新たな世界05

 散々泣いた事で顔を真っ赤にした少女が、草原の上でぽつんと正座している。

 恥ずかしがっているのか俯き気味な顔。それがまたなんとも愛らしくて、また抱き付きたくなる。が、継実はそれを我慢した。なんだかやってしまうと、先の行動を繰り返してしまうような気がしたので。

 別段繰り返してしまう事が恥ずかしいとか、時間の無駄とか、そんな考えは一切ないのだが……


「落ち着いたなら、とりあえず此処を離れましょ。なんか色々こっちに近付いてきてるから」


 モモが言うように、『危険』が迫っているとなれば話は別だ。

 自然界は厳しい。もしも泣き叫ぶ生き物がいたなら、捕食者はそれを見逃さない。泣くという事は、大きな怪我をしているかも知れないし、或いは仲間が死んで精神的に弱っているかも知れない……喰う側から見れば、捕まえやすい獲物という訳だ。人間的観点から見ればなんとも悪逆非道な考えだが、獲れる獲物は逃さず獲るのが『適応的』というもの。大体傷付いた仲間の下へ集まるという性質を利用し、心優しいステラーカイギュウを欲望のまま根絶やしにした人間があーだこーだと言える立場ではないだろう。

 崇高な文明人ならそんな人間の業を受け入れて食べられるのも一興かも知れないが、生憎継実はそこまで殊勝でもない。捕食者に食べられるのは勘弁だ。


「うん、そうしよう。あなた、立てる?」


「……」


 継実が尋ねると、少女はこくこくと頷きながら立ち上がった。その際少し蹌踉めいたが、怪我をしているという風でもない。巨大ゴミムシに追われていた時の疲れが、まだ残っているのかも知れない。

 なら、走って逃げるというのは止めておくべきかと継実は思う。あまり無理をさせたくないというのもあるが、疲れきった状態にさせるのが嫌だった。巨大ゴミムシから逃げ果せた継実がまずは体力回復を優先したように、疲れた姿というのはそれだけで敵の襲撃を誘発する。余計な襲撃を防ぐためにも、無理はさせられない。


「とりあえず、あっちから行こう。あそこが一番動物の密度が低いと思う」


「私も同じ意見ね。悠長にしている暇もないし、行きましょ」


「……!」


 継実はモモと意見を確認し合い、少女も話を理解したと言いたいのか何度も頷く。反対者が誰もいなかったので、三人は西へと向けて歩き出す。

 歩く中で、少女はきょろきょろと辺りを見回していた。散々泣いて、少し気持ちが落ち着いて『現実』が見えるようになったのか。また巨大ゴミムシのような生き物に襲われないか、警戒している様子だ。モモや継実達の話を聞いて、また襲われるかも知れないと不安になったのかも知れない。

 怖い気持ちは継実にも分かる。だからここは一つ、安心出来る事も教えてあげようと継実は思った。


「大丈夫。一旦安全な場所に行くから」


「……ぁ、ん……?」


 小首を傾げる少女。訝しむような瞳は、この世界の何処にそんな場所があるのかと言いたげだ。

 そんな少女に継実は胸を張りながら、堂々と答える。


「私達の家だよ」


 初めての『客人』を家に招く事が出来た喜びで、隠しきれない笑みを浮かべながら――――

 ……………

 ………

 …

 草原の中で、一際大きな木が生えている。

 高さ五十メートル超えのクスノキだ。クスノキはかなり大きくなる樹木であるが、ここまで巨大なものは、少なくとも七年前にはあり得なかっただろう。しかし超生命体が跋扈する今の地球において、この程度の高さの樹木はさして珍しくもない。動物のみならず樹木達も、超生命体と化しているのだから。

 巨大な幹からは無数の枝が伸び、冬になっても落ちない濃い色合いの葉が茂る事で地上に大きな影を作っている。所々若葉も芽吹いていて、まだまだ元気な木である事を物語っていた。そして根元には、少々窮屈ながらも、人一人通れる『洞』がある。

 大自然に存在する天然の空洞。これほど安全な寝床は他にない。


「此処が私達の家だよ」


 故に継実とモモは、このクスノキの洞を住処としていた。

 家を紹介された少女は、一瞬目をパチクリ。継実の顔と樹木の洞を交互に見て、それから大きく見開いた目をパチパチと瞬かせる。

 どうやら、信じられない、と言いたいらしい。

 確かに原始人を通り越して、樹上性のサルまで退化したような住処なのは否定しない。が、その反応は継実としても想定外。毎日の狩りで粒子ビームやら落雷数十発分の電撃やら核弾頭級衝撃波やらを飛ばすのが今の世界である。家の素材がコンクリートだろうが超合金なんとかだろうが、巻き添えを喰らえば子豚が作った藁の家と同じぐらい簡単に潰されてしまう。もう人造の『建物』が自分達の身を守ってくれる事はないのだ。しかし超生命体である樹木ならば、超生命体が繰り出す攻撃にも難なく耐えてくれる。というか生物体以外に敵の襲撃を耐えられるものなんてない。

 そんなご時世なのだから、こうした住処になるのは仕方ないではないか。なのにこの家に驚くなんて、この少女は今日に至るまで、辛うじて残っていた文明的な家にでも住んでいたのだろうか?

 それとも、


【あら、今日は随分と大きな獲物を連れてきたんですのね】


 このクスノキが喋る事を、薄々感じ取っていたのだろうか?

 そう思って継実が少女の顔を見れば、少女はますます混乱した様子だった。どうやらクスノキが喋るとは思っていなかったらしい。

 ますます疑問が深まる。これまでの事を色々と尋ねたくなる継実だが、しかし喋れない彼女を問い詰めても仕方ない。抱いた疑問は脳裏の片隅に寄せておく。

 それよりも、妙な茶化し方をしてきた『家』に反論する方が先だろう。


「どこをどう見たら食べ物に見えるの? 私と同じ人間でしょ」


【生憎目はありませんわ。精々水分の反応から輪郭が見えるだけですもの】


「それだけ見えれば十分でしょうが……」


【まぁ、食べ物でも客人でもなんでも構いませんわ。私に傷を付けない限りは、勝手に棲み着けばよろしくてよ】


 クスノキはそれだけ語ると、ぴたりと黙ってしまう。お喋りな癖して自分のペースでしか話さない『家』に、継実は肩を落とした。

 しかし拒否もされていない。そこについては感謝しなくもないので、後でお礼ぐらいは言おうと考える。


「ちょっと五月蝿くて狭いかもだけど、中に入って」


 それに、何時までも客人を外に待たせるのも良くない。継実は少女を案内しつつ、自分が先に洞の中へと入る。

 強度以外は本当にただの洞なので、中には電気などないため暗く、床は半分腐葉土と化した落ち葉が敷いてあるだけ。何より中の広さが、ざっと二メートル四方しかない。二人揃って横になるだけでも結構狭い ― それぐらい密着しないと今は落ち着けないのだが ― というのに、三人ともなると座るだけで窮屈になるだろう。とはいえ木の洞という場所の都合、押し広げる事も出来ないのだが。

 ならばせめて隅の方に座ろうと考え、継実は普段よりも奥に座り込む。そうした継実の気遣いは、後に続いて入ってきたモモが普段より空いてると言わんばかりに広々と座った事で無下になった。

 「ああ、犬ってそういうところあるよね」とでも言ってやろうかと継実は思ったが、それよりも早く少女が洞を覗き込んでくる。一瞬眉を顰めたものの、危険な洞の外には居たくなかったのだろう。やがて洞の間を通ろうと、もぞもぞ突っ込み……胸の大きな出っ張りが引っ掛かって途中で止まった。モモが手伝えば簡単にすぽんっと抜けたが、ちょっと、継実の目が嫉妬の色に染まる。


「お茶とか出せるほど食べ物に余裕もないけど、ゆっくりしてねー」


 継実が正気に戻ったのは、モモが少女を労ってから。

 少女は洞の隅へと寄り、ちょこんと体育座り。お行儀の良さを目の当たりにして、継実は嫉妬してしまった自分がちょっと恥ずかしくなる。

 その恥ずかしさは沈黙が流れると増幅するもので。

 誤魔化すように、継実は話を振ろうとした。


「と、ところで、あなた今まで何処に……」


 したが、途中で詰まってしまう。

 そうだ。この少女は上手く喋れないではないか。

 Yes・Noの問いであれば、首の動きで判別出来る。されど単語による答えが必要なものには、どうやっても答えられない。意思の疎通が取れるようで、どうして中々難しい状態なのだ。

 一応『ウミガメのスープ』という遊びのように、たくさんの質問を投げ掛ける事で真相を浮かび上がらせる手法もある。だがそれは遊びでやるなら兎も角、会話でやろうとすると最早尋問染みた光景だ。本人がそれで良いなら問題ないかもだが、継実的にはちょっとやりたくない。

 そうしてあーだこーだと考えていると、考えていないモモの方が先に話し掛けてしまう。


「ところであなた、なんで喋れないの? 生まれ付き口が利けないのかしら?」


「あ、ぁ……う……」


「んー、なんか上手く呂律が回ってない感じね。今は上手く喋れないだけで、練習したらいけそう?」


「あ……う、う」


「そっかー。まぁ、あまり疲れない程度にね。別に急いでいる訳でもないし」


 人によっては酷く失礼に感じるかも知れない無遠慮な、しかしだからこそ悪意や差別心と無縁なモモの言葉に、少女はこくりと頷きながら、何かを訴えるように声を出す。

 何と言おうとしているかは分からないが、何を言いたいかは継実にもなんとなく理解出来た。恐らく、頑張れば喋れるようになる、だろう。


「(昔はちゃんと話せていた、って事なのかな)」


 少女がどのような経緯で話せなくなったのか。それを知らぬ継実には少女の考えが正しいかどうかも判断出来ないが……何時か喋れそうだというのなら、今此処で色々問い詰める必要はあるまい。野生動物的な生活の中で、唯一余裕のあるものが時間だ。『寿命』という唯一にして最後の締め切りまでに話してくれれば、とりあえずは良いだろう。

 そうすると差し当たって確認したい事は、考えてみれば一つだけしかないと継実は気付く。そしてその意思を確かめる前に、幾つかの質問が必要だと思った。


「……私からも、いくつか質問しても良い?」


「ぁ、は」


 継実が尋ねると、少女はこくりと頷いた。


「じゃあ、一つ目。あなたは、何処か行きたい場所とか、行かなきゃいけない場所がある?」


「……」


 一つ目の問いに、少女は首を横に振る。


「二つ目。探している人とか、待っている人はいる?」


「……………」


 二つ目の問いには、少女はやや間を空けて首を横に振った。表情も少し暗くなる。嫌な事を思い出させてしまったかも知れない。後で謝ろうとは思うが、しかしこれも必要な問い。


「三つ目。私やモモの事が怖い? 正直に教えて」


「……ぁ、うぅ!」


 三つ目の質問に、少女は強く否定した。一瞬怖がられているかもと継実は思ったが、真剣な少女の表情に気付いて考えを改める。始めて会った時は兎も角、今は違うのだろう。

 立て続けにした質問が終わり、少女はこてんと首を傾げる。結局、何が訊きたかったの? そう言われているような気がした継実は、いよいよ本題を切り出す事にした。


「なら、ここで一緒に暮らさない?」


 継実としても、そうなって欲しいという想いと共に。


「え? この子と一緒に暮らすの?」


「うん。だって、折角会えた人間なんだから……行きたい場所があるとか探している人が居るとかなら、迷わせちゃいけないと思って訊かなかったけど、そうじゃないならどうかなって。その方が安全だし」


「成程ね。まぁ、私は家族が増える事は大賛成よ! やっぱり群れは大きくないと!」


 継実の意見を聞いたモモは、とても正直に己の想いを明かす。実のところそれは継実の『本心』でもあって、恥じる事なく言えるモモが少し羨ましくなる。

 無論、そうした気持ちはあくまで継実達の勝手な願いだ。少女が嫌だと言うならば無理強いはしないし、考えたいのならいくらでも考えさせる。喋れない今だと詳細は詰められないだろうが、ある程度期間を決めてという意見も可だ。少女がしたいようにすれば良い。

 だけど、もしも嫌じゃないのなら……

 祈りながら見つめる継実の前で、少女はぴたりと固まっていた。されど決して嫌だった訳ではないのだろう。やがてわたふたし、何かを言おうと口を喘がせ――――自分が喋れないとようやく思い出したように、今になって頷く。

 少女もまた、誰かと一緒に暮らしたかったのだろうか。或いは、一人だとまた肉食動物に襲われて怖いから、誰かと身を寄せ合いたいのか。口が利けない彼女の心は読めないが、そんな事は些末な疑問だ。

 誰かと一緒に暮らしたい。自分と同じ気持ちだと分かった継実は、花咲くように満面の笑みを浮かべる。


「やったー!」


 そしてその事を、同じくモモも喜ぶ。モモは両手を挙げながら少女に近付き、ぎゅっと抱き付いた。抱き付かれた少女は一瞬戸惑った様子を見せるが、もう一人の人物にも受け入れられたと理解したのだろう。にこりと笑う。

 素直に喜ぶモモの姿を見ていたら、継実も我慢が出来なくなった。今度は継実も少女に抱き付き、ぎゅうっと抱き締め合った。しばしお団子状態を堪能した三人は、ぷはっ、という少女の声と共に離れる。苦しめてしまったかと継実は思ったが、少女は心底嬉しそうに笑っていた。


「さぁて、家族になったからには呼び方を決めなきゃねー」


 すっかり元気になった少女を見て、モモがそのような提案をしてくる。

 本名も知らないのに勝手な事を、とも思ったが、少女の表情は特に変わりない。むしろニコニコと、期待するように眩い笑みを浮かべていた。どうやら拒否感はないらしい。

 それに何時までも『あなた』や『アンタ』と呼ぶのも不便だ。それは日常生活という点だけでなく、恐ろしい捕食者に襲われ、咄嗟に個人名を呼ばねばならない時にも当て嵌まる。呼び方を決めていなかったばかりにお別れなんて、悔やんでも悔やみきれない。

 どうせあだ名のようなものだ。本名はちゃんと話が出来るようになってから尋ねれば良いだろう。そう考えた継実は少し思案し、早速自分の考えた呼び名を言葉に出す。


「うーん、それじゃあ……ミドリはどう?」


「ミドリ?」


「うん。髪が緑色だから」


「安直過ぎでしょそれは」


 理由を答えると、モモは眉を顰めながら否定する。

 モモの言うように、少なからず安直だとは継実も思う。しかしこういう名前はむしろシンプルな方が、分かりやすくて良いだろう。


「私なら、アンジェリカって名前を付けるね!」


 モモのような、どうせ由来も何もなく、響きが良いとかの理由で付けた名前に比べれば。


「じゃあどっちが良いか、この子に訊いてみる?」


「勿論! さぁ、どっちが良いかしら? どっちも嫌ならそう言って、いや、言えないから首を横に振ってね。また違うの考えるから」


 継実の挑発に乗り、モモは早速少女に尋ねる。

 少女はちょっと苦笑いしつつ、ゆっくりと指差す。

 指先が向いたのは、継実だった。


「ふっふーん!」


「むぐぅ……」


 選んでもらえた継実は胸を張り、モモは唇を尖らせた。少女はますます楽しげに笑い、不機嫌顔のモモも笑顔に変わる。継実も釣られて笑い出す。

 洞の中に、三人の笑い声が満たされた。


【盛り上がっているところ、少しよろしくて?】


 その笑いに割り込む、常緑樹の声がする。

 継実は不服な眼差しを洞の壁に向けた。向けたところで、植物である『コイツ』はどうせ感じもしないだろうが。

 反応がないという、予想通りの『反応』に継実は肩を落とす。渋々、洞の本体であるクスノキの呼び掛けに応える事とした。


「……何?」


【仕事の依頼です。また『奴等』が取り付いていますから、駆除してください】


「はぁ? 一週間前にもやったんだけど」


【わたくしが嘘を吐いてもメリットなどないでしょう。それにこれが家賃だという約束です。約束を守らないのなら、この洞はあなた方が外出している時に埋めます】


「うぐ」


 反発してみるが、しかし逆に脅されてしまう。『家』そのものが意思を持っているのだから、口ゲンカで勝ち目などある訳ないのだ。

 それにこの『家賃』は継実達にとって悪いものではない。むしろ収入である。お喋りに夢中だったから先延ばしにしたかっただけで、断るという選択肢などなかった。

 無論、これから一緒に暮らすミドリにも手伝ってもらわねばやるまい。働かざる者食うべからず、というやつだ。


「……つー訳だから、お仕事しようか」


「ほーい。さくっと終わらせて、今日はパーティーしましょ」


 継実が語れば、事情を把握しているモモはすっと立ち上がる。対してミドリはキョトンとしていた。

 継実はミドリの傍まで向かうと、真っ直ぐ手を伸ばす。


「さぁ、家族になったからには手伝ってもらうから――――イモムシ狩りを」


 そしてこれから行う『仕事』を、一言に纏めて伝えるのだった。

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