滅びの日19

 自分の周りにある粒子の動きを自在に操る能力。継実の身体に宿ったこの力を使えば、大気分子さえも立派な武器となる。

 例えばある分子が飛んでいこうとする方角を変え、一定範囲内に留めるよう維持。それを他の大気分子にも行い続ければ、壁もないのにその範囲内の大気密度が増大していく。大気密度が増大するとどうなるか? 簡単に言えば分子の持つ熱が蓄積していく。

 継実の右手の先に煌々と輝く光が出来たのは、集めた分子がこの時の熱により電離化し、電磁波や光子へと変化した影響だ。波である電磁波は能力があまり効かず、光子は小さ過ぎてちょっとだけ制御下から外れてしまう。その所為で光はほんの少しだけ外に漏れ、集めた力が光り輝いて見えるのである。

 この灼熱の塊をぶつけても、それなりのダメージにはなるだろう。だが高い熱エネルギーは膨張を起こし、拡散してしまうもの。強固な防御を貫きたいのに、力が拡散した状態では不利だ。一応能力を使えば熱の密集状態も維持出来るが、自分の限界を超えた力の制御など到底不可能である。

 そもそもやり方が回りくどい。熱とは本来、分子など小さな粒子の運動量だ。ならば熱を『運動量』に変えて、溜め込んだ大気分子を撃ち出せば良い。他に必要な事は精々飛んでいく向きを整え、分子同士が接触して飛び散らないようにする事だけ。たったこれだけで、制御不可能なまでに溜め込んだエネルギーをほぼ百パーセント、目標に叩き付けられる。

 エネルギーを纏った分子は、あたかも光の濁流が如く飛んでいく。このように多数の粒子が同一方向に飛んでいく事象を『ビーム』と呼ぶ。名付けるならばこの技は『粒子ビーム』だろう。

 等と長々と原理を語れども、要するにこの技の見た目は直径数十センチにもなる極太光線。

 漫画やゲームに出てくるような攻撃を継実は指先から繰り出し――――友達モモを痛め付けたホルスタインの胴体に撃ち込んだ!


「ぬうううううぅぅぅぅッ!?」


 ホルスタインが大きく唸る。その唸りは驚きや困惑ではなく、明らかなる焦り。これまで出した事もない、苦悶の雄叫びだった。

 粒子ビームを受けたホルスタインの身体は、押し寄せる粒子により大きく吹き飛ばされる。全身から炎を噴き、大地を踏み締めようとするが、その巨体が止まる事はない。

 受け止められて堪るものかと、継実は内心悪態を吐く。これは本当の全力全開だ。軽い気持ちで放てばそれだけで国の一つ二つ滅びるような攻撃を、制御出来ない強さで撃っているのだから。これが効かないなんて理不尽がある訳がないと、心の奥底に残る『人間』としての矜持が叫ぶ。


「いっ……けええええええええぇっ!」


 継実は吼え、全ての力を出し尽くす。


「お……おおおおオオオオオオオッ!?」


 ついにホルスタインの身体は浮かび――――彼方へと飛んでいく! 光の濁流はホルスタインと共に地平線の彼方で着弾し……

 巨大な、光の爆発を吹き上げた。

 撃ち込んだ大気分子が、衝突時の反動で四方八方に飛び散ったのだ。次いでやってくる地響きと閃光に、継実は思わず目を瞑ってしまう。

 閃光は数秒間続き、やがて消えていく。ゆっくりと目を開けた時にはもう粒子は全て飛び散ったようで、地平線に輝きは一切なかった。地面の揺れも、もう感じない。

 終わったのだろうか?

 それを答えてくれる者はいない。

 ――――助けようとした友達さえも。


「……モモ? モモ!?」


 慌てて辺りを見渡す継実だが、白髪の美少女の姿は何処にもない。

 まさか先の一撃に巻き込まれた? あり得ない考えではない。モモはホルスタインとの戦いで、文字通り己の身を削っていた。弱りきった身体には、ホルスタインさえも吹き飛ばす攻撃は余波であっても脅威だったに違いない。

 そんな筈ない。不安を否定する気持ちは込み上がれども、否定する証拠は何も出てこない。継実は顔を青くし、ガタガタと小さな身体を震わせながら丸くし……

 ぴとっ、と足下に伝わった感覚に驚いて背筋がピンッと伸びた。


「ぴゃあっ!? え、な、何が」


 無意識に足下を見れば、そこには一匹の『毛玉』があった。

 大きさ二十数センチほどの毛玉はもぞもぞと動き、継実の方を見る。それは蝶のようにも見える大きな耳と、つぶらな瞳を持った無邪気な犬の顔だった。白い毛が長く伸び、全身を覆っている。

 この特徴的な見た目、間違える筈もない。パピヨンだ。


「ちょっとー、何泣きそうになってんのよ?」


 そのパピヨンが、当然のように人の言葉で尋ねてくる。

 これで彼女が何者か分からぬほど、継実は『彼女』と浅い関係ではなかった。


「モモ! 無事だったの!? 怪我はない!?」


「なんとかね。いやぁ、間一髪だったわぁ。危うく巻き込まれるところだったけど、ギリッギリで逃げきれたわ。もう毛が殆ど残ってないから、しばらく人間の姿にはなれないけど」


「うっ。ご、ごめんなさい……」


「? なんで謝る訳? あのぐらい強力な一撃じゃなきゃ、あの化け物牛は倒せないわよ。それより凄かったわね。継実ったらあんなに強かったなんて」


 やはり巻き込み掛けていたと分かり、継実は項垂れながら謝る。尤もモモは全く気にしておらず、むしろその強さを褒めてくれた。

 自然と、継実は笑みを浮かべる。犬の姿であるモモの表情はよく分からないが、なんとなく笑っているような気がした。継実はご褒美だとばかりにモモの身体を触り、モモは尻尾をぶんぶんと振り回す。


「暢気なものですね。既に勝った気でいる」


 ただし互いに喜んでいられたのは、割り込んでくる声が聞こえてくる前まで。

 声が聞こえた瞬間、継実は背筋が凍った。けれども、心の奥底……本能ではこうなってもおかしくないと考えていた。

 相手と自分の体重差は凡そ十五倍。つまり普段の十五倍のパワーを出したところで、ようやく『五分』である。

 ホルスタインにとって、先の一撃さえ初めて『歯応え』を感じた程度だとしても、なんらおかしくない。

 事実ホルスタインは、傷一つない姿で継実達の傍まで戻ってきていた。


「……どうする、モモ」


「いや、もう流石に無理」


 駄目元で尋ねれば、返ってきたのは予想通りの答え。継実は大きなため息を吐いてしまう。

 ホルスタインからすれば、渾身の一撃とはいえ守りを貫きかけた相手なのだ。弱ってる今のうちに倒しておく方が良いのは明白。それが最も合理的な選択である。

 こっちは逃げる事も儘ならないぐらい疲れているのに。

 なら、少しでも戦える側が時間を稼ぎ、その間にもう一方が逃げるしかないだろう。勿論疲弊しきったモモに出来る事ではない。今度は自分が彼女を――――


「まぁ、良いでしょう。今回は私の負けです」


 そんな覚悟を決めたところで、ホルスタインがあっさりと白旗を上げた。

 あまりにも簡単に負けを認めるものだから、継実はポカンと呆けてしまう。モモもキョトンとしていて、一人と一匹は仲良く思考停止。


「……え? 見逃して、くれるの?」


 我に返った継実は、なんとも間抜けな疑問を言葉に出していた。対するホルスタインは律儀に答えてくれる。


「逃げに徹した場合、追い付けないと判断しました。それに先の人間達はとっくに遠くまで逃げてしまったでしょうから、これ以上あなた達と戦う意味がありません」


「……そ、そう、なの?」


「ではわたくしは帰ります。もう会う事もないでしょう」


 困惑する継実を他所に、言いたい事を言ったホルスタインは背を向けて歩き出す。どんどん歩いて行って、どんどん遠くなっていく。

 気付けばホルスタインの姿は見えなくなり、継実とモモは同時に顔を見合わせてしまう。

 一人と一匹は同時に吹き出し、笑いが漏れてしまった。


「完全に嘗められていたわねぇ」


「うん。実際、歯が立たなかった」


「まぁ、人間達は守れたし、勝ちには違いないわ」


「うん、勝ったんだ……」


 言葉で勝利を噛み締めながら、継実は後ろを振り返る。

 視線を向けたのは、『公園』があった筈の場所。

 しかしホルスタインとの激戦で、周囲一キロほどの範囲は何もかも焼き払われた状態だ。出来るだけ他の人間達を巻き込まないよう努力したつもりだが、途中からそれどころではなくなっており、正直周りを気にする事は出来ていない。あの人間達は無事逃げきれたのか、はたまた巻き込まれてしまったのか……

 いずれにせよ、もう彼等は近くに居ないだろう。

 そして追い駆けたところで、力を見せてしまった継実達が受け入れられる事もない。


「さて、これからどうする?」


 モモから尋ねられた継実は、空を仰ぎながら考え込もうとする。

 が、直後にお腹がぐぅっと音を鳴らした。

 戦いでエネルギーを使い果たした。ならば次にすべき事は決まっている……『知的』に悩んでみたところで、本能は誤魔化せないらしい。


「お腹空いたから、食べ物を探そう。掘り起こすのは私がやるから、モモは臭いで探して」


「おっけー。私に任せなさい」


 照れ笑いを浮かべる継実が立ち上がり、モモの前で両腕を広げる。モモは少し考えた後、ぴょんっと跳んでその胸に跳び込んだ。大切な友達を抱きかかえ、継実は焦土と化した大地を歩く。

 食べ物探しといっても、ホルスタインとの戦いでこの辺りには肉片一つ残っていないだろう。広島に原爆が落とされた際、焦土と化した土地にスギナが数日後に生えてきたらしいが、此処で繰り広げられた戦いは原爆どころか水爆以上のもの。植物のタネ一つどころか根の欠片すら残ってはいまい。戦いにより破壊された領域の外に行かねば、何もない筈だ。しばらくはただ歩くだけになるだろう。

 時間を持て余した継実は、ずっと感じていた疑問をモモにぶつけてみる事にした。


「……ねぇ、一つ訊いても良い?」


「ん? 何よ」


「どうして、あそこまで人間のために戦ってくれたの?」


 継実が尋ねると、腕の中のモモはそっぽを向いた。

 拗ねたようにも、恥ずかしがってるようにも見える仕草。継実は黙って友達の答えを待つ。

 やがてモモは、淡々と話し始めた。


「……私の飼い主、ムスペルが出た時の地震で建物の下敷きになって死んじゃったのよ」


「……そう、なんだ」


「それまでさ、人間とか他の犬が死んでも特になんとも思わなかったけど、あの人間が死んだ時だけは胸がきゅーってなって。あー、これが悲しいなのかなーって思ったら、急に寂しくなって」


「……………うん」


「もう寂しいのは嫌だから、人間がいなくなってほしくなくて、頑張っちゃった。それだけよ」


 モモはなんて事もないかのように答え、そして黙りこくる。

 初めて人間達の社会から追い出された後、継実はモモに「大っ嫌い」と言った。

 大切な家族を亡くして、孤独の恐ろしさを知っていた彼女に投げ付けてしまったあの言葉。あれがどれだけ彼女を傷付けたのか、もう想像も出来ない。両親の死すらあまり悲しめなかった自分よりも、モモの方が余程『人間的』で、だからこそ心がじくじくと痛む。

 謝りたい。償いたい。

 だけどモモは、ごめんなさいの一言で全てを許してしまうだろう。何百回罵られても仕方ない所業を、愛らしさと不遜さを隠さずに。これではあまりにも足りなくて、継実自身の気持ちが許せない。

 だから、モモが本当に求めているものをあげたい。

 ……自分もそれが欲しいという、ワガママな気持ちもあったから。


「ねぇ、モモ。初めて会った時、友達になるって言ったのは覚えてる?」


「ん? 何よ薮から棒に。そりゃ覚えてるけど」


「じゃあ、あの言葉、ちょっと変えても良い?」


「変えるって何よ。親友にでもするつもり? ま、どうしてもって言うなら構わないけどねぇ」


 おちょくるような、強気な言い方。なんとも予想通りの反応に、継実は思わず笑ってしまう。


「家族になりたいな」


 そしてこの言葉を伝えたら、きっとモモは何時もの強気が崩れてしまう事も、継実には分かっていた。


「……良いの?」


「良い。私もなりたいから」


「……うん。私も、友達より家族が欲しいわ」


 返ってきたのは同意の返事。

 挟まれた沈黙はほんの僅かな間。だってその短い時間で、継実もモモも笑いを我慢出来なくなってしまったのだから。何もかも終わってしまった大地の上で、何処までも楽しげに。


「あははっ! こんなに良い事あっていいのかしら? 途中で罰とか当たらないわよね?」


「当たっても構わない。その時は神様ごとビームでぶち抜く」


「わぁーお、過激ねぇ。でもそういう考えは好きよ……じゃあ、一つ提案ね。食べ物、どれが良い?」


 涙を拭うように前脚で目許を拭うモモからの問い。継実はなんの事だと思いつつ、近くに何かあるのかと考え周囲を探る。

 それだけで、全てを察した。

 感覚を研ぎ澄ませば見えてくる。小さな虫の伊吹、潜む植物達の気配、こちらを見つめる獣の視線……様々な命が存在している事が。それもホルスタインと自分達の激闘で焦土と化した、この一キロ圏内に。

 水爆を何発落とそうが、足下にも及ばない破壊が繰り広げられた大地。そんなところに植物一つ残ってる筈がない? よく考えてみればなんとも馬鹿げた発想である。

 

 どうして自分が此処に立っているのに、他の生物が存在し得ないと思うのか。もう、この星の生き物にとってこんな戦いは『特別』じゃない。特別じゃないから命がいるのは当たり前。食べ物なんて、いくらでもあるのだ。

 勿論彼等はこの激戦を生き抜いた覇者ばかり。捕らえるのは中々大変だろう。しかし継実はもう一人じゃない。

 家族と一緒なら、なんとか出来る。


「じゃあ、一番近くの奴。なんだか分からないけど、お腹が空いて堪らないから早くなんか食べたーい!」


「さんせーい! なんでもどーんと来なさい!」


 一人と一匹の『群れ』は笑いながら大地を駆ける。

 人にとっては終末を迎えた世界も、『人外』にとってはまだ何も終わっていない。これからも世界は続き、やがて傷は癒え、新たな光景が築かれる。

 継実達はこれからも生きていくのだ。

 生命で溢れかえる事になる、この賑やかな星で――――

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