新たな世界12

 黒い靄が腕を振るう。

 継実よりも長いそれは、まるで鞭のようにしなっていた。直径は継実の腕よりも太いぐらいなのだが、鋭い速さを見るに、直撃を受けた場合のダメージは『打撃』ではなく『切断』になりそうだと継実は感じる。

 試しに周辺大気を集めて防壁を作るが、黒い靄の腕は素通りするかのように触れた防壁を消滅させてしまう。とはいえ継実にとってこの結果は想定内。大きくしゃがみ込んでこれを躱す。

 が、黒い靄は更に先を読んでいた。

 しゃがみ込んだ継実の顔面に、思いっきり蹴りを放ってきたのだ! 腕による一撃を躱すために取った体勢は、迫り来る足技への対処を妨げる。


「がっ……! くっ!」


 無防備な顔面を蹴られ、継実は何十メートルと空に打ち上げられた。七年前までの身体なら即死、いや、物理的衝撃から変換された熱により蒸発していたであろう威力。

 しかし今の継実にとっては、相手と距離を取るのに使える『形勢逆転』の一手に過ぎない。

 粒子操作の力を応用し、継実は高度三十メートル地点でふわりと舞う。黒い靄は継実を見上げるように顔を向けたが、空を飛んではこない。飛べないのか、少し準備が必要なのか。いずれにせよ三次元機動のアドバンテージを活かすならば今が好機。

 継実はその指先に、能力を集中。煌々と光り始めた指先に黒い靄が何を思うかは分からないが、必殺技の準備中にあれこれ考えるほど継実も間抜けではない。


「これは、どう!?」


 集めた光の濁流……粒子ビームを黒い靄目掛け撃ち出した!

 無数の大気分子を掻き集め、集結させた運動エネルギーを解き放つ事で物体を破壊する一撃。七年前に放ったものさえも、あたかもどこぞのアニメ映画に出てきた生物兵器よろしく町を薙ぎ払い、世界を七日で焼き尽くしただろう。それもたった一人で。

 今の継実が放つものは、当時の比ではない。より高密で、より加速した粒子の集まり。核兵器であろうとも及びも付かない一撃は、あらゆる原子を粉砕する。最早この攻撃に耐えられる物質などありはしない。

 そう、ありはしないのだ。理屈上は。

 しかし理屈を炉端の石ころよりも簡単に乗り越えるのが『現代』の生命。継実もそんな生命の一員であり、そして黒い靄は継実よりも強い。ならばどうしてこんな攻撃にやられるというのか。

 攻撃を繰り出した継実自身期待なんてしておらず、なんらかの方法で防がれると踏んでいた。故に黒い靄が回避運動すら取らず、粒子ビームを胴体で真っ正面から受け止める事、それでいてなんのダメージもない事は想定済みである。

 継実にとっての想定外は、撃ち出した粒子が命中した傍から事だ。


「くっ……!」


 通じない攻撃を続けてもエネルギーの無駄。意識を切り替えて、今度は小さな粒子ビームを無数に放つ。

 散弾のように降り注ぐビームは、黒い靄の手足や尾っぽのみならず大地にも直撃。植物達には通じずとも、加熱された土壌と大気が過熱・溶解して爆散する。全方位から生じた衝撃波が黒い靄を飲み込んだ

 が、黒い靄は怯みもせず、衝撃波を突き抜けて跳躍! 空中を漂う継実に肉薄してきた!


「ぐぎ……! こ、の……!」


 黒い靄の方がずっと速く、継実は突撃を躱せず。組み付かれた継実は、力を受け止めきれずに空中でぐるぐると回ってしまう。

 この遠心力で気持ち悪くなってくれれば継実にとって儲けものだが、黒い靄は気にした素振りすらもない。三半規管など持ち合わせていないと言わんばかりに、回転する中でも正確に継実に殴り掛かる。組み付かれた状態で満足な回避など出来る訳もなく、何度も何度も、継実は頭を殴られた。継実も右手で黒い靄の腕を掴んで引き離そうとしたが、爪なんてない筈の指は継実の皮膚に深々と突き刺さり、食い込んでくる。更には尻尾が巻き付き、左腕の動きまでも封じてくる始末。

 力で押さえ込まれてしまい、抵抗どころか身動きも儘ならない。だが、それでも継実にはまだ手がある。

 空を飛ぶこちらへの接近方法、そして身体に加わった力の感覚から考えるに、恐らく黒い靄に飛行能力はない。力でいくら上回ろうとも、空中機動で主導権を握るのは継実側だ。

 無論パワーで上回る相手を振り解くのは至難の業。されど主導権があるならやりようはいくらでもあるものである。

 例えば、地面目掛けて全速力で落ちるとか。


「はああぁぁっ!」


 最大速力で地面へと向かう継実。言うまでもなく、下側に位置するのは黒い靄の方。

 継実の思惑を察したであろう黒い靄は、しかし不様に暴れる事もなくその靄のような身を強張らせるのみ。空を飛べない以上抗っても無駄と判断したのか。

 遠慮なく継実は飛び続け、黒い靄を大地に叩き付けた! 足蹴の一撃だけでも流星に値するパワーだったが、全身を使った突撃はその比ではない。

 もしも此処が七年前の、人類文明が絶頂期を迎えていた頃ならば、この一撃で有史に残る大量絶滅が引き起こされていただろう。正しく破滅の打撃……しかし今や時代遅れの破滅だ。地面の草花は一本たりとも千切れず、継実自身この打撃の余波を受けているがピンピンし、滅びるどころか怪我もない。直撃を受けた黒い靄も、ほんの僅かに怯んだだけ。

 だがこれで十分。


「は、なせぇっ!」


 僅かに掴む力が緩んだのを逃さず察知し、継実は身体を折り畳むようにしながら足を上げ、思いっきり相手の頭を蹴り付ける! 顔面(と思しき部分)を踏み付けられるのは流石に堪えたのか。黒い靄の腕を掴む力が更に緩んだ。

 この好機を逃さず、継実は蹴り付けた反動を利用して跳躍。未だ尻尾は巻き付いていたが、この一本だけならなんとかなる。粒子テレポートの原理を応用し、巻き付かれている腕を粒子レベルで事ですり抜けた。黒い靄も捕まえきれないと判断したのか、尻尾をバネのようにして跳ねながら後退。

 その隙を突いて、継実は一発のビームを黒い靄の顔に撃ち込む。

 出力そのものは大したものではないが、速度を重視した一撃だ。なんらかの能力で無効化を試みる相手に対し、その無効化が効力を発揮する前に通り抜ける……そのような対策として編み出した技。

 が、黒い靄はこれに驚いた様子も恐れる素振りもなく、まるで何も迫っていないかのように平然としたまま。

 そうした態度が虚勢であれば笑えたが、当たった傍から消えていくビームを見れば、撃ち込んだ継実の方が表情を強張らせる事となった。


「……ふん。中々やるじゃない」


 あからさまな強がりを言ってみる継実だが、黒い靄は無反応。確かに日本語以前に人語が伝わるかも怪しい相手だが、こうも無反応だと却って調子が狂う。


「(分かりきった反応に狼狽えない……本能だけじゃなくて冷静さでも負けたら、人間じゃ動物に勝ち目なんてないって思い出せ……)」


 継実は静かに息を吸い、全身の熱と共にゆっくりと吐く。幾分筋肉の火照りが取れれば頭も一緒に冷えていき、闘志で燃えたぎっていた知性に落ち着きが戻った。

 無論相手は継実にのんびりと考える時間など与えてくれない。完全に体勢を立て直すや再び継実の下へと突進。継実はこれを迎え撃たず、後ろに下がって守りに徹する。少しでも思考に集中するために。


「(強さについては予想通り。押され方も、まぁ、大体こんなものか)」


 殴り付ける強さ。追い駆けてくる速さ。反応速度に防御力……どれも事前に予測計算した通り。全力は引き出せていないとしても、手加減はされていないだろう。発せられる純粋な敵意からしても、それは間違いあるまい。

 気になるのは奴の『体質』だ。


「(粒子ビームが当てた傍から消えている。周りの大気や、私が着ていた服と同じように)」


 初めて出会った時から見せていた、周辺大気分子の喪失。黒い靄の周りで起きていた奇怪な事象は、今も絶え間なく続いている。継実が着ていた毛皮の服も、殴られたり蹴られたりした傍から消えていき、今や継実は殆ど全裸という有り様だ。

 エネルギー保存則をガン無視したトンデモ現象。どのような意図、或いは目的で常時発動しているかは分からないが……その性質は理解する。

 『触れたものを消滅させる』。

 これが黒い靄の能力だと、継実は解釈した。なんらかの能力の副産物という可能性もあるが、とりあえずはそうであるという前提にしておく。


「(そして粒子ビームを顔面に喰らわせても、怯みもしない)」


 顔面目掛け振るわれた黒い靄の拳を、右腕を振るって払い除ける継実。思考中であるが、無意識に身体が動いていた。

 怯まない、というのは、単純にダメージがないという事だけを意味しない。人間なら顔面になんらかの攻撃が迫ってきた時、普通は守りを固めるなり回避を試みるなりするだろう。例えその威力が自分を傷付けるほどではないとしても、だ。

 特に顔面、正確に言えば情報処理の中枢である脳が存在する頭は、生物にとって最も重要な器官である。どんなに貧弱な攻撃だろうが、万一に備えて『過剰』な反応を示すのが普通。一応この黒い靄が普通の生物と違って、頭らしき部分に大切なものが詰まっていない可能性もあるが……散弾のように無数のビームを放った時にも、これといった反応は見せなかった。頭以外の何処かに重要な器官があったとしても、無反応を貫いた事を意味する。

 つまり。


「(アイツは自分の能力に絶対的な自信を持っている)」


 これは非常に厄介だ。

 黒い靄が余程のアホでもない限り、その自信は決して過信や驕りではない。普通の方法では、奴には決して届かないという事である。

 無論無敵の能力などあり得ない。なんらかの弱点はあるものだ。しかしながら能力の出力が大きければ『低出力』の弱点なんて力押しで潰せるだろうし、その弱点が継実に突ける代物とは限らない。そもそも触れたものを消滅させる能力の弱点なんて、継実にはまだ何も思い付いていなかった。

 とはいえ対策がない訳でもない。

 考え事をしている継実に対し、黒い靄はぐるんと一回転。臀部に着いている立派な尾っぽを振るった。その尾の通り道にある大気分子は全て触れた傍から消滅していき、尾にもご自慢の能力があると物語る。

 継実はこの尾を

 がっしりと捕らえた尾。目も口もない黒い靄には窺い知れるような表情など存在しないが、僅かに「しまった」と言いたげな雰囲気を持つ。継実はすかさず身体を回し、尾を背負うように肩へと乗せた。


「どっ、せいっ!」


 そして渾身の力で一本背負い! 黒い靄は大地に叩き付けられる!

 黒い靄の下は草で出来た天然絨毯とはいえ、音の何倍ものスピードで叩き付ければ柔らかさなど無意味。衝撃で舞った土が黒い靄に掛かり、次々と消えていく。反面下敷きになった草花達は、ざわざわと蠢くだけ。千切れた葉の一部が黒い靄に降り掛かり、真っ黒な身体に緑のデコレーションを加えた。尤もデコレーションはじわじわと消滅し、最後には消えてしまうが。

 大体にして継実は、このデコレーションを楽しむつもりなど毛頭ない。


「この! このこのこのこのォッ!」


 倒れた黒い靄に対し、その頭目掛けて『蹴り』……踏み付けを行う!

 黒い靄はこれを避けようと頭を左右に振るが、しかし首の可動範囲などたかが知れている。何度も放った足蹴は、それなりの頻度で命中。確かな手応えを継実は感じた。

 ――――このままその真っ黒な頭、踏み潰してやる!

 普通の人間には残忍過ぎて真似出来ない思考と行動も、七年間野生の世界に身を置いた継実には造作もない。渾身の力を込めた一撃を喰らわせようと、高々と足を上げた


【イギビィヨオオオオオロロロロロロロロロロロロロロロロロ!】


 瞬間、黒い靄が吼えた。

 初めて聞かされた声に、継実の頭は一瞬その意図を解析しようとしてしまう。すぐに本能が理性を押さえ付け、構わずコイツの頭をぶっ潰せと足に命じたが、一手遅い。

 黒い靄は素早く大地目掛け、両腕で殴り付ける! 巨大地震を引き起こした打撃は、されど目的は大地を揺らす事ではなく、反動で押し倒された自身を起こす事。

 上に乗っていた継実も、その黒い靄が起きた事でバランスを崩す。慌てて後退し、反撃とばかりに繰り出された真っ黒な腕は回避出来たが……折角取ったマウントを解かれてしまった。

 しかし、継実はにたりと笑う。


「(やっぱり、生身なら触れても問題はないし、ダメージも与えられる)」


 黒い靄の『弱点』を確信したがために。

 どうやら黒い靄の能力は、生物体には通じないらしい。継実が触れてもなんでもなかった事と、地面の草が無事な事がその証拠だ。

 ……生物体を形成している原子なんて、それこそ九割以上大気分子と同じものの筈なのだが、何故平気なのだろうか? 魂や精神なんてものがあるなら生物体と無機物の区分けになるかも知れないが、そんなものがこの世に存在しない事は継実の粒子テレポートが実証している。それに生物体にしても、千切れた草が時間差で消えたので、死体は物扱いらしい。

 まさか生体電流程度のもので無効化されるような、ちゃちな能力でもあるまい。全く理屈が分からず、果たしてこの『弱点』を素直に突くべきか迷う。何かの罠や、仕掛けを施されているのではないか……

 疑心暗鬼に駆られる継実だが、されどその悩みが杞憂である事はすぐに理解出来た。

 黒い靄から、が放たれ始めた事で――――

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