旅人来たれり10
意識を集中する。
胃・腸・肝臓・膵臓・肺・心臓……体内に存在するあらゆる臓器が破裂し、ぐちゃぐちゃに潰れていた。七年前には七十億もいた『普通の人間』なら即死しているダメージであるが、幸いにして継実は現代の普通人。粒子操作能力により臓器の分子配列を操作し、潰れた状態から元の健康的な状態へと復元出来る。
壊れたのは臓器だけではない。フィアに踏み付けられた際の衝撃は全身を駆け巡り、毛細血管をズタズタに引き裂いた。今まで粒子操作能力により血流は維持していたが、何時までもそれで済ませる訳にもいかない。血管の状態も修復し、元に戻す。
身体は完全に『再生』した。問題があるとすれば、そのために費やしたエネルギー量が莫大である事。数日分の基礎代謝に匹敵するカロリーを用いたため、細胞は今やすっかり飢餓状態だ。すぐに何か食べてエネルギーを補給しなければ、数時間後に餓死してもおかしくない。
無論痩せ衰えた身体で狩れるものなどたかが知れていて、そんな小さく無力な生き物だけで腹を満たせる保証などない。仮に満たせても基礎代謝を上回らなければ蓄えが作られず、明日もまた飢餓に苦しみ……しばし予断を許さない状態が続くだろう。
されど此度は普通に非ず。
「こ、此度は、わたしの親友が、ご迷惑を、お、お掛けして、申し訳、ありませんでしたぁ……!」
継実の目の前で土下座をしている花中が、たくさんの食べ物を集めてくれたのだから。具体的には花中の身長と同じぐらい大きな山が出来るぐらい。
今の時間帯は、外の太陽を見る限り丁度十二時頃。燦々と降り注ぐ眩い陽の下で平伏する姿は、ある種のシュールさを感じさせる。住処であるクスノキの洞の中で休むように寝転がっていた継実も、これにはちょっと苦笑いを浮かべてしまう。
「……いや、そこまで謝らなくても」
「そーよそーよ! 継実なんて危うく死ぬところだったのよもぐもぐ!」
「全く酷いです! いきなり攻撃なんてもぐもぐ!」
継実はそれ以上の謝罪を止めさせようとしたが、モモとミドリの憤りは収まらず。しっかり不平をぶつけ、花中に「ひぃぃぃぃ」という情けない声を上げさせた。ちなみに二人とも、花中の持ってきた食べ物はしっかり頂いている。継実と違って回復にエネルギーなんて使ってない癖に。
図々しい獣と地球外生命体にちょっと呆れつつ、継実も洞の外に置かれた食べ物……山積みにされたキノコの中から一本掴んだ。粒子操作能力の応用で一応成分分析をしてみたが、どれも毒は含まれていない。キノコは低カロリーな食べ物なのであまり好ましい食材ではないが、山になるほど積まれていれば話は別だ。しかもどのキノコも程良く焼かれ、美味しそうな香りを漂わせている。
齧り付いた焼きキノコの味を堪能しながら、継実はふと思う。
「そういえば、フィアは?」
自分をこてんぱんにやっつけた、フィアの姿が見られない事に。
尋ねられた花中は、一瞬目を逸らす。それからどう答えようかと悩むように黙り……しばらくして口を開く。
「……フィアちゃんは、晩ご飯を捕まえに、行きました。大きいトンボが、いたそうなので」
どうやらフィアは、こちらを一方的に倒した事よりも、トンボの方が大事らしい。まだ付き合って丸一日しか経ってないが、なんとなくフィアがどんな性格なのか継実にも分かってきた。良くも悪くも、単純な性格らしい。
そして動物らしく単純なフィアには、継実をボコボコにした事など印象にも残らなかったのだろう。
それだけ『手応え』がなかったという訳だ。これまでフィアがどんな敵と戦ってきたかは知りようもないが……今回の継実のように楽な相手だけでなく、苦戦するような生き物とも何度か戦った筈だ。或いは花中のような、仲間と共に戦わねば勝てないようなものを相手にした事もあったかも知れない。
そんな生き物に、自分達が出会ったら?
……為す術もないだろう。抵抗も逃げる事も出来ず、命乞いだって腹ペコ相手では通ずまい。一匹二匹なら、運に恵まれればどうにか出来るかも知れないが、十匹二十匹となれば幸運も尽きよう。
フィアが言ったように自分達では旅なんて無理なのか。継実はそう思い始め、
「とりあえず、作戦会議しましょ」
「そうですね。あたしには力なんてないですけど、知恵は出しますよ!」
モモとミドリは、継実とは別の考えを言葉にする。
真逆を通り越して、反発するような意見。継実は思わず振り返り、キョトンとしたモモ達と目が合う。
「……どしたのよ、継実。鳩が豆鉄砲を食らったような顔して」
「い、いや。だって……諦めて、ないの?」
「諦めるって旅の事? なんで諦めなきゃなんないのよ。あんな一方的にやられて悔しくないの?」
「悔しいかどうかで言えば、悔しいけど」
「じゃあ、作戦会議よ。今度こそアイツをギッタンギタのボッコボコにしてやるんだから!」
「あたしは、やり返す方が楽しそうかなーと思ったので」
理由を尋ねれば、モモから返ってきたのは私怨塗れの回答。ミドリに至ってはただの娯楽扱い。それ、旅とか関係なくやり返したいだけじゃない? と思わず訊きたくなる。
しかし訊いたところで、どうせ二人の答えは「そうだけど?」の一言で終わりだろう。
だから継実は問わず、そしてくすりと笑った。旅がどうとか、危険がなんだとか、モモ達にとってはどうでも良いのだ。いや、関係あると考える方がおかしい。フィアにやられたからとか、花中から止められたからとか……それがどうして旅を止める理由になるのか。
継実は人間に会いたい。なら、会いに行けば良い。理性も常識も合理性も打算も、そんな小難しい考えは一つもいらない。
もう自分は高度な文明社会の一員ではなく、自由で奔放な『野生動物』なのだから。
「……わたしとしては、意地でも、止めたいですけど」
考えを切り替えたところ、花中からはひそひそとした声で忠告が。フィアと違い、継実達の身を本当に案じてるからこその言葉に、それを理解している継実は苦笑いしか返せない。
もう継実は自分の願いを曲げないと悟ったのか、花中はぷくりとむくれる。が、それ以上は言わず、ため息のように頬に溜め込んだ空気を吐き出した。俯くように、しばし継実達から顔を逸らす。
やがて、ゆっくりと上げた花中の顔に浮かぶのは、諦めたようにも見える微笑み。
「でも……フィアちゃん、割と凄く、強い方なので、戦って、一歩でも後退り、させられたら……南極までの、旅については、なんとか出来るかと、思います」
続いて、いくらか妥協したような意見を述べた。
フィアと戦い、一歩でも後退りさせる……それが花中の提示する『旅の条件』。
無論これに従う義理も必要性もない。野生の世界で生きる継実立ちは何者にも縛られないのだから……しかしながら花中は「これが出来ればなんとかなる」と語ったのだ。つまりフィアを一歩後退りさせる事すら出来ぬようでは、旅をしたところで志し半ばで倒れるだけという事。
――――上等。一歩と言わず、そのまま押し倒してやる。
継実だって負けたままというのは癪なのだ。めらめらと胸のうちで闘志が熱く燃える。
「だったら明日の朝、フィアに再戦して、今度こそぎゃふんって言わしてやる!」
「はいっ! フィアちゃんには、わたしから話して、おきますね」
沸き立つ衝動のまま継実は花中に向けて宣戦布告し、花中がそれを受けてくれた。
ならば余計な心配をするよりも、まずは作戦会議。継実が視線を送ればモモとミドリは楽しげに笑い、三人同時に円陣を組んで打倒フィアのための話し合いが始まった。
ああした方が良い、こうした方が良い。様々な意見、突拍子のない秘策を語りながら三人は盛り上がる。勿論花中が持ってきた食糧を食べ、身体にエネルギーを蓄えていく事も忘れない。激突する間際、お腹が空きましたと言ったところで、フィアが止まってくれるとは思えないのだから。
ある意味暢気で、自由で、緩やかで。そんな三人の話し合いを、花中は離れたところから眺めるばかり。アドバイスはせず、強いて言うなら、夢中で話し合ってる彼女達に代わって、外敵が来ないか周囲を警戒するぐらい。
「ふふ……今回の相手は手強そうだよー、フィアちゃん」
そして未来が見えているかのように、ひっそりと、花中は嬉しそうに微笑むのだった。
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