南海渡航15

【逃げる、ねぇ。確かに逃げたいけど……どうすんのよ、この状態で】


 モモは継実の案に賛成しつつも、やり方について確認してきた。

 疑問は尤もなものである。逃げる、と言葉でいうのは簡単だが、状況はそれを許してくれるものではない。

 アホウドリにこちらを逃がすつもりがないのだから。

 敵意と食欲と怒りを混ぜ合わせた瞳が、継実達をじっと見ている。元々油断なんてなかった奴だが、更に感情の純度が増しているようだと継実は感じた。要するに、先程までより更に精神的な隙がない。

 もう一度酸欠で失神なんてしたら、今度こそキッチリ止めを刺してくるだろう。勿論遠距離から、安全に。


【私が復帰したのを見て、警戒心を持たれた感じだしなぁ。罠に嵌めるのは無理か】


【見せ付けるようにやってるからよ】


【こっそりなんて出来ないんだから、何やっても変わんないでしょーが】


 モモと軽口を交わしながら、継実は思考を巡らせる。アホウドリはこの間もじっと継実を見ていて、攻撃動作の呼び動作などは取っていないように見えるが……背筋が痺れるような感覚が、どんどん強くなっている。あちらがその小さな身体に力を溜め込んでいるのは確かだ。

 動くなら先手を取るしかない。そして先手を取れるまでの猶予は、恐らくそう長くないだろう。


【……モモ。ツバメとミドリにも話したいから、毛、咥えさせて】


【おっけー】


 継実の指示で、モモはミドリ達の耳と口に毛を伸ばす。

 継実が声を出せば、ミドリとツバメは驚いたように辺りを見回す。すぐに継実は理屈を説明して二人を宥めたが、二人の驚く姿を見たアホウドリには、自分達が『話し合っている』事はバレてしまっただろう。


【手短に話すよ。私達じゃアイツを倒すのは多分無駄から、脱出を優先する。で、その方法なんだけど――――】


 時間はもうない。継実は手早く、今し方考えた作戦を語った。

 作戦自体は決して長々としていない、シンプルなもの。しかし少々力尽くな方法にミドリは驚き、萎縮し、けれども覚悟したように表情を引き締める。

 ツバメの方は、何処か楽しそうにも見えた。


【わ、分かりました。やってみます!】


【それしかないなら、やるしかないなぁ。はっはっはっ】


 真剣に答えるミドリに対し、ツバメは笑っていた。ぱたぱたと翼を動かしており、どうやらやる気に満ちているようだ。

 やる気があるのは頼もしいが、何故そんなに楽しげなのか。ちょっと疑問を抱く継実だったが、納得はすぐに得られる。


【仲間の仇討ちなんて興味もないが……種族の敵に一泡吹かせてやるというのは、中々面白いぜ】


 語られた言葉は、継実にも納得がいくものだったから。

 今まで無敵だった奴に赤っ恥を掻かせるというのは、やっぱり面白いものなのだ。例え恥なんて概念が存在しない、自然界であろうとも。


【それじゃあ、始めるよ!】


 継実は掛け声と共に、その手を眩く輝かせる。

 粒子ビームだ。

 本来粒子ビームの『材料』である粒子達は、大気中にいくらでもある空気を使っている。しかし此度、継実達の周りは真空状態。これは粒子ビームの材料が枯渇しているようなものだ。

 だから此度のビームは大気ではなく、継実やみんなの身体にある元素をちょっと拝借した。主に人体で不要な物質を用い、それでも足りなければ血液をちょっと借りていく。更に継実自身は自分の骨をガリガリと削り、大量の元素を調達する。

 そうして得た大量の粒子が、今、指先に集まっているのだ。


「クァァ……!」


 継実の動きを見たアホウドリは僅かに身動ぎし、翼を広げようとする仕草を見せた。恐らく、継実が動き出す前に引力で叩き付けようという算段だろう。

 だが、継実の方が断然早い。

 継実の指先より放たれる粒子の輝き。都市どころか国家すらも焼き払う神の炎が、閃光を撒き散らしながら――――

 そう、海面だ。継実の指先が捉えるのはアホウドリではなく、斜め前方にある大海原。勿論こんな海水を攻撃してもアホウドリにダメージは与えられないし、能力の妨害も出来ない。

 何しろ継実達の目的は、アホウドリの撃破ではなく、アホウドリからの逃走である。だから海面を撃っても問題などない。

 粒子ビームを撃ち込んだ反動で、継実達の身体は大空へと飛んでいくのだから!


「(普通に飛んでも私の力じゃ引力は振りきれない。だけど、粒子ビームなら……!)」


 ロケットの飛び方というのは、推進剤という名の物質を大量噴出する事により生じる反動で、推進力を得るというもの。粒子ビームも大量の物質を飛ばすという意味では、ロケットエンジンと同様の代物だ。今までは攻撃目的で使っていたので、継実はがっしりと大地を踏み締めて撃っていたが……留まるつもりがなければ、大空を、宇宙さえも飛び立つだけの速度を得られる。

 勿論普段からこれ ― と似たような原理も含めて ― で移動しないのには訳がある。移動するなら普段一秒と照射しない粒子ビームを、何秒も続けて放たなければならないのだ。大量の粒子を消費するし、エネルギーの消耗も激しい。日本からフィリピンまで飛ぼうとしたら、継実は道半ばに達する前に干からびてしまうだろう。

 だが、たった二~三百メートル先の『竜巻』に手が届くまでの距離なら、左程負担にはならない!


「ぶはっ! 良し!」


 自分達を取り囲む巨大竜巻の『内壁』に一瞬で辿り着いた継実は、そこで二酸化炭素分解ではなく、普通の呼吸による酸素取得に切り替えた。

 竜巻は自身の運動による摩擦熱で高温になっているが、継実が能力によりその熱を奪い取ればすぐに常温へと変わる。モモ達も普通の呼吸が出来る温度であり、もう二酸化炭素を分解してあげる必要はない。更に粒子ビームの材料である元素も、大量に確保出来る。

 最初の賭けには勝った。アホウドリの能力により竜巻に接する事さえも妨げられるという、一番嫌な攻撃をされる前に動けたからだ。とはいえ今までアホウドリが見せてきた反応速度と警戒心から、ここまではある程度予想通り。

 いよいよアホウドリの能力が発動する。勝負はここからが本番だ。


「クッ……アアァァァッ!」


 継実達の目的に気付いたであろうアホウドリは、継実が想定したタイミングぴったりに能力を発動させた。

 継実達の身体を引き寄せる、巨大な引力。

 巨大な恒星すらも彷彿とさせる圧倒的なパワーだ。粒子ビームの推進力さえも打ち消し、継実達の身体をアホウドリの方へ引き寄せていく。

 仮に粒子ビームの向きを変えてアホウドリに撃ち込もうとしても、軌道を変えられて無力化されるだろう。それにちょっと向きを変えると推進力の方角が変わり、逃げるための最短ルートにならない。これでは本末転倒である。

 粒子ビームの射出方向は変えられない。出力を増大させようにも、継実は最初から全力全開でこれ以上のパワーアップは無理。が、これでも足りないようだ。


「ツバメ!」


 だから継実は助けを借りる。


「任せろぉ!」


 継実の肩に乗るツバメは力強く、渾身の力で羽ばたく!

 すると竜巻の内壁から、まるで植物が脇目を伸ばすかのように新たな竜巻が生えてきたではないか。それも横方向に。そして生えてきた竜巻は継実達を包み込むと、巨大なボール状の空気溜まりを形成。呼吸のための領域を確保した後も更に竜巻を取り込んでいき……さながらジェット噴射のように空気溜まりの空気を吹き出し、推進力として働かせる。

 竜巻という形になって『肉眼』でも見える、空気を操るツバメの能力。

 竜巻の内壁に肉薄したのは、何も継実が粒子ビームを撃つためだけではない。ツバメの能力により、竜巻そのものを推進力とするためでもあったのだ。更に排出された風はアホウドリを襲い、僅かにだが集中力を掻き乱す。継実達の身体を襲う引力が、ほんのりと弛む。


「おっと、ゴミがあったぜ。ほらよ」


「あら。ようやく私の出番みたいね」


 竜巻内には木片や海藻などもあったが、ツバメはそうしたゴミをモモに渡す。モモは不敵に笑いながら、手にしたゴミに電力を注入。

 ゴミに含まれている僅かな鉄分などを磁石化させるや、自身が持つ磁極を反転。蹴り飛ばすようにして、超高速でゴミを撃ち出す!

 ゴミの射出角度は割と適当で、アホウドリには当たらない。当てる気もないだろう。このゴミ射出もまた、反動により推力を得るのが目的なのだから。


「て、てやぁー!」


 そしてミドリも、ミドリに出来る事をやっていた。その手から虹色に輝く、謎の発光現象をぽんぽん放っている。

 初めて出会ったばかりの頃に使っていた、だけどミュータント的には『攻撃能力』のない一撃は、推力もまた強くない。そもそも純粋な熱と光の塊という質量ゼロの攻撃なので、反動など殆どないだろう。

 しかし空気抵抗がない宇宙では恒星の光だけでも推力を得られる。つまり極めて微力なだけで、大気中でも多少は前へと進む力が得られるのだ。勿論普通の光ではミュータントからすれば無力だが、都市の一つを焼き尽くす炎ならば『普通の質量』に対する出力は十分。

 四人の力を合わせた継実達の推力は、今や星どころか恒星の重力圏を突破するほどの勢いに達していた。アホウドリは未だ引力による引き寄せを諦めていないが……少しずつ、継実達はアホウドリから離れていく。

 ミュータントの能力というのは様々なもので、距離で減衰したりしなかったりする。だからアホウドリから離れても、引力操作が弱まるかは分からないが……射程距離は分かる。大海原に鎮座する巨大竜巻、そしてそれを取り囲む巨大積乱雲の範囲内だろう。海洋生物や海鳥達が、積乱雲を境に入ってこない事からも明らかだ。つまり積乱雲から出れば、もうアホウドリの力は自分達に及ばない筈。

 ゆっくりとではあるが、前には進んでいる。積乱雲の中にあるのは荒れ狂う災害だけで、生物的脅威はない。遅々とした進みなのでこの調子では脱出に何日も掛かりそうだが、アホウドリだって捕まえられない獲物に何時までも執着はするまい。野生動物というのは『合理的』なのだ。

 諦めるなら、恐らくもうすぐ。 


「(これなら、いける……!)」


 自分達の勝利が間近に迫っていると継実は実感した――――その時である。


「……………クァ」


 アホウドリが小さく、鳴く。

 次の瞬間、継実はふわりとした浮遊感を感じた。

 その感覚の正体は、自分を引き留めようとする力の喪失。証明するように自分達の身体はどんどん、或いは一瞬にして加速していき、竜巻の外を目指して進み出す。

 アホウドリが引力操作を止めたのだ。つまり奴は自分達を襲うのを諦めたのである

 等と信じるのは、早計だった。


「ぐがっ!?」


 刹那、感じたのは内臓が押し潰されるような感触。

 その感触を言葉として理解する前に、継実達の身体は少しずつ退を始めた。

 勿論継実は今も粒子ビームを撃っている。ツバメは竜巻を利用したジェット噴射を続けているし、モモは定期的にゴミを射出していた。ミドリは疲れたのかちょっと攻撃頻度が落ちてきたが、全体に影響を与えるほどではない。

 ならば後退する理由は外的要因に他ならない。そして自分達の脱出を阻む外的要因など一つしかなかった。

 くるりと、継実は背後を振り返る。

 アホウドリが居た。巨大竜巻の中心で、大きく翼を広げながら悠然と空を仰ぐ。身体は僅かに海面から浮いていて、空中でじっと佇んでいる。

 優雅なようにも、無防備なようにも見える姿。されど継実は察した。本能が理解したのだ。アホウドリから放たれる、底知れぬほど強大な『力』を感じたがために。

 、と――――

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