新たな世界14

 全身に蓄えたエネルギーを次々と熱に変え、どんどん身体を加熱していく。

 熱は運動量に変換し、身体を構築する粒子の活性化に使用。暴れ回る粒子により生じた『余熱』は、表面積が大きい髪、そして攻撃に使える腕から放熱する。ちょっとばかり余剰熱量が多過ぎて髪と腕が青色発光一万度程度に達しているが、大した問題ではない。

 そうして全身の運動量を増幅させると何が起きるのか? 粒子同士の運動一致による加速、周辺大気の抵抗喪失による速度上昇、空気抵抗に奪われていたエネルギーの攻撃転化、神経伝達物質の高速化による反応性アップ……等々複雑なプロセスを省略し、ごく単純に結論を述べるならば――――身体能力が格段に上昇する。

 黒い靄が黒い光を纏ったのが本気であるならば、これこそが継実の本気の姿。

 これが継実の『戦闘形態』だ!


【イギィイロオオオオオッ!?】


 継実にカウンターを決められた黒い靄は、弾丸のように吹っ飛ぶ! 空中でぐるんと宙返りをし、体勢を整えようとしているが――――継実はそれを許さない。

 吹き飛ぶ黒い靄よりも速く駆け、至近距離まで接近。跳び付くようにして黒い靄の腹部を両足の太股で挟む。

 人間の男ならば一瞬心奪われるような攻撃も、黒い靄はすぐに意図を察したのだろう。両手で継実の足を掴み、引き千切ろうとする。無論これは予想通り。そんな隙など与えない。

 ぐるんと空で縦回転。

 空を飛べる継実の動きにより、足で挟まれた黒い靄の身体もまた宙に浮かんだ……次の瞬間、黒い靄は頭から大地に叩き付けられる! 黒い靄は呻きなど上げないが、されど継実の太股から手を離す。継実も足を離して一旦体勢を整えるが、黒い靄はまだ大地に頭を打ったまま。継実の方が数段早い。

 この隙に、もう一度さっきの攻撃を喰らわせるか。

 継実の思惑は、流石にそこまでは通じなかった。黒い靄が全身から放つ、黒い光がその勢いを増したのである。ただの光ならばレーザーでもない限り継実の脅威にはならない筈だが、黒い光には何かしら特殊な力でもあるのか。ような、奇妙な感覚により継実は黒い靄から引き離された。

 後退していく継実に対し、ダメージなどないとばかりに立ち上がった黒い靄は追い討ちを掛ける。両腕を広げ、バラバラのタイミングと軌道で振り下ろす。規則性のない攻撃は極めて野性的で、故に直感では読み難い。

 尤も、見えているならば避ける事は容易いもの。

 継実は接触する直前、僅かに下がる。不定形の存在である黒い靄は腕を自在に伸ばせるが、突然の動きには対処出来なかったのだろう。振り下ろした腕は、継実の鼻先を掠めるだけ。

 がら空きになった脇腹に、継実は渾身の蹴りを放った!

 命中時に感じる手応え。この黒い靄には内臓なんてないのか、そうしたものを潰した感触は得られなかったが……間違いなく大きなダメージは与えただろう。

 でなければ、蹴りを受けた黒い靄がぷるぷると痙攣するように震える筈がない。


【イ……イギイギギィイギィロロイギィイイイイロロロロロオオオオオオ!】


 雄叫びを上げ、ぶんぶんと腕を振り回す。顔のない頭など見ずとも、コイツが焦り、必死なのはありありと伝わった。継実が避けても攻撃の手は弛めず、むしろどんどん力とスピードを上げていく。

 そうした仕草の一つ一つが、継実に核心を与える。

 コイツは、苦戦を経験した事がない。


「(そりゃまぁ、七年前の地球だったら、コイツの侵攻なんて止められなかっただろうし、それも仕方ないかもだけど)」


 宇宙に暮らす生物、或いは文明というものの『平均的な戦闘能力』がどの程度なのか。地球外の事など知る由もない継実にはさっぱり分からないが……仮に七年前の地球が平均的なものだとすれば、黒い靄は宇宙の至る所で無敵を誇った筈だ。あらゆる物質が触れた瞬間消える以上、戦車砲も地中貫通弾も、そして核兵器も通じない。唯一通じる可能性があるのは生物による肉弾戦だが、漫画の戦闘民族染みた身体能力の持ち主に、秒速三百四十メートルすら目で追えない生き物がどう立ち向かえと言うのか。

 『世界観』に合わないほど圧倒的な能力と肉体。さながら人類文明全盛期に流行した主人公最強系小説が如く、最早カタルシスすら感じぬほどの一方的な暴虐をこの黒い靄はあらゆる星で繰り広げた事だろう。

 だが、そうした奴には弱点がある。

 苦戦した事がない点だ。つまり自分より強い相手と出会った時にどうすべきか? 自分の知らない能力相手にどう振る舞うべきか? ……このような危機に対する経験がちっとも育まれていない。無論その手の物語でこんな心配やいちゃもんは無粋というものだが、現実ではそうもいかない。無限に広がる大宇宙の中、自分より強い奴がいないと

 その思い上がりに気付かぬまま、奴は降り立ってしまった。最早文明など足下にも及ばなくなった、野生の楽園地球に。

 そして継実は、自分より強い奴との戦い方を熟知している。


「(狼狽えず、冷静に)」


 顔面に迫った拳を、継実は首の動きだけで回避。

 例え一撃で首の骨をへし折られるような攻撃でも、当たらなければ意味がない。動きが読めるのならば読み、躱せるなら躱し、無理なら防御。どんなに追い込まれても、慌てなければチャンスは掴める。


「(強い奴ほど、もしもを考えない)」


 継実の反撃を恐れないかの如く、黒い靄が繰り出すのは絶え間ない連続攻撃。何度も殴られたのに、構わず継実に殴り掛かる。

 どんな攻撃を受けても、ビクともしない無敵の肉体の持ち主だ。そんな身体で何度も戦い、全てを無傷でやり過ごしたなら……そいつの性根はもう、歪みきっている。ちょっと痛い目を見たところで根幹は変わらない。

 故に現状を打開しようと浅はかにも特大の攻撃を仕掛け、その自信故に攻撃後の大きな隙を気にも留めない。いや、習慣がない故に、気に留めるという事が出来ない。


「(今だ!)」


 継実が予想した通り、黒い靄が繰り出したのは薙ぎ払うような尾の一撃。横一閃の攻撃は、当たれば継実に大きなダメージを与えただろう。が、身体を回転させるというあからさまな前振りがあり、何より動作が長い。

 身体能力を上げた継実ならば見切るのは容易。やってきた尻尾を縄跳びのように飛んで避ければ、見えるのは黒い靄のがら空きの背中だ。

 飛んだ継実は前転するように空中で回り、黒い靄の後頭部に踵落としを炸裂させる!


【ロギィ……!?】


 倒すどころか反撃を喰らい、黒い靄は狼狽えたような声を漏らす。その身体はますます激しく震え、そして纏う闘志に焦りが滲む。

 こうもハッキリと表に感情が出ていれば、苦し紛れの蹴りが飛んでくる事も想定可能だ。飛んできた前蹴りは空中で身を翻して回避し、飛行能力を活かして継実は地面へと素早く着地。そして一本立ちになった足を払えば、がくんと黒い靄は体勢を崩す。

 流石にそのまますっころぶほど鈍臭くはなく、素早く片手を突いて体勢を立て直そうとする黒い靄。しかし継実がそれを許さない。ぶらぶらと無防備に揺れている尾を抱きかかえ、渾身の力で引き寄せた!


「ふんっ!」


【ギロッ!?】


 そして軽々と持ち上げた黒い靄を、さながら砲丸投げの如く放り捨てる! 黒い靄は頭から地面に墜落し、バク転しながら立ち上がった……直後を狙って、追い駆けていた継実は顔面にパンチを一発。大きく仰け反った黒い靄はそのまま後ろに倒れ、またしても大地を転がる。何回転かして起き上がった時、黒い靄はぶるぶると震えていた。

 継実が打撃を与える度、黒い靄の身体の震えはどんどん激しくなっていく。

 震えの意味はよく分からないが、黒い靄の焦りが強くなっていく辺り、向こうにとっては良くない兆候なのだろう。或いは単純に怒りの表れか。どちらにせよ先程までと形勢が逆転し、今や継実が追い込む側だ。

 しかしながら継実は内心、少なからず焦りを覚えていた。

 『時間切れ』が迫っているからである。


「(残り時間は、あと三十秒かな)」


 自分の身体を冷静に分析し、タイムリミットを算出。具体的な、そして近々に迫った『ピンチ』にため息を漏らしたくなる。

 継実が繰り出したこの『戦闘形態』。何故最初から繰り出さなかったのかといえば、一番の理由は燃費が悪いから。この状態は、大量のエネルギーを消費し続けるのだ。更に身体への負荷が大きく、あまり続けると身体に回復不能な障害を残しかねない。

 平時と戦闘形態の関係は、例えるなら燃料の灯油とガソリンのようなもの。灯油はゆっくりと燃えるため燃費が良く、また爆発的な燃焼も起こさないので安全性が高い。対してガソリンは爆発的燃焼により、短時間で大きなエネルギーを引き出せるが……反面扱いが難しい。ちょっとした不備により大事故が起こるかも知れない危険物だ。そして一気に燃えてしまうので、どうしても燃費が悪くなる。

 継実の『通常形態』はさながら灯油。身体への負荷なんて考えなくて良いし、お腹の空きも緩やか。大きな力は出せないが、ネズミやイモムシを仕留めるには十分。日常生活で使用するならこちらの方が圧倒的に便利なのだ。

 しかし強敵と戦うならば『戦闘形態』を取るしかない。エネルギーが尽きようとも、身体が壊れるリスクが生じようとも、ありのままの姿では生き残れないのだから。

 そうしたリスクを許容範囲に収められるのが、あと三十秒という事だ。


「(押してはいるけど、決め手がない。なんやかんや、パワーは未だに向こうが上手だし)」


 継実が今こうして黒い靄を押せているのは、あくまでも戦闘経験の差だ。当初予測した勝率三割は、単純なパワーの差から導き出したもの。絶望的ではないが、打ち倒すにはちょっとばかり高い壁である。

 ならば『奥の手』を繰り出すしかない。こんな事もあろうかと、という訳ではないが、強敵対策として編み出した大技だ。その技を使えば、黒い靄にも致命傷を与えられる目算が高い。

 無論、これまでその技を使っていないのには相応の理由がある。


「(問題は、暢気に計算している暇がない事か)」


 技の発動には莫大な量の演算と、精密な計算結果を必要とするのだ。

 演算量が多いというのは、それだけで時間を取られてしまうもの。人類が作り上げたスーパーコンピュータ以上の計算能力を以てしても、最短三秒は必要だ。いくら身体能力を上げたとはいえ、三秒間も棒立ちしていれば呆気なく継実は殺されるだろう。ミリ秒単位の硬直すら継実達には『長い』のだから。

 では演算に割く力を落とし、戦いながらゆっくりと計算するのは? 出来なくはない。が、継実としてはやりたくない。何しろこの技、計算を少しでも間違えれば……最悪自分が爆発して吹っ飛ぶ。片手間に暗算してうっかり、なんて事になれば間抜けにも程がある。

 それに、少しばかり黒い靄を追い詰め過ぎてしまった。

 いくら弱い者虐めしかしてこなかったお調子者とはいえ、そろそろ『身の程』を弁えてきた頃だろう。こうなると厄介だ。こちらが怪しい動きを見せれば、必ず警戒心を強める。もしも繰り出すのすら大変なこの大技を躱されたら、それだけで形勢は継実の不利となる。

 どのようにすれば怪しまれず、そして確実に計算が出来るのか……その妙案が浮かばない。時間が経つほど、身体のリミットが迫るほど焦り、歯を食い縛ってしまう。

 されど悔しがっても、苛立っても結果など出やしない。故に継実は頭を働かせる。繰り出される拳をはね除け、回し蹴りを顔面に放ち、腕にもらった一撃など構わず、鳩尾に頭突きを喰らわせて、

 仰け反った黒い靄に、大振りの拳を放ってしまった。


「――――あっ」


 しまった。そんな気持ちが溢れるかのように、継実は声を漏らす。

 考え過ぎた。

 言い訳をするならそんなところ。無論怒りか焦りで震える黒い靄が、継実の弁明を聞いてくれる筈もなし。

 時間にして数ミリ秒。七年前の生物にとっては瞬きの数十分の一もの刹那だが、今や背筋が凍り付くほどの『溜め』。

 黒い靄は、これまでにない速さで自らの尾を繰り出した。

 不味い、と思うような時間はなかった。咄嗟に腕を構えたり、身を捩る事すら出来ない。黒い靄が全力で溜め込み、解放した力は、継実の反応速度を優に超えている。

 躱せない。脳裏に過ぎった言葉は現実と化す。

 伸ばされた黒い尾は、継実の胸を容易く貫いた。


「がっ! あ、が……!?」


 走る激痛で呻き、反射的に尾を掴む継実だが……今更な行動だ。黒い靄の尾は既に継実の背中をも貫き、何十センチも伸びている。

 貫いた場所も致命的。心臓をやられていた。突き刺さった尾が蓋の役割を果たしているため、穴からの出血はあまり多くないが、最早ポンプとしての機能は失われている。むしろ鼓動する度に穴から血が噴き、事態を悪化させていく。


「こ、んな……この……て……」


 藻掻き、暴れるほどに、継実の顔は青くなる。全身からは力が抜け、必死に尾を掴んでいた手も離してだらんと垂れ下がる。

 数秒もすれば、継実はもう、動かなくなった。


【……イ、イギィロオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!】


 それは歓喜か、安堵か、怒りか。地球生命には窺い知れない不気味な咆哮を、黒い靄は上げた。

 奴は勝利したのだ。この星で最初に刃向かってきた生き物に。

 黒い靄がこれまでどのような旅路をしてきたか、他の星も襲っていたのか。それを知る術はない。されど恐らくは初めての苦戦であり、故に初めての『勝利』。全身を包み込む喜びが抑えられないのだろうか。

 長々と咆哮を上げた黒い靄は、やがて疲れたように肩を落とす。そのまま倒れなかったのは、周囲の生物達もまた油断ならない強さだと察しての事か。

 苛烈な戦いを通じ、黒い靄は成長した。自分が最強無敵でない事を知ったが故に、戦士としてより高みへと至ったのである。

 これから黒い靄は何をするのか、何処へ向かうのか。それを知るのは黒い靄のみ。いずれにせよ、恐るべき敵は倒した。戦いの締めだとばかりに黒い靄は素早く尾を引き、慣性でその場に残り続ける継実の胸から抜く。支えを失った継実の身体が重力に引かれて落ちる中、黒い靄は背を向けた。


「残念、まだ終わってない」


 直後、継実の口が呆れ果てた声を紡ぐ。

 地面に辿り着いた継実は崩れ落ちなかった。二本の足でがっちりと地面を踏み締め、屈めた腰は堅牢。胸からはどぽどぽと血が吹き出しているにも拘わらず、顔には笑みまで浮かべている。

 黒い靄は固まった。これでも死ななかった継実に驚くかのように。

 継実からすれば、やはりコイツは経験不足だと思った。これまでどんな生き物や兵器と戦ってきたか知らないが、胸に穴が開いたぐらいで死ぬような『軟弱者』ばかりだったのだろう。ましてや、これでもかというほど隙を見せ、致死級の攻撃を誘い――――死んだふりをしている三秒間に演算を済ませた奴なんて、きっとこれが初めて。

 つまるところ、奴自身は成長したつもりのようだが……まだまだ詰めが甘い。


【イ、イギィロロロロロオォ!?】


 黒い靄はあからさまに狼狽えた声を上げながら、今度こそ止めを刺すためか大慌てで継実に飛び掛かる。そう、奴は成長した。成長したが故に、自分の行いが取り返しの付かないほどの大失態だと気付いたのだ。

 されど此度はもう手遅れ。継実は三秒の間に全ての準備を終えた。

 全身で生成したエネルギーを拳に集約。莫大な運動量により拳が四方八方へ飛び散りそうになるのを無理矢理押さえ付けていたが、もうその必要もない。運動ベクトルに方向性を持たせれば、継実の拳はまるで何かに引っ張られるように、継実自身の意思と無関係に飛んでいく。

 そして超高密のエネルギーにより、継実の拳は亜光速まで加速していた。

 光の速度に近付く事で空間の歪みの中心となった彼女の拳は、外からは『ビーム』となって突撃しているかのように伸びる。腕が消え、長く伸びる閃光は剣を彷彿とさせるだろう。そう、この時継実は闘士ではなく、剣士と化す。

 名付けるならば亜光速粒子ブレード。

 誰にでも分かるように言うならば、光の鉄拳だ!


【――――!】


 何かを言おうとする黒い靄だが、生憎光に近付いた速さには追い付けず。

 閃光と化した継実の拳は、腕すら構えられなかった黒い靄の胸部を貫くのだった。

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