新たな世界02

 七年。

 当時十歳だった継実からすればあまりに長い、だけど人間の一生からすれば『それなり』でしかなく、数十億年にもなる生物の歴史からすれば瞬きほどの年月……その僅かな時間の間に、世界は大きく変性した。

 まず、人類文明は完全に崩壊した。

 ムスペル事変の時ですら再起不能なダメージを受けていたのに、その後継実達のような『超生命体』が多数発生。人類がどんな武器で攻撃しても超生命体には傷も付かず ― 何しろ小さな虫すら平然と核攻撃に耐えるのだから ― 、気まぐれな反撃により壊滅するばかり。抗う事の出来ない人類は『餌』として、『奴隷』として、『オモチャ』として、『巻き添え』として、次々と殺されていく。更に食糧も超生物達に奪われるため得られず。ムスペルによる災禍から生き延びた幸運な人々も急速に死に絶えていった。

 変化したのは文明だけではない。生態系も激変した。超生命体はただ誕生しただけでなく、繁殖も行ったからだ。しかもその繁殖力は普通の生物よりも格段に上で、瞬く間に既存の世界を塗り替えた。具体的には、かつて都市部だった瓦礫の山を、僅か数年で大草原や森林に変えてしまうほどに。その急激な変化により普通の生物達も次々と数を減らし、その隙間を埋めるように超生命体達が繁栄した。

 今や世界は超生命体のもの。大きな獣のみならず、小さな虫やコケのような植物さえも、文明を凌駕した存在となったのである。

 そう、継実のような生き物達が。


「ウシガエルって結構美味しいね」


 そして七年間そうした世界で暮らしていた継実は、今や草原のど真ん中で半焼けカエルも躊躇わずに食べるぐらい逞しくなっていた。

 捕まえたウシガエルは、繰り広げた『激戦』の通り、継実達と同じく超生命体と化したもの。とはいえ身体的に大きな違いがある訳でもないようで、普通に食べる事が出来た。胴体部分はやや水っぽくて味気ないものの、発達した足はアミノ酸の旨味が濃く、脂質も適度に乗っている。モモの電撃により焼けた身からは香ばしい匂いが漂い、食欲をそそった。幼い頃ネットで「カエル肉は鶏肉っぽい」という記載を見た覚えがある継実だったが、こっちの方がずっとあっさり風味だと感じる。

 等々味については食べ物の水準であるが、見た目はやはりカエル。おまけに半生なので齧った跡から血まで滴る。しかしそんな事などお構いなしに、継実は立派な後ろ足に齧り付いていた。昔ならばせめて箸がなければ食べたくなかっただろうに、今や滴る血で指と顔がべとべとになっても気にも留めない。ちなみにモモもウシガエルの頭をバリバリと噛み砕きながら食べ、口周りが真っ赤に染まっているが……こちらは元々『動物』なので、七年前とさして変わらぬ食事風景だろう。


「確かに美味しいわねぇ。流石は食用ガエル。アマガエルとかと比べて断然大きいから、食べ応えもあるし」


「うん。それにアマガエルは毒持ちだから処理が面倒。毒が『能力』みたいだから、焼いたぐらいじゃ消えないし」


「ほんと、あの毒は厄介よね。まぁ、ウシガエルにも寄生虫がいるけど……今更だけど、もっと念入りに焼いとく?」


「別に良い。数百度程度で焼いたところで、それで死ぬような寄生虫なんてもういないから。それより風味が消えるのが嫌」


「そう言うと思った。不味いもの食べて結局感染とか、最悪よねー。せめてよく噛んでおきましょ」


 なんとも原始的な寄生虫対策をしながら、朝食を楽しむ継実とモモ。ウシガエルの身体をぺろりと平らげ、骨も噛み砕いていただく。食べなかったのは、あからさまに寄生虫が蠢いていた消化器官と内臓だけだ。そうした内臓は適当に放り捨てれば、地面から跳び出したゴミムシやネズミが食べていく。

 さて、一匹のウシガエルを食べ終えた訳だが……継実にはまだまだ足りない。

 体重四キロのモモからすれば山盛りのお肉でも、体重四十二キロの継実からすれば空腹を癒やす程度でしかない。加えて人類文明を簡単に滅ぼせるほどのパワーを持つ超生命体達は、やはりそれだけエネルギーを使うからか大食らいだ。継実もただの人間だった頃の十数倍、一日凡そ三万キロカロリーを取らねばお腹が空く。

 カエル肉で賄うなら三キロ以上は食べたいところだ。しかし今し方食べていたウシガエルでも精々五百グラム超え。大きな内臓を捨てると残るのは凡そ半分だけなので、あと十五匹は捕まえねばならない。力の大きさを考えれば間違いなく『低燃費』なのだが、取らねばならない食べ物はかつての比ではなかった。

 幸いなのは、超生命体達は身に着けた能力により厳しい環境も平然と生き延び、元々の種よりも高まった繁殖力を持つため、『獲物』自体は困る事がないぐらい豊富である事。継実も、まだ超生命体の数が少なかった最初の一~二年目が大変だったぐらいで、ここ二~三年は冬でも飢えを知らない。狩りさえすれば、腹は満たせるのだ。


「……まだまだ足りないから、次を狙おう」


「そう? まぁ、継実からしたら確かに物足りないかもねぇ」


「うん。それに、今の私は成長期だし」


「十七歳は成長期なのかしら。あと、胸は全然育ってないみたいだけど?」


「……これから育つところだから」


 ニヤニヤと嘲笑うモモから胸を隠すように、両腕で身体を抱き締めながら継実は身を捩る。

 母がそれなりにスタイルが良かったからか、継実は一言でいうなら『女性的』な体型に憧れていた。髪を長く伸ばしているのも、切れないからではなく、女性らしさを出したいため。ところがどっこい一番肝心な胸が全く育たず、腰の括れもあまり出来ていない。

 背は随分と伸び、適度な運動により引き締まった身体付きは間違いなく『美しい』のだが……求めていたものとはなんか違う。

 例え世界が変わろうとも、女の子は女の子のままなのだ。綺麗な自分になるためなら努力は惜しまない。尤も、女子が綺麗になるのは生物学的に考えるなら異性へのアピールであり、異性どころか人間が一人も傍に居ない現状いくら努力しても意味がない訳だが――――


「継実、どしたの?」


「え?」


 ふとモモから声を掛けられ、継実はキョトンとしてしまう。どうしたと訊かれても、考え込んでいてぼぅっとしていただけのつもりである継実には、何を訊かれたのかもよく分からない。


「なんか寂しそうな顔してたけど」


 そうして黙っていると、モモは継実自身すら気付いていなかった事を指摘する。

 ――――ああ、自分は寂しがっていたのか。

 ようやく自らの気持ちに気付いた継実は、飲み込むように、こくりと頷く。自覚してみれば、胸の奥底でもやもやとした想いが渦巻いていると分かった。

 七年間。継実はモモと二人で生きてきた。

 モモとの生活が嫌だった事はない。確かに時々ケンカもしたが、いわば姉妹ゲンカみたいなもので、何日かしたら勝手に直っているような仲。お陰で毎日がそれなりに楽しいし、困難に直面しても諦めずにいられた。これからも一緒に暮らしていたいし、離れ離れになるなんて考えたくもない。

 されどモモは犬。

 継実は人間であり、人間とも暮らしたいのだ。勿論モモと一緒に居られないのなら、どんな人間でもお断りだが……衝動だけは七年経った今でも燻っている。出来る事なら、『誰か』と暮らしたい。

 尤も、最早叶うかどうかも怪しいが。


「……ちょっとね。私以外の人間って、誰か生き延びているのかなって」


「うーん、どうかしら。昔は七十億もいた訳だし、もう一人か二人継実みたく力に目覚めた人がいてもおかしくはないんじゃない? 普通の人間のままでも、砂漠とか山奥みたいなところでひっそり生き延びてるかもだし」


 ぽつりと想いを語れば、モモは正直な意見を述べる。

 モモの言うように、かつて人類は七十億人以上『生息』していたのだ。超生命体と化した継実は圧倒的少数派かも知れないが、しかし『唯一無二』とは限らないし、そうだと考える方が不自然だろう。また砂漠などの過酷な地は、だからこそ『野生生物』も少ない。生物こそが最大の脅威となった今の世界において、生物のいない不毛の地というのは安全地帯とも言い換えられる。

 人間好きではあるものの、動物であるモモに『思いやり』の概念はあまりない。だからこそ、少なくとも彼女は継実以外の人間の生存を心から信じているのだろう。モモは確信しているという事が、いまいち人の生存を信じきれていない継実にとって一番の励ましだ。

 何よりケダモノだからだろうか、モモの勘はよく当たる。あーだこーだと自分の頭で考えた小難しい理屈よりも、モモの『直感』の方が継実には頼り甲斐があった。


「いやぁ、それにしても継実ももう発情期なのかぁー」


 無論、その直感も時にはてんで的外れな事もあるのだが。


「……なんの話?」


「ふふふ、隠さなくても良いのよ。人間はそーいうのやたらと恥ずかしがるのは知ってるんだから」


「いや、だから何?」


「継実ももう子供産める歳だもんね。分かるわー、私も近くに雄がいないから発情期とか大変なのよ」


 一人勝手に共感しながら、うんうんと頷くモモ。完全な誤解である事もそうだが、継実的に『家族』のそういう話は割と聞きたくない。苦虫を噛み潰したような顔で不満を露わにしてみる継実だったが、生憎思いやりがないモモには通じなかった。

 こういう時はどうすべきか?

 簡単な話だ。無理矢理話を終わらせてしまえば良い。それに継実はまだお腹が空いている。さっさと次の獲物を探し出し、狩りに向かってしまいたい。


「(さぁて、ウサギとかスズメとかいないかなぁ……)」


 延々と続くモモの独り言雑音を無視しながら、継実は自身の『能力』を用いて食べ物探しを始める。

 継実の能力は『粒子を操る』事。

 その能力の応用により、継実には自分の周りにある粒子の動きが手に取るように分かる。この世のあらゆるものは分子や原子、もっと言うなら素粒子などの粒で出来ている訳だから、継実はこの世のあらゆる動きが見えると言っても過言ではない。そして粒子というのは、例え本人は止まっているつもりでも、内臓や血流などがある限り必ず『動き』があるもの。

 何処に隠れようとも、継実の『目』は全てを見通す。そう、理屈の上ではこう評しても過言ではないのだ……七年前までの理屈なら。

 全ての生き物が超生命体に置き換わった今、継実の特殊能力など『平凡』でしかない。生物達の幾つかは、彼女の目に方法を会得していた。例えば妙な電磁波を纏ったり、例えばあらゆる物質を透過したり。一番多いのは、熱や電気などで周りの粒子を攪拌し、ノイズ塗れになる事。それをやられると継実にはぼんやりとしか見えず、正確な位置を把握出来ない。相手との実力が『互角』であるなら、攻撃の的を絞れない事がどれほどのハンデかは言うまでもないだろう。

 ぶっちゃけてしまえば、獲物の居場所を突き止めるのはモモの方が遥かに得意だ。彼女は電気を操る力の応用で生体電流を捉えつつ、嗅覚で大凡の場所や相手のサイズを把握出来る。体毛を伸ばすという物理的なサーチも可能だし、何より直感に優れる。故に普段はモモに索敵を任せ、実力行使を継実が行っていた。

 今回は、無視した手前頼るのが癪という状況なのだが。


「(……もっと範囲を広げたら、間抜けな奴とか見付からないかな)」


 意識を外へ外へと向ければ、粒子の探知範囲も広がっていく。その分精度は落ちていくが、元より『間抜け』を探すための行い。精度についてはあまり気にしない。

 一キロ、二キロ、三キロと、継実の認識する世界は広がっていく。普通の人間ならば情報量の多さに脳神経が焼き切れているだろうが、継実にとってはちょっと背伸びして景色を眺めるようなもの。悠々と広げた探査範囲はついに十キロを超えた

 丁度その時の事である。継実の探知に、堂々と引っ掛かる生き物が表れたのは。尤も間抜けという訳ではないらしい。


「(んー……体重四十三・六キロ……イノシシかシカかな)」


 粒子の総数から判別した体重は、継実よりも重い。

 そしてその大きな生き物は、その後ろに居る更に大きな生き物に追われている様子だった。天敵から逃れるのに必死で、隠れている余裕などないのだろう。

 追っている生物の大きさは凄まじく、恐らくは『奴』だと継実は思う。アイツは厄介な生き物だ。変に機嫌を損ねて付き纏われても困る。

 横取りは止めておくのが無難。そうと分かっていながら、継実は肩を落とす。折角獲物を見付けたのに、それを見逃さねばならない事が悔しい。獣であるモモならばなんの未練もなく諦めるだろうに、上手く出来ない知的生命体自分が酷く情けなく思えた。

 それでいてチラチラ意識してしまうのが、やはり人間というもので。


「え?」


 故に継実は、見落とさずに済んだ。

 継実が見付けた生き物は

 二本足で歩く生き物自体は珍しくもない。クマは足の構造上問題なく出来るし、シカだってやれない事はないだろう。しかし逃げる時に二本足で走る奴はいない。何故なら動物の身体は基本的に、どれも四本足で走るのに向いているのだから。

 つまり二本足で逃げる生物というのは、二本足が一番速く走れるという事。ならばそいつは普段から、ずっと二本足で歩いている生き物に違いない。だからといって鳥でもない。鳥なら普通は飛んで逃げるし、走るのが得意な種類にしては妙に鈍臭い。

 普段から二本足で歩いてあるのに、微妙に動きがすっとろい。そんな生き物、継実は――――自分自身以外に知らなかった。


「モモ! こっち来て!」


「ふぇ? え、何?」


 継実のように周囲を探っていなかったモモは、突然走り出した継実の行動にキョトンとなる。

 されど流石は肉食獣。走り出した継実の緊張感を察したようで、先程までのふざけた様子はもう何処にもない。颯爽と、継実の後ろに着いてきてくれた。

 本来なら、走りながらでも自分が何を見付けたのか説明すべきだろう。特に『奴』が傍に居る事は、きちんと話し合うべきだ。しかし継実達の足は音など置いてきぼりにする速度に達しており、言葉でのコミュニケーションは難しい。申し訳ないが、説明は後回しにするしかない。

 それでも追い駆けてくるモモは、迷いも不安もなく、笑みを浮かべてくれて。


「……っ!」


 だから継実は安心して、前を向いて走れる。例えどんな危険があろうとも、自分達なら乗り越えられると思えるから。

 そして自分達なら『願い』を叶えられると、確信したのだから。

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