滅びの日14

「ねぇ、今あの牛喋らなかった?」


「い、いや、牛は喋らないだろ……」


「でも、確かに……」


 ざわざわと、人間達の間にざわめきが広がる。不安そうに身体をそわそわと動かし、きょろきょろと辺りを見渡す。まるで自分の感じた疑問の答えを探しているかのようだ。

 『答え』を知っているモモは、全てが真逆だ。口を堅く閉ざしたまま、全身の筋肉を張り詰めさせて微動だにしない。

 そしてその視線はじっと一つのもの――――ほんの十メートルほどの距離まで近付いてきたホルスタインを、じっと見つめる。

 白黒の模様、一・五メートルあるかないかの体高、大きく膨らんだ乳房、どことなく暢気な顔立ち……何処からどう見ても典型的なホルスタインだ。小さな子供や酪農に興味がない者でも大多数の人々が知っている、世界で最も栄えた品種の牛。日本での用途は主に乳牛というのはある種の常識で、少し詳しい者なら『安いお肉』として広く市販に流通している事を知っているだろう。それだけ人間にとっては馴染みのある生き物だ。


「聞こえませんでしたか。では繰り返しましょう。わたくしの奴隷となりなさい」


 ただしこんな饒舌にお喋りするホルスタインは、誰も見た事ないだろうが。

 二度目の発言はハッキリと、そして凜とした若い女性の声というのもあって、今度こそこの場に居た全員がホルスタインの言葉を認識する。

 とはいえ、それが即ち理解に繋がるものでもない。

 家畜がいきなり喋り出し、奴隷になれと命じてきた――――あまりにも未体験過ぎて、人間達の誰もが一層困惑してしまう。

 唯一反応出来たのは、人間ではないモモだけだ。そしてその反応は困惑ではなく、焦りである。


「(どう考えても私と『同じ』よねぇ、コイツ)」


 脳裏を過ぎる最悪の、そして最も現実的な可能性。

 即ち、モモと同じく超常的な能力を会得した生物だ。まさかこんなところで会うとは夢にも思わず、少なからず驚きを覚えたのは間違いない。

 とはいえ自分という『実例』があり、継実という『他種』の例も見ているのだから、他にいる筈がないという考えは間抜けが過ぎるというもの。驚きつつも冷静にモモは思考を巡らせる。

 幸いにして目の前のホルスタインから敵意は感じ取れない。こちらの実力を悟られぬよう余裕を取り繕いつつ、探りを入れるためモモは話に乗った。


「奴隷とは穏やかじゃないわねぇ。牛の癖に」


「おや? あなた……ふむ、まさかお仲間がいましたか。これは少々想定外」


「今更気付いたの? 家畜は鈍いわねぇ」


「強者の余裕というものです」


 モモはホルスタインと言葉を交わしながら、素早く人間達に目配せ。早く逃げろと視線で訴える。

 が、人間達は動かない。

 それどころかホルスタインと会話するモモに、不審に満ちた眼差しを向けてきた。ただ話をしているだけだというのに、何故そんな目を向けるのか。

 僅かにモモは動揺する。が、野生の本能がその動揺を押し付けた。ホルスタインが語った「強者の余裕」という言葉が、あながち強がりでも自惚れでもないがために。

 逃げない人間達はひとまず置いておき、次の話題を振ろうとする。まず聞き出すべきは目的だろう。奴隷が欲しいとの事だが、具体的にどんな奴隷が欲しいかによって対応も変わるというものだ。


「ま、良いわ。それで? なんでまた奴隷なんて欲しがるのよ」


「わたくし達ホルスタインは、人間の手によってより多くの乳牛が取れるよう改良された動物です。そのため定期的に搾らねば、乳が張ってしまって痛いのですよ。わたくしであれば自力で事も出来ますが、あれは少々後が面倒なのでやりたくないのです。そこで人間達にその作業を任せたいと思っています」


「……ふぅん」


「それとですね、あとは定期的なブラッシングや、餌と水を用意するのもやってほしいところ。それに塩を採りに行くのも任せたいですね、海まで行くのは面倒ですし、塩作りは人手が必要らしいですから」


「……なんかさ、私の解釈がおかしいのかも知れないけど……アンタ、ただ面倒臭がってるだけじゃない? 全部自分だけで出来るわよね、それ」


「ええ、そうですよ」


 思いきって尋ねてみれば、ホルスタインはあっさりと肯定した。

 ざわりと、人間達は少なからずざわめく。面倒臭いから人間を奴隷とする……人間達からすれば、あまりにもとんでもない要求に思えたのだろう。

 反面、犬であるモモからすれば「だらしない」程度にしか思わない。

 人間が大好きなモモだが、人間が『特別』だとはこれっぽっちも思わない。使役するのが便利だと思えば、そうしようとするのはむしろ当然だと思えた。モモにとって人間を奴隷にするのは面白味のない関係なので望まないが、この牛はそもそも人間との関係に面白味など求めていないのだろう。合理的に考えれば、ホルスタインの言い分はなんらおかしなものではない。

 それに、案外人間にとって『メリット』もあるかも知れない。


「……俺からも、いくつか質問しても良いか」


 その事に気付いたのは、リーダー格の青年ただ一人だけのようだが。

 青年からの問いに、ホルスタインは特段機嫌を損ねた様子もなく頷いた。


「ええ、構いません。なんでしょうか?」


「あなたがどんな存在なのか、俺には分からないが……あなたが求める世話は、普通の牛にする程度のもので良いのか?」


「もう少し豪勢なのを期待します。まぁ、牛舎のような狭い場所に閉じ込められなければさして気にしませんが」


「成程。それと、あなたから搾った乳は私達が飲んでも構わないか?」


「我が子への授乳が最優先ですが、余りはどう使おうと構いません。わたくしからしたらそれはゴミですから」


 青年の『交渉』に対し、ホルスタインは淀みなく答えていく。一通り尋ねた青年は、自身の顎を触りながら考え込む。

 モモにはあまり難しい話は分からないが、少なくともこの話は左程悪いものではないと感じた。

 奴隷とは言ったが、ホルスタインはあくまで世話をしてくれる人間が欲しいだけ。普通の家畜よりも丁寧な世話は要求されるだろうが、無茶な事は言わないだろう。何故なら理屈っぽい癖に非合理的な人間と違い、生物は感情的ではあるが合理的なのだ。わざと手を抜いたりしない限り、貴重な労働力を傷付けても損をするのは主の方である。

 そして人間は、労働の対価として『牛乳』を得られる。哺乳類の母乳とは元を辿れば『血』であり、極めて栄養価の高い飲み物だ。加えて牛の血肉となるのは主に牧草……イネ科植物の葉であり、人間と食べ物が競合していない。つまり牛乳とは、人間には食べられない草を食べられる形に変換したものと言い換えられるだろう。

 少々飼われる側が不遜な事、乳の生産計画を人間がコントロール出来ないなど例外的事象はあるものの、これは要するに『畜産』の提案なのだ。


「(ヤバい奴だと思っていたけど、食べ物が足りない今じゃむしろ救世主ね。良い感じに利用させてもらえば良いんじゃないかしら)」


 これは受けない手がない。モモはそう思い、きっと人間達もそう思うに違いないと信じた。

 ――――モモは人間が大好きだ。大好きだから、ちょっと贔屓目に見てしまう事だってある。生き物というのは合理的であるが、決して平等ではないのだ。

 モモが思う人間は、優しくて賢い生き物。

 現実の人間は、彼女ほど優しくも賢くもなかった。


「う、牛なんかの奴隷なんて嫌よ!」


 女性の誰かが叫んだ言葉。

 モモは最初、誰かが拒んだのだと思うだけだった。此処には十二人も人間が居るのだから、一人ぐらいはそういう考えの者もいるだろう。なんらおかしな話ではない。

 ところが次には「そうだ!」と賛同の声が上がり、次々に肯定的な返事が聞こえてくる。何かがおかしいと思い振り返れば、モモの目に映るのは血気盛んな人々の眼差し。

 あまり話を聞いていなかったモモにもすぐ分かる。この人間達に、牛に従うつもりは全くなかった。


「ま、待ってくれみんな! 落ち着いてくれ! 確かにあの牛は奴隷と言っていたが、話からしてやる事は普通の世話で」


「そんなもん信じられるか! 大体牛乳ぐらいで腹なんて膨れねぇよ!」


「そうよ! 自分の食べ物もないのに、牛の世話なんてしてる暇ないでしょ!」


「あんな化け物の奴隷なんてごめんだ!」


 唯一冷静だったのはリーダー格の青年だが、彼の言葉も人々には届かない。牛に聞こえる事も厭わず感情を吐露し、周りはそれに賛同するばかり。熱は冷めるどころか、どんどん勢いを増していく。


「子供や老人だっているんだ。そろそろ栄養のあるものを食べさせないと体力が持たないぞ」


 挙句、こんな事を言い出す者まで現れる始末。

 少し遠回しな言い方だが、モモにも分かる。この牛を殺して食べてしまえという意見だ。

 ただの牛なら、それもまた一つの案だろう。だがこのホルスタインは駄目だ。人の手に負えるような生物ではない。

 反射的にモモは止めようとしたが、人々の血走った目が恐ろしくて怯んでしまう。人間の力で何をされても痛くも痒くもないが、飼い犬であるモモにはその視線が堪らなく怖いのだ。

 恐ろしさを知るモモは何も言えず、冷静な青年の言葉は届かない。故に人間達はその『食欲』をホルスタインに向けてしまう。

 ホルスタインは視線の意味に気付いたように、深々と鼻息を吐いた。


「成程、それがあなた達の答えですか。とはいえ一言断られただけで諦めるというのも癪ですし、食べられるのはもっと勘弁願いたいところ」


 過熱していく人間達に対し、ホルスタインは冷静なまま。人間のように肩を竦め、首を左右に振る。

 だが、ホルスタインは退かない。

 退く訳がない。。モモにはそれが分かっていた――――モモは動物だから、ホルスタインの気持ちはそれなりに理解出来るのだ。未だ自分達が地球の支配者だと、牛が家畜だと思いたい人間と違って。

 合理的に考えればすぐに分かる。牛の世話をするのに、十二人も人手は要らない。一頭だけなら一人で十分だろうし、手厚い世話を受けるにしても三人も居れば良いだろう。

 なら、残りの九人は別に要らない。要らないのだから、脅しの材料にでも使った方が『効率的』というものだ。


「そうですね。使えない手足などあっても意味がありませんし、考えが変わるかどうか、試しに一人殺してみましょうか」


 その合理的な考えにホルスタインも至った事を、モモはこの言葉で理解した

 直後、モモは動いた。

 続いてホルスタインが力強く後ろ足で大地を蹴るや、強烈な地震が引き起こされる! 人間達は全員余さず体勢を崩し、尻餅を撞くように転ぶ。

 されどホルスタインの目的は人間を転ばせる事ではない。

 大地を蹴り上げた反動で、自らの身体を高速で撃ち出す事だ! ただ地面を駆けただけにも拘わらず、ホルスタインの身体はまるで弾丸のような速さまで加速している。空気を切り裂き、音さえも置き去りにしていた。

 当然人間の動体視力で追えるスピードではない。ホルスタインの進路上には一人の若い女が居たが、彼女が巨大な獣の接近に気付く筈もなく――――

 体勢を崩してから尻餅を撞くまでの一瞬でモモが間に割り込まなければ、女は砲弾が直撃したかのような惨劇に見舞われただろう。


「ぬぅっ……!」


「きゃっ! ……え? えっ!?」


 牛の肩を抱きかかるようにして動きを止めるモモ。尻餅を撞いた女は、遅れてモモの存在、そして彼女が牛を生身で取り押さえている姿を目の当たりにして驚きの声を漏らす。ホルスタインに狙われなかった他の人間達も次々自体に気付き、周りから息を飲む音が何度も聞こえた。

 ホルスタインは自分を受け止めたモモを一瞥。もう一度大地を蹴るためか後ろ足を上げた


「ぬぐああぁぁっ!」


 瞬間、モモは咆哮と共にホルスタインの身体を突き飛ばす!

 人外の怪力はホルスタインの身体を激しく吹き飛ばした。ホルスタインは止まろうとしてか踏ん張るも、その動きは中々止まらない。何十メートルと吹き飛ばされた巨体は、家数件分の瓦礫を吹き飛ばし、花吹雪のように舞い上がらせる。

 こんな破壊力、生身の人間どころか生半可な軍事兵器では生み出せない。ならばその身に兵器が通じる筈もなく、人の手に負える訳がないと本能で察せられるだろう。


「化け物だ……」


 人間の誰かがそう言うのは、必然の事だ。

 化け物、化け物だ、なんて事……モモを恐怖し嫌悪する声が次々と上がる。人々に向けていないモモの顔に、悲しみと後悔が浮かぶ。

 守るためだったのに、助けるためなのに。どうしてみんな私を怒るの?

 モモには分からない。褒めてくれない事が寂しくて悲しい。大きな声で泣き出したい。

 でも出来ない。

 渾身の力で吹っ飛ばしたにも拘わらず、あのホルスタインはまるで堪えた様子がないのだから。


「早く逃げて! 少しでも遠くに!」


 モモに言えるのはその言葉だけ。


「――――みんな逃げろ! 公園にいる人達にも知らせるんだ!」


 想いに応えてくれたのは、リーダー格の青年だ。彼の指示で人間達は我に返り、慌ただしく立ち上がるや逃げ出す。この場から人間の姿がなくなるのに十秒も要らない。

 だがどれだけ走ろうとも、このホルスタインならば簡単に追い付くだろうが。

 ホルスタインはゆっくりとモモに近付いてくる。駆け出したところで、モモが居る限り止められると思ったのだろう。

 事実モモはそのつもりだ。例えどんな勢いで突進してこようとも、ただの体当たりならば受け止められる。この身に宿った力はそれを可能とするだけのパワーがあるのだ……ホルスタインにも、同じような力はあるが。

 未だ感じられる力量差は絶望的。恐らく勝ち目などない。ろくな傷すら負わせられないまま、踏み潰されてしまうだろう。

 予感される終わりを前にして、されどモモはニタリと笑みを浮かべた。


「……随分と清々しい顔をしていますね。あのように恐れられているのに、どうして人間を守ろうとするのです?」


 しばしの沈黙を挟んだ後、ホルスタインは不思議そうに尋ねてきた。

 恐らく、ちょっと疑問に思った程度なのだろう。ホルスタインが放つ闘志は薄れる事すらなく燃え続けており、モモが攻撃動作を見せれば答えなど待たずに動き出すつもりなのは明白なのだ。

 そんなホルスタインからの問いを、モモは鼻で笑う。訊くまでもない事だろうと言わんばかりに。

 モモは更に両手の握り拳をぶつけ合わせる。するとバチンッと激しい音が鳴り響き、次いでモモの身体が青白く発光し始めた。やがて稲妻が全身を駆け巡り、足下にある土埃がふわりと浮かび上がって飛んでいく。

 モモの『身体』は体毛で作り上げたもの。その体毛同士を擦り合わせる事で、落雷に匹敵する莫大な電気を絶え間なく生成しているのだ。そしてこの電気を纏わせる事で体毛の分子配列を制御。伸縮の加速とパワーの増幅、更に電気的反発による防御の強化を行う。

 有り体に言えば『戦闘形態』。モモ自身はこの原理をでしか理解出来ていないが、本能的に制御方法は理解している。使用する上で問題は何もない。

 本気の姿へと変化したモモは、ホルスタインの瞳を睨み返しながら臆面もなく己の本心を告げる。


「知らないの? 犬はね……どんな人間が好きで好きで堪らなくて、人間の役に立ちたくて仕方ない生き物なのよッ!」


 自らの想いを明かしたモモは、ホルスタインの返事を待たずに動き出し――――

 次の瞬間、大地が震えるほどの爆音が轟いた。

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