南海渡航06

 本日の天気、快晴。

 キラキラと輝く太陽が、地平線の少し上から継実達を照らしてくる。雲一つない空で圧倒的存在感を放つそれは、正しく『お天道様』という有り難い名前通りの威光を目にするモノに示すだろう。

 潮風は強く、心地良い冷たさを含んでいる。磯の香りも爽やかで、目覚めたばかりの意識をスッキリと目覚めさせてくれる筈だ。

 等々語れども、要は昨日とほぼ変わりない天候。別段この地で珍しい気候でもなければ、初めて見た訳でもない。

 しかし継実にとっては特別だ。

 何しろ今日、いよいよ大海原へと旅立つのだから。


「……旅立てるのかなぁ」


 尤も、大海原を眺めている継実の口から出てくるのは不安げな言葉。

 何しろ約束の時間頃になったにも拘わらず、砂浜には未だ、自分達を南に連れていってくれる筈のツバメの姿がないのだから。


「まぁ、時計も何もないから正確な時間とか決められないし、私達と多少認識の齟齬があるのも仕方ないわ」


「知ってましたけど、時計がないと不便ですねー……あ、でも日時計なら作れるんじゃないですか? 精度とか気にしなければ、棒立てるだけで出来ますし」


「あ。それ名案ね。今度待ち合わせする機会があったら、それやりましょ。単独行動とか死亡フラグでしかないけど」


 苛立つ継実の傍では、モモとミドリがのんびりとしている。とはいえ待っている間も退屈なので、ミドリは海藻を、モモは小魚を食べながら、片手で砂を用いた何か ― お城のような物体 ― を作っていた。

 継実は海を眺めたまま、肩を落とす。

 ……それから自分も足下に潜んでいた貝(多分アサリか何かだろう)を捕まえ、粒子ビームでこじ開けながら、その中身を頂く事にした。待っていてもお腹は空くのだ。ちなみにこじ開けた貝の一個をミドリがじぃっと物欲しげに見ていたので、分けてあげると目をキラキラ輝かせながらミドリは食べ、口に含んだ途端更に目をキラキラさせていた。


「実際問題、どうする? 猫とかに食べられていたら、何時まで待っても来ないわよ」


「探しに……行っても無駄ですよね。あの大きさじゃ、多分死体も残らないでしょうし」


「残ってても、それがアイツかどうか分かんないよ。ぶっちゃけ他のツバメと見分け付かない」


 ちらりと、継実は朝日が浮かぶ地平線に目を向ける。

 ツバメとの待ち合わせ時刻は「太陽が地平線から顔を出してちょっと経った頃」。日の出から二時間ほどが経ち、朝日はすっかり地平線から顔を出していた。

 継実の感覚では、もうとっくに『ちょっと』は過ぎていて、そろそろ遅刻の時間帯。しかしツバメの感覚では、まだまだちょっとじゃないかも知れない。秒単位の時間を認識・意識出来る人間でも偶に数時間の遅刻を「ちょっと」で済ます奴もいるぐらいなのだから、ツバメからすれば二時間どころか五時間ぐらいは誤差という可能性はある。

 だけどもしかしたら本当に、猫とかカモメに食べられたかも知れない。

 無論、だから待つのを止める、という選択肢はない。継実達には未だこの大海原を渡る術も策もないのだから。けれどもどうなるか分からない、何が起きているか知る術もないと自覚して待つのは、人間の精神的には非常に疲れる。

 もっと分かりやすい時間帯にしておけば、この心労も少しはマシになったのだろうか。


「あーもう……こんな事なら地平線に朝日が昇ってすぐ、みたいな時間にしとくんだった」


「無理でしょ。ツバメじゃなくて継実の方が」


「継実さん、お寝坊さんですからね」


「うっさいなぁ。頑張れば出来るよ、一応」


「どうだか。犬である私よりも寝坊助なんだから、無理だと思うけどね」


 継実の主張は、七年間暮らしているモモには通じず。ミドリもなんやかんや何度も一緒に寝ているので、継実の寝坊助ぶりは既に知っている。継実を小馬鹿にしたモモの言葉にこくこくと頷いていたところからして、全く信じていないのは明白だった。

 実際継実も自分で言いながら、そこまで自信がある訳でもなく。顔を顰めるだけで強く反発しないのは、自分の寝坊助ぶりを理解している証である。


「おっはよーさーん。お前等全員生きてるみたいだなっと」


 実際、空からやってきた『遅刻者』を見ても、彼より早起き出来る自信はとんと湧いてこなかった。


「ようやくご到着か」


「時間ぴったりだろう? さて。オイラは朝食も済ませてきたし、準備万端だが……そっちはどうだい?」


「私達も問題ないよ。食事も、まぁ、それぞれ済ませたし」


「満腹じゃないけど、お腹にものは入れたから一応大丈夫」


「あたしは元々小食なので、この海藻と貝だけで平気です。貝はもっと食べたいですけど」


 砂のオブジェクト作りを中断し、立ち上がるモモとミドリ。

 三人の準備に問題ないと知るや、ツバメは片翼をぱたりと仰ぐ。何処からか風が流れ込み、継実達の身体がふわりと浮いた。

 一見して魔法のようなこの事象も、継実の目で見れば原理は一目瞭然。継実の身体の下に、数千気圧相当の大気分子が集まっていた。この空気の上に乗せられる事で、継実達の身体は浮いている。

 軽く翼を動かすだけで、これほどの大気圧を作り出せるのだ。もしも力強く羽ばたけば、数万~数十万気圧という途方もない力を生み出せるだろう。七年前の生物なら、一瞬でぺしゃんこにされたに違いない。

 そしてこの出鱈目な圧力を、一気に解放したなら?

 きっと、凄まじい力が継実達を大空へと押し出してくれる事だろう。


「そろそろ出発するぜ」


 ツバメはくるりと空中で身を翻し、大海原の方に頭を向ける。

 目指すは南の海、その先にある島々。

 ようやく始まる『冒険』を前にして、継実はふと一つの疑問を覚える。


「あ、そうそう。一つ確認なんだけど、あなたの行く南ってどの辺り? 国名とか分かると良いんだけど」


 今更ながら、継実は今まで確認していなかったツバメの目的地について尋ねた。

 別段、彼が何処に向かおうと構わない。継実達は海を越えて南に行きたいのであり、特定の国に立ち寄りたい訳ではないのだ。インドネシアだろうがネパールだろうが、何処でも構わない。

 ぶっちゃけてしまえばツバメが目的地の『呼び方』を知らなくて、継実達にも辿り着いた場所が何処か分からなくても、大した問題ではない。太陽を指標にしてそのまま南に進めば、最終目的地である南極には辿り着けるのだから。


「おう。昔人間達が呼んでいた名前だと……えーっと」


 ツバメはしばし考え込む。空中でパタパタと羽ばたき、ぐるぐると継実達の周りを旋回する事数回。

 不意に継実の正面で止まったツバメは、鳥らしい無表情で、だけど何処か自慢げな顔を見せてくる。


「フィリピンだ」


 そして彼はそう答えるのと共に、海に向けて動き出す。

 瞬間、継実達の身体はツバメと共に空を駆けていた。


「うぉ!? これは――――」


 空を飛ぶ継実は驚きの声を上げる。

 継実はモモとミドリと横一列に並び、ツバメが先頭を突っ走る。整列された編隊であるが、姿勢そのものは自由なようで。継実もモモもミドリも、地上に居た時と同じ立った体勢で大空を駆け抜けていく。

 足下には未だ浮遊感があり、背中側の空気から観じられる圧迫感が凄まじい。恐らく背面の圧縮した空気を噴出し、それを推力としているのだろう。足下の大気は不安定で、上手くバランスを取らねば立った姿勢を維持するのは難しい。ミドリは真っ先にすっ転んでいた……わざわざ立った姿勢を維持する必要もないのだが。

 何より特筆すべきは、その速さだろう。

 身体で感じる風圧、更には景色の動き。それらから継実が計算したところ、自分達の飛行速度が時速九千キロはあるという結果が出た。秒速に直せば二・五キロもの超スピードである。

 かつて人類は超音速飛行機に憧れた。なんやかんや人類文明末期で活躍した戦闘機は音速の二倍を超える速さを出したが、ツバメはこれを更に三倍以上上回る。恐らく七年前の戦闘機乗り達がこのツバメを相手にしても、動きすらろくに捉えられないだろう。世界中の空軍が集結しても、たちまち蹴散らされてしまうに違いない。

 継実からしても同じだ。継実は能力により空を飛べるが、その飛行速度は精々時速四千キロ程度。全力を出してもツバメの半分にも満たない。流石は大空を飛ぶ生物、地上生物の『応用技』など及びも付かないようだ。

 いや、勝てないのは地上生物だけではない。


「ん? ……ひぇ!? う、海に何かが!」


 異変を察知したミドリが悲鳴染みた声を上げる。

 ミドリが見ている海面に継実も目を向ければ、継実達の背後数十メートル先の海中に黒い影が見えた。影はどんどん浮上しているようで、その輪郭を大きくしていく。


「シャアァー!」


 やがて現れたのは、一匹のイタチザメ。

 果たしてコイツは昨日継実の旅立ちを邪魔した奴なのか、或いは全くの別個体か。それは分からない事だが、体長三メートル近いサイズからして同等の力があるのは間違いない。

 まともにやり合えば、継実達全員で挑んでも勝ち目などないだろう。

 まともにやり合えば、の話だが。生憎自然界にそんな義理など必要ない。


「おぉっと、ちょいとゆっくり飛び過ぎたかな?」


 ツバメは暢気な軽口を叩き、

 直後、継実達の飛行速度が一気に上がる!

 時速九千キロの速さが、一万二千キロまで上昇。勢い良く海中から跳び出したサメだったが、まるでスピードが足りず。継実達に追い付く事もなく、どぼんとそのまま海に落ちた。

 あれだけ継実を苦戦させた海の頂点捕食者も、ツバメのスピードには追い付けなかったのだ。


「……す、凄いです! 逃げきれちゃいました!」


「へへっ。そうだろそうだろ」


「成程、海の生き物でも追い付けないぐらい速く飛べば、魚達を恐れる必要はないわね。これなら少しは安心出来るかも」


 ミドリに褒められてツバメは心底嬉しそう。というよりデレデレしているのが窺い知れた。「アンタ雌なら異種でも良いんかい」と言いたくなる継実だったが、モモが言う事も尤もなので口を閉じておく。

 一番の難敵である海洋生物は、これでほぼ無力化出来たと言えるだろう。サメや小魚に襲われる心配はなく、襲われなければ生存率は当然上がる。

 これなら無事にフィリピンまで辿り着けそうだと思い、継実の顔には自然と笑みが浮かんだ。

 ……無論、この世に無敵の対処法なんてありはしない。

 大空を高速で飛んでいく。これで海の生物の無力化は、確かに出来た。

 しかし大空は?

 

 否である。


「――――来たか」


 それを理解しているが故に、継実は希望に満ちた心をすぐに野生の思考へと切り換えられる。

 自分達の遥か上空、恐らく高度十数キロ地点。酸素濃度が極めて薄く、単細胞生物や小さな節足動物ならまだしも、多くの酸素を必要とする恒温動物には辛い環境に五つの影があるのを継実の目は捉えた。

 本来、その高度を飛べるのはごく一部の鳥類のみ。しかしミュータント達にとっては、この程度の劣悪さなどなんやかんやで乗り越えられる。どんなに有り触れた種でも、身体に備わった有り余るパワーで地球の環境を無視してしまう。

 そう、例えただのカモメであったとしても。

 つまり音速を超える猛スピードで落ちてくるカモメ達は、決して酸欠により失神している訳ではないという事。尤も、超音速で移動している自分達を追尾してきている時点で、そんな甘ったれな考えなど継実は過ぎりもしなかったが。


「そら、ボディーガード達。最初の仕事だ……アイツらを追い払ってくれ」


 なんとも気軽な様子で、ツバメはそう告げてくる。


「りょーかい。全力で対応させていただきますよ」


 継実もまた気楽に、けれども身体には力を滾らせながら応える。

 継獰猛な目付きをした五羽のカモメが襲撃してきたのは、その直後の事だった。

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