新たな世界06

 うねうねと、葉の上を動く生き物の姿がある。

 体長は約三センチ。ずんぐりとした身体にはとても小さな突起が左右一対で生えていて、突起と突起を結ぶような黄色い線が一筋だけ入っている。緑色の体色は葉によく溶け込み、遠目からでは中々その姿を見付けられないだろう。アゲハチョウの幼虫のような派手な目玉模様、或いはキアゲハの幼虫のような不気味な紋様もないシンプルな姿は、正に典型的なイモムシだ。

 虫に多少詳しければ、一目で彼等がアオスジアゲハの幼虫だと分かるだろう。大きさや外見からして、若い終齢幼虫である事も。彼等はこれからたくさんの葉を食べ、どんどん大きく育っていく。そしてアオスジアゲハの餌はクスノキの葉だ。

 つまりクスノキにとって、アオスジアゲハは葉を食べてしまう外敵。


「恨みはないけど、やっつけさせてもらう」


 クスノキの洞に暮らす継実達にとっても、あまり歓迎出来ない相手という訳だ。

 葉が生い茂る樹冠部。昼間でも薄暗いこの場所にて、継実は一本の太い木の枝に乗っていた。視線の先には継実の指よりも細い枝があり、そこには件のアオスジアゲハの幼虫こと、丸々太ったイモムシの姿がある。

 継実が話し掛けたにも拘わらず、イモムシはこれといった動きを見せない。虫風情が人の言葉を理解する筈もない……なんて常識が通じるのは七年前まで。今や例えイモムシであろうとも、非常に高度な知力を持つ。超生命体とはそういう存在だ。

 継実は幼虫をじっと見つめながら、チャンスを窺う。イモムシの目である六つの単眼が、継実の動きを警戒していたからだ。互いにじっとして動かず、僅か数秒の時間が何時間にも思えるほど意識を集中し――――

 最初に痺れを切らしたのは、イモムシだった。

 お腹にある肉厚な脚 ― 正確には腹脚という、肉質の突起だが ― を枝から離したのである。そのまま枝から離脱する事で継実から逃れようという算段だ。シンプルながら、効果的な方法である。

 これを逃せば、地面に落ちた後イモムシはのろのろと幹を登り、再び葉を食べ始めるだろう。そうはさせないと継実は腕を伸ばしてイモムシの捕獲を試みる。超音速で動ける継実にとって、自由落下の九・八メートル毎秒の加速度などスロースタートも良いところ。余裕で間に合う。

 しかし本番はここから。

 イモムシの身体が淡く光り始めたのだ。決して強い光ではなかったが、葉に光を遮られて暗い樹冠部ではハッキリと確認出来る。無論これはただの発光ではない。

 光子が飛び交っているのだ。

 アオスジアゲハには光子を自在に操る力がある。成虫ならば世界を滅ぼした魔物・ムスペルさえも撃ち抜く、大出力レーザーを放てるほど。未熟な幼虫の力はそこまで強くないが、全身に光子を纏う事で生半可な攻撃……少なくとも人類の核攻撃程度ならば易々と耐え抜くほどの強度を有す。この堅牢な守りに名を付けるならば『光子シールド』か。多くの超生命体にとっても中々手強い防御だ。

 しかし継実にとってはそうでもない。

 何しろ継実の能力は粒子操作。光子も比較的不得手だが操作可能な対象であり、アオスジアゲハにとっては相性最悪の大敵である。

 継実が伸ばした指先は、易々と光子シールドを貫通。そのままイモムシの柔肌に到達した指先から、中性子を少量放つ。強いエネルギーを持つ中性子は直線上にある元素……神経を焼き切った。

 神経系を失ったイモムシから光が失われ、継実はそのイモムシを握るようにキャッチ。


「はむっ」


 そして躊躇なく、捕まえたイモムシを頬張った。よく噛めば、じわじわと肉の味が染み出してくる。胃の中身から漂うクスノキ防虫剤の香りは昔であれば顔を顰めたくなるものだが、今では病み付きなスパイス。成虫になるため蓄えたアミノ酸の甘味が、更なる食欲をそそった。

 こうしてアオスジアゲハの幼虫を退治する食べる事が、継実達が住処であるクスノキから依頼された『仕事』兼家賃である。

 クスノキからすれば天敵がいなくなって万々歳。継実達にとっても、イモムシはこの過酷な世界で得られる大切な食糧源の一つだ。超生命体化の影響で生物の総数は増え、食うに困らないほど獲物はいる。が、いずれも強大無比な力を持った存在で、捕まえるのは一苦労。小動物相手でも油断をすれば、指の一本どころか片腕ぐらい普通に持っていかれるだろう。能力の相性が良い獲物ならば、こうした危険を最小限に抑えられるので安心だ。

 それに昆虫の幼虫は栄養満点である。必須アミノ酸やタンパク質を多く含み、ビタミンやミネラルなども豊富。世界的に見れば昆虫食はポピュラーなもので、近代化以前の日本でも魚が獲れない地域ではザザムシなどの昆虫が主要なタンパク源だった。先進国で昆虫食が失われたのは、所詮は「見た目が良くない」や「もっと美味しいものがある」という『文明的』な理由に過ぎない。選ぶ余裕がない自然界では、昆虫というのは最優先に採集すべき食材なのだ。

 あくまでも、継実にとってはだが。


「(モモは、相変わらず木の根元でネズミ探しか)」


 クスノキの樹上にて働く継実と違い、モモは地上で駆け回っていた。彼女の大好物にして、相性の良い獲物であるネズミを仕留めるために。

 別段、手伝えとは思っていない。モモの電撃は光子シールドを纏うアオスジアゲハとの相性が悪く、殆ど通じないからだ。体重差があるので最終的にはパワーで押せるとしても、そこそこの苦戦を強いられるだろう。その苦戦の中で電撃をあちこちに飛ばし、他の虫を怒らせても困る。この木にはアオスジアゲハ以外にもたくさんの虫がいて、ほんの一部だが継実達の手に負えないほど相性が悪い種もいるのだから。

 クスノキも個別に『家賃』を取ろうとは考えておらず、継実がアオスジアゲハを取ってくれるのならそれで良いというスタンス。継実としてもそれで損がないので、モモは地面のネズミでも仕留めていれば良い。多めに獲れたなら余りの肉を貰えるので、むしろありがたい話だ。

 それよりも問題なのは、『新参者』の方だろう。


「あひゃあぁっ!? びゃあぁあ!?」


 可愛らしいと言うべきか、間抜けと言うべきか。そんな悲鳴が樹冠に響く。

 ちらりと見れば、そこには木の枝にしがみつくミドリの姿があった……そう、しがみついている。前に進む事はおろか、後ろにも下がれない。どうやら木登りすらろくに出来ない有り様らしい。

 そんな大ピンチな状況下で、目の前に小指の先程しかないクモが現れたなら。


「……あへ」


 騒ぐどころか、ミドリは真っ白に燃え尽きた。クモとしてもあまりにも情けない反応に困惑したのか、或いはなんらかの罠だと勘繰ったのか。襲い掛かる事もなく、じりじりと後退していく。

 それでもしばし我を取り戻す事もなく、やがてハッと目を見開くや、自分の置かれている状況を思い出したミドリはまた騒ぐ。その騒ぎに興味を持った虫がやってくるとまた失神し、怪しんだ虫が退いていく……まるでコントのようなやり取りが、先程から延々と続いていた。

 ミドリも人間ならば、恐らく自分と同じ能力の筈だと継実は考えている。それならアオスジアゲハ狩りは難しくないだろうし、この地で一緒に暮らすなら此処での生き方も教えないと……そう思っての行動だったが、どうにもこのミドリという少女、狩り以前の問題だ。

 自分より遥かに小さな虫にビビる、木にすらろくに登れない、脅威を前にして失神する――――狩りを始めて僅か五分。次々と問題が露わになっていた。

 なんというか、一言でいうなら情けない。

 ……


「(こんなんで、なんで今まで生き残れたんだろう……?)」


 今の世界はとても厳しい。一瞬の油断が文字通り命取りとなるほどに。継実だってモモと一緒に暮らしていなければ、とっくのとうに土壌養分の仲間入りを果たしていただろう。

 失礼ながら、この情けない女の子が三日も生きていけるとは思えない。生まれたての赤ん坊ならそれも仕方ないが、多少年下っぽいとはいえ、恐らく十五~六であろうミドリは何故今日まで生きていられたのか。何処か安全な場所に七年間引き籠もっていた? それとも大人に守られていた?

 疑問は他にもある。


「ひぃあぁぁぁっ!?」


 またしてもミドリが悲鳴を上げた。

 今度の彼女の傍に現れたのは ― 正確には横に並ぶように生えている枝を通ろうとしただけだが ― 、此度の獲物であるアオスジアゲハの幼虫だ。あまりにも情けないミドリの姿に、どうやらコイツは無視して良いと判断したのだろう。

 アオスジアゲハは草食性で、こちらから手を出さない限りは無害である。イモムシとは大概そのようなものであるが、しかしミドリはまるで涎を垂らした獅子が迫ってきたかの如く顔を青ざめさせた。或いはようやく事態に慣れて、失神一歩手前の状態で踏み止まれたのか。

 ともあれ気を失わなかったミドリは、迫り来る脅威に対抗しようとしたのだろう。


「ひ。ぃ……やああぁぁぁぁぁ!」


 悲鳴混じりの叫び声。

 まるでそれに呼応するかのように、が三つ現れた。

 虹色の物体はまるでスライムのようにぐにぐにと形を変え、シャボン玉のようにふわふわと空中を漂う。自ら光り輝いている訳でもないのに、何故か暗闇の中でハッキリと見え、存在感をあらわにしていた。

 そんな虹色の物体達は、アオスジアゲハの幼虫目掛け飛翔する。

 飛翔時は大きく形を変え、針のような姿になっていた。速度も凄まじく、殆ど無警戒だったアオスジアゲハの幼虫は咄嗟に光子シールドを展開。シールドと直撃するや虹色の物体は強烈な閃光と熱を放ち、相手を焼き尽くそうとした。

 あれがミドリの攻撃手段らしい。

 あらゆる粒子の動きを捉える継実の目を以てしてもそこに化学反応などは確認出来ないため、どうやら純粋な光と熱による攻撃らしい。虹色の物体時点で粒子の動きが見えなかったので、その時から既に光と熱の集まりだった筈だが、果たしてどんな集め方をすればあんな得体の知れない姿となるのか継実には皆目見当も付かない。

 何より放たれるエネルギー量が凄まじい。あらゆる元素を崩壊させる熱量だ。開放すれば大都市さえも一瞬で焼き尽くす出力であり、それを圧縮させているのだから尚更である。凄まじい力だ。

 そう、凄まじい。

 ……七年前までなら、という接続詞が頭に付くのだが。


「……ぁ」


 ぽそりと、ミドリが独りごちた。

 何故なら晴れた閃光の中から、無傷のアオスジアゲハが現れたのだから。確かに七年前なら凄まじい攻撃だったが、都市を吹き飛ばす程度の威力では、余程相性が良くない限り超生命体には通じない。ましてやアオスジアゲハ達が纏う光子シールドは、光や熱に滅法強かった。

 アオスジアゲハは全くのノーダメージ。しかし、だから許してあげようというほど彼等は優しくない。何もしてないのに攻撃を仕掛けたのだから、敵だと認識されるのは至極当然の成り行きである。

 アオスジアゲハの幼虫は、にゅっと頭と身体の間から黄色い角を出す。これは臭角と呼ばれるもので、アゲハチョウの仲間の幼虫は大なり小なり皆持っているものだ。役割は強烈な臭い、そして不気味な色合いで外敵を驚かせて追い払う事である。

 ただし、こちらも七年前までの話。

 今の役目は少し異なる。確かに悪臭を出すし、派手な色合いには驚かせる効果もあるが、そこにもう一つの力が加わった。

 光子を集結させる器官という役目だ。

 そして集めた光子を、数メートルの範囲に渡って展開しながら撃ち出す! その様はあたかも光り輝く扇が開かれるよう。無論扇なんて華やかなものではなく、接触した物質を素粒子である光子で浸食しながら破断する、えげつない技だが。継実はこの技をフォトンブレードとひっそり呼んでいる。

 ミドリはその攻撃を呆けたように見つめるのみ。或いは光の速度で迫る故に、反応が追い付いていないのか。

 攻撃を予期した継実が光子に干渉し、直撃前に霧散させておかなければ、今頃ミドリの身体は横に真っ二つであろう。


「……あ、あひぃ!?」


 上半身と下半身のお別れを避けたミドリは、わたわたと枝を這うようにして逃げる。普通の人間として見れば間違いなく高速の動きなのだが、超生命体として見れば果てしなく鈍臭い。

 継実としてはじれったくなるほどの時間を掛けて、ミドリは継実のすぐ傍までやってくる。ぎゅっと抱き付いてくるミドリの身体は震えていたので、継実は優しく抱き締めてやった。


「あー……怖かったかな」


「……ん」


「ちょっと無理させたか。ごめんね」


「……んーん」


 継実が宥めた事で、精神的に落ち着いたのか。ミドリの身体の震えはすっかり治まる。尤も、それですぐには離れず、ミドリは継実の胸元に顔を埋めてきた。

 しばしイモムシ取りは中断。ミドリの気が済むまで、存分に甘えさせた。必死に抱き付き、すりすりと顔を胸元に擦り寄せてくる姿は無性に愛らしい。計算でやっている訳でないのなら、とんだ天然小悪魔である。

 ともあれそうして落ち着かせていると、やがてミドリの方から離れた。顔色を見るに恥ずかしがっている様子はなく、本当に落ち着けたから止めたのだろう。


「ぁ、あぅ。が、と……ぅ」


 そして拙い口で、感謝を述べた。

 無邪気な笑みを浮かべながら、舌っ足らずな言葉で語られたお礼は、ますます継実の胸を愛しさで締め付ける――――が、同時に小さな違和感も抱かせた。

 喋れるようになるのが早過ぎないか?

 ミドリがどのような経緯で言葉を失ったのか知らないので断言は出来ないが、出会ったばかりの時の喋り方は、お世辞にも言葉とは言えないものだった。それが僅か一時間ほどで、辛うじてだが聞き取れる言葉になっている。

 元々喋れて、出会った時は久しぶり過ぎて喋れなかったのか? それなら逆に、今ここまで拙いのは遅過ぎる気がする。ミドリには何か、自分達の知らない『秘密』があると継実は感じていた。

 尤も、ではそれを問い詰めるなんて気は更々ないが。家族だから、仲間だから秘密があってはいけないなんて、そんなのはただの強迫観念だ。継実にだって ― モモが地面に埋めておいた骨を夜中にこっそり摘まみ食いしたとかの ― 秘密はあるし、モモにも多分あるだろう。ミドリに秘密があったとしてもなんの問題もない。精々もう少しだけ話し方が上達したら軽く訊いてみて、話してくれるなら聞くだけだ。

 ……それはそれとして。


「ところで、イモムシは捕まえられた?」


 継実はさらりと、ミドリに尋ねる。

 ミドリの無邪気な笑顔がビキリと引き攣る。目が泳ぎ、継実から逃げるように逸らされた。

 答えは分かりきっていた。きゃーきゃー悲鳴を上げるばかりで、しかも繰り出すのは相性が悪い攻撃。一体どうやってイモムシを仕留められるというのか。

 しかしながら推定体重差二万分の一の相手に負けるというのは、ちょっと、いや、かなり情けない。これではもしも一人きりになった時、捕食者に襲われなくても、食べ物を得られなくて死んでしまうではないか? というか本当にどうやってこの七年間を生きてきたのか。


「(こうやって同情を誘い、誰かに養ってもらうって戦略だったら、いっそマシだなぁ)」


 妹を通り越して我が子を持った気持ちになった継実は、身体は乾いた笑みを浮かべ、心の中では花咲くように笑った。

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