滅びの日17

 二度目の爆発は、一度目と比べて大きさ自体に左程変化はしなかった。

 しかしそれは威力に違いがなかった事を意味しない。ホルスタインが撃ち出したガスの塊は宣言通り先の倍。爆燃しながら撒き散らされた気体分子の数も倍だ。しかし物体の体積は縦・横・高さの掛け合わせ。つまり三乗である。体積が二倍になったとしても、個々の長さはほんの一・二五~一・三倍程度しか増えない。

 爆発の大きさは、大体それぐらい増大していた。ホルスタインは宣言通り、過剰も不足もなく爆発を起こしたのである。

 舞い上がった爆炎が少しずつ晴れていけば、ホルスタインの姿が中心にはあった。相変わらず燃え盛る炎を身に纏い、身体には傷どころか埃すら付いていない。核爆弾のような力を二度も使いながら息切れも起こしておらず、その出鱈目な力の強大さは、目にした『人間』全てを彼女に屈服させるだろう。

 そう、人間ならば間違いなく。


「……成程。予想外の状況ですね」


 故に彼女はこう呟いたのだ。

 『人間』がこの場に突入してくるなんて事は、全く想像していなかったに違いないのだから。

 人間――――継実はホルスタインと対峙する。

 その腕の中に、大切な友達を抱き締めた状態で。核爆発にも値する炎から、自分自身が盾になってモモを守るために。


「……なんで来てんのよ、アンタ。というかなんで裸になってんのよ、変態」


 腕の中のモモが問う。泣きそうに眉を顰め、怒るように目を尖らせ、だけど嬉しそうに口許を歪めていた。

 継実はその問い掛けに唇を尖らせる。


「私はアンタじゃなくて、有栖川継実。今度から名前で呼んで。あと、服は移動中に消し飛んだだけだから、変態じゃない」


 そして再開して最初の言葉は、なんとも場違いな要求。

 モモは泣き顔をキョトンとさせた後、吹き出す。ばんばんっと、割と容赦なく胸を叩いてきた。ただの人間ならバラバラの粉々になる一撃を、裸の継実は淡々と受け続けながら笑う。


「あっはは! 確かにそうね。うん、継実――――アンタ馬鹿でしょ?」


 笑っていられたのは、モモが率直な意見を言ってくるまでの事だったが。


「なっ!? 助けたのに馬鹿は酷くない!?」


「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いのよ! 私が身を挺して時間稼ぎしたのに! おまけにあんな大爆発があったのに来るなんて、馬鹿以外に言いようがないでしょ!」


「助けたかったから来たの! 悪い!?」


「悪いわよ! ちょっとはこっちの気持ち汲みなさいよ!」


「私の気持ちも汲んで!」


「ほっ……んとに馬鹿馬鹿馬鹿ばぁか!」


「馬鹿って言う方が馬鹿!」


 ぎゃーぎゃーと勃発する言い争い。モモが頬を引っ張れば、継実はモモを放り捨てた。うぎぎと歯ぎしりしながら睨み合う二人。

 ただしホルスタインの方へと振り返る時は息ぴったり。寸分の狂いなく『化け物』と向き合った継実達は、十メートルほど先でこちらを無言のまま淡々と見つめるホルスタインの目を見た。


「……まぁ、とりあえずはアレをなんとかしなきゃね」


「うん。終わったら、またケンカの続きをしよう」


「いや、ケンカの続きはもう良いでしょ。妙なところで律儀よねぇ……」


 他愛ない話をしながらも、モモはホルスタインから意識を逸らさない。継実もホルスタインから意識は逸らしていない、というよりも逸らせないでいた。

 ホルスタインもまた、自分達を見ているのだから。


「――――正直、あなた方がおめおめと逃げ出すというのなら、わたくしはそれを見逃しましょう。あなた方を奴隷にするのは、少々リスクが高い」


「ふん。つまり私らが逃げたら、さっきの人達を奴隷にしようってんでしょ。それも二度と反抗しないよう、一人か二人ぐらい殺してから」


「その通りです。力の差は見せ付けましたが、それでもなお反抗を企てるのが人間というものでしょう」


「じゃあ、私らが逃げる訳にはいかないわよねぇ?」


「うん。私達じゃなくて、あなたに諦めてもらう」


 念のために意思確認。ホルスタインに退くつもりがない事を確かめ、継実は押さえ付けていた怒りと闘争心を露わにする。気持ちを昂ぶらせれば、身体の熱さが増し、動きも良くなるのが感じられた。モモも全身からバチバチと電撃を放ち、戦闘態勢を整える。

 身体に力が満ち溢れると、感覚器全ても鋭くなったように継実は感じた。鋭敏となった継実の神経は、電撃を纏うモモの力、そして自らの力の大きさを『具体的』に把握する。恐らく今の自分なら、滅びる前の人類文明ですら役不足。通常兵器は勿論、ABC兵器の全てが怖くない。ありのままの自分を受け入れただけでこの強さなのだから、ちょっとばかりズルい気さえするほどだ。

 無論、ホルスタインを前にしてこんな事を思うのは、驕りと言われても仕方ないだろうが。

 遠目では見ていたが、こうして意識を向き合わせると様々な情報が脳を駆け巡る。隙が一切ない、身体が痺れそうなほどのプレッシャーを感じる、守りを崩せそうにない……安全圏からの観察だけでは窺い知れなかった、詳細な情報感覚だ。


「ところで、勝ち目はあるの?」


 そうしたたくさんの情報を得つつ、継実は判断をモモに委ねる。

 自分の力を受け入れ、開放した継実であるが、実戦経験と呼べるものは何もない。何しろ彼女は現代日本で生まれ育った、僅か十歳の女児なのだから。気配から相手の力量を推し量るなんて出来る訳もない。

 自分とモモが力を合わせればどうなるか、継実には上手くイメージが出来ない。ならばモモのような『獣』の本能を信用する方が、何百倍も正確というものだ。

 継実のそんな考えを知ってか知らずか、モモはしばし考える。次いでニヤリと自信に満ち溢れた笑みを浮かべて、野生の獣はこう断じた。


「相変わらず、ないっ!」


 継実でも知っていた事を。

 しかし継実は同意の言葉を発しない。

 継実が何かを告げるよりも、ホルスタインの身体から赤色の『ビーム』が二本放たれる方が早かったのだから。


「ひゃあっ!?」


 ビームを見た瞬間継実は悲鳴を上げ、尻餅を撞きかけた。モモの方にもビームは飛んでいたが、彼女は首を傾げるだけでこれを回避。友達と比べなんとも不様な避け方だが致し方あるまい。戦うという覚悟はしてきたつもりだが、それでもいざ『攻撃』を目にしたら驚き、恐怖してしまう。まだまだ彼女は幼い小娘なのだから。

 それでもビームを間一髪で躱せたのだから、継実の身に宿った力は凄まじいものである。更には顔の真横を横切った赤色の煌めきを目視で捉え、その正体さえも理解した。

 これはビームなどではない。

 超高圧かつ燃え盛っているガスだ。ホルスタインの体表面より放出されたガスは、燃焼しながら高速で飛来。その軌跡がまるでビームのように見えたのである。

 無論、ビームじゃなくて炎だから安心、なんて代物ではない。

 継実の『目』は捉えていた。燃え盛るガスのエネルギーが、最早炎と呼べるか怪しいほど高まっている事を。恐らくガスがあまりにも高熱で燃えているため、周囲がプラズマ化しているのだ。あらゆる分子どころか原子さえも形を失うエネルギーであり、触れれば自分も巻き込まれるのは必定である。

 言うまでもないが、普通の人間がこの攻撃を見てもこうも詳しくは分かるまい。継実が理解出来たのは、これが継実の『能力』だからだ。

 どうやら自分には、原子や分子の動きやらなんやらが見えるらしい。言葉にすると曖昧ながら、感覚的には継実はそれをしかと実感していた。正しく人智を超える能力である。

 そしてこの力は、ただ解析するだけの能力ではない。


「て、てやぁー!」


 無我夢中で継実は腕を振るう。

 未だ十メートルは離れているホルスタイン。だが継実にとって、この程度の距離など至近距離も同然だ。

 大気中を漂う空気分子の数々。継実の芽にはその『現在』の動きのみならず、『未来』さえも見えている。

 もしも自分が手を振ったらどうなるか? あの空気分子を突いたら? ……脳裏に浮かぶのは具体的な映像や数学的回答ではなく、「なんとなく」こうなるというあやふやなもの。されどそのあやふやは継実に確信を抱かせた。

 そして確信は現実へと変わる。

 継実が振るった腕先から、白濁の『波動』が放たれた! 白い靄のようにも見えるそれは、しかし音速を超えた証であるソニックブームとは全くの別物。正体は継実の腕が薙ぎ払った大気分子が通常ならばあり得ない頻度での追突・集合を繰り返し、超高密度の質量体だ。

 これは簡単に言えばものを投げ付けているようなものだが、衝突時に生じる現象はただ殴り付けただけとは異なる。質量体はあくまで気体であり、超高速で流動しているのだ。接触すれば物体の強度など関係なく、高速の粒子が対象を

 人類が作り出したあらゆる装甲を粉砕し、核シェルターだろうが貫く一撃。もしも人類が目の当たりにしたなら、『神の力』と呼んだであろう。

 ――――生憎、この場においてはその力も『平凡』に過ぎないが。


「むぅ」


 継実の放った一撃は大地を切り裂き、ホルスタインを直撃。ごつんっ、という生々しい音と共にホルスタインは小さく唸った。

 唸っただけで終わった。

 たったそれっぽっちのダメージしか与えずに、継実が放った攻撃は呆気なく弾き飛ばされたのである。まるで硬い物にでも当たったブーメランのように宙へと舞い上がったそれは、墜落時に大爆発を起こす。継実の力は間違いなく発動していたが、ホルスタインには通じなかったのだ。

 これもまた継実の目には何が起きたか見えていた。ホルスタインの表面にある『層』が、継実の放った攻撃を防いだのである。どうやらガスの集合体……つまり継実の放った一撃と同じく気体の集まり。それだけなら条件的には五分なのだが、ホルスタインが全身に纏うガスの方が圧倒的に濃密かつ高速だったようである。単純な、そして絶対的な出力負けだ。

 加えて最悪な事に、唸る程度にはホルスタインも衝撃を受けた筈である。少しは通ったのだから諦めなければ何時か守りを破れる……等と漫画の主人公なら考えるところだが、それは敵がこちらを見くびっているから出来る話。

 ホルスタインはこちらを見くびらない。奴はケダモノであるが故に合理的なのだ。諦めなければ何時かは貫けると、


「遊びはここまでにしましょう」


 『危険』を察知したホルスタインの闘志が増した瞬間、世界が紅色に染まった。

 ホルスタインが纏う炎を槍のように尖らせ、全身から無数の『ビーム』を撃ち始めたからだ。熱したナイフでバターを切るように、ビームは易々と大地を切り裂く。おまけにガスが途切れていないらしく、平然と何百メートルもの距離を薙ぎ払っていく始末。

 たった一本でもこの威力なのに、それをホルスタインは何十もの数を同時に走らせる。莫大な熱量を湯水のように撒き散らし、何もかも焼き尽くす。もしもこれが町中であれば、僅か数秒で一つの都市が溶解し、消滅しただろう。

 継実からしても、堪ったものじゃない。水爆にも匹敵する大爆発は割と難なく耐えた継実だが、このビームを受け止めるのは無理だと直感的に判断した。


「ちっ! 継実! 避けないと死ぬわよ!」


「わ、わか、ひゃあっ!? わ、わ、ひっ!」


 モモに言われるまでもなく回避に専念する、が、何度も悲鳴を上げてしまう。

 肉食獣であるモモは動体視力に優れているらしく、ホルスタインが放つビームを躱し、ビームとビームの間を潜り、更には隙を見て電撃まで喰らわせている。余裕ではないし、何時までも続けられるとは限らないが、スムーズに回避していた。

 対する継実は、飛んできたビームで肌の表面が焦げ付き、髪の一部が焼き切られる。顔面直撃を避けた結果尻餅を撞き、追い討ちでやってきたビームを躱すため前につんのめってしまう。ハッキリ言って不格好。今は幸運が続いているが、いずれは詰む。


「こ、このぉ!」


 せめて何かを変えたくて、無茶を承知で素早く質量体飛ばしによる攻撃を試みてみるが――――ホルスタインの放つビームがこれを撃ち抜く。継実の反撃を粉砕してもビームは止まらず、攻撃のため体勢を崩し動けなかった継実の横顔を掠めた。

 焦りに満ちた攻撃は、手痛い反撃をもらうもの。ゲームなどで散々知っていた筈の事は、命の危機を持ってようやく実感に変わる。こうなると僅かな隙すら怖くて攻撃に転じられず、有効な時間を右往左往して潰すばかり。

 攻撃側であるホルスタインすらも、これには呆れたように鼻で笑った。


「人間の加勢、更にその人間がわたくし達と『同質』の存在というのは予想外でした。ですがそれだけですね。雑魚が一匹加わっても何も変わらない」


「つ、強気でいられるのも、今のうち。返り討ちにして、焼き肉にしてやる……!」


 ホルスタインの挑発に、継実は煽るように言い返す。が、内心は焦りと恐怖で満たされ、どうしたものかと途方に暮れていた。

 助けにきたのは良いが、まるで歯が立たない。

 正直なところもう少しダメージを与えられて、追い払うぐらい出来るのではないかと目論んでいたのだが……ダメージを与える段階で行き詰まるとは。

 兎にも角にも、シンプルに強過ぎる。おまけに知能が人間並となれば、作戦を考えたところで見抜かれるかも知れない。あらゆる面で上をいかれ、どうにも手が出せない状態だ。

 あの身を守っているガスを剥がせさえすれば、ホルスタインは生身の筈。ガスさえ剥がせば倒せるのに、ガスを剥がす方法が閃かない。

 どうにかして作戦を閃かなければ、このままではビームに焼き払われて――――


「(……違う)」


 思考さえ追い込まれる中で、継実は自らの発想を否定する。

 知恵により作り出した武器で恐ろしい敵を打ち倒す、強大な敵の弱点を突いて討ち滅ぼす。人間はそうやって自分達よりも肉体的に強い生物を倒し、繁栄してきた。これ自体は紛れもない事実だ。だからこそ人間は知恵を重視し、特別なものだと考える。知恵があるからこそ人間は支配者であり、どんな脅威も乗り越えられると。

 しかし、そんなのはただの思い上がり。

 知恵により作り出された武器が、巡らせた策が通じるのは、それらから生み出されたものが相手の身体能力を凌駕するから。圧倒的な身体能力の前では、科学も弱点も意味など持たない。一ミリにも満たない羽虫がどれだけ知恵を絞ろうとも、例え弱点を見付け出そうとも、ゾウが一踏みすれば何もかも破壊されてしまうように。

 知恵とはあくまで生き残るための力として、進化の中で会得した能力の一つ。それは決して万能ではなく、通じない相手もいるのだ。知恵により繁栄してきた人間には受け入れ難い事だが……もう人間である事を辞めた継実は一呼吸置けばなんとか飲み込める。

 此度必要なのは叡智ではない。このホルスタインが纏う強大な守りには作戦も小細工も通じないだろう。ごく小さな範囲をぶち抜くためにも、ある程度パワーがなければならないのだ。

 即ち、『超大出力』の一撃をぶちかます。これだけが継実達に出来る『作戦』だ。


「モモ! ちょっとの間、時間を稼いで!」


「稼いだらなんとか出来るの!?」


「なんとかする!」


 根拠などない。だから信じてもらうしかない。

 それを隠さず伝えれば、モモは眉を顰めた。しかしほんの一瞬だけだ。

 すぐその顔には、勝ち気で頼もしい笑みが浮かぶ。


「じゃあやるしかないわね! まぁ、この私に掛かれば余裕よ!」


 継実のお願いを快諾し、モモはホルスタイン目掛け突撃した!

 ホルスタインは突然接近してきたモモを警戒したのか、ビームによる攻撃がモモに集中。継実に飛んでくるビームが僅かながら減った。モモが作ってくれたチャンスを活かし、継実はホルスタインから距離を取る。

 三十メートルも離れれば、ひとまずは十分か――――等という考えを嘲笑うように直撃コースで一本のビームが飛んできたが、継実はこれを回避。距離さえ取ればなんとか避けられるのだ。

 あとは兎にも角にもドデカい一撃を喰らわすだけ。


「時間は、三十秒ぐらい……」


 頭の中で描いた、極めて正確な準備期間。それを一秒でも短くするためにも、継実は己が指先に意識を集中させる。

 一度は自分の命を奪いかけた恐ろしい相手に、躊躇なくもう一度挑んでくれたモモの期待に応えるために……

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