横たわる大森林12
突如として聞こえてきた悲鳴に、継実は即座に反応して振り返る。
ネズミの悲鳴だった。無論ネズミが殺されようがどうしようが、継実には知った事ではない。知った事ではないが、されどネズミが悲鳴を上げるような『何か』があったのは事実。
知らねば不味い。継実の本能は反射的にそう判断しており、そしてその判断が正しかった事をすぐに理解する。
振り返った先には一匹のネズミと……そのネズミを片脚で押さえ付ける、猛禽類の姿があった。猛禽類の種類には詳しくないが、黒い羽毛に身を包み、お腹の辺りにあるまだら模様から判断するにハヤブサだろうか。
「……キィッ」
ハヤブサは掛け声のように鳴くと、ネズミを踏み付けていた足に力を込める。ネズミの身体はぐしゃりと潰れて絶命。その際悪足掻きとばかりに、強酸性の体液を全身から撒き散らした……が、浴びたハヤブサの身体は煙一つ出さない。それどころか強酸塗れのネズミ肉を一つ啄み、特段痛みに苦しむ素振りもなくごくりと丸呑みに。
どうやらハヤブサはネズミの攻撃に対し、完全な耐性を有しているらしい。一方的に捕食出来る存在、即ちネズミにとっての天敵だ。
ネズミ達が一斉にざわついた。恐るべき天敵が襲撃してきたのだから当然である。されどヤモリやカラス、そして継実達もまたざわついた。
何故、ハヤブサはこのタイミングでネズミに攻撃を仕掛けてきたのか?
答えは考えるまでもない事。少なくとも継実はすぐに答えに辿り着いた。が、それを言語として理解する暇はない。
何故ならこのハヤブサの攻撃を発端として、茂みの中から続々と捕食者達が跳び出してきたのだから!
「ガルルルアァッ!」
「キュッ!?」
猛然と駆けてきた野犬がヤモリの頭に噛み付き、電撃により仕留める。黒焦げになりながらもヤモリは抵抗するように藻掻くが、あえなく全身をかみ砕かれ、ぺろりと平らげられてしまった。
「シュッ!」
「グガッ!」
「ガァッ!?」
樹上より現れた巨大ハエトリグモが糸を吐き、二羽のカラスを纏めて捕まえた。引き寄せられて肉薄した瞬間、カラスは嘴でハエトリグモを突くが……ハエトリグモはその身を糸で覆い、これを無効化。抵抗虚しく、カラス二羽は生きたまま貪り食われる。
「キャァー!」
「ヂッ!」
ハヤブサは一羽だけ出なく、何羽もやってきてネズミ達を襲った。ネズミ達も強酸での抵抗を試みるも、どれだけ強酸をその身に喰らおうとも、例え目に入ろうともハヤブサは怯みもしない。ハヤブサ達は捕まえたネズミを引き裂くと、美味しくて栄養がある内臓だけ食べ、他の部分は捨てて次の獲物に襲い掛かる。
次々と襲われ、食べられていく小動物達。本来なら、いくら天敵相手とはいえここまで一方的にやられる事はないだろう。肉食動物の狩りの成功率というのは、一部の特殊な例を除いて五割もあればかなり高い方である。喰われる側とて全力で対抗しているのだから、そんな簡単に成功出来る訳がないのだ。
しかし此度は大トカゲに夢中になっていたところを襲撃され、虚を突かれた。おまけに戦いで多少なりと体力を消耗している状態。これでは逃げるのも遅れる。それどころか大群で攻められたものだから、逃げ道が分からない。結果、この大惨事だ。
「(不味い……!)」
継実は冷や汗を流す。
言うまでもない事だが、この捕食者達に大トカゲを助ける意図などあるまい。奴等は最初からこの時を、獲物達がオオトカゲに夢中になって注意力が散漫になるタイミングを狙っていたのだろう。小動物達を楽に仕留めるため、虎視眈々と。大トカゲというリスクある獲物の征伐に参加するよりも、何時もの獲物達が油断した時を襲う方が安全で楽なのだから。
そして捕食者達からすれば、結果的に大トカゲ征伐が成功しようが失敗しようがどうでも良い。今ここで満腹になるまで、哀れな獲物達を襲うのみ。小動物達も大トカゲはあくまで美味しい獲物として欲しいのであって、自分の命を捨ててまで殺したい訳ではないのだ。天敵に襲われた小動物達は自分の身を守る事を最優先にし、大トカゲなんて構ってもいられない。右往左往するように走り、今まで大トカゲに向けていた攻撃を天敵へと差し向けてしまう。
大トカゲを今も攻撃し続けているのは、やってきた天敵達が見向きもしない継実とモモとミドリの三人だけ。
「(不味い、不味い不味い不味い!)」
継実が今も指先から撃ち続けている粒子ビームは、威力が絶大な反面、それなりの欠点が存在する。
エネルギーの消耗が大きい事、ミュータントの視点ではそれなりの『溜め』が必要な事……そして撃っている間、殆ど身動きが取れない事だ。
粒子ビームにはかなりの演算処理が必要なのである。その状態で跳んだり跳ねたりなんて出来っこない。七年前の身で例えるなら、算数のドリルを解きながら百メートル走をするようなもの。正確に言えば出来なくはないが、やったところで何もかもが中途半端に終わるだけ。ちなみにこの計算ドリル、下手な間違い方をすると文字通り爆発しかねない代物である事を付け足しておく。
さて、ここで一つ問題だ。
誰一匹として周りの事など気にも留めず、自分の利益のためだけに超常の力を撒き散らす場のど真ん中に立っていて――――いくら直接狙われていないといっても、果たして何時までも当たらずに済むだろうか?
結論としては、幸運ならば済むだろう。しかし残念ながら継実はそこまで幸運ではない。むしろ不運な部類である。多分、超常の力を持つという奇跡に、残りの人生の運を前払いしたので。
「あいたーっ!?」
ぽこんっ、と頭に命中したのは野犬が放った電撃か。
七年前ならば、恐らく都市の一角を灰燼に変えてしまうだろう放電。それを「痛い」の一言で済ませてしまう肉体を持った時点で、幸運といえば幸運なのだろう。しかし幸運は足りず、痛みで身体がつんのめってしまう。
当然指先が向く方角も身体の動きに合わせて変わり、あたかも地面を指し示すかのように。粒子ビームはあくまでも指先から亜光速で放たれる粒子達の集まりなので、指の確度が変わろうともお構いなしに『真っ直ぐ』に飛んでいく。
つまり身体の傾きと共に、粒子ビームが地面を撃った。
「あっ」と継実が思った時にはもう手遅れ。生い茂る草は粒子ビームを弾き返したが、草花の隙間を通って辿り着いたただの土がこの破滅の力に耐えられる道理などない。高エネルギーを宿した粒子の激突により土の分子は崩壊し、余剰エネルギーが周りの分子を気化させていく。急激に膨張した体積は、一種の物理的衝撃を伴う。
要するに大爆発が起きたのだ。火薬により引き起こされた程度のものなら直立不動で耐えられる継実でも、流石に自分の力で引き起こした攻撃は耐えられず。
「きゃっ!?」
少女らしい悲鳴を上げて、すってんころりんと転がる継実。自爆のダメージも大したものではなく、すぐに起き上がる。
そんな継実のすぐ傍に、ずしんと音を鳴らしてモモが着地した。
今まで幹に止まっていた彼女が、すぐ隣にやってきた。その腕にはミドリが未だに抱きかかえられている。もう片腕で持ち運ばれる事にすっかり慣れたのか、ミドリは身体から力を抜いてすっかりリラックスしている状態だ。
ちなみにモモとミドリの顔は、呆れきったもの。二人の言いたい事は既に察しているので、継実は不服を示すように睨んでおく。
「何? その目は」
「いやー、こーいう目にもなるでしょ」
「自爆でひっくり返るのはちょっと……せめて攻撃を回避したとか、大きな攻撃で吹っ飛ばされるとかなら格好も付くのに」
「うっさい。つーかなんで手伝ってくれないのさ。私一人でアイツ抑えてたようなもんじゃん」
「いやぁ、あれは頑張るところじゃないでしょ。諦めて態勢立て直すのが正解」
「あたしなんて物理的な攻撃力、殆どありませんからねー」
悪びれる様子もなくへらへらと答える家族二名。そのムカつく顔をぶん殴ってやろうかとも思ったが、しかしなんやかんや一理ある。電撃と不快感を与える能力では、やはり拘束力に欠けるというものだ。
自分が失敗した時点で『拘束』が解けるのは確実。ならさっさと逃げて体勢を立て直す。ぐうの音も出ないほどの合理性だ。やはり人間は、合理性では野生動物に勝てないのである。
……そんな悔しさもまた、現時点では非合理的な現実逃避なのだが。
「さぁーて、ネズミやらヤモリやらのお陰で大分弱った感じだけど……まだまだやれるみたいよ、あちらの親御さん」
モモが軽口を叩きながらそいつと向き合う。ミドリも抱きかかえられたまま、ファイティングポーズを取って身構えた。
継実も、軽く頭を振る。ほんの些細なこの行動を挟めば、思考をスッキリと切り替えられた。不平不満が露わになっていた顔は既になく、獰猛で好戦的で残虐な、飢えた野生動物の表情を取り戻す。
前を見れば、そこにいるのは一匹の大トカゲ。
粒子ビームを当てられ、電撃を喰らい、脳みそを掻き回され、ファンデルワールス力で引き裂かれ、強酸で解け、共振波で砕けて……それでもなお大地に立つ母親は、未だ闘志と殺意が薄れておらず。身体は血塗れすら生温く思えるぐらいボロボロでも、その瞳に宿る感情に恐怖は欠片も含まれていない。逆にこちらを殺す気満々だ。将来の子孫を残すために。
――――上等。逃げないなら却って好都合。こっちは卵だけじゃなくてアンタの身体も目当てなんだよ。
心の中でそう呟きながら継実はモモ達と共に、自由を取り戻した大トカゲと対峙するのだった。
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