南海渡航05
反射的に継実は、声が聞こえた方に視線を向ける。同時に体温を上げていき、フルパワーを出せるよう身体のギアを全開にした。
遊びの時間が終わり、意識を切り替えた継実は周囲の警戒を怠っていない。いくら生き物が少ない砂浜とはいえ、背後には草原があり、正面には大海原が広がるのだ。もしかすると草原から獰猛な捕食者が跳び出すかも知れないし、海からサメが自分達目掛け突撃してくるかも知れないし、砂浜からカニの化け物がハサミを伸ばすかも知れない。油断など出来っこないのだ。
継実だけでなく、モモだって警戒はしていた筈。ミドリはまだ遊びの気持ちが抜けていないかも知れないが、彼女は気配の察知に優れている。油断していたって、モモや継実並には鋭い筈。
三人の意識を潜り抜けた『強者』を警戒するなというのは、毎日命を狙われている『野生動物』達には無理な相談だ。何時でも攻撃が出来るよう継実はその手に力を宿し――――
ぷすんっと、行き場を失った力と警戒心が頭から吹き出してしまう。
何故なら傍に居たのが、青みがかった羽根を持つ、赤らんだ顔の鳥だったがために。他の鳥と比べて明らかに長い翼と尾、それと体長十数センチ程度の身体は、七年前に継実が見た『実物』の姿とも合致する。
「……ツバメ?」
「ああ、そうとも。オイラはツバメさ」
継実が思わず尋ねると、傍に現れた鳥ことツバメは胸を張りながら答えた。ご丁寧に日本語で。
甲高い声は少年のよう。オイラという一人称、そしてツバメとしても長い尾羽から考えるに、雄個体か。歳は分からないが、身体に傷が少ないので恐らく若者だ。
無論雄だろうが若かろうが、日本語を話す理由にはならないが。
「へぇー。ツバメって喋れるんですね」
「いや、喋んないわよ。多分私と同じで、能力を応用して発声してるんでしょ」
素でそう思っているであろうミドリに、モモがちゃんと訂正を入れておく。ツバメは否定も肯定もしなかったが、モモの予想通りだろうと継実も考えた。
そして一度は消えた警戒心が、再びむくむくと込み上がる。
日本人である継実は、ツバメの生態について少しは知っている。春になると南の方から渡ってきて、人家近くに好んで巣を作る身近な鳥だ。主に ― 害虫に限る訳ではないが ― 昆虫を食べるため、昔からありがたい生き物として人々に受け入れられてきたという。その意味では、確かに人慣れしている生き物ではあるが……だからといってこんなすぐ傍までやってくるような生き物ではない。野生動物として異質な距離感は、ハッキリ言って不気味だ。
大体、何故コイツは自分達に近付いてきた? 一体何を考えている?
抱いた疑念から、継実は無意識にツバメを睨んでいた。尤もツバメの方は継実の気持ちなど気にもしていないらしい。親しげ、というより馴れ馴れしく継実に話し掛けてくる。
「お嬢さん方、失礼ながら話を聞かせてもらったぜ。海を渡りたいんだろう?」
「……別に、アンタには関係ない話でしょ」
警戒している継実は、とりあえずツバメに敵対的な反応で返す。
尤もツバメはへらへらとしていて、鬱陶しく継実の足下を飛び跳ねるばかり。まるで堪えていない様子だ。
「いいや、関係あるね。何故ならオイラがアンタ達をこの海の向こう側まで運んでやるんだから」
その上、継実の心を大きく揺さぶる提案までしてくる。
継実はますます警戒心を強めた。それと同時に不気味さも感じる。一体どうしてこのツバメはそんな話をしてくるのか、まるで理解出来ない。
心を激しく掻き乱されるのは、これが『話術』による混乱だからか。
七年間の野生生活で、訳の分からない能力に翻弄される事はもう両手の指でも足りないほど、継実は経験してきた。しかしどの生物も最終的な目的は
されど此度のツバメが仕掛けてきたのは話術。何を求めているのか、何をしたいのかがすぐには分からない。
怪しい。きっと裏があるに違いない。
「えっ。運んでくれるの!」
「わぁ! 助かりますー!」
なお、そんな気持ちを抱いたのは継実だけ。疑いなんて微塵も抱いていないと分かる家族の声と表情に、継実は思わずずっこけてしまう。春の砂浜はひんやりしていて気持ち良くて、頭はすぐに冷えた。
「どしたの継実。いきなりぶっ倒れて」
「……なんでそんなあっさりとコイツの話信じてんのさ」
「? なんで信じてないの? なんか嘘吐いてる感じとかした訳?」
「あたしは特にそーいうのは感じなかったのですけど」
呆れながら継実が尋ねると、モモとミドリは心底不思議そうに首を傾げた。そしてツバメも、何故かキョトンとしている。
なんでアンタ達そんなに能天気なんだ、と抗議の一つも入れたくなる継実だったが……確かに、冷静に考えてみれば自分が感じた違和感や不快感は、全部『そんな気がする』という話でしかない。なんの根拠もないのだ。
改めて、継実はツバメに目を向ける。
見たところで考えている事など分からない。表情豊かな人間と違い、
よくよく考えてみれば、まだツバメの話は始まったばかりなのだ。黒だと決め付ける証拠は何もないのである。
まずは話を聞いてみる。『人付き合い』のエチケットであるし、判断はそれからでも遅くはないだろう。勿論、能天気な家族達は頼れないので、いざとなったら自分が違和感に気付かないといけないという気持ちは抱いたままで。
「……OK。ちょっと警戒し過ぎていたのは確かだし、まずは話を聞こう。えっと……アンタ、なんて呼べば良い?」
「別にツバメで構わないぜ。オイラ以外のツバメも近くにいないしな」
ツバメはそう言うと、パタパタと空も飛ばずに羽ばたく。自己紹介の仕草、のつもりだろうか。
一見して感情豊かなようで、アイデンティティーには無頓着なタイプらしい。恐らく名前を与えても、余程変なものじゃなければ受け入れるだろう。
とはいえツバメ自身言うように、周りに他のツバメがいない今、わざわざ名前を付ける理由もない。ツバメ呼びで十分ではある。
「じゃあ、ツバメ。海を渡るのを手伝ってくれるって話だけど、どういう事? まさかだとは思うけど、ボランティアなんて言わないよね?」
「まぁね。とはいえ別に大したお願いがある訳じゃない。オイラもこれからちょいと南に行きたくてね。でも一人旅っつーのも危ないから、ボディーガードが欲しいのさ」
「ボディーガード?」
「アンタ、人間だろう? うちのひぃ爺さんが言ってたらしいぜ。昔は人間っていう便利なボディーガードが、オイラ達ツバメを守っていたってな」
ツバメは胸を張り、どうだ納得しただろうと言わんばかり。
どうやらご先祖様の有り難いお言葉は、合ってるとも間違っているとも言い難い形で伝わっているらしい。そしてツバメはそのお言葉を信じているのか、はたまた遺伝子に人間への好感がまだ残っているのか。なんにせよ、人間である継実を見てぴんと閃いた、という事のようだ。
南へと運んでくれる理由については、ひとまずは納得出来る。実にツバメらしい考え方だと継実も思うし、打算があると分かれば胡散臭さも少し和らぐ。
しかし、解せない点はまだある。
「んー? アンタ、なんで南に戻る訳? ツバメって今が子育ての時期よね?」
モモが尋ねたように、今はツバメの繁殖期。この大切な時期にわざわざ日本を離れようというのが、いまいち納得出来ないのだ。
ミュータントは人間並に高度な知能を持つが、だからといって人間のように『繁殖』を自制しようとはしない。むしろより積極的なぐらいだ。そうでなくては、生態系を瞬く間に支配するなんて出来やしない。繁殖期以外ならそういう気分だと言われれば納得もするが、繁殖期ならそうはいかない。
何か、秘密があるのだろうか? 継実は徐々に大きくなる違和感に突き動かされ、ツバメの顔を覗き込む。
……ツバメは、変わる筈のない顔を顰めていた。顰め過ぎて、ちょっと可愛く見えるぐらいに。
「……何よその顔」
「無言の抗議だぜ」
「あっそ。で、なんでなの?」
「ちょっとは気遣ってほしいぜ」
「いーから聞かせなさいよー」
ツバメの可愛らしい抗議を、モモは完全無視。疲れてへとへとになっている人間の目の前に、オモチャのボールをぽとんと落としていくような感じで。
無邪気で無遠慮な
「ふっ。可憐な花達を選んでいたら、不作法な連中が全て毟り取ってしまってね。こんな奴等と夏を一緒に過ごすのも馬鹿らしいし、オイラは一足先に常夏の国でバカンスを楽しむ事にしたのさ」
そして口から出てきたのは、気取った台詞。
気取り過ぎて何を言いたいのか、継実にはさっぱり分からない。分からないが、先の表情からして格好いい理由な訳がない。
恐らく繁殖期に関係するものだと当たりを付け、考えてみる事数秒。
「(……ああ。つまり、繁殖相手を探してもたもたしている間にみんな
「アンタ、ヘタレなの?」
「あー、ヘタレさんですかー」
「ヘタレ言うんじゃねぇ!」
継実が辿り着いたのと同じ結論にモモ達も辿り着き、継実が黙っていたのと違ってモモ達は口に出す。悲鳴染みたツバメの反発は、三人の誰にも届かなかった。
恥ずかしいところがバレて悔しいのか、ツバメは俯きながらぷるぷる震える。が、震えはすぐに収まった。それから誤魔化すように、或いは自分の気持ちを切り替えるように、きびきびした動きで片翼を継実の方に差し向ける。
「兎に角! オイラは南に行きたいし、アンタ達も南に行きたい。だからオイラがアンタ達を南まで運び、アンタ達はオイラを守る。悪くない取引だろう?」
ツバメは強く、自信に満ちた口調で話の要点を纏め上げた。そして継実達に決断を求める。
気付けば弛んでいた口許を指先で擦りながら、継実は改めて考えを巡らせる。
ツバメがこの時期に南に戻りたいという理由はよく分かった。実際のところツバメは年二回繁殖をするし、厳しい自然界では番の片方が死ぬというのはよくある事なので、この時期に南へと帰るのは些か早計なのだが……見たところ若い個体だ。如何にミュータントといえども、未熟なら本能より感情が上回る事もあるだろう。そして理性ではなく感情のまま行動するのも青春である、等と十七歳の継実的には得心がいく。
そしてコイツは悪事を考える、というより考えられるタイプじゃない。話術は用いるが、本質的にはやはり獣で、策を弄する生き物ではなさそうだ。自分の恥ずかしい事を誤魔化そうとして、惨めに失敗するぐらいなのだから。
そして自分達の利害は一致していると継実も思う。
「……確かに、悪くない取引ね。モモはどう思う?」
「私も同じ意見。飛行能力に長けた鳥が仲間に加われば、他の鳥も早々私達を襲おうとは思わない筈よ。ミドリは何か意見ある?」
「いいえ、あたしは特に……あ、一つだけ。運んでくれるという話ですけど、具体的にはどうやってですか? ツバメさん小さいから、背中には乗れませんよね?」
「ああ、それはこうやるのさ」
ミドリの疑問に対し、ツバメは滑らかな動きで翼を振るう。
すると突然、継実達の身体に『浮力』が生じた。継実はなんの力も込めていないのに、まるで自分が水素になったのではないかと思うほど強い力で身体が地上から離れようとする。
そう考えていたのも束の間、水素のようだ、という例えすら物足りない速さで継実達の高度が上昇。凡そ五百メートル地点でぴたりと止まる。ツバメも一緒に上昇していて、継実達と同じ高さまでやってきた。
「これがオイラの能力。空気を操る力さ」
ツバメは自慢げにそう語り、見せ付けるように継実達の周りを旋回する。
空気を操る生物というのは、継実的には幾度か見た事がある。しかし同じ能力でも、使い方には様々な違いがあるものだ。恐らくツバメの能力は飛行に特化したものなのだろう。応用で
成程、ボディーガードを求める訳だ。
「わぁ! 凄いですー!」
「へへっ、そうだろうそうだろう」
能力を目にしたミドリは大いにはしゃぎ、ツバメはなんとも誇らしげ。ミドリの疑問がなくなり、継実達全員が納得した事となる。
やがて継実達はツバメと共に降下し、地上に降り立つ。継実はこくりと頷き、モモも笑みを浮かべ、ミドリはこくこくと何度も頭を上下させる。
取引成立だ。
「うん、頼らせてもらうわ」
「よぉーし、オイラは飛行に専念するから、ヤバそうな奴等は全部任せたぜ」
「任された。それで? 出発は何時にするつもり?」
「明日の朝。太陽が地平線から顔を出してちょっと経った頃でどうだい?」
「それなら問題ないわ」
ツバメが提案する時間に対し、継実は二つ返事で受け入れる。昼型生活者である継実達にとって、朝というのは一番元気な時間帯だ。ここをずらす理由はない。
「よっしゃ。じゃあその時間にまた来るぜ。それまで死なないようにしろよー」
「アンタもね」
約束を取り付けたツバメはなんとも物騒な事を言い放ち、継実も軽く返す。
ツバメは大空に向かって飛び立ち、草原の方へと去っていった。
「……さて、本当に明日まで生きてるかなぁ」
「え。アレ軽口とかじゃないんですか?」
ギョッとしたような顔をするミドリだが、実際問題あり得る話だ。七年前の世界での話であるが……ツバメの寿命は十数年あるが、平均寿命は僅か一年半だという。つまり、それだけ若いうちに死ぬという事。
基本的に生物というのは、余程の例外を除けば生き残る数よりも死ぬ数の方が多いものだ。今日出会った相手が明日死ぬというのは、割と珍しくない。
珍しくないからこそ、考えても仕方ない話でもあるのだが。
「ま、私らは自分に出来る事をすれば良いの。アイツをガッカリさせないためにもね」
「そうね。今のままじゃ準備不足も良いところだし」
「? 何か用意しないといけないのですか?」
継実の考えをモモは察したが、ミドリは分かっていない様子。
これは大事な事だ。分かっているのといないのとでは、命に拘わるほどの。
継実は真剣な顔でミドリと向き合う。ミドリもようやく、継実の言いたい事が些末事ではないと察したのだろう。息を飲み、真剣に継実の目を見返した。
そして継実は大切な、大問題を伝えるべく口を開け――――
その前に、ぐぅ~、と継実のお腹が鳴った。
「……お腹空いたままじゃ、力、出せないでしょ?」
「……そういえばあたし達、今日のごはん探してる途中でしたっけ」
なんとも締まらない継実の意見に、ミドリは力なく笑い返した。
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