南海渡航07

 空に隙間なく広がる青空と、地平線の遥か先まで続く海。

 優雅な大自然が、継実達の視界を埋め尽くしていた。青空なんて継実はもう何千回と見てきて入るし、彼方まで広がる海というのもテレビで何度か目にしている。

 だけど自分がそのど真ん中に、生身でいるのは初体験。

 ワクワクしない訳がない。人というのは本来、生身では決して大空を飛べない生き物なのだから。あり得ない事態との遭遇は未知の情報感動を生み、本能と身体が小刻みに震える。

 率直に言えば、楽しいと継実は思っていた。

 故に勿体ない。


「キャアアアァッ!」


「キキャアアアァァァ!」


 カモメ達の群れが五羽も追い駆けてきていなければ、もっと楽しかっただろうに。


「ふんっ! キャーキャー五月蝿いわ!」


 空を飛びながらくるりと後ろを振り向き、継実は指先より粒子ビームを発射。しかしカモメ達は一斉に動き、これを回避する。

 粒子ビームは亜光速まで加速された粒子の集まり。僅かに遅いとはいえ、ほぼ光の速さで進むこの攻撃を目視で回避するのは、如何にミュータントといえども不可能な筈である。恐らくこちらの発射動作から攻撃を予測し、躱しているのだろう。

 非常に優れた動体視力だ。粒子ビームは発射後の速度こそ凄まじいが、照射範囲はあまり広くない。薙ぎ払うように振るえばいくらかマシになるが、左右だけでなく上下にも動ける空中ではさして有効な手ではないだろう。だからといって拡散させれば単位面積当たりの威力が落ちてしまう。それでも金属ぐらい簡単に焼き尽くす熱量はあるが、ミュータントの防御を思えばまず通じない。いくら攻撃が当たってもダメージがなくては無意味だ。

 地上での戦いでは大活躍なこの技も、空中では普段の力を発揮出来ない。対してカモメ達は空中戦を心得ている。


「キャアアァァ!」


 例えば一羽が大声で鳴くや、残りの四羽が散開――――継実の左右上下をきっちり塞ぐというのは有効な戦術であろう。


「げっ」


「げっ、じゃない! それが効かないのはもうとっくに分かってるでしょ! 私が蹴散らすわ!」


 思わず呻くも手立てがない継実に代わり、モモが前に出てくる。

 そして自らの白い髪を四方に伸ばすや、強烈な放電を行った!

 モモが放つ雷以上の電撃は、秒速二百キロ以上の速さで宙を駆ける。継実の粒子ビームと比べれば約一千分の一の速さしかないが、一般的には秒速数キロから数十キロの速さが限度であるミュータント相手なら十分な高速だ。

 更に空気中に放たれた電気は、最も抵抗の低いルートを通りながら『目的地』であるプラス極を目指す。即ち誘導性もあるのだ。

 危機を察知したのかカモメ五羽は攻撃の前から回避を試みるも、轟く雷撃からは逃れられない。強烈な電撃が全てのカモメ達を撃つ! 大自然の力を遥かに凌駕する技に、カモメ達は呻きを上げた。

 それでもカモメの命を奪うには足りない ― 電撃は羽毛により水玉のように弾かれた ― が、カモメ達を怯ませるには十分だったらしい。キャーキャー悔しそうに鳴きながら、五羽の編隊は大空に去っていく。

 どうにか難は逃れたようだ。大きなため息が、継実の口から漏れ出る。


「はい、ご苦労さん」


 その働きを『依頼主』は一応評価してくれるようで。

 しかしながら危険な目に遭った継実は、渋い顔を自分達の依頼主――――最前線を飛んでいるツバメに向けた。


「あーもう……空の旅がこんなにしんどいとは思ってなかった。というかカモメってこんな沖まで来るような生き物じゃないでしょ」


「おいおい、こんな程度でへたれないでおくれよ。オイラ一匹だけの時と比べたら、半分ぐらいの襲撃頻度なんだぜ?」


「この倍とか軽く死ねるんだけど……今までどうやって切り抜けてきた訳?」


「気合でダッシュするだけだ。まぁ、半分ぐらい死ぬけどなー」


「分の悪い賭けだなぁ……」


 あっけらかんと語るツバメに、継実は項垂れながらぼやく。その間も継実達は大空を高速で飛び続けていた。モモはくるんと回って空中で横になるようにポーズを取ったが、やはり空を飛び続ける。

 ツバメの能力のお陰であり、そういう意味では継実達は飛行に一切体力を使っていない。けれども継実は疲れたように、だらんと四肢から力を抜いた。まだまだ続くであろう襲撃に備えるために。

 日本から離れて、まだ数分。

 ツバメの能力により空の旅を始めた継実達だが、その行程は決して優雅なものではなかった。先のカモメのような鳥類が度々襲撃してきたのである。正確に言うならカモメは今ので『三度目』の襲撃であり、他はミサゴやハマシギなどがやってきた。いずれも継実達が『四人組』である事を認識した上で来た者達。どいつもこいつも強敵ばかりだった。

 勿論継実達は反撃を試みている。しかし相手は大空で常に暮らしている、天空の覇者とでも言うべき存在。例えばカモメの場合奴等の体重など五百グラムにも満たないというのに、体重差八十倍の継実を翻弄し、四倍以上重たいモモの攻撃にも怯むだけ。向こうが深追いせず、継実達も積極的に追ってはいないというのもあるが、未だ事は出来ていない。

 地上を主な戦いの場としていた継実達に、空の歓迎は少々熱烈過ぎた。


「(こりゃ、ツバメの取引に乗らなかったら道半ばどころじゃなかったかな)」


 三人の中で空を飛べるのは継実だけ。まともな空中戦を行えるのは継実だけだし、モモも抱えられた状態では電気攻撃が ― 自爆を覚悟しなければ ― 使えないのでほぼ戦力外。ツバメの力で浮かばせてもらえなければ、戦いすら出来なかっただろう。

 そもそもツバメが出している速さ……時速九千キロものスピードは継実には出せない。鳥達の猛攻を振りきるどころか、動きに追随する事すら難しいのが実情だ。こんな体たらくで海に出たら、果たして日本から十キロも飛べたかどうか。

 ツバメに運んでもらえたからこそ、継実達は十全に力を発揮し、どうにか敵を撃退出来ているのだ。

 ……尤も、継実の攻撃は殆ど当たっていないのだが。三次元機動を行える敵に、高威力とはいえ点の攻撃は相性が悪い。モモのような、低威力でもある程度誘導性に優れる攻撃の方が遥かに有効である。


「あっ。海中に大きな魚の群れがいて、一匹がこっちを見てますよ」


 ちなみにこの空の旅で一番活躍しているのは、ツバメの真横を飛んでいるミドリだったり。


「おっと。そいつは良くないな。上がっておくか」


 ミドリに言われてすぐ、ツバメは高度を上げていく。直後、ざぶんっと荒々しい音と共に一匹のカツオが跳び出し――――けれども継実達が飛んでいる高度一千メートル地点までは届かず。悔しそうに顎をパクパク動かしながら、自由落下でカツオは落ちていく。


「んー。今度は上から来ます。カモメっぽいけど、違う生きものですねー」


「あいよ。全く、鳥なんて魚だけ食ってりゃ良いのになぁー」


 続いて上を見ながら報告するミドリ。ツバメが高度を下げると、すぅーっと継実達の頭上を海鳥……カツオドリらしき鳥が通り過ぎた。攻撃が察知されたと分かり、諦めたのだろう。

 このように、ミドリの索敵能力により数多くの脅威が無力化されていた。流石に全部は無理で、先のカモメ軍団に襲われる事もあったが、数える程度で済んでいるのは間違いなく彼女のお陰である。今のように出来れば戦いすらしたくない時には、ミドリの索敵能力が一番有り難い。

 ミドリも大活躍。モモも十分活躍している。

 継実だけが、殆ど役立っていなかった。


「(お荷物になってんなぁ、私)」


 自虐的な笑みを浮かべながら、継実は今の自分の立ち位置を正確に把握する。

 無論これはあくまでも相性の話。例えば地上で巨大な生物と戦う時は、誰よりも馬力のある継実の出番だ。そして生きるか死ぬかの戦いばかりである自然界において大切なのは『負けない』事。事が出来れば良いし、それ以上の活躍は極論どうでも良い。

 合理的に考えれば、自分が『今』役立っていない事は大した問題ではないのである。むしろ誰もが一流の強者である自然界で毎度活躍しようなんて、調子に乗っているとしか言いようがない。七年前の継実ならかなり気にした事も、長い野生生活を経た今の継実はそれを弁えているのだ。

 ……それでも、ちょっぴりいたたまれなさを感じてしまうのが、人間というもので。


「いやー、楽ちん楽ちん。こんなにリラックス出来たの、何年ぶりかしらねー」


 くるんと空中で身体を倒し、横になるような体勢を取ったモモほどリラックスは出来そうになかった。


「はい! 今回は全てあたしにお任せください! ふんす!」


 だらけるモモを見て、何故だかミドリは嬉しそう。宇宙人的にも自分の活躍の場があるのは嬉しいらしい。

 ……なら偶には出番を譲るのも良いかと、継実は少し気を弛めた。単純だなと自嘲もしながら。次いでこの旅路について思案する。

 現在ツバメが出している速度は時速九千キロ。凡そマッハ七・五もの超スピードだ。日本からフィリピンまでの距離が三千キロだという『知識』はあるので、そこから計算するとこの旅路の時間は凡そ二十分程度だろうか。

 日本列島を出立してから早数分は経っている。もう十五分もすればフィリピンまで到着するだろう。のんびり出来る時間もあと僅か。

 流石は秒速二・五キロもの速さだ――――


「(……んー?)」


 そこまで考えて、ふと、継実は違和感を覚えた。

 違和感といっても、この旅路に関するものではない。是非ともこのまま順調に進んでほしいと願うし、そうなるよう自分に出来る努力はしようと思う。

 しかしどうにも解せない。

 秒速二・五キロ。陸上生活者である継実を遥かに上回るこの速さは、あまりにも……


「どうしたんだい? オイラの顔になんか付いてるか?」


 考え込んでいた継実に、ツバメが声を掛けてきた。

 どうやら自分はツバメの顔をじっと見ていたらしいと、継実はようやく自覚する。

 理由は継実も分かっている。尋ねたい事も頭の中にあった。しかし無意識とはいえ『人』の顔をじっと見ていた事に、ほんのちょっと引け目を感じてしまって。


「ん。いや、なんでもない」


 つい、継実はそう答えてしまう。


「そうかい? まぁ、今のうちに休んでおきなー」


 ツバメは特段疑問も、そして気にもしていないのか。それだけ言うと、特に追求もしてこない。ミドリもキョトンとするだけだ。

 唯一、雰囲気が変わったのは、モモ。


「……なぁーるほどね」


 彼女だけは、継実が言いたかった事を理解する。

 理解するが、空中で寝転んだ体勢は変わらない。変えるつもりもない様子。

 つまり、分かった上でその程度にしか考えていないのだ。

 継実も同じである。正直内心では『確信』に近い想いがあるし、当たっていたところで何も出来る事なんてない。継実達はこの海を渡らねばならず、そのためにはツバメの力が必要なのだから。

 そして違っていたら、それはそれで問題ない。その時は十五分後には南の島に到着し、ツバメと笑顔でお別れするだけ。


「……私もごろ寝してよーっと」


 だから継実はモモと同じく、今は横になる事を選んだ。

 何時でも、この身体に宿る力を全力で使えるようにするために……

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