旅人来たれり07

「生き延びた人間が、集まってる……?」


 思わず継実が繰り返してしまった言葉に、花中はこくりと無言で頷いた。


「六年ほど前、わたし達の住んでいた場所に、一人の男性が、やってきました。元自衛隊員と、語っていた彼は、各国の軍と連絡を取り、南極や北極など、極地への脱出を、考えていると、教えてくれたのです」


「六年って随分昔の話ねぇ。なんでその時は行かなかったの?」


「当時はまだ、生き延びた人が、百人以上いて、集落を作って、一緒に、暮らしていました。彼等の大半は、高齢者や子供達で、その人達に、大陸間を渡る旅は困難だと、判断したからです。それに食糧の調達は、わたしとフィアちゃんがやっていましたから、わたし達が出ていけば、あの人達は飢え死か、他の動物に食べられてしまうと思い、動けませんでした」


「で、今は生き残りが少なくなって、散り散りにもなったから、集合ついでに気になっていた南極に行こうって話になった……いや、そうなった時のために予めしていたって訳ね」


「……不甲斐ない話、ですけどね」


 モモからの問いに答えると、花中は僅かに俯く。本当に、ほんの僅かだが……顔に悔しさが浮かんでいるようだと継実は思った。

 付き合いが短い継実には、花中の心境を想像するのは難しい。けれども継実が花中の立場だったなら……六年掛けて、結局二人しか生き残れなかった事を悔やむと思った。

 花中が話したように、日本から南極への旅となれば、体力の少ない高齢者や子供は道中でバタバタと死んだだろう。花中達は平気でも、普通の人間の体力では日本列島横断すら厳しい筈なのだから。しかしもしも生き延びて南極に辿り着けたなら、もしかしたらそこは安住の地で、寒さと食糧さえどうにか出来れば老人や子供でも長く生きられる環境だったかも知れない。

 人々の安全を考えて、そして恐らく相談もして、花中は決断しただろう。合理的に考えれば危険で願望染みた可能性に縋るより、安全でより確実な方を選択する方が正しい。しかし力で脅すなりなんなりして強行した方が、結果的に多くの人達を生き長らえさせる事が出来たのではないか……

 たらればを語っても意味がない事は、継実に言われずとも『年上』である花中も分かっている筈。しかしそれでも過去の『もしも』を考えてしまうのが人間というものなのだ。


「私的には花中さんと一緒なら人間が生きていようが死んでいようがどーでも良いのですけどね。離れ離れのあの二人が死んでても構いませんし」


 ちなみに、フィアにそういう感傷は全くないらしい。しかも恐らく何年も一緒に暮らしていた筈の人間が死んでいても、興味すらないという薄情ぶり。人間好きとはいえ犬であるモモすら、表情を引き攣らせる始末。あまりにも無慈悲な言葉に、しんみりしていた空気が一瞬で霧散してしまった。

 花中もムスッと唇を尖らせたが、フィアが空気を変えてくれたのは間違いない。小さなため息を吐けば、少なからず沈んでいた花中の表情は元に戻る。モモもフィアの『人となり』を理解したのか、これといった反発もしないで話を戻す。


「まぁ、行かなかった理由、これから行く理由については分かったわ。そーいう事なら納得ね」


「でも、大丈夫なのですか? その、離れ離れになった人達って能力を持たない普通の人間なのですよね? 力もなしに、南極まで行けるのでしょうか……」


「というかそもそも南極って安全なの? ペンギンとかアザラシとかクジラとか、危険な生き物はいくらでもいると思うのだけど」


 花中からの説明に納得したのも短い間。すぐに新しい疑問がモモとミドリの中に生じる。二人の疑問は尤もなものだ。新天地というのは聞こえが良いが、南極といえば七年前の地球では過酷な環境の一つ。寒さは命に関わるほど厳しく、生きるための食糧を満足に得られるかも怪しいだろう。

 わざわざ過酷な地帯に移住するからには、相応のメリットがある筈。しかし継実が考える限り、そうしたメリットはとんと浮かばず、デメリットばかりが思い付く。一体何が花中達を南極に惹き付けるのか。まさか『希望』なんて曖昧なものに縋っているとしたら……

 そうした疑念を感じ取ったのか、花中はモモ達の疑問に答えるように話し始めた。


「……そもそも、どうして人間、いえ、普通の生き物が、この地球から一掃されたのかと、思いますか?」


「え? そりゃあ、生存競争の所為じゃない? 弱肉強食で、弱い奴はみんな食べられちゃったり殺されたりしたんでしょ」


「そうですね私もそう思います」


「いえ、弱いというだけでは七年で惑星上から従来生物を一掃するのは難しいでしょう。例えば継実さんやモモさんは、強力な力と引き換えにたくさんの食事を必要とします。効率は圧倒的に上でも、最低限必要なエネルギーに大きな差がありますから上位互換とは言い難い。それなら代謝の低い生き方をすれば共存は可能です。弱いなら弱いなりの生き方をすれば、強い生き物とも同じ環境で生きていける。これは地球外生態系でも普遍的に見られます」


 花中から提示された問いに、モモはそう答え、ミドリが否定的かつ科学的な見解を述べる。ちなみに花中から『理由』を聞いているであろうフィアも何故かモモと同じ意見だった。如何にも知的な風貌の割に、どうやらモモ以上に難しい話が苦手らしい。あとミドリは ― 恐らくまたうっかりと ― 自分が地球外生態系に詳しい事をカミングアウトしている。

 なんとも締まらない点については無視しつつ、ミドリの指摘について継実はその通りだと思う。自然界は弱肉強食というが、それは人間的価値観に基づいた見方だ。省エネルギーを突き詰めた結果ろくに歩けないほど弱々しいナマケモノは、ワニすら仕留めるジャガーと同じ森で生きていける。過酷な自然界において、『強さ』だけが生きていくのに必要なものではない。時には強さを捨て、最低限の能力だけに絞る事も有効なのだ。

 勿論全ての生き物でそれが出来るとは限らない。例えばクマやワニのような肉食動物は、ミュータントと化した動物が増えれば狩りの時に返り討ちに遭って滅びそうである。しかしナメクジやトビムシのような小さな腐食性生物、コケやツユクサのような独立栄養かつ繁殖力旺盛な植物であれば、ミュータントとの共存も可能ではないだろうか? 何故そうした生物まで全てミュータントに置き換わってしまったのか。

 花中はその答えを知っていた。


「ミュータント化したのは、多細胞生物だけでは、ありません。細菌類やウイルスも、同様です」


「細菌やウイルス? それがみゅーたんとになったからって何が変わるのよ。いくらみゅーたんとが出鱈目に強くても、細菌の小ささじゃ虫一匹殺せないと思うんだけど」


「戦闘能力では、無理でしょう。でも、細菌の恐ろしさは、強さでは、ありません……感染症です」


 首を傾げるモモに、花中は説明する。

 細菌のミュータントは、確かに直接的な戦闘で人を殺す事は出来ない。いくらミュータントの力が凄まじくとも、体重差数十兆倍の相手となれば流石に押し負ける。継実で例えれば、富士山よりも巨大な生命体に襲われるようなものなのだから。

 しかし細菌達は、真っ向から富士山に立ち向かう事はしない。というよりそんな事をする必要などない。

 傷口や呼吸、食事などを通じ、体内に侵入すれば良いのだ。

 通常の細菌やウイルスなら、口から入っても強酸を含んだ胃液で呆気なくやられてしまうし、どうにか体内に入り込んでも免疫系の猛攻撃を受けて退治されてしまう。しかしミュータントと化した細菌達ならば、たかがタンパク質を分解する程度の酸など水浴びと変わらないし、白血球などそれこそ『同じ体格の相手』だ。何百万と集まったところで、ミュータント化した細菌達はこれを易々と蹴散らすだろう。

 身体の防衛機能を難なく突破した細菌は、生物体を餌にして大増殖。あっという間に宿主は内側から食い尽くされ……『病死』する。

 ミュータントなら、対策はいくらでもある。継実なら食べ物を粒子操作の能力を応用して分解しているが、ミュータント化した細菌相手にもこの滅菌は通じるだろう。しかし普通の生物には打てる手などなく、どうにもならない。

 ミュータント化した細菌はその能力を生かして次々と繁殖し、大気中を漂って次々と地球上の生物に感染していく。無論先程ミドリが語っていたように、ニッチの違いから大気にはまだミュータント化していない細菌もいくらかいる筈だ。だが、そんな事は最早関係ない。普通の生物なら、一匹でもミュータント化した細菌やウイルスを吸い込めばお終いなのだから。

 世界を文字通り覆い尽くした、ミュータントによる疫病。それこそが、世界から従来生物を駆逐した本当の原因なのだ。


「ほー。そういう理由で何年か前にバタバタ人が死んだのですねー」


「……うん。フィアちゃんには、その時説明した筈なんだけどね」


「忘れました。人間がなんで死んだかなんて興味ないですし」


 ちなみにフィアはやはり花中から説明を聞いていたが、すっかり忘れていたらしい。何処までも興味がない事柄には関心がない性質タチのようだ。

 再び緩んだ空気を締めるように、花中は咳払いを一つ。表情も引き締め、『本題』を語る。


「七年前の話になりますが、南極は、非常に空気が澄んでいて、細菌やウイルスが、殆どいない土地でした。ですから、能力を持たない人間が、生き残れる場所が、あるとすれば、南極か北極だけです」


「北極が選ばれなかった理由は、何かあるのでしょうか?」


「そこまでは……ただ、北極には陸地が、ありません。建物などを、建設する上で、地面がある方が好都合だったのかも、知れません」


 ミドリがぶつける『南極じゃないといけない理由』への答えは、ハッキリ言ってしまえばただの憶測。しかしそれは、この期に及んでは大したものではない。

 南極に人が集まる理由が存在する。それだけで、旅をするには十分なのだ。


「成程ねー。ん? そういや病気が蔓延した結果みゅーたんと以外の生き物がみんな死んだのなら、なんで二人も生き残った普通の人間がいる訳?」


「ちょっと友達に、免疫の代わりを、してくれる方々が、いまして」


「ほへー、凄いですねー」


「そういえば南極に着いたらまたアイツらと共同生活ですか。花中さん花中さんやっぱり南極行くの止めません?」


 わいわいと賑やかに話し始めるモモ達。手にしていたミミズ肉をまた食べ始めながら、南極話に花を咲かせていく。

 モモとミドリは花中の話から、旅をする理由については納得したのだろう。実際それ以上何を問う事があるのか。花中は南極に人を集めようとしているのではなく、南極に集まっている可能性がある人間に会おうとしているだけなのだから。

 旅を続ける花中達の理由を聞いた、此処に住み続けるつもりのモモ達。事情を知ったところで「そうなんだ」となるだけだ。

 継実ただ一人を除いて。


「……継実さん?」


 黙っていると、ミドリが声を掛けてきた。突然の事に一瞬戸惑いつつ、継実はミドリの方へ顔を向ける。

 継実はにこりと微笑みながら、小首を傾げた。


「ん? どしたの」


「いえ、先程から喋っていないようなので……体調でも悪くしましたか?」


「大した理由なんてないよ。ただ話すタイミングが掴めなかっただけ。私はモモと違って、考えながら話を聞いてるから」


「ちょっと、さらりと私の悪口言わないでよ。話したい事があるならきっちり言いなさい」


「言いたくてもそっちが先に言っちゃうっつってんじゃん」


 話を聞きつけてきたモモに、継実は煽るような言葉を返す。当然モモは「何をー」と言っていたが、顔はニコニコ笑っていて、反省も怒ってもいない様子。飛びつき、じゃれついてきた。

 お話ばかりしているのに飽きて、遊びたくなったのだろう。ガブガブと手を甘噛みしてきたモモをひっくり返し、お腹をわしゃわしゃと撫でる……それだけでモモはとろとろに蕩けた笑みを浮かべた。実に犬っぽい。

 花中とミドリがくすりと笑う中、継実も笑う。笑いながら、ふと思い出す。

 七年前まで毎日見られた、たくさんの人々が行き交う町の姿を――――

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