南海渡航14
「(ぜ、全員に引力操作……!)」
作り上げた包囲網が一瞬で崩され、継実は顔を顰める。
所詮は距離を開けただけの事。それに力を分散したからか、強制力はそこまで強くない。ミドリやツバメでは動く事が難しそうだが、モモと継実なら鈍いながらも動けはした。
これだけならなんの脅威でもない。
問題は、引力操作能力の使い手であるアホウドリがそれを理解していない筈がない点だ。全員の身動きを封じたのは本命ではないと考えるのが自然。何かを企んでいるのは確実だ。
その企みを発動させるのは、どう考えても自分達の得にならない。何かされる前に潰すべく、継実は相棒であるモモに視線を向けた。
モモは、大きく目を見開き、苦しむように口を喘がせていた。
「……!? ――――!?」
どうしたの、モモ。
そう尋ねようとして、継実は異変に気付く。或いは今、継実の身にモモと同じ異変が襲い掛かったのだろうか。
声が出ない。
より正確に言うなら、出した声が聞こえてこない、だろうか。かなり大きな声で叫ぼうとしたのに、継実には自分の声が聞こえてこなかった。きっと、モモにも届いていないだろう。
そして直後に襲い掛かってきた、息苦しさ。
全身が痛みを覚えるほどの窒息感。身体が酸素を求めていて、その渇望のまま息を吸おうとするのだが……何も吸い込めない。どれだけ喉に力を込めても、肺を激しく震わせても、口から空気が入り込む事がない。
「かっ……!? あ、ぁ――――」
「ぎっ!? ぃ……!」
異変が襲い掛かったのはモモと継実だけではない。後回しにされたのか、ミドリとツバメが今になって呻きを上げた。声を上げたのは最初だけで、その場でジタバタと、踊るように藻掻くばかり。伸ばした手や翼が宙を切り、パクパクと口を喘がせるのみ。
一瞬にして、継実達全員が苦しさの中に溺れてしまう。誰一人として回避すら出来ぬままに。
どうして? 何が起きた?
空気がない。
酸素どころか窒素も二酸化炭素も、みんな自分達の周りからなくなってしまったのだ。竜巻内部は今や完全な真空状態。いくら吸い込もうとしても、気体分子が何もなくては呼吸など出来る筈もない。
その大切な気体分子達は今、アホウドリの周りに引き寄せていた。
「(こ、これが、コイツの必殺技か……!)」
真空状態での圧力などは継実にとって大した問題じゃない ― 宇宙空間に生身で出ると爆発するという話があるが、アレは完全なデマである。人間の身体はそもそも密閉されていないから破裂なんて出来ない ― が、酸素そのものがないのは一大事。
如何にミュータントといえども、好気性生物である以上活動には酸素を用いたエネルギー生成が必要不可欠だ。酸素がなければ長くは生きられない。いや、むしろ強大な力を生み出すため常に細胞をフル稼働させている分、ミュータントとなっていない時よりも酸欠には弱くなっているぐらいだろう。
その大事な酸素をアホウドリは全て自分の周りに集め、悠々と佇んでいる。このままこちらが窒息死するのを待っているのだと、継実にもアホウドリの作戦は読めたが……読めたところでどうするのか。
アホウドリと戦った時に使った、海水の分解をするか? 無意味だ。引力は今も続いていて、作り出した傍から空気は引き寄せられてしまう。継実の口には届かない。
突撃して、アホウドリに肉薄する? それなら呼吸は出来そうだ……そもそも接近が難しい事に目を瞑れば。確かに頑張れば動ける程度の引力だが、それは十全に力を発揮出来ればの話。酸欠状態でフルパワーを出せなくなった今、身体なんてろくに動かせない。死ぬ気で頑張れば進めなくもないが、牛歩で迫ったところで無意味だ。適当な位置で後退されるのがオチなのだから。
為す術がない。対処法がない。時間こそ掛かるが、どんなミュータントでも着実に殺す『必殺』の技であろう。
名付けるなら『
脅威と向き合ったところで、何も出来なければただ苦しむだけだが。
「(クソッ! 何か、切り抜ける方法は……!)」
頭を働かせようとするが、思考が上手く纏まらない。何しろ脳は人体の中でも特にエネルギーを、酸素を要求する器官だ。酸欠状態になれば真っ先に駄目になる。
しかも悪い事に、継実の能力は特に頭を使う。無意識にやれる事も少なくないが、特大の能力を使うには高度な演算処理が必要なのだ。言い方は悪いが、ただ毛を擦り合わせるだけで核融合炉並の出力を捻り出すモモほど単純ではない。『頭を使う』というのは実に人間らしい能力だが、お陰で能力自体が使えなくなろうとしているのだから自慢にもならないだろう。
酸欠により思考力と演算力が低下。取れる手段が狭まっていき、長考を余儀なくされる。そして考える時間が長くなるほど、状況は悪化していった。
「……! ……………っ」
やがて、継実の身体から力が失われる。
引力操作により空中で固定された姿は、まるで磔にされた聖者のよう。抵抗しなくなった継実を見て、モモが何かを叫ぼうとした。だけど言葉は出せず、最早引力を振り解く力はない。彼女も倒れ、空中で浮かぶだけと化す。
ツバメもついに暴れるのを止め、虚空にぷかぷかと浮かぶだけとなる。最後に残ったのは、貧弱故にエネルギー消費が一番少ないであろうミドリ。しかしミドリも顔を真っ青にし、喉を掻き毟るばかり。彼女の身体からも力が失われ、四肢がだらりと垂れ下がり、苦悶に満ちた顔が僅かに穏やかになってしまう。
もう、誰も動かない。
「……クァ」
しかしアホウドリは攻撃の手を弛めない。それどころか継実が海水から酸素を作り出したのを覚えていたようで、引力操作をより強め、継実達が万一にでも動けないよう、しっかりと空中で固定する。
それは油断を知らぬ本能か、或いは強敵だと認めたが故の警戒心か。いずれにせよアホウドリは不用意に近付く事も、大振りの技で攻撃してくる事もない。
最後まで油断をせず、着実に相手を仕留める……完璧な対応だ。強者として、捕食者として、そして何より野生動物として相応しい、一分の隙すらも許さぬ立ち振る舞いである。
故に――――継実は指を動かせるようになるだけの時間を得る。
「……!」
ぴくりと、継実の指が一本微かに動いたのをアホウドリは見逃さなかった。引力操作を一層強め、一粒の酸素分子も許さぬ力で継実の周りを完全な真空へと返る。
だが継実の動きは止まらない。それどころか両手の指がしっかりと動き出し、手首や腕も曲げられるようになる。脱力していた四肢に張りが戻り、背筋が反り返るほどに伸びた。
何かがおかしいと、アホウドリはもう気付いただろう。しかしだからどうしたというのか。何が起きているのか分からないのだから、迂闊に接近してくるなんて真似が出来る訳ない。このアホウドリは強者として、捕食者として、そして野生動物として、尊敬に値するだけの慎重さを有しているのだから。
それは継実の目がついに見開かれても変わらず。
「――――ッ!」
継実は大きく吼えた。真空故に一切の声が伝わらぬ空間の中で、それでもアホウドリが僅かに仰け反るほどの気迫を発しながら。
目覚めた継実は大きく腕を振るい、引力の拘束を力尽くで打ち破る! アホウドリは更に力を強めようとしたが、未だ動かないモモやミドリ達が気に掛かり、継実に力を集中させる事が出来ない。ここでも警戒心が仇となっていた。
動けるようになった継実はモモの下へと向かい、彼女の身体に自らの手を――――突き刺す。
ただし怪我は負わせていない。モモにとって人型の姿はただの『入れ物』。継実が触れようとしたのは、奥に潜む本体であるパピヨンの方だ。継実の指先がモモの身体に触れ、継実はしばしこの状態を維持。
しばらくすれば、びくんっ、と跳ねるようにモモの身体が震えた。
動き出したモモは勢い良く顔を上げ、額に手を当てながらぶるぶると首を横に振る。恐らく意識が殆どない状態だったのか困惑した表情を浮かべていたが、傍に継実が居ると分かると大凡の事は察したのだろう。「助かったわ」と言いたげに口が動いたので、継実は笑みと共にこくりと頷く。
継実はモモを脇に抱えると、急ぎ足でミドリ、それからツバメの下にも向かう。アホウドリが引力操作で動きを封じようとしてきたが、相変わらず力は分散したまま。鈍らせる事は出来ても止める事など出来やしない。
継実はミドリに触り、ツバメにも触る。どちらも大きく身体を震わせた後、失っていた意識を取り戻す。ツバメの方はすぐさま継実の肩に移るぐらいには冷静だが、ミドリの方は顔を真っ青にして、ガタガタと震えていた。今まで命の危機は幾度もあったが、今度ばかりは本当に死んでしまうところだったと気付いたのだろう。継実はそっとミドリの肩を抱き寄せる。
ただし継実が顔を向けるのは、こちらを睨むように見ているアホウドリ。
そして不敵な笑みを浮かべた継実は、
「形勢逆転……とまでは言わないけど、なんとか持ち直してやったよ」
真空中で喋ってみせた。
アホウドリの顔付きが変わる。勿論鳥であるアホウドリに表情筋などないが、纏う雰囲気の変化から継実にはそう見えた。どうして
体内で酸素を合成していたなんて、普通は外から分かる筈がないのだから。
勿論無から作り出した訳ではない。継実は体内にある二酸化炭素や水を粒子操作能力で強引に分解し、酸素分子へと変換したのだ。その酸素を用いて『呼吸』を行い、生成された二酸化炭素をまた分解していき……ひたすらこれを繰り返す事でエネルギーを充填。どうにか酸欠状態を脱したのである。そしてエネルギーを確保した後は家族達の身体に触れ、僅かながら酸素を作り出して供給したのだ。
ちなみに声を出せたのは、分解する過程で生じた、常温で気体状態である低分子炭化水素を吐き出し、空気の代わりとしたため。要らないものを捨てるついでに、こっちは不思議な力があるのだぞと、脅すためのアクションである。
――――そう、脅し。
【ねぇ、継実】
びりりと、継実の耳に声が響く。
モモの声だ。伸ばした体毛で直に鼓膜に触れ、振動により音を発している。これなら周りが真空でも会話が可能だ。
継実は一回口を開き、伸びてきたモモの毛を咥えて、それから唇を閉じたまま話す。ひそひそ話での声すら出したくない時のための、二人で決めた秘密の話し方である。
【……訊かなくても、なんとなく言いたい事は分かるけど。何?】
【私だって答えは分かってるけどね。強がってるけど、勝ち筋は見えたのかしら?】
モモからの問いに、継実は不敵に笑う。
一切怯えのない姿をアホウドリに見せ付けながら、継実はモモにだけは話した。
【いーや全然。つか無理でしょ、これに勝つとか】
内心凄くビビってる事を。
やっぱりね、という言葉はなかったが、モモは呆れたように笑う。そんな顔したらバレちゃうでしょと窘めたくなるが、自分がモモの立場なら同じ顔をしたと思うので止めておいた。
継実が行った体内酸素合成は、決して起死回生の技なんかではない。
二酸化炭素や水の分解・酸素の合成をする時にも、エネルギーを消費するのだ。一応収支はプラスであるが、効率が悪いのは間違いない。戦いに使える力は普段の七割程度が限度だろう。しかも慣れ親しんだ自分の身体だけなら兎も角、モモやミドリなど他人の身体にも酸素を送るとなれば手間は二倍三倍どころじゃ済まない。傷付けないよう繊細に扱わねばならないし、そもそも生体内で起きている複雑かつ
どう楽観的に考えても今の継実は、先程まで苦戦を強いられていた相手をギタギタに出来る状態ではなかった。
【体勢は立て直した。だけど勝てるような相手じゃない。なら、やる事は一つよね】
【一つだなぁ……】
モモから確認するように問われ、同意するように口の中で呟く継実。そう、勝てない相手に出来る策などただ一つだ。アホウドリなんかに、と七年前の人類なら思うかも知れないが、そんなプライド、継実達はとうの昔に捨ててある。
選ぶ事に躊躇いはなし。
【とりあえず、全力で逃げようか】
三十六計逃げるにしかず。
古代の偉大なる戦術家の言葉は、文明崩壊後の野生世界でも有効だった。
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