滅びの日10
「……本当に勝った」
ぽつりと、継実は独りごちた。パチパチと瞬きもしてみる。
されど積み上がったムスペルの肉片の山は、消えたりなんてしない。
間違いなくモモがあの恐ろしい化け物を倒したのだと、継実はようやく理解した。都市で暴れていたムスペルも小さなアオスジアゲハが倒したのだから、似たような存在であるモモが勝つのは予想の範疇。されどまさかこうもあっさり勝利するとは思わず、継実は呆けたように立ち尽くす。
「たっだいまー!」
そうしていた時間は僅か数秒だったが、その数秒でモモは継実の下に帰ってきた。
世界を滅ぼす魔物を仕留め、数キロの道のりを颯爽と戻ってきたのに、モモは疲労の色すら見せていない。満面の笑みを浮かべ、褒めてほしいとばかりに尻尾を振るばかり。耳もぴこぴこと動いて喜びを表現している。
こうも無邪気だと、褒めたり労ったりした方が良いのかなという気持ちになってくるものだ。
「……おかえり。その、ありがとう。ムスペルを倒してくれて」
「ん? なんでお礼を言ってんの? アイツは私が食べてみたいから倒しただけなんだけど」
「そうかも知れないけど、でも此処を守ってくれたのは確……え? 食べるため? 人を守るためじゃなくて」
「あー、そういうのも兼ねてではあるけどね。テレビで見た時から、どんな味か気になってたのよ。だから他の奴等に横取りされないうちに倒さないとって思って。あ、勿論あなたや他の人間には分けてあげるわよ! そこらの野良と違って、私は心配りが出来る子なんだから!」
予想外の理由に困惑する継実の前で、モモは堂々と胸を張る。恥じる様子もなければ、おちょくるようでもない。どうやら先の言葉は嘘偽りでなく、本心からのものらしい。
あんな化け物を一体何処の誰が横取りするんだとツッコみたいが、犬である彼女にとっては重大な懸念事項なのだろう。つまるところモモは、何処までいっても犬なのだ。
「ん? あ、みんな来てるじゃん。おーい、みんなもムスペル食べましょー!」
そして人を見付ければ、無邪気に駆け寄るのも犬というもの。
モモが走り出した方には、たくさんの人間が居た。継実達が挨拶をした、瓦礫片付けをしていた人達だ。子供達の姿は見えないのは恐らく遠くに逃がされたから。そして大人達は全員集まっている。どうやら怪我人はいないようだと、継実は安堵の息を吐いた。
……その割には、皆表情が硬い。というよりも引き攣っている。
継実は皆の様子に違和感を覚えた。が、犬であるモモは気にも留めていない。モモは躊躇いなく人々に近付く。ボールを咥えた犬が、喜んで飼い主の下へと戻るように。
「く、来るな化け物!」
だから、牽制されるなど思わなかったのだろう。
「ひゃうっ!? え、えっ……?」
怒鳴られたモモはぴたりと足を止め、怯えるように身体を震わせた。ムスペル相手に全く引かなかった肉体が、一歩二歩と後退る。
そこに集まった人々の顔には、敵意が浮かんでいた。ほんのついさっきまで継実達に見せていた優しさは、もう何処にもない。敵意を剥き出しにし、雰囲気から嫌悪も感じてしまう。
流石のモモもここまで敵意を見せ付けられたら、相手の気持ちにも気付くらしい。酷く怯えたように身を縮こまらせ、だけどどうして怒鳴られたのか分からないのか、おどおどと尋ねた。
「ど、どうしたのよみんな? なんでそんな怖い顔してるの……?」
「いけしゃあしゃあと……お前が化け物なのはバレてるんだ!」
「あのムスペルと戦っていたのはお前なんだろ! ムスペルが居た方から来たのを見たぞ!」
「人間のふりして近付いて、俺達も食い殺すつもりだったのか!」
次々と浴びせられる罵詈雑言。恐らく全く予期していない言葉だったのだろう。モモは目を瞬かせ、訳が分からないとばかりに立ち尽くす。力いっぱい振っていた尾は垂れ下がり、獣耳も力なく伏していた。
犬である彼女には分からない。人間達が豹変した理由が。
しかし人間である継実には分かった。大人達はモモの力が自分達に、そして子供達に向けられた時の事を恐れている。
ムスペルをも仕留める力だ。その気になれば人間なんて簡単に殺せるだろう。そんな恐ろしい『化け物』と寝食を共に出来るだろうか? 相手の事を知っていればYesとも答えられるだろうが……不運にもモモと彼等は今日出会ったばかり。彼女の人となりを知る時間などなく、不安はあれども安心出来る要素はない。
無論勝ち目がない事は彼等も理解している筈だ。それでも子供や家族を守るため、言葉で追い出そうとしているのだろう。
そう、彼等は悪い人達ではない。そしてモモだって悪い子ではない。
こんなすれ違いは必要ないのだ。
「待って! 話を聞いてください!」
これを止められるのは、モモの事をよく知る人間である自分だけ。みんなを説得しようと、怯えるモモの前に出た。
「五月蝿い! お前も化け物だろ!」
すると今度は、継実に罵声が浴びせ掛けられる。
今度は継実の心が止まる番だった。先のモモと同じように、自分が罵られるとは思わなかったがために。
「……え。あ、わ、私は人間で」
「騙されないぞ! お前が空中で瓦礫を止めたのをこっちは見てるんだ!」
「お前も人のふりをした化け物なんだろ!」
咄嗟に反論しようとし、されど大人達の言い分で声が詰まってしまう。
見られていたのだ。逃げた人達を守るために使った力を。
あれはあなた達を助けるためにやったのだ。胸を張ってそう言えば、少しは彼等もこちらの話に耳を傾けたかも知れない。だが幼く、こんな極限状態の人との対話など経験した事がない継実には、どう答えれば良いのか分からない。
そして沈黙は、興奮している彼等には肯定の意思に受け取られたようだ。
「出ていけ化け物!」
「出ていけ!」
「もう此処に近付くな!」
大人達は更に激しく罵り、中には鉄パイプを振りかざす者まで現れる。
今になって自分の行動が失敗だったと気付く継実だが、もう手遅れだ。彼等はこちらの話に耳を傾けもしてくれない。話せば話すほど、こちらへの悪意を募らせるだろう。
「ね、ねぇ、どうしたら良いの? どうしたらあの人達、怒るの止めてくれるの?」
未だ何故怒られているのか分からないモモが、縋るように継実の手を掴む。強く掴む力は、間違いなく人外のそれ。
その手をじっと見つめ、それから人々の方へと向き……継実は俯く。
「……行こう。もう、此処にはいられないから」
やがてぽつりと、辿り着いてしまった結論を言葉に出す。
「う、うん……また今度来たら、許してもらえるのかしら? どうなのかな」
「……ンタの……」
「? 何?」
「……なんでもない」
困惑するモモの手を引きながら、継実は人々から離れるように歩く。
『人外』の力を宿した身体は、背後に刺さる視線を嫌というほど感じさせる。自分達がどれだけ歩けども視線は途切れず、遠くなれども敵意は消えてくれない。
継実が人々の視線を感じなくなったのは、彼等の姿が地平線の向こうに消えて見えなくなってから。
それでも継実の脳裏には、人々の目が何時までも残り続けた。
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