横たわる大森林07
美味しい。
栄養満点。
弱い。
ある種の生物がこの三つの条件を満たしているかどうかは、その種を『食べ物』とするためには重要な観点である。どんなに美味しくでも百グラム一キロカロリーもないようなものをいくら食べても腹は膨れないし、どれだけ栄養満点でも巨大怪獣みたいな存在では逆にこちらが食べられてしまうし、どうしようもないぐらい弱くても吐瀉物や糞便のような味では口にすら出来ない。
が、そうしたものは自然界では生き残れない。みんながこぞって襲い掛かり、あっという間に絶滅するからだ。人間の保護があってこそ、美味しい農畜産物は生存出来る。
ましてや、この生存競争の苛烈な森の中に棲まう事など出来るのか?
「……どういう事?」
到底信じられない継実は、思わず家族に疑念を示してしまった。
とはいえモモは気にも留めず。むしろ自慢げに胸を張ってみせる。
「そのままの意味よ。アレなら弱いし、美味しいし、タンパク質もたっぷり取れる。今の私達には理想的な食材ね」
モモは臆面もなく語り、継実はその自信に気圧されて少し身動ぎ。
正直、胡散臭い。モモとミドリ以外の誰かがこんな話をしたなら、速攻で嘘だと判断しただろう。
けれどもモモがこんな嘘を吐くとは思えない。それは彼女と自分の間に嘘などないから、という信頼だけでなく、『野生動物』であるモモがなんの益もない嘘を吐く訳がないという確信があるからだ。
モモへの信頼と、逆説的な確信。この二つがある継実には、どれだけ疑念があろうともモモに反対する理由なんてない。
「……うん。そんなのがあるなら、食べておきたい」
「あたしも継実さんの意見と同じです」
「OK。なら早速行きましょ……あ、そうそう。一応それ自体からの反撃は心配ないけど、危険がない訳じゃないから警戒は弛めないでよ。それと、私の代わりに警戒はちゃんとしといてね」
「え? 危険? というか警戒って」
モモの言い回しの意味が分からず首を傾げてしまう継実だったが、モモは説明もせずにいそいそと洞から出る。
捕まえてちゃんと話を聞く、という選択肢もあるが……恐らくモモはそれよりも時間を惜しんだのだろう。つまり問答している暇はないという事。モモを信じる継実はミドリと共に辺りを警戒しながら外へと出て、モモの後を追う。
モモはくんくんと、頻繁に臭いを嗅ぎながら草むらを掻き分けて歩く。しかし近くに敵が潜んでいるかを確認してる訳ではない。まるで道標を辿るように、モモの歩みは淡々と進んでいるからだ。件の食べ物を探すために、臭いを辿っているのだろう。
継実も粒子操作能力を応用すれば、大気中の臭い分子を補足・解析する事が出来る。つまり継実の嗅覚は人間など比較にならないほど優れているが……それで分かるのは科学的な組成まで。臭いが何を意味しているかは、自分で論理的に考えねばならない。考え間違いをする可能性も高いし、そもそも知らない臭いだとよく分からなくなる。対してモモは犬としての経験から、臭いに対する様々な知識を持つ。脳神経に回答が刻まれているがために判断は素早く、正確で、しかも全くの未知に対しても大凡の見当を付けられる。故に『嗅覚』は継実よりモモの方が圧倒的に優れているのだ。
反面嗅覚に
モモが自分達に警戒を任せた理由を察し、継実はミドリと共に周りの様子を窺った。継実の索敵能力は、索敵特化のミドリと比べれば酷くお粗末なもの。しかし得手不得手があるかも知れないのだから、ダブルチェックは重要だ。ミドリに任せず、継実も警戒心を最大限に高める。
「(……なんだろう? 妙に静かなような……)」
そうして周りを観察していたからか。ふと、継実は違和感を覚えた。
生物の気配がどんどん感じられなくなる。
勿論今までも、そこら中からひしひしと感じていた訳ではない。森に棲まう生物達は非常に慎重で、天敵や獲物に見付からぬようひっそりと息を潜めていたのだから。
しかしそれでも足下付近だとか、今正に獲物を襲っている、或いは襲われているような生物なら、その存在を強く感じ取れた。至近距離なら流石に気付くし、そもそも隠れるつもりがないような生物なら捕捉は簡単なのだ。ところがモモが先に進めば進むほど、そんな数少ない、感じられる気配が着実に少なくなっていく。
これが局所的なら偶々だと笑い飛ばせたが、右肩下がりのグラフのように等間隔で変化していくとなれば……流石に無視する訳にもいかない。
「(何か原因があるとしたら、モモが言ってた食べ物? 確かに危険はあると言ってたけど、でも反撃される訳じゃないとも言ってたし……)」
中途半端に心当たりがあるからか、妙に色々な考えが浮かんでしまう。こんな事なら簡単な説明ぐらいは聞いておくべきだったかと、数十秒前の自分を窘めたくなった。
「しゃがんで。これ以上普通に近付いたら、多分気付かれる」
そんな継実であったが、モモの一言を境に意識をすっぱり切り替える。何に、とは訊かない。生きるか死ぬかの大勝負がすぐそこに迫ったのだと分かれば十分。
しゃがみ込んだモモは腰を落とし、高さ三十センチほどしかない草丈の中で四つん這いの姿勢を取る。生身の人間にはキツい体勢だろうが、体毛で編まれたモモの身体にとってはなんの苦でもない。まるでトカゲのように、モモは草むらの中を四つん這いで進む。
継実も同じく身を伏せる。本当はモモのようなトカゲ歩きが良いのだろうが、『
ミドリはわたふたしながら伏せ、不格好な匍匐前進をしていた。正しく素人がするような、イモムシの行進みたいな動き方。継実がそれとなく、音が鳴らないようフォローしておく。
茂みの中には無数の蚊が居て、継実達の血を狙う。本当は粒子スクリーンを展開したいが、何が起きるか分からない中で余計な挙動をするのは自殺行為。多少吸血されるのは我慢する他ない。
「ストップ」
しばし進んだところ、モモから停止の呼び掛けがある。声によるものではない。体毛の一本を伸ばして継実達の耳に差し込み、震動させる事で発した音を直接伝えているのだ。
これはモモが声をどうしても潜めたい時、出したくない時に使う技。フィアと戦う前にも披露したものだ。継実は言われるがまま動きを止め、ミドリもぴたりと止まる。「継実、ちょっと来て」というモモの要請が来たので、継実は慎重にモモの傍まで這っていく。
モモは茂みに身を隠したまま、草と草の隙間から覗き込んでいた。つまり自分達が隠れている草むらの『外』には、開けた空間があるらしい。
継実はモモと同じように、茂みの外を見つめてみる。
「(! アイツは……)」
思わず声が出そうになる口をきゅっと噤み、継実はモモが見てるであろう存在を注視した。
草むらを移動していた時のモモのような四つん這い、身体の半分はあるだろう長い尾、鱗に覆われた五メートル近い身体……いずれも、ほんのついさっき見たばかりの特徴だ。よもやこんなところでまた会うとは、継実は思いもしなかった。
森の中を逃げ回っていた時に出会った大トカゲ。
自分を食べないでくれた生き物が、モモの見ている先に居たのだ。
「アイツよ、私が狙っている食べ物を持っているのは」
そんな恩ある生き物から、モモは食糧を奪おうとしている。
何を言ってるんだコイツは、と継実は思った。
ただし恩を仇で返す事への罪悪感、なんてものはない。罪悪感なんて野生で生きる役には立たないのだから。もっと合理的な理由である。
「いやいや、勝てる訳ないでしょ。あんなデカブツ相手に」
相手の方が明らかに格上の戦闘力を有するからだ。
勿論あの大トカゲがどんな能力を持っているか、継実には知りようもない。しかし体長から推測される体重は凡そ四百キロ。継実の目による観測では五百キロ前後あるだろうか。体重差からして、自分達三人が挑んだところで勝ち目などない。泥棒をするにしても、腕の二~三本は覚悟しておくべきだ。どんな食べ物かは分からないが、余程のものでなければ割に合わない。
故に継実は思わず、小声とはいえ言葉を発してしまったのだが。
「ちょ……喋っちゃ駄目よ!」
何故かモモは必死な言い方で止めてくる。
なんで? と思う継実だったが、答えはすぐに明らかとなった。
大トカゲがこちらへと振り向くや――――駆け足で逃げ出したからだ。まるで今は戦いたくないと言わんばかりに。
「……もう良いわ。喋っても」
モモは頭をぽりぽりと掻きながら、茂みから立ち上がる。
あたかもそれが合図であるかのように、森の中に気配が戻る。勿論早々感じ取れるものではないが、感覚的に森全体の存在感が増したように継実は思う。
とりあえず、自分がまたやらかしてしまった事は間違いないと継実は察した。
「……ごめんなさい」
「別に気にしなくて良いわよ? 急いではいたけど、まだその時じゃなかったし。それに説明を省いていたし、私の言い方も悪かったわ。あとミドリ、もう隠れなくて良いわよ」
「ぷはぁっ! あ、はい……はふぅ」
モモが改めて許しを出して、ミドリはがばりと立ち上がる。どうやら息も止めていたらしい。息を潜めるってそういう事じゃないでしょ、とツッコミを入れたくなる継実だが、ミドリの頑張りを無下にしたのも自分なので何も言えなかった。
猛烈な自省はしつつも、しかし未だ何がいけなかったのか継実には分からない。モモが何をしたかったのかが分からなければ、改善のしようがないだろう。
「ねぇ、モモ。あの大トカゲをどうしたかったの?」
「んー……あの大トカゲ自体はどうもしないというか、出来れば避けたいところね。でも食べ物はアイツが持ってるわ」
「つまり、強奪する?」
「ええ。アイツが食べ物を落とした後にだけどね」
モモの話に、継実はますます困惑する。食べ物を落とすとは? それに強奪するにしても、やはり勝ち目なんてない相手ではないか。
継実と同じく疑問に思ったのか、ミドリも不思議そうに首を傾げた。そしてモモには勿体振るつもりなどない。戸惑う継実達に、彼女はさらりと話してくれる。
全てに合点がいく説明を、たった一言で。
「アイツ、産卵間近なのよ」
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