横たわる大森林08
卵。
サバイバル知識に詳しくない者――――それこそ齢十歳の小娘に過ぎなかった七年前の継実でも、自然界で取れる食べ物として安全かつ高栄養価のものとして思い付くものだ。実際には両生類や魚類の卵には有毒なものがあるし、鳥の卵にしても
正しく理想の食べ物だ。そう、卵単体で考えたなら。
「……流石に、危険過ぎない?」
大トカゲの卵採りを提案したモモに、継実はそう意見した。
森の中を慎重に、再び這うような低姿勢で、継実達は進んでいる。今はモモの嗅覚を頼りに大トカゲを追跡中。まだ距離があるとの事なので、こそこそ話ぐらいは出来る状態だ。
それでも周りに居るかも知れない外敵や、進む先に居るであろう大トカゲに聞かれる可能性を考慮すれば、小声にならざるを得ない。継実は粒子操作能力で声の飛び方を絞り、モモは体毛による伝達を用い、ミドリが脳内物質制御を使う事で音を立てないようにしていた。
「まぁ、ちょっとは危険かもねぇ」
【そう、ですよね。産んだ卵を奪おうとすれば、母親からの反撃もありますよね】
モモは継実の意見をあっさりと認め、ミドリも納得しながら自身の考えを述べる。
ミドリが言うように、母親からの反撃は真っ先に想定される事態だ。大トカゲは恐らくカナヘビから進化したミュータントで、子育てをする性質などは持ち合わせていないだろう。だが、目の前で卵を食べられても気にしない、なんて筈がない。自分の卵を食べる輩を放置するのは、生存上『適応的』でないからだ。産んだ傍から持ち出そうとすれば、恐らく大地を割らんばかりのパワーがあるだろう尾で叩かれるに違いない。
とはいえ、じゃあ守りが堅牢かといえば……それもないだろうと継実は踏んでいたが。
「いや、母親からの反撃はそこまで怖がらなくて良いかな。産んだ傍から取ろうとすれば別だけど」
【へ? なんでですか?】
「守ろうとするより、次の卵を産んだ方が手間がないから」
疑問に思うミドリに、継実は声を潜めながら説明する。
人間的には、母親というのは赤子を命懸けで守るものだという認識があるだろう。
が、実際には赤子をそこまで必死に守る母親は少ない。例えばテントウムシは、産んだ卵の近くにアブラムシがいない場合、その卵を食べてしまうという。アブラムシがいなければ生まれた子供はどうせ餓死するので、食べて次の卵の栄養にする方が合理的だからだ。他にもスズメバチに襲われた時のアシナガバチは、幼虫をスズメバチに差し出す事で巣の全滅や女王の喪失を回避する。
結局のところ自然界で生き残るのは、愛情深さでもなければ個々の幸福の度合いでもなく、次世代を確実に残せるか否かである。故に子を守るメリットよりも犠牲にするメリットが上回れば、そうした行動を取る生物の方が適応的であり、世にはばかるという事だ。
そしてミュータントにおいて、子供の命はとても軽い。
生態系の最下層である植物がミュータント化により、驚異的な生命力と成長性、冬でも成長するタフネスを得て、大量の食糧が常に供給されるようになった。結果、継実達が冬でも食べ物に困らなかったのと同じく、草食動物も肉食動物も餌に困らなくなる。栄養状態が良くなればたくさんの子供を産めるようになるし、冬も夏も関係なく餌があるのだから時期も選ばなくて良い。
そのためミュータント化した生物は、今までよりもたくさんの子供や卵を産めるようになった。
ある生物種が途絶える事なく世代を続ける条件は実に簡単だ。親と同じか、それ以上の数が生き残れば良い。そして産まれる子供が増えたという事は、子供がミュータント化以前より多く死んでも世代の継続には問題ないという事。つまり子供一匹当たりの価値が以前よりも低下したのだ。
無論これは積極的に子を守らないという意味ではない。しかしコストやリスクを天秤に乗せた時、『守らない』という選択の方が得になる事が以前よりも多くなったのは確か。よってミュータントの母親は天敵から命懸けで我が子を守るより、見捨てて次の子を産む傾向が強いのだ。
【……そりゃ、生き物の世界が綺麗事で成り立たないのは分かっていますけど、そんなの赤ちゃんが可哀想です】
それでも知的な宇宙人には納得し難いようで。
七年間ミュータントの生態系で生きてきた継実では、最早何も思わないところ。今や宇宙人の方が生粋の地球人よりも人間らしいなんてと、継実の顔に乾いた笑みが浮かんだ。
「じゃあ、卵を食べるのは止めとく?」
【いえ。残虐で無慈悲な生き物達に食べられるより、あたし達のような理性ある生き物に感謝されながら食べられる方が卵も幸せというものです】
だからといって、食べないという選択肢はないようだが。母親や卵からしたら誰が食べても同じでしょ、という至極真っ当なツッコミを入れたところで考えを改めはしないだろう。人間らしさなど、三大欲求の前では霞のように消え失せるのである。
「ま、継実が言うように大トカゲ自体はそこまで問題じゃないわ。本当の問題は別にあるのよ」
【? どういう事ですか? 親が守らないなら、取り放題だと思うのですけど】
「取り放題だから厄介なのよ。むしろ親が守ろうとする方が余程マシかも」
【んー……?】
「つまり――――待って」
首を傾げるミドリに説明しようとするモモだが、不意に声を潜めて継実達を制止する。
継実もミドリもぴたりと動きを止めた。ミドリは口と鼻を手で塞ぎ、息まで止めている。だからそっちは止めなくて良いって……そう言いたかったが、同じ失敗はしたくない。仕方ないので継実は大気分子を操り、ミドリの鼻から直接酸素を流し込み、口から二酸化炭素を排出させておく。
しばらくは持つであろう呼吸を整えてから、継実はモモの顔を見遣る。モモはこくりと静かに頷き、ひっそり、こっそり、動き出す。
モモの後を追いながら、継実は周りの気配に注意する。随分と生き物の気配が消えていたが、それは周りに命がいない事を意味しない。そこにいるという確信はなくとも心理的緊張は増していく。
それでも継実は前へと進み……モモと同じ位置で止まった。もぞもぞ動きのミドリも、遅れて継実達の後ろに着く。
モモはゆっくりと腕を伸ばし、慎重に眼前の草を掻き分けた。継実も能力により音を消しながら、同じく草を掻き分け、自分の辿り着いた場所を目視で確認。
特別な場所ではない。周りには大きな木が立ち並んでいるし、暗闇の中にも関わらず大きな草が生い茂っている。強いて言うなら、半径十メートルほどの領域には木が生えておらず、他の場所よりも気持ち開けている事ぐらいか。
そんな有り触れた場所に『彼女』――――大トカゲは居た。
「……シュルルルゥ……シュルルルゥ……」
大トカゲは苦しそうな吐息を吐きながら、忙しなく辺りを見回している。身動ぎ、というよりうろちょろと歩き回っているが、継実が認識した半径十メートルほどの開けた領域からは出ようとしない。
恐らくあの大トカゲは産気付いている。
しかも相当切羽詰まった状態らしい。落ち着きのなさから継実はそう判断した。恐らく本当は先程継実達と『再会』した場所で産卵したかったのだろうが、
これは好機と継実は考える。出産や産卵はただでさえ体力を多く使うのに、良い場所を見付けられずに我慢しているとなれば更に消耗は激しくなる筈。どうせ真面目には子供を守らないと踏んでいるが、体力を消耗していれば更にその傾向は強くなる。母親の体力が乏しい状態は、襲う側からすれば非常に好ましい。
これなら思いの外簡単に卵を奪えるかも、と期待で胸が膨らんでくる。
――――ただ、違和感も同じく膨らんできたが。
「(なんでコイツ、あんなに焦ってるの?)」
ミドリに話したように、生物にとって子供とは必ずしも大切に守るべきものではない。よりたくさんの子供を産めるようになったミュータントは、更にその傾向に拍車が掛かっている。
出来るだけ安全な場所に産み落とす方が良いのは確かだ。しかし、そこまで必死になる価値があるのか? 産んだところでどれだけ生き残るか分からないし、激しく消耗した今この時獰猛な肉食獣に出会えば自分の命が危ない。今回の卵は適当なところで産んで、次回に賭ける方が『合理的』ではないか。
考えれば考えるほど、違和感の膨らみ方は加速していく。何か、自分達は大きな判断ミスをしているのではないか。そんな予感がしてきた。
が、継実の不安はやがて消え失せる。
大トカゲの動きが止まった。諦めたような、或いは身体に力を入れ直すためか、深く熱い息を吐き……後ろ足でがりがりと地面を蹴り始める。ミュータント化した植物に覆われた地面であるが、大トカゲの後ろ足は難なく掘り進めていった。
そうしてある程度の深さが出来た穴に、大トカゲは腰を下ろす。そのまま傍目にも分かるぐらい全身を強張らせ、振るわせ、息む。
ついに、産卵が始まったのだ。
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