滅びの日13

 モモが青年に連れていかれたのは、公園から数百メートルほど離れた場所だった。

 青年に連れられたのは、若い男と中年男性三人ずつ、それと若い女性五人……モモを含めれば十二人。瓦礫を退かすという力仕事の都合、若くて体力のある面子が集められたのだ。

 それでも見た目小学校高学年、精々中学生ぐらいのモモにも手伝わせるのだから、人手は全然足りていない訳だが。


「(まぁ、この瓦礫の中から食べ物を探そうってんだから、人手はいるわよねぇ)」


 モモは髪 ― のように伸ばした体毛 ― を掻き上げながら辺りを見回し、そう思った。

 他よりも一段高い瓦礫の上に立てば、周りの景色がよく見える。瓦礫よりも高いものは何もなく、地平線の彼方まで瓦礫の山が続いていた。木材だらけなので、此処らがかつて住宅地だった事はなんとなく察せられる。

 そして瓦礫の下からたくさんの血の臭いがしている事を、モモは感じ取っていた。臭いの種類は千差万別で、一人二人のものではない。何百か、何千か……或いはそれ以上か。


「(ふつーの人間じゃ、家が潰れたらどうしようもないわよね。一体何人が死んだのやら)」


 モモは人間が好きだ。だから生きてる人間が生き埋めになっていたら、なんの迷いもなく助ける。が、此処に埋もれた人々はムスペルが現れた二日前からほったらかしだ。生き埋め当初は生きていたとしても、今更だろう。

 勿論もしかしたら奇跡的に生存している者もいるかも知れないが、人間より遥かに優れた嗅覚を持つモモはそんな希望を抱かない。そして死んだ人間に彼女は大して興味を持たず、わざわざ掘り起こしてやろうとは考えなかった。モモは生きた人間が好きなのだ。死体なんて掘り起こしても意味などないのである。

 ――――たった一つの例外を除いて。


「……ふぅ」


 モモは首を横に振りながらため息一つ。

 過去を振り返る事に意味がないとは思わない。が、今は必要ない記憶だ。

 それよりも未来のために、食糧を集める事に集中すべきである。


「みんな! 此処で作業を始めよう!」


 丁度気持ちを切り替えたタイミングで、青年から指示が入った。変わり果てた住宅地に人間達の多くはぼんやりしていたが、彼に呼び掛けられて動き出す。瓦礫だらけで何をしようか迷っている様子だったが、青年が足下の板や瓦礫を無造作に退かすと、真似するように足下を掘っていく。

 モモも立ち尽くすのは止め、足下を掘る事にした。犬である彼女は穴掘りが大得意。それに体毛を伸ばして『センサー』として用いれば、地中に眠るお宝を探るぐらい造作もない。難なら適当に蹴飛ばせば、家数件分の瓦礫ぐらい簡単に吹き飛ばせる――――


「(って、それじゃ人間じゃないってバレちゃう。加減しないと、またあの子に怒られちゃうかも)」


 無意識な考えを、実行直前で思い止まる。今にも蹴り飛ばそうとしていた足を脱力させ、わざわざしゃがみ込んでから瓦礫や材木を一つずつ取り除く。

 正直、何故こんな『非効率』な事をしなければいけないのか、モモには分からない。

 人間じゃないという事を隠すため、というのは理解出来る。普通の犬とは違い、モモの知能は人間に匹敵するのだから。しかし何故人間じゃない事が問題なのかが分からない。特に犬は盲導犬や警察犬など、人間と仲良くしている筈。

 人間の役に立てば、人間は喜んでくれて、自分達を撫でてくれるのではないか。大きな力で瓦礫を吹き飛ばし、みんなの食べ物を一瞬で見付けた方が、ずっと喜ばしい事ではないのか。

 人間の気持ちと理屈は分からない。

 分からないけど、継実の指示には逆らいたくない。

 だって、あの子に嫌われたなら――――


「どうしたんだい? もしかして、疲れたのかな?」


 考え込んでいると、ふと真横から声を掛けられる。

 ちらりと視線を向ければ、そこに居たのは青年だった。手加減し過ぎて動きが人間から見ても鈍くなっていたのか、はたまた考え事をして止まっていたのか。

 サボっていると思われたくなくて、モモは慌てて手近な瓦礫を引っ張る。大きな材木は、本来中学生が引き抜けるものではないのだが……頭がいっぱいになったモモはそれを難なく引っこ抜く。

 投げ捨てられる材木。

 異常な怪力を目にしても、青年は特段モモを訝しむような態度は見せなかった。それどころか気遣うように話し掛けてくる。


「君はまだ此処に来たばかりだ。無理はしなくて良い」


「む、無理なんてしてないわよ! ちょっと考え込んでいただけ!」


「……そうか。分かった」


 モモが否定すると、青年は特段問い詰める事もなく納得した。

 これで誤魔化せたのかしら? 人間は好きだが、人間の気持ちがよく分からないモモは若干不安になる。しかしその不安に長く執着する事もない。


「君は、一緒に居たあの子とケンカしてるのかい?」


 青年の言葉で、頭のリソースを一気に持っていかれてしまったのだから。


「……ケンカじゃないって言ったでしょ。私が失敗しただけ。悪いのは私よ」


「だけどあの子はそう思ってない様子だ」


「? よく分かんない。私が悪いって言ってきたんだし、そうなんじゃないの?」


 モモは継実に言われた言葉をハッキリと覚えている。あんなにも大きな声で、面と向かって言われたのだから、聞き間違いなんてしていない筈。

 そして人間がそう言ったのだから、

 飼い犬であるモモにとって、それは自明の理であった。お陰で青年の言いたい事がが理解出来ず、首を傾げてしまう。青年はそんなモモを見てやれやれとばかりに肩を竦めるも、優しく微笑みながらモモの疑問に答える。


「人間というのは、思った事がころころ変わる生き物だ。つい先程言い放った言葉に後悔するなんてしょっちゅう。そしてそんな恥を認められなくて、意固地になってしまうものでもある」


「思った事が変わったなら、そう言えば良いじゃない。その時々で考えが変わるなんて普通でしょ?」


「ははっ、普通か。そうだね、普通だね」


 青年は何がおかしかったのか、楽しそうに笑った。モモには青年の気持ちなど知りようもないが、しかし人間が喜ぶ姿を見られて嬉しい。モモの顔にも自然と笑みが戻る。


「仕事が終わったら、一度あの子とちゃんと話した方が良い。後悔先立たず。昔の人が残したことわざさ」


「うーん。そういうものなの?」


「そういうものだ。そして俺も経験した事だから、間違いなく正しいことわざでもある」


 自慢げな青年に対し、モモはまたしても首を傾げてしまう。コトワザの真意はよく分からない。が、確かに昨日から継実とちゃんとお話出来ていないような気がする。

 折角人間の言葉が使えるのだから、お喋りしないと勿体ないというものだ。それにお喋りは楽しい……自分の『飼い主』としてきたように。

 お喋りすれば、あの子は怒るのを止めてくれるのだろうか。確信はないが、何もしないよりは良いと考え、青年のアドバイス通りにやろうとモモは決心する。


「邪魔してしまったね。俺はあっちを探してこよう……活躍に期待してるよ」


「ん。まぁ、任せなさい。この私の手に掛かれば食べ物の一つ二つ簡単に見付けてやるわ!」


 話を打ち切る青年に、モモは胸を張って応える。兎にも角にも今は食べ物探しの時間だ。食べ物がなくては、楽しいお喋りも出来まい。

 そう、時間はたくさんある。自分が失敗して、人間に追い出されなければ何度だって。そうしたら、何時か継実と仲良く出来る筈。

 青年のお陰で前向きな気持ちになったモモは、作業に身を入れるようになった。勿論今まで不真面目にやっていた訳ではないのだが、しかし『手抜き』をしていた事は違いない。やる気さえ出せば、成果は今までの比ではなくなる。

 人間だとバレないように頑張れば、継実も褒めてくれるかも知れない。そうだ、一番大きな缶詰を渡したら喜んでくれるのではないか。そう考えたモモは臭いで辺りを探ろうとし――――


「っ!?」


 作業の手がぴたりと止まる。

 モモは立ち上がり、ある方角をじっと見つめた。犬であるモモの視力は、実のところ人間と比べてもあまり良くない。しかし動体視力には優れており、動くものに対しては遠距離でもしかと識別出来た。

 故に、彼女はこの場に居る誰よりも早く『それ』の接近を察知する。

 ――――地平線の近くから、こちらに向かって歩く影がある事を。


「(嗅ぎ慣れない臭い……少なくともわね)」


 風下に立っていた事もあり、モモは相手の情報を臭いで解析。警戒心を募らせていく。

 勿論人間じゃないというだけなら、大した問題ではない。イノシシやクマのような野生動物のみならず、例えムスペルであろうともモモの敵ではないのだ。継実から人間とはバレないようにしろと指示されているが、ムスペルでなければそれも大して難しくないだろう。

 そして目が悪いとはいえ、輪郭ぐらいは見えている。相手の大きさは、推定二~三メートル程度の四つん這いの動物。間違いなくムスペルではない。ただの獣だ。

 そう、ただの獣。

 だというのに、何故悪寒が止まらない?


「おい、アレ見てみろよ!」


 モモが思考を巡らせていると、ついに瓦礫漁り中の誰かが接近する影に気付いた。誰かの上げた大声は周りに伝播し、ざわめく声が場を満たす。

 そのざわめきは、やがて喜びを含み始めた。

 目が良くないモモも、影が近付いてくれば人間達が喜んでいる理由は察せられた。成程、確かに現状あの動物が来てくれた事はありがたく思えるかも知れない。人間はあれを好んで食べていたし、モモもその肉を分けてもらった事は一度や二度じゃない。モモがあれを仕留めれば、きっと大勢の人間達が喜ぶだろう。

 仕留められれば、の話だが。


「(ヤバい、ヤバいヤバいヤバい! アイツ、滅茶苦茶ヤバいっ!)」


 ぞわぞわと全身を走る悪寒。それが本能の警告だと理解したモモは、『アレ』を仕留めるという選択肢は真っ先に除外した。それほどの力の差を感じ取ったのだ。

 取るべき選択肢は逃走。他にはない。


「お、おい。あれを仕留めれば、何日か分の食糧になるんじゃねぇか?」


「そうよね! やってみましょうよ!」


 しかしあの動物の強さに気付いていない人間達は、あまりにも恐れ知らずな事を言い始める。

 青年などは「危険だ」と慎重な意見を述べていたが、空腹に駆られた人々の勢いは止まらない。果たしてあるかどうかも分からない缶詰を探すより、そこを歩いている動物を仕留める方が確実だと思ったのだ。

 それが自殺行為だと知らぬが故に。


「駄目! みんな早く逃げて!」


 モモは全力で警戒を発し、人間達の避難を促す。これが最善策であると判断したからだ。

 モモの意見に人間達は困惑し、立ち尽くす。そう、あくまで困惑するだけ。モモの警告を聞きながら、誰一人としてこの場を離れようとしない。

 確かに大きさからして『アレ』に単身で挑むのは危険であるが、十二人の大人達が力を合わせればなんとかなるだろう。原始人が知恵と勇気でマンモスを仕留めたのに比べれば、鉄の棒や角材で武装した自分達が『アレ』を仕留める方が簡単だと。腹を空かせた人間達はそう思ったのだ。

 その考え自体は正しい。『アレ』が普通の個体だったなら、多少の怪我人、最悪死人も出るかも知れないが成し遂げられた筈だ。本気で相手を殺そうと思えば、人間というのは中々強いのである。

 しかし『アレ』は別格だ。


「アイツは本当にヤバいわ! 今すぐ逃げないと! 公園に待たせてる人達も連れて、兎に角遠くに!」


「は? いやいや、そこまで怯えなくて良いだろ」


「そりゃ、体当たりとかされたら怪我もするだろうし、踏み付けられたら死ぬかも知れないが」


「このまま何も食べられなかったら飢え死によ。一か八かでもやるしかない」


「そ、そうじゃなくて、アレは……」


 説得しようとするモモだったが、人間達は聞く耳すら持たない。当然だ。モモはあくまで『アレ』の強さを本能的に感じただけであり、根拠と呼べるものが自分の感覚しかないのだ。言語化して伝える事が出来ず、人間達からすれば小娘が一人勝手に酷く怯えているようにしか見えない。精々、じゃあ君は留守番してくれと優しく言われるだけ。

 強いて効果があったとすれば、人々の無謀な挑戦を食い止めた事ぐらい。されどそれも、功績と呼べるものではない。何故人々は動かなかったのか? 動く必要がなかったからだ。その動物は、ゆっくりとではあるが自分達の方に向かって歩いてきたのだから。

 そして奴は、ついにモモ達のすぐ傍までやってきた。


「初めまして、人間達。早速ですが、あなた方にはわたくしの奴隷となってもらいましょうか」


 ――――

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