新たな世界13

 第二形態、と呼ぶのは漫画っぽいかな?

 現実逃避をするように理性がそんな暢気な考えを抱く中、本能は悲鳴染みた警告を上げていた。これは本気で不味い、と。

 黒い靄が、全身から黒い光を放ち始めた。

 黒い光というのは、なんとも矛盾した物言いだとは継実も思う。光の反射がないからこそ、黒という色は生まれるのだ。しかし黒い靄が纏うものはそうとしか表現出来ない。放射状に広がるそれは、じわじわと空間そのものを浸食しているようにも見える。

 これがどのような原理で発せられたものか、継実には分からない。分からないが、一つだけ確かな事があった。

 奴が本気になったという事だ。


「――――っ!?」


 ぞくりと、背筋を駆け抜ける悪寒。継実は反射的に両腕を構え、防御を固める。

 刹那、黒い靄が継実の眼前にまで迫っていた。

 あっ、と驚く暇もない。黒い靄はぶくぶくと腕を膨れ上がらせながら、継実目掛け殴り掛かる! 事前に構えていた両腕のガードを真上から、あたかも防御など気にしていないとばかりに叩く。

 本能的にとんでもないものが来ると予感し、咄嗟とはいえ最大限の守りを固めていた継実。が、黒い靄の一撃は継実の両腕を軽々と突き飛ばす! 構えていた継実の腕はあまりの衝撃を受け止めきれず、まるで万歳のように広がってしまう。

 しまった、と思った時には手遅れ。

 黒い靄は、これまでとは比にならない速さで蹴りを繰り出した! ろくに防御が取れなかった継実は、その一撃を腹に受けてしまう。身体は大地から離れ、さながら流星が如く勢いで飛ばされた。草原の大地に激しく打ち付けられ、何度も身体が跳ねる。

 三度目のバウンドの後ぐるんと空中で身を翻し、体勢を立て直す……ものの、足腰がガタガタと震えて上手く立てない。全身がバラバラになりそうな衝撃をどうにか耐えたが、ダメージそのものは小さくなかったのだ。食い縛る口からはだらだらと鮮血が滴り、内臓が激しく痛みを訴えていた。

 無論これほどの攻撃を躊躇なく繰り出してきた相手が、継実の苦悶の顔を見て手加減してくれる筈もない。


【イギロォオオオ!】


「っ!? ぐっ……」


 黒い靄は瞬く間に再接近。継実は肉体再生を中断し、動き出す。組み付けば相手の素早さは活かせず、少しは形勢がマシになる筈……

 最早願望染みた作戦だったが、黒い靄は願望すら許さない。超音速で跳び付こうとした継実を、黒い靄は軽やかに回避。むしろ跳んでいる継実の側面に回り込むや、その背中に強烈な拳を叩き込んだ!


「あぎっ、がっ!?」


 地面に叩き付けられたのも束の間、黒い靄はすかさず継実に蹴りを入れる。

 脇腹の骨が砕かれた感覚、更に内臓に突き刺さるような痛み。地獄のような苦痛と共に継実の身体は再び空を跳ぶ。

 常人ならば ― そもそも身体が余熱だけで蒸発して吹っ飛ぶという点を抜きにすれば ― 痛みで思考そのものが停止するだろう重体。されど超生命体に支配された世界において、内臓破裂など有り触れた怪我だ。継実とてこの程度の怪我は既に慣れっこ。粒子操作能力を応用して過剰な発痛物質は分解しつつ、身体の再構築を試みるといった『回復方法』は会得済みである。時間さえあれば問題なくこの怪我は回復出来るだろう。

 しかしその時間を与えてはもらえない。

 黒い靄は凄まじい速さで跳躍。空中で藻掻く継実に追撃を仕掛けてきた!

 容赦のない追い討ち。しかし継実にとってはチャンスでもある。向こうは空を飛べないのだ。上手く身を翻して躱せば、それ以上の追撃は不可能。僅かだが時間を稼げる。

 そう考えた継実は意識を体組織の再生ではなく、迫り来る黒い靄に集中させた。精度の高い攻撃は、躱す余裕があるならむしろ軌道が読みやすい。ギリギリを見極めて回避。黒い靄は素早く腕を伸ばしてきたが、その速さと距離も計算に織り込み済みだ。奴の指先が首の皮一枚を掠める、その僅かな距離感を見極めた

 筈なのに、何故か継実は首を掴まれてしまう。


「ぅ――――ッ!」


 嘘、と思わず言葉に出しそうになる継実だが、それはごくりと飲み込んだ。言葉でいくら否定しても現実は変わらない。過酷な環境下に適応した継実の頭脳は、即座に自分の身に起きた事象を解析する。

 どうやら黒い靄は、僅かに腕をらしい。攻撃前と比べて、十センチ以上腕の長さが増していた。

 思えば地球降下時は球体であり、人型のような姿と化したのは地上に立ってから。黒い靄は不定形の存在なのだから、腕を伸ばすぐらい造作もない。戦闘時にこうして物理的に伸びてくる事など、簡単に想像出来た筈なのに!

 自分の失態には気付いた。しかし自己嫌悪は後回し。それよりも重大な問題が起きている。

 黒い靄は継実の首をがっちりと掴んでいた。しかも黒い靄の、爪もない指が強く皮膚に食い込んでいる。そしてひりひりとした痛みが走り、少しずつ食い込み方が強くなっているのが分かった。

 どうやら『触れただけで消滅させる力』は、本当は生物にも有効らしい。あくまでじっくり触れねばならないというだけで。

 このままでは皮膚を破られ、動脈やら何やらも消滅させられて、頭と胴体がお別れになってしまう。それは流石に不味いと、継実は粒子テレポートの応用で逃げようとした。

 が、黒い靄にとってこれは二度目の手口。

 対策などお見通しとばかりに、黒い靄は継実を大地へと投げ飛ばす! 自由を手にした継実だが、身体に加わる運動量が大き過ぎて、持ち前の飛行能力で減速しきれない!


「がふっ!?」


 地面に顔から叩き付けられ、呻く。全身が痛み、上手く身体が動かせない。されど継実はすぐに両手両足に力を込め、カエルのように飛び跳ねる。

 一ミリ秒と経たずに、自分が居た場所に黒い靄が突撃してきた。継実を投げ飛ばした後着地し、猛スピードで駆け付けるという方法で。

 跳ねた事で継実はこれを回避、したものの黒い靄のスピードから生み出された暴風が全身を打つ。最早ハリケーンなど及びも付かない爆風は、継実に殴られるような衝撃を与え、何十メートルとその身を吹き飛ばした。迫り来る地面に対し咄嗟に四肢を突き出して着地、を試みたものの、身体に力が入らない。

 止まりきる事が出来ないまま、再びバランスを崩した継実は大地を転がる。手を伸ばして草を掴み、百メートル以上飛ばされるのは防いだが……最早立ち上がる力は残っていなかった。血でベタつく口を強引に開き、荒れた息で酸素を取り込みながら継実は思う。

 こりゃ勝てない、と。


「(まぁ、本気を出せばこれぐらい強いよねぇ……)」


 最初から予期していた通り、元々負け濃厚の試合だ。向こうが本気になれば、このぐらい一方的に押されるのも当然だろう。モモと二人で挑めば、動体視力と反応速度に優れるモモが敵の気を惹き、パワーとスタミナで勝る自分が動きを止める……といった戦術も使えたのだが、今更ないものねだりや後悔をしても始まらない。

 未だ黒い光を纏っている靄は、ゆっくりとした歩みで継実に躙り寄る。こちらに止めを刺すつもりで、しかしなんらかの反撃を警戒しているのだろう。これだけの強さを持ち、一方的に相手を追い詰めてもなお油断しない……戦いからしてそうだと感じていたが、やはり文明人ではなく、野生動物のような存在らしい。尤も、敵が文明人でも野生動物でも、それがなんだという話であるが。


「(そろそろ止めか)」


 ぼんやりと思えば、黒い靄はまるでその考えに応えるかのように駆け出した!

 猛烈な速さ。確実に継実を上回るスピードに、最早逃げ出す気力すら出せない。頑張って立ち上がったところで、両腕を振り回す暇もなく奴は蹴りなり拳なりを繰り出すだろう。それを真っ正面から受け止めるのは、流石にそろそろ厳しい。

 純然たる死が迫る中、継実は思った。

 やっぱり、、と。


【ッ!?】


 もう数メートルで継実に接触出来る。そこまで近付いた黒い靄が、跳ねるように後退していく。

 継実と十メートル以上離れた靄は、四つん這いの体勢を取る。相変わらず顔から表情や感情は窺い知れないが、纏う雰囲気はこれまで以上に激しく、警戒心を強めていた。そんな威圧的な空気を発しながら溢れ出す黒い光を背負う姿は、かつての人類ならば悪魔的恐怖を感じ、恐れ慄いたに違いない。

 されど人類の生き残りである継実は恐れない。人間の心を逸脱したから? 確かにそうした点がないとは継実自身思わなくもないが……ちょっと違う。

 理由はもっとシンプル。

 悪魔すら恐れる必要がないぐらい、継実もまた強くなったのだ。


「……ふぅー。やっぱり、これを使う事になったか」


 ぽそりと、継実は独りごちながら立ち上がる。

 自慢の黒髪が、青く色付いていた。髪の周りの空気はゆらゆらと揺らめき、パチパチと音を鳴らす。

 両腕は肘の少し上から指先に掛けて青い光を纏い、さながら長い手袋イブニング・グローブのよう。ただしお洒落なアイテムではない。この青い手袋は指先がナイフのように鋭く尖り、火花のような閃光を迸らせているのだから。

 そして瞳。黒い瞳は虹色に輝き、液体のように色合いを変化させていた。白目はじわじわと赤く染まり、普段とは比にならない血流が集まっている。

 継実の身に起きた変化は三つ。されど黒い靄は察知しただろう。継実の身体能力に起きた事は、この三つの変化よりも更に劇的であると。


「やっぱり、なるだけでも消耗が大きいのは問題点だなぁ……それに時間制限もあるし」


 ぐるぐると肩を回し、背中を伸ばし、首を鳴らし……繰り返す動作は準備運動のそれ。事実継実にとっては、ここまでの全てが準備運動だ。

 計算から導き出した勝率も、を想定して得たもの。

 黒い靄はどしりと構え、継実と向き合う。迂闊に跳び出さないのは、継実の新たな姿を警戒しての事か。その警戒心は実に正しい。がむしゃらに突っ込んでくるような奴なら、継実の勝率は九割を超えていただろう。

 逆に言えば適度に慎重であるが故の強敵。


「それじゃあ、第二ラウンドにいこうか」


 継実もまた我流の、相撲取り染みた前傾姿勢の構えを取り、黒い靄と向き合う。

 張り詰めていく空気。ぶつかり合う闘志は、本当に空気を弾けさせていく。刻々と高まる緊張感――――


「あ。その前に一つ訂正しておかないとなぁ」


 その空気をぶち壊すように、継実は唐突に惚けた声で独りごちる。

 黒い靄は継実の言葉など、恐らく理解していない。しかし張り詰めた空気の中、唐突に発せられた『空気の振動』を攻撃開始の合図と受け取ったのか。黒い靄は溜め込んでいた力を解放するような、驚異的な加速で駆け出した!

 瞬時に肉薄し、強烈なパワーを溜め込んだ腕を振るう黒い靄。目の前にやってきた脅威に向けて、継実は暢気に告げる。


「勝率は三割じゃないや。今、計算し直したら――――六割だった」


 超速の戦闘で発せられた早口。そもそも音の速さでは遅過ぎる戦い故に、黒い靄に継実の声など届くまい。

 だから黒い靄は継実から逃げる事も、守りを固める事もなく、一片の容赦もなくその拳を振り下ろし。

 その一撃を掠めるようにして避けた継実は、自らの拳で黒い靄の顔面を打ち抜くのだった。

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