旅人来たれり11

「私の狩りが見たい?」


 眉を顰め、訝しむ気持ちを隠しもしないフィアに、継実はこくこくと頷いて返事をした。

 夕方が迫り、少し空が赤らんできた頃。草原を一人で歩いていたフィアに、継実は狩りの同行を申し出た。するとフィアは身体を前のめりにし、継実の目を覗き込んできたのである。

 継実が一人でやってきた事を疑問に思ったのか、それとも何かに勘付いたのか……継実は息を飲みそうになるのを必死に堪え、平静を装いながらフィアの返事を待つ。

 しばらく継実の目をじっと見ていたフィアであるが、不意に、顰めていた表情を無感情なものへと変えた。


「んー。まぁ勝手にすれば良いんじゃないですか? 私の邪魔をしないのなら止める理由もありませんし」


 返ってきたのは、実に無関心な回答。

 自分がこてんぱんにしてやった相手からの提案を、なんの疑いもなく受け入れる。自分の強さに対する自信故か、はたまた単純に相手の気持ちを察するのが不得手なのか――――多分後者だと思った継実は、ちょっと口許が引き攣った。

 しかしここで「それで良いんかい」などとツッコミを入れはしない。折角のチャンスを無下にするなど、自然界では自殺行為なのだから。

 そう、これはフィアの『能力』を考察する好機。

 ……お昼頃に始めた、打倒フィア(正確には戦いで一歩後退りさせるための)の作戦を練っていた継実達であるが、盛り上がったのは最初だけで、すぐに行き詰まってしまった。理由は、フィアがあまりにも強過ぎるからである。

 巨大ミミズを難なく粉砕する、圧倒的なパワー。

 目にも留まらぬ速さで動く、とんでもないスピード。

 頭が切断されても平然としている、底なしの耐久力。

 眼球さえも粒子ビームを弾く、無敵の防御力。

 何もかもが最強だ。ハッキリ言ってインチキをしているとしか思えない。そしてミュータントとなった生物達は、実際に様々なインチキ能力をその身に宿している。フィアにも何か、特別な能力があると考えるのが自然だろう。

 能力が分かれば、どうやって強大な力を繰り出しているかも想像が付く。そして原理が分かれば、それを邪魔する方法も見付けられるかも知れない。勿論、継実達を上回るであろう経験も強さの一因だろうから、これで万事解決とはいかないだろうが……勝利に大きく近付くのは間違いない。

 無論フィアは早々己の能力を明かさないだろう。能力を知られる事とはつまり、弱点を知られる事に他ならないのだから。花中からは既に明日の朝試合をする事が告げられているフィアが、そんなヘマをするとは思えない。ちなみに花中からは「流石にそれを教えたら試験になりません」という事で秘密にされている。自分達で突き止めるしかない。


「(狩りの中で、ヒントが見付けられると良いんだけど……)」


 念のため、二段構えで観察はしている。至近距離で見る継実と、百メートルほど離れた位置から見ているモモとミドリ。異なる視点から多角的に観察すれば、より多くの情報を得られる筈だ。

 この観察で能力のヒントを掴めるか否か。それが明日の試合、ひいては旅の命運をも占うのである。


「ところであの辺からあなたのお友達二人がこちらを見ていますけどなんでか知ってますか?」


 なお、幸先はかなり悪かったが。


「さ、ささ、さぁ!? なんでだろう!? それよりも早く狩りに行こう! ね!?」


「? それもそうですね」


 狼狽しながら継実が誤魔化すと、フィアはあっさりと納得。本当に納得したのか、それとも納得したフリなのか……正直前者だと継実は思うのだが、こうも呆気ないとやっぱり胡散臭い。

 だからといって、本当に納得した? 等と尋ねる訳にもいかず。

 もやもやとした気持ちを抱いたまま、こちらの事など気にも留めずに歩き出したフィアの後ろを、継実はいそいそと追い駆けるのだった。

 ……………

 ………

 …

 フィアと継実は草むらの中に身を隠しながら、じっと遠くを見つめる。

 彼女達の視線の先に居たのは、木の枝に止まる一匹のトンボ。

 ただし体長数センチ程度の、普通のトンボではない。継実の目測であるが、はあるだろうか。大きいながらも両目が接するほどは発達していない複眼、宝石のように綺麗な青色の体躯、細長い『腹』、そして前翅と後翅の長さがほぼ等しい……これらの特徴からして、巨大化したイトトンボの仲間のようだ。

 継実が知る限り、この草原にいるトンボはアキアカネだけ。それも秋頃の一時期だけ姿が見られる、七年前とあまり変わらない大きさの種である。こんな大きなイトトンボは、七年間草原で暮らしている継実も見た事がない。

 この巨大イトトンボも、あのミミズと同じく草原の外からやってきたモノか。


「(もしそうなら、アイツもあのミミズみたいに強いのかな……)」


 継実は能力により粒子の量を測定し、巨大イトトンボと自分の体重がほぼ等しい事を把握。つまりこの草原の生き物を基準に考えればイトトンボの実力は継実と『互角』であり、モモとミドリの二人と一緒に襲い掛かれば確実に仕留められる相手だろう。

 しかし過酷な生態系で生存・進化してきた種となれば、その生命力は未知数。それに一体どんな能力を秘めているのか――――


「美味しそうですねぇじゅるり。トンボは胸のところの筋肉が歯応えあって美味しいんですよ」


 ……フィアはその辺りについて、あまり気にしていないようだが。

 トンボの美味しさについて語ると、フィアは早速草むらを掻き分けながらトンボへと接近。継実も慌ててその後を追う。

 追う中で、継実は早速違和感を覚える。

 フィアは全く足音を立てずに移動していた。継実が意識を集中してみても、本当に一切の音が聞こえてこない。

 音を出さない事自体は、継実も能力を使えば特に難しくない。音とは空気の震動であり、空気分子を静止させてしまえば音など生じないからだ。逆に、能力なしでミュータントに聞こえないぐらい音を抑える事はかなり困難である。これまた継実であれば空気分子の動きを『目視確認』する事で、数十メートル彼方の蚊の羽音も聞き逃さないのだから。

 継実にも聞こえないぐらい静かに動くフィアは、現在進行形でなんらかの能力を用いている筈。継実はじろじろとフィアを観察してみた。するとすぐに、不思議な光景を目の当たりにする。

 横切る度に当たる草が、フィアの身体を『切断』しているのだ。

 まるで熱したナイフがバターを切るように、草は当たった傍からフィアの身体を通り抜けていく。本当に抵抗が殆どないようで、フィアの身体が当たったにも拘わらず草は揺れてすらいなかった。揺れなければ草同士が擦れ合う事もないので、音が出ないのも納得である。

 そもそもフィアの動きが奇妙だ。前へと進む彼女の身体は。人間も動物も、歩けば足や腰の動きにより身体が僅かながら上下するのが普通なのに。まるで、地上を滑っているかのよう。枝を踏み締めるような音も聞こえないので、本当に滑っているのだろうか?


「(なんだろう……身体に秘密があるのかな?)」


 そもそもフィアの身体は、なんなのだろうか?

 粒子ビームを弾き返すほどの頑強さを持ち、草が易々と通り抜けるほど柔らか……矛盾した性質を併せ持っている。任意で強度を切り替えられると思われるが、『生身』でこんな事が出来るのか?

 加えて巨大ミミズとの戦いで見せた、頭が真っ二つにされても平然としている生命力……継実のように、能力でタフさを生み出しているのかも知れない。けれどももう一つ、考えられる可能性がある。

 モモのように、身体が『作り物』である可能性だ。

 モモは体毛を編んでその『外面』を作り上げている。故にモモは中に居る本体が無事である限り、どんな攻撃でも『ダメージ』とはなり得ない。仮に腕が千切れても、足が吹き飛ぼうとも、痛み一つ感じずに修復可能だ。更に体毛の密度を変えれば、防御力と柔軟性のバランスも変えられる。

 フィアもモモのように、なんらかの物質で仮初めの身体を作っているのかも知れない。勿論継実の粒子操作のような力なら生身の身体を弄くり回せるので、断言は出来ないが……頭部へのダメージすら平然としているところからして、生身ではないと考える方が無難か。

 しかし、ならばあの『身体』は何で出来ている?

 本来継実にとってこれはそう難しい問いではない。能力の応用により、継実の目には粒子の動きや座標が見えている。そして運動量とエネルギー量の推移から、どんな物質が集まっているかの推測が可能なのだ。ところがフィアの身体は、どれだけ注視しても構成している物質が見えてこない。

 恐らくフィアが能力により『身体』を分子レベルで制御している影響で、こちらの観測が上手くいっていないのだろう。なら状況証拠から推測するしかないが、今まで見せたどの行動がヒントとなるのか、そもそもヒントが出ているのか……

 思案に耽る継実だったが、一旦その考えを打ち止めにする。イトトンボとの距離が近くなってきたからだ。

 イトトンボは未だ枝に止まっている。が、忙しない頭の動きから、イトトンボがこちらの接近に勘付いていると継実は判断した。トンボは視力そのものは左程良くないが、動体視力は抜群に優れているという。草むらに隠れているつもりだったが、相手からするとこちらの動きは丸見えだったのだろう。

 これ以上の接近は、向こうの警戒心を刺激して逃がしてしまうかも知れない。フィアもそう思ったのか足を止め、継実も同じく立ち止まる。

 しばし、フィアは動きを見せず、じっと巨大イトトンボを見つめるばかり。


「(さて、どう仕掛けるつもり?)」


 仕掛けるチャンスを窺っているのか、それとも能力の発動に時間が掛かるのか。そうした特徴も、戦う時には重要な情報だ。一欠片も逃さぬよう、継実はしかとフィアを観察する。しかし残念ながら努力は最初から蹴躓く。

 フィアはチャンスを窺っている訳でも、能力の発動に時間を費やしている訳でもない――――既に能力を発動させていたのだから。


「(ん? なんかフィアの足下から伸びてる……?)」


 継実の目は、フィアの足下から伸びていた『何か』を捉えた。

 太さは凡そ一センチ。草むらに隠れて姿は見えないが、なんらかの粒子が大量に移動しているのは感知出来る。『何か』は草むらの下を潜るように伸び、既にイトトンボが止まる木の傍まで迫っていた。渦でも巻いているのか、木の傍で『何か』の太さが大きく増している。

 そして『何か』は、草むらから一気に飛び出して姿を露わにした。

 現れたのは、だ!


「ひぇっ!?」


 突然現れた冒涜的物体に、驚いた継実は尻餅を撞いてしまう。

 半透明な触手は、太さ二十センチはあるだろうか。長さは数百メートルにも達し、木の周囲を包囲するように渦を巻いていく。

 完全包囲されてしまったイトトンボ。しかし奴もまたミュータントであり、超常の力の使い手である。この程度の事態に慌てふためく素振りもない。

 枝から離れるや、イトトンボはバタバタと高速で翅を羽ばたかせる。するとイトトンボの翅先から無数の白いものが飛んでいく。

 トンボといえば優れた飛行能力が特徴の種だ。ならば空気を自在に操るような能力を獲得しているのではないか……そんな予想の通り、飛んできた白いものは圧縮された空気だと継実の目は解析する。

 しかしイトトンボが繰り出した技は、ただ空気を飛ばすだけのものではない。

 空気は激しく流動し、塊の中で擦れ合う。例え気体であろうとも擦れ合えば静電気が生じ、微々たる静電気も量が集まれば立派な雷だ。それこそモモが体毛を擦り合わせて繰り出す技と同じように。

 違いがあるとすれば、イトトンボの方がモモより遥かに巨大で、そして純粋な電気だけでなく風の力も攻撃に利用しているという事。

 バチバチと弾ける紫電を纏いながら、無数の風の刃が半透明な触手に襲い掛かった!


「(電気攻撃……! 私でも、これはキツそう)」


 具体的な出力は分からないが、本能的に『危険』な攻撃だと察する継実。自分ならば、回避に全力を尽くすところだ。

 しかしフィアは動じず。


「ふん。小癪な真似を」


 ただ一言悪態を吐くのみ。

 そしてその悪態に呼応するように、イトトンボを包囲する触手に変化が起きた。

 触手が縦に割れるように、分裂したのだ。裂けた触手はイトトンボの攻撃を躱し、うねうねと動き続ける。無論、数が増えた分だけイトトンボの包囲はより強固になった。

 これに慌てたように、イトトンボは雷付きの風をまたしても繰り出す。数も威力も先程より増えているが、やはり触手は分裂、それで躱せない時は大きく仰け反るようにして回避する。半透明な触手はどんどん細くなる一方、その数を増していき……

 ついに、見えなくなった。

 無論分裂の結果消滅した、なんて滅茶苦茶な事は起きていない。継実の目には触手がちゃんと見えている。ただ、細くなり過ぎて、『肉眼』では捉えきれないというだけ。

 糸のように細くなった触手達は、一斉にイトトンボに接近。気配は感じているのかイトトンボは右往左往するが、触手達……いや、『糸』は既にイトトンボを上下左右包囲済み。今更逃げ場などない。

 迫り来る『糸』をイトトンボは避けられず。全身を雁字搦めに縛り上げられてしまった。『糸』に縛られているため落ちてはこないが、身動きも取れない。それでもイトトンボはガチガチと顎を鳴らし、未だ闘志を失わず。振り解くために、四枚の翅に力を込め始める。

 生憎、それを許すフィアではない。


「これで終いです」


 無慈悲な宣告と共に、指パッチンを一つ。

 次の瞬間、イトトンボの身体がバラバラに切り刻まれた! 細い『糸』が容赦なく食い込んだ結果、刃物のように全身に切り裂いたのだ。イトトンボの生命力は『並』だったようで、バラバラにされた途端身体から力が失われていく。

 最早肉片となったその身に、フィアは半透明な触手を一本伸ばしてこぶし一つ分程度の大きさの肉片を掴む。

 そのままぱくりと、フィアは大きな口を開けて肉片を丸呑み。噛んだ素振りすら見せない。


「んー♪ やはりトンボの筋肉は歯応えと旨味があって美味しいですねぇ」


 ほっぺたを両手で押さえながら、フィアは喜びを言葉に表す。満面の笑みを浮かべていて、心から幸せに浸っているのが継実にも伝わった。


「あ。私はもう満腹なので残りはあなたが勝手に食べていて良いですよ」


 そしてたったそれっぽっちを食べただけで、残りの部位への関心をあっさりと失う。

 仕留めた獲物の九割以上を放置するとは中々の暴挙。残された分はハエなりトカゲなりが食べるので、『無駄』とはならないが……勿体ないと感じてしまうのが人間というもの。


「えっと……じゃあ、いただきます」


「どうぞ。あっとそうだ花中さんに夕ご飯としてお腹の部分を持っていきましょう。あそこはとろとろでクリーミーな美味しさがあるんですよねぇ」


 継実の答えなど心底どうでも良いようで、フィアは自分の考えを言葉にするや、それを実行に移す。触手を伸ばして持ってきた、バラバラにされて数十センチほどの長さになったイトトンボの腹を持ち、この場を去った。

 残された継実は、手近なところに転がっていたイトトンボの胸部の一欠片を掴む。切り刻まれ、露出した筋肉に齧り付く。アミノ酸の甘味が舌を刺激した。

 ――――次いで、にやりと微笑む。

 正直困惑もしている。あまりにも呆気なく、のだから。『糸』を作り出した際、細くしていく中で隠蔽が疎かになっていたのだ。イトトンボを切り刻んだ瞬間、継実には『糸』が何で出来ているのかハッキリと見えた。

 もしかしたらそれはわざとで、本当の能力を隠すためのものかも知れないが……少なくとも継実はこれだと確信した。

 そしてこの『タネ』なら、対策を取れる。


「……明日こそ、勝つ!」


 筋肉を食い千切りながら、やる気に満ち溢れた言葉を独りごちた。

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