるぁっ! 私の家族に何してんのよ!」
継実に代わり、電気耐性の高いモモが触手を掴んだ。クラゲの足には刺胞が存在し、触れると刺される恐れがあるものの、体毛で出来たモモの手ならこれも問題ない。
ぶちりと強引に一本引き千切れば、クラゲはすごすごと退散した。
「ミドリ、大丈夫!?」
「は、はひぃ……なんとかぁ……ありがとうございますぅぅ……」
「ちょっと診せて。クラゲなら、多分毒がある筈だから」
ぷすぷすと頭から煙を立ち昇らせるミドリに、継実はそっと手をかざす。勿論宗教的儀式などではなく、ミドリの体内を流れる高分子を発見・解析するための行為だ。
「……うん。ちょっと毒は入ってるけど、大して強くない。ミュータントじゃなくても分解出来るレベルだし、ほっといても平気だと思う」
「はいぃ……すみません……」
「良いって良いって……はぁぁ……」
ミドリが無事だと分かり、継実はどっと疲れを覚える。
ツバメは既に高度を上げたが、彼とてわざと降下した訳ではない。アホウドリとの激戦、それ以降も続く度重なる襲撃……彼も既に疲労困憊だ。ミュータントの力からすれば超音速で飛ぶだけなんてろくに体力を消耗しない筈なのに、それすら満足に出来ない状態である。
恐らくもう長くは飛べない。
継実の能力を使えば多少代行出来るが、日本から一キロも旅立てないような飛行能力では時間稼ぎが精々。そして継実自身もう体力が殆ど残っていない。
山場は超えたが、それは旅の成功を意味しない。あともうちょっとなのに……どうしても悔しさが込み上がり、継実は唇を噛み締めた
が、すぐにぽかんと口を開く。
地平線の遥か彼方。恐らく数十キロほど先に――――僅かに緑色のものが見えたがために。
「み、みみ見えた! 陸! 陸ぅ!?」
「陸!? えっ! 陸!?」
「えっ。ど、何処に?」
「うぬおおおおおおおおおおおお!」
継実が半狂乱で声を上げれば、モモにもパニックが伝染。ツバメは全力で羽ばたいて飛行速度を上げていく。キョトンとしているミドリが一番冷静なぐらいだ。
ツバメが飛べば飛ぶほど、継実の目が捉えた緑色の物体は大きくなっていく。緑色のものが生い茂る森だと分かり、それが島だと理解出来た。そしてやがて真っ白な砂浜も見えてくる。
あと少し。あとちょっと。心の中で祈りながら、此処まで来て絶対喰われてやるものかと全力の殺気を放ちながら継実は周囲を警戒。しかし数秒と続ける必要もない。継実達は今や秒速十キロ超えの速さで空を駆けているのだから。
瞬く間に、その瞬く間を認識出来る思考速度だからこそ焦れったく思いながらも、見えてきた島はいよいよ間近に迫り――――
先頭を飛んでいたツバメが、ついに砂浜に着地した。
「いっ……いよっしゃあああぁ!」
砂浜に一番乗りしたツバメは両翼を広げて大喜びし、
「ばっ!?」
「びぶ!」
「べぼぉ!?」
突然ツバメの能力が消失した事で、勢い余った継実とモモとミドリは顔面から砂浜に突っ込んだ。ずどどどど、という激しい爆音を轟かせながら慣性で三人は砂浜を掻き分け、十メートルほど進んでからようやく停止。全裸の人型オブジェクト(下半身)が、砂浜に三体出来上がる。
……なんとも締まらない着地。喜んでいたツバメも固まり、てくてくと継実達の下に歩み寄る。
「ごめんよ。ついうっかり」
「ぶはぁ! べっ! べっ! この……」
反省してるのかしてないのか。謝ってはもらえたものの、なんか却って癪に障る言葉に、継実は怒りを露わにしながら砂から這い出す。
尤も、怒りの感情はすぐに消え失せた。
春なのに感じる、真夏の日本を思わせるじめりとした暑さ。
内陸を埋め尽くす、見た事もないような植物。
森から飛び立つ、赤くて派手な鳥。
それらはあくまで象徴的なものに過ぎず、此処が何処かを物語る確たる証拠ではない。だけどそんな事はどうでも良い。此処が正確には何処なのかなど、継実は端から気にしていないのだから。
重要なのはただ一点。
自分達が
「……着いた?」
「ああ、着いたぜ。多分なー」
「着いた……着いた。着いたんだ! モモ! ミドリ! 着いたよ!」
沸き立つ興奮のまま、継実は大はしゃぎ。遅れて砂の中から這い出したモモとミドリの下へ駆け寄り、喜びを分かち合おうとした。
最初モモとミドリは呆けたように固まっていたが、やがて継実の言葉を理解し、そして自分の状況を把握。満面の笑みを浮かべ、溢れ出る喜びのまま身体をバタバタと揺れ動かす。
「着いた!? 着いたのね!」
「た、助かったんですね!? あたし達!」
「そうだよ! 着いたし助かったんだよ!」
「「「きゃーっ!」」」
アイドルを前にした年頃の女学生のような、甲高い声を上げて継実達は抱き合う。
初めての渡海を全員で無事渡りきれたのだ。感情が昂ぶって、少女になってしまうのも致し方ないだろう。
「やれやれ。どうにかなったな」
勿論その旅路は、継実の傍まで歩いてきたこの小鳥のお陰である事を、継実は忘れていない。
「ツバメ、ありがとう。アンタの力がなかったら、今頃私達全員海の藻屑だったよ」
「へへっ、そうだろうとも。ま、オイラもアンタ達が居なけりゃあのアホウドリの朝飯だったろうし、お互い様ってやつさ」
褒め言葉は素直に、感謝は率直に。継実の言葉にツバメは上機嫌に答える。
ただしパタパタと翼を羽ばたかせ、舞い上がる姿に迷いはない。
「ま、アンタらとの旅は中々面白かったぜ。もう会う事もないかもだが、達者でな」
ツバメはそれだけ言い残すと、すっと大空に旅立つ。超音速でカッ飛んでいけば、継実の視界から彼の姿が消えるのに一秒と経たない。
もう、ツバメが何処に行ったのかすら継実達には分からなくなった。
「……え? あれ? 今のでお別れ?」
「まぁ、そうじゃない? もう会わないだろうとか言ってたし」
「ええぇ!? あたし、全然感謝とか伝えられてないですよー!?」
「別に感謝されたくて私達を送ってくれた訳じゃないしねぇ。当初の話通りWinWinで終わったんだし、こんなもんでしょ」
苦難を共にした仲だというのに、なんともさっぱりとした別れ。知的生命体であるミドリは困惑したが、モモは特段気にもしていない様子だ。モモの意見に「そうなのでしょうか……」と答えつつも、ミドリは落ち着かないのかそわそわと身体を揺らす。
『人間』的には、短い間とはいえ協力した相手とは、それなりのお別れをしたいものだろう。本当に、もう二度と会わない可能性の方が高いのなら尚更だ。継実だってミドリと同じ気持ちである。パーティーを開こうだなんて言わないが、もうちょっと、相手を気遣うような挨拶をしたかったのが本音だった。
しかし野生動物達は違う。悲しんだり惜しんだり意味のない約束を取り交わしたり……そうした『無駄』な事を好まない。用が済んだらさっさと帰る。それが最も自然なのだ。
だから、継実も余韻に浸りはしない。
「ま、あの調子ならこれからも元気でやってくでしょ。気にしない気にしない」
「は、はぁ……………そう、ですね。元気にやってくれるなら、それでいっか」
「そうそう。それより私達の方が問題でしょ」
「問題?」
「ん? なんかあったっけ?」
こてんと首を傾げるミドリに、不思議そうにするモモ。どうやら二人に心当たりはないらしい。
由々しき事態である。こんな大事な事を忘れるなんて――――なので継実は肩を竦めて、それから大仰に自分のお腹を摩る。
「なんかも何も、お腹ぺこぺこじゃない。私だけかもだけど」
そして臆面もなく自分の欲を曝け出す。
一瞬の間を開けて、二人はけらけらと笑った。
「あはは! 確かに、お腹空きましたね」
「ええ。私も腹ペコだわ。なんかさぁ、鳥肉食べたくない? 鳥肉」
「良いね。じゃあ……あそこを飛んでる鳥で腹ごしらえだ!」
「「おーっ!」」
何時も通りの指針を定め、継実達は砂浜を踏み締めながら目の前の森へと歩み出す。
故郷がある背後は振り返らず、真っ直ぐに。
自分達の歩みの先に、求めているものがあるのだから。
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