旅人来たれり12

 天に広がるは、雲一つない青空。

 草原を駆け抜けるは、涼しい風。

 梅雨前の季節に相応しい、爽やかな朝だった。日本列島に自生する多くの生き物達にとって心地良い気候であり、普段ならば多くの生物が餌や繁殖相手を求め、積極的な活動を始めるであろう。事実草原の至る所で生き物達は動き出し、賑やかな生存競争を繰り広げていた。

 しかし今日、とあるクスノキの周りだけは違う。

 そこに命の動きは殆どない。動ける生き物達は足早に逃げ、動けない生命は守りを固めてじっとしているのだから。

 仁王立ちしたフィアという、この草原で最大最強の生命体が臨戦態勢を取っているがために。


「ふん。この私にまた勝負を挑むとは懲りませんねぇ」


 フィアは不敵な笑みを浮かべながら、自信に満ち溢れた台詞を発す。表情からしてこちらを見下し、負けるなんてこれっぽっちも思っていない顔付きだ。

 しかしその顔を見せられている継実とモモは、怯まず臆さず退かず媚びず。こっちの台詞だと言わんばかりに、勝ち気な表情で返してやる。


「懲りなくて結構! 今度は私達がけちょんけちょんにしてやる!」


「そのとぉーり! 私達のコンビネーションでギッタギタのボッコボコよ!」


 胸を張り、堂々とした挑発を返す継実とモモ。昨日呆気なくやられた事など忘れたと言わんばかりの物言いだ。あまりにも強気な態度に、継実達の後ろで見守っているミドリが、少しおどおどする始末。

 勿論、継実達はフィアの強さを忘れた訳ではないし、ましてや余裕で勝てるなんて思ってもいない。

 しかしながら此度の戦いは『試合』なのだ。命を掛けてやり合う生存競争ではなく、親犬と子犬がじゃれ合うようなもの。負けたところで失うものなどないし、勝ったところで得られるものもない。

 ぶっちゃけてしまえば遊びだ。煽り合いもプロレスの前口上と同じ、ただの余興である。フィアもそれは分かっているようで、煽られても怒る事はなく、むしろにやりと笑ってみせた。


「良いでしょう。生意気な虫けら共に身の程というものを教えて差し上げます」


 ……遊び半分で放ったであろう覇気は、継実達の背筋を震わせたが。

 そんなフィアの後頭部をぺちんと叩いたのは、フィアの親友を自称する花中。


「もう、フィアちゃんったら。怖がらせないの」


「えぇー……こんなのちょっとふざけただけじゃないですか。煽るぐらいならこれぐらいの反撃は覚悟してるでしょうに」


「限度があるって言ってるの!」


 花中に窘められ、フィアはむすっと唇を尖らせながらそっぽを向く。反抗的な態度とも取れるが、発せられていた覇気が止んだので、花中の言う事は聞いた形だ。なんやかんや、フィアは花中のお願いをよく聞いている。

 煽り合戦を止めた花中は、ふんっ、と可愛らしい鼻息を一つ。それから咳払いをして、話の流れを切ってから、普段よりもちょっと大きめの声で話し始めた。


「えっと、それじゃあ、試合のルールを、確認します」


 花中は指を三本立て、継実達とフィアに見せる。次いで立てた指の一本を折った。


「一つ。有栖川さん達は、フィアちゃんを、一歩でも後退させたら、勝ちです。フィアちゃんは、有栖川さん達全員が、参ったと言うか、気絶したら、勝ち」


 最初に確認したのは勝利条件。

 フィアを一歩でも後退りさせられる力があるのなら、草原の外に広がる過酷な環境でも多分生き延びられる……昨日花中が話していた事を出来ると証明するのが、継実達の勝利条件。そしてこれこそがこの試合が決まった、事の始まりだ。

 あくまでも旅立ちの目安としての試合だが、これが出来ないならお前に旅は無理だと言われるようなもの。今日には旅立つ花中達に継実達の行動は縛れないが、突き付けられた現実が継実達の心を縛る。これを乗り切らねば、南極への旅、人類社会と再会するという夢は潰えるのだ。


「二つ。フィアちゃんは試合が始まってから、終わるまで、一歩も動かない事」


「ん? ああそういえばそんな条件でしたっけ。まぁその程度であれば問題ありません」


 示された二つ目の条件は、フィアにハンデを与えるもの。

 一歩も動かない。これは戦いにおいて、極めて大きな、というより致命的なハンデだ。簡単に背後を取られてしまうし、両手の届かない位置に回り込まれればどうにもならない。人間相手にそれを言ったら、ハンデというより公開処刑……勝たせる気のない宣告である。

 尤も、強がりでもなんでもなくフィアが余裕を見せているように、フィアにとっては大した条件でないらしい。実際彼女の『身体』のカラクリが、昨日継実が考えた通りのものなら、これは大したハンデではない。無意味というほどのものではないだろうが、これで勝負が有利になると考えるのは早計だ。


「三つ。あくまでも試合なので、相手に、酷い怪我をさせたり、死なせたりは、しない事」


 そして三つ目の条件。『遊び』で死者が出てはならない。極めて当たり前の、だけどしっかり意識しなければならない事だ。

 とはいえこれを常に意識しなければならないのは、フィアだけであろう。向こうがちょっとでも本気を出せば、継実もモモも一瞬で叩き潰される。遊びは遊びでも、オタリアアシカの仲間を弄ぶシャチのような、一方的な暴虐になってしまうだろう。

 殺さないように、無意味に傷付けないように……それを意識させられるのと、しないで全力で挑めるのとでは、戦いやすさがまるで違う。二つ目の『フィアだけに課せられた条件』よりも、こちらの方がフィアにとっては面倒な縛りだろう。

 ……三つのうち二つは、フィアの力を削ぐハンデだ。しかしこれだけ条件を積まれても、フィアは全く余裕を崩さない。

 それだけ自分の力に自信があるのだ。潜り抜けた修羅場が違うとでも言いたげな態度が、決してただの不遜や傲慢でない事は昨日の戦いが実証している。普通に戦えば、これだけハンデを付けてもらっても、なおフィアが継実達を圧倒するだろう。

 そう、普通に戦えば。


「(モモ、作戦はちゃんと覚えてるよね?)」


 継実は能力を用い、震動する空気の『幅』を制御。ひそひそ声をモモの耳に直接飛ばし、念のための確認をする。

 他のモノには決して聞こえない、秘密の会話。モモも同様に体毛を一本だけ伸ばし、継実の耳の中へと侵入させてくる。そこで毛を震わせて、ダイレクトに自身の声を継実に伝えた。


「(当然! 私がどーんってやれば良いんでしょ?)」


 返答はあまりにも漠然としていて、本当に分かっているのか不安になってきたが。

 とはいえ可愛く賢い愛玩動物パピヨンであるモモは、存外記憶力が良い。感情が昂ぶって語彙が喪失しただけだろう。それに、やる事は確かに『モモがどーんっ』となのだから、何も間違っていない。仮に訂正したところで「え? 何が違うの?」と訊き返され、変に混乱するだけだと思われる。


「(……それだけ分かっていれば十分)」


「(えっへん)」


「んー? あなた達何かひそひそ話していませんか?」


 内緒の会話をしていると、フィアがそれをずばりと見抜く。決して外には聞こえない筈の会話だったのに、どうして勘付かれたのか。驚いた継実は思わず身動ぎ。


「え。あ、な、なんでそれを……」


「勘です」


 無意識に問えば、フィアは臆面もなくそう答えた。

 能力でも推理でもない、直感。

 もしも本当にそうだとしたら……継実にとってはそれが。理屈も何もない理不尽というのが、一番手に負えないのだから。

 能力は暴いたつもりだ。策も練ったし、ハンデももらった。それでもなお、未だフィアは――――その身に宿した力の底を見せてくれない。

 全く以て、恐ろしい。

 だけどこの恐怖は、きっと、草原の外には有り触れているもの。『優しい環境』でのびのびと暮らしていた自分達は知らずとも、外で生きる数多の生命達にとっては常識の出来事。

 故に外へ出ようとしている自分達は、この恐怖を乗り越えねばならないのだ。


「やるよ、モモ!」


「任せとけぇ!」


 独学で身に着けた構えで、フィアと向き合う二人。


「来なさい! 五秒で黙らせてあげましょう!」


 どしん、どしんと足踏みし、仁王立ちしたフィアも継実達と向き合う。

 臨戦態勢を取った両者。花中は継実とフィアの間に立ち、きょろきょろと交互に見遣る。それから小さく息を吸い、ゆっくりと吐いて……片手を上げる。

 一瞬花中は、継実達の方を見た。パチリとウインク一つ。

 頑張れ、と言われた気がした継実は笑みを浮かべる。そんな継実の笑みを目にした花中は、取り繕うように表情を引き締めた。それからゆっくりと片手を上げ……


「それでは……試合、開始っ!」


 刀のように鋭く手を下ろしながら、か弱い声で試合の始まりを告げる。

 瞬間、破壊的なエネルギーを宿した爆音が、草原中を駆け抜けた。

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