滅びの日16

 ――――時は遡り。公園の近くにある、瓦礫の山にて。

 継実は顔面を真っ青にしながら、ガタガタと全身を震わせていた。


「ぁ、あぁ……あんなのって……!」


 恐怖に引き攣った声を漏らし、へたり込むように腰が抜ける。凍えるように顎が鳴り、全身から血の気が引いた。開かれた瞳孔が無意識に震えてしまう。

 超常の力により視力が増した継実は、モモとホルスタインの戦いがよく見えていた。

 モモの強さは圧倒的だ。ムスペルを仕留めた時さえも、遊び半分だったというのがよく分かる。しかしそんなモモさえ翻弄するホルスタインの強さは、最早異次元だ。炎を纏い、電撃さえも跳ね返す。挙句力までモモを上回っている有り様。

 確かに、モモの正体はパピヨンだ。特殊能力なんて持たない、普通のパピヨンとホルスタインが本気で戦ったらどうなるか? 結果は考えるまでもないだろう。肉食動物としての牙も、俊敏性も、ホルスタインの分厚い皮と巨体故の機動力には敵わないのだから。人智の及ばない能力を持とうとも、根本的な力関係は揺らがなかったという事か。

 そうなればモモの辿る未来を予測するのは、苦もなく出来る事だ。その結末が受け入れ難いという事実を除けば。


「どうしよう、どうしたら……!?」


 このままではモモが殺される。しかしどうすれば良い? 自分が助太刀に入ったところで、モモにすら負けそうな自分に勝てるとは思えない。

 いや、それどころかこのまま此処に居たら――――


「君! 何時まで見ているんだ!」


 考え込む継実に、誰かが大声で呼び掛けてくる。

 継実が跳ねるように振り返れば、そこにはリーダー格の青年が居た。鬼気迫った表情に、継実は思わず後退る。


「早く逃げるんだ! 此処に居たら危ない!」


 ただしその動きは青年のこの言葉でピタリと止まった。

 逃げる、と言われたのか?

 ホルスタインと命懸けで戦っているモモを置いて?


「だ、ダメ! まだあの子が、あそこに……!」


「分かっている! 彼女が牛の化け物を足止めしてくれているようだ……俺達は今のうちに逃げよう!」


 反射的に助けを求め、されど青年はそれを分かった上で避難を促した。自分の意見を真っ向から否定されてしまい、継実はまたしても声が詰まる。

 逃げる? あの子を置いて?

 青年の言っている事の意味が分からない。だって、それを認めてしまったら……モモが死んでしまう。

 まだ謝れていないのに。傷付けて、苦しめて、悲しませて、更に命まで奪わせろと言うのか。


「……君と彼女の関係を、俺はよく知らない。だけどあの子は、きっと君を守ろうとしたんだ」


「……………」


「あの子が食い止めている牛の化け物がどれだけ強いのか、俺には分からない。だけど襲われた時の動きから考えて、この公園に居る人達が全員協力しても勝ち目はないだろう」


 青年の話を、継実は無言で聞く。瓦礫の山から戦いを見ていたのだから、継実にだってそれぐらいは分かる。ただの人間が顔面に不意打ちをお見舞いしたところで、呆気なく返り討ちだ。

 結局のところ、なんの策もない。

 闇雲にいったところで命を散らすだけ。ましてや誰かを巻き込むなんて、わがままを通り越して暴君だ。勇んでいた継実の気持ちは、現実という名の壁を前にして萎んでいく。

 挑んでも、立ち尽くしても、モモの気持ちを無駄にする。

 ならば、出来る事をしなければならないのではないか。

 それこそが、誰かの想いを引き継げる『人間』に出来る事では――――


「命を粗末にするな! 君が死んだら、あの子はきっと悲しむ! だから逃げるんだ!」


「私……私は……」


「おい! 何時まで此処に居るんだ!?」


 気持ちが揺らぐ中、また別の声が継実達に掛けられる。中年の男性で、継実と青年が居る瓦礫の山を登るだけで息切れしていた。

 彼は鬼気迫る表情をしており、継実は思わず身動ぎ。青年も表情を強張らせ、意識が一旦継実から逸れる。


「あ、ああ。いえ、この子が中々動かなくて」


「何!? あの牛の化け物が暴れているんだぞ! 早く逃げないと巻き込まれるじゃないか!」


 青年が状況を説明したところ、怒るような勢いで中年男性は避難を促す。最早こちらを心配しているようではなく、一刻も早く此処から離れたいという気持ちが継実にもひしひしと感じられた。

 恐らくこの中年男性は、青年やモモと共に瓦礫漁りへと向かった面子だろう。彼はホルスタインの恐ろしい力を目の当たりにし、高々数百メートルしか離れていない此処がまだ危険地帯だと理解しているのだ。逃げたがる気持ちは継実にも分かるし、それが真っ当な考えなのは理解出来る。


「で、でも――――」


 なのに継実の口は無意識に何かを言おうとして、

 しかし無意識が言葉となる直前、大爆音が場に響き渡った。

 耳が痛くなるを通り越し、何も聞こえなくなる。が、すぐに突き刺さるような痛みが走り、思わず継実は両耳を押さえて蹲った。青年も耳を押さえてしゃがみ込み、中年男性に至っては驚きからかひっくり返っている。

 続いて身体の芯を揺さぶるような、大きな揺れが継実達に襲い掛かった。更にビリビリと電撃を浴びたような、衝撃波が身体を打つ。一瞬にして襲い掛かる無数の異変に、継実の頭は混乱でぐちゃぐちゃだ。

 だけどこれは『攻撃』ではないという事も本能的に理解している。

 故に継実は振り返り、自らの背後で起きていた戦いの結果を目の当たりにした。


「嘘……」


 思わず口から漏れ出る否定。

 しかし空高く伸びるキノコ雲は、継実の想いなど無視してそびえたまま。大気の震えが地響きのように鳴り続け、身体に未だ伝わる振動がその存在を人間達に突き付ける。

 まるで核兵器が投下されたかのよう。

 いっそそうであったならどれだけ気楽だろうか。ムスペル駆除のためにありったけの軍事力を投じ、しかしそれが叶わず文明崩壊した人類に、核兵器が訳がないのだ。あの巨大な爆発は、モモかホルスタインのどちらかが起こしたものに違いない。

 戦いから目を離していた継実には、どちらが何をしたのかなんて知りようがない。だが直感で思うのは、モモはやられた側だという事。


「モモ……」


 ぽつりと呟く友の名前。されど巨大な爆炎は、継実の心の天秤を諦めに傾ける。

 敵わない。自分なんかが助けに入ったところで絶対に。

 だからモモは一人で立ち向かい、皆に逃げるように促したのだ。青年が言うように、それがモモの『想い』。

 無駄にしないためには、逃げるしかない。継実もそう思った。


「あんな化け物なんてほっときゃ良いんだ! 俺達人間はさっさと安全なところに身を隠せば良い!」


 この言葉を聞くまでは。

 ――――ぶつんっ、という音が継実には聞こえた。

 何処から? 胸の中から。そもそも耳で聞いた音ではなく、心で呟くように頭の中で響いた音色。中年男性がどれだけ喚こうと、青年が心から心配してくれようと、モモの想いを知ろうとも、頑なだった心があっさり流される。

 この音はなんだ? 胸に手を当て、素直に感じれば答えはすぐに分かった。

 これは、自分の堪忍袋の緒が切れた音だと。


「……君、どうしたんだ?」


「もういいほっとけ! 俺達だけでも逃げるぞ!」


 青年が心配して声を掛けてくる。中年男性は大声で罵る。

 それらに対する継実の返答は、


「やっぱ、無理」


 この一言で十分。

 青年達の反応は待たない。そんな暇などありはしない。

 継実は今まで力を解き放つ。

 全身から発せられるのは、赤く煌めく粒子の波動。溜め込んでいたものが一気に吐き出され、瓦礫のみならず二人の大人達をも吹き飛ばす。溢れ出る力の濁流が継実の体内を駆け回ったが、それに苦しさなんて感じない。むしろ滞っていた血液が再び流れたように、これこそが正しい状態なのだと理解した。

 今まで無意識に我慢していた。この力を使ったら人間ではなくなると、自分の『仲間』がいなくなると思って。危機が迫って力を使う時ですらその無意識は継実を縛り、『本当の姿』をも隠していた。人間のふりをし続けるために。

 これが本当の、溢れる力に身を委ねた継実の姿なのだ。


「……良し」


 解放直後の爽快感が薄まり、落ち着きを取り戻した継実は両手を握ったり開いたり。手足を解すようにぶらぶらと動かし、感覚を確かめる。

 赤色の波動を出し尽くしても、継実の身体はぼんやりと赤く輝いていた。力はなんの問題もなく発露し続けている。もしも今、僅かでも感情を爆発させたなら……人間など跡形もなく消し飛ぶ。直撃させる必要すらなく、ちょっとした余波や気紛れで。当然人間達から見れば、こんなのは化け物でしかない。誰からも嫌われ、疎まれ、拒絶されるだろう。

 だが、これで良い。

 継実は思う。本当に、自分はなんて愚か者なのか。

 モモが自分を逃がそうとしてくれた。だからその気持ちを無駄にしてはいけない――――誰かの『想い』を大切にする、極めて人間的な考え方だ。青年の言い分は人間として正しいものである。

 クソ食らえ、と継実の正直な気持ちは吐き捨てたが。

 相手の想いを無駄にするな? 一体何の冗談だ。を無下にされているではないか。命を大切に? それこそくだらない。

 自分を助けるためなんて理由で、モモに死んでほしくない。

 自分の身がどうなろうとも、モモを助けたい。

 こんな身勝手な自分が傷付けてしまったモモに、謝りたい。

 それが継実の正直な想い。人間として振る舞うために、この想いを、ありのままの自分を受け入れてくれた『友達』を助けたいという気持ちさえも捨てねばならないというのなら――――

 人間なんて


「お、お前、まさかあの化け物の仲」


 中年男性が何かを言っていたが、聞く価値もないし答える意味もない。

 継実は飛んだ。何故ならそれが一番早くモモの下に行ける方法だから。

 例えその結果大きな爆発と揺れが起き、青年達が立つ瓦礫の山が一部崩れても構わない。加減などする余裕などなかったし、それにあの『青年』ならば大丈夫だろうという確信がある。


「モモ……モモっ!」


 大切な友達の名前を叫びながら、継実は遥か数百メートル彼方を目指して直進。人間離れした速度は大気を切り裂き、衝撃波で僅かに残った瓦礫の残渣さえも吹き飛ばす。着ていた服は空気抵抗で全て吹き飛んだが、そんなものに構ってはいられない。ひたすらに直進し――――

 二度目の大爆発が、起きるのだった。

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