滅びの日11
手を繋ぎ、とぼとぼと歩く継実とモモ。歩みは決して遅くはなく、速くもないそれは、三十分ほどで数キロの道のりを渡りきる。
歩く場所は何処もかしこも瓦礫ばかり。無事な建物らしきものは地平線の彼方まで見られず、精々公園や河川敷など、比較的人工物の少ない領域だけが原形を残している。その数少ない領域には、何処から来たのかイノシシやシカが闊歩し、人の姿なんて何処にもない。
ましてや
「うーん、何がいけなかったのかしら……」
だというのにモモは、自分が何をしたのかすら理解出来ておらず。
継実が手を振り解くように離すと、モモは困惑したように足を止めた。継実も足を止め、モモと向き合う。
「……本当に分かってない?」
「え? アンタは分かってるの? なら教えてほしいわ。同じ失敗はしたくないし」
問えば、モモは心から求めるようにお願いしてくる。当然だ、彼女は自分に過失があるなんてこれっぽっちも思っていない。その答えが聞くに堪えないものだなんて、欠片も思わない。
それが無性に腹立たしくて。
「アンタが、その力を使ったのが原因」
継実は、臆面もなく『事実』を伝えた。
尤もこの一言だけで全てを理解するなら、わざわざ継実が説明する必要などないだろうが。
「……え? どゆこと?」
「アンタが使った力は、人間からすればあまりに強い。人間では、どうにも出来ないぐらい」
「ええ、そうね。今の私なら人間がどんな攻撃を仕掛けてきても返り討ちにしてやるわ」
「それが人間には怖い。自分達に向けられたり、支配されたり、酷い事をされると思うから」
「え? なんで? しないわよそんな事。私、人間好きだし。二年ぐらい前からこの力を持ってるけど、今まで人間を叩いた事は……ああ、寝惚けてアンタにはしたかもだけど、他の奴にはやった事ないわよ?」
何故危害を加えられると勘違いされてしまうのか。人間達が自分の気持ちを理解してくれない事に、モモは首を傾げて心底不思議そうにしている。
やはり犬だ。人間的なコミュニケーションや思想を殆ど分かっていない。やられた事がない事はやられないという、性善説に基づいて動いている。
人間は、得体の知れない人物をすぐには信用しないという事を理解していないのだ。
「そんなのはアンタしか知らない事! 始めて会った人は、アンタがどんな奴か知らない! 知らないんだから危険か安全かなんて分かる訳ない!」
「あー、成程。確かにそうよね」
「アンタがいきなり殴り掛かる奴かも知れないし、アンタが力で支配を目論む奴かも知れない! 殺しを楽しんだり、人の物を奪ったり、そういう事をするかも知れない!」
「ん? んー……」
「だから怖いの! 人間が、アンタの力を知ったら!」
一通り叫び、継実は息が切れた。人以上の力を手に入れたのに叫んだだけでどうして……と思いながらふと足下を見れば、自分の足下から同心円状に小石や砂が飛んでいる。
どうやら叫ぶ最中、無意識に力を使っていたのだろう。気持ちを落ち着かせようと息を深く吸い、吐いて、汗を拭う。
「……ねぇ、さっきからずーっと疑問だったから、一つ訊いても良い?」
「……何?」
そうして少し冷静になった継実は、モモの意見にも耳を傾ける。とはいえ所詮は犬の意見。ろくなもんじゃないと思っていた。
「さっきから力がある奴は他の奴を襲うとか支配するって前提で話してるけど、そんなくだらない事してなんになるの?」
だから、モモのこの言葉にすぐさま反応する事が出来なかった。
喘ぐように口を空回りさせ、ごくりと息を飲み、継実はなんとか声を絞り出す。
「だ、だって、力があるなら、食べ物とか奪うかも、知れないし、化け物なら人間を食べるかも知れないし」
「食べ物があるのに分けてくれないなら、そうするかもね。まぁ、私なら自力でネズミでも狩った方が早いと思うけど。というかムスペル仕留めて、みんなで分け合うって話したわよね? なんで食べ物を奪うとか、人間を食べるって考えになるの?」
「そ、れは……」
「支配だって、するならあの人間達の住処に着いたらすぐ宣言してるわよ。今日から私がリーダーだ! って。それが出来る力はあるんだから、わざわざ一緒に暮らしたり、挨拶しても仕方ないじゃない」
つらつら淡々と語られるモモの反論、或いは疑問に継実は言葉を失う。何かを言おうとしても、もう喉は震えるばかりで文章を作ってはくれない。
何故なら図星だから。
モモの意見は正しい。何から何まで。モモの話す内容は子供のように純粋な疑問でありながら、それでいて一片の破綻もない合理的なものばかりなのだから。
モモは犬、というより獣だ。
獣だから感情はある。人間に褒められたら、表向きツンツンしながら尻尾をぶん回すように。されどその思考は極めて合理的。自身の欲求や本能を客観的に見つめ、覚えている限りの記憶を分析して未来を予測する。感情的な打算がなく、論理的に世界を見通す。
故に人間と異なるのだ。
何故なら人間は感情的だから。襲われるかも、殺されるかも――――その恐怖から過去の情報を一切思い出せず、『今』だけを切り取って無理矢理予測をし、故に人間は合理的な判断が出来なくなる。
合理と感情。話が噛み合わなくて当然だ。両者は同じものを見ても、本当は別のものを見ている。
分かり合えない。
そして分かり合えない生き物と、分かり合える生き物がいるのなら、継実は分かり合える方の立場に立つ。
「……そうよ」
「え? 何?」
「そうよ人間は感情的! それの何が悪いの!?」
「わ、悪いとは言ってないでしょ。なんでって疑問に思っただけじゃない」
「アンタが怖いから人間が怖がったの! アンタがムスペルを食べようなんて馬鹿な考えを持って、力なんて使うから!」
「いや、確かにそうかもだけど。でもだったらあのムスペルはどうするつもりだったの? 人間には倒せないでしょ」
「そんなの、逃げれば良い! わざわざ倒す必要なんてない!」
「それはそうかもだけど」
「アンタが暴れなければ、あの人達が私達を追い出す事なんてなかったの! 全部アンタの所為っ!」
感情のまま、非合理的な気持ちを継実はぶつけ続ける。
そう、これはただの気持ち。筋道の立った理屈などない、根源的には好き嫌い難しい言葉に変換してるだけの『雄叫び』。最早獣の咆哮以下の、言語の体を成していないものだ。
モモには訳が分からないだろう。継実がどんな理屈で、何が言いたいのか、感情は持てども合理的であるが故に。そして合理的な彼女は、例え意味不明な言動を前にしても苛立たず、ぶつけられた言葉を合理的に解釈するだけ。
人間が大好きなモモに、継実への悪意なんて込み上がる筈もない。例えどんな反論をしようとも、モモに継実の心を痛め付けるつもりなどないのだ。
「それ私の所為なの? アンタだってあの人達に怖がられてたでしょ。化け物呼ばわりされていたし」
そう、この言葉さえも。
だけどそれは継実にとって、一番触れてほしくなかった事。何も言えなくなる、何も返せなくなる、自分でも分かっていた『弱点』。
継実だって本当は理解している。自分が追い出されたのは、モモの所為じゃない。自分の選んだ行動が、人間達を怖がらせてしまったのだ。
だけど認められない。
それを認めたら、自分は――――『化け物』になってしまうから。
「っ……五月蝿い、五月蝿い五月蝿い五月蝿い!」
「ま、待ってよ、落ち着いて。ねぇ、なんでそんなに怒ってるの? 私、何か悪い事したの?」
地団駄を踏み、怒りを露わにする継実にモモが狼狽え始める。しかし継実の感情は治まらず、頭の中が真紅に染まるほど怒り一色に塗り潰された視界は何も映さない。
「アンタなんて、大っ嫌い!」
胸を満たす感情のまま怒りをぶちまけても、頭の中の怒りはまるで薄まらず。
途端にモモが顔を青くし、震え始めたとしても、感情が昂ぶった継実には気付けない。
気付けないから背を向け、一人勝手に歩き出す。
「え。あ……ま、待って! ごめんなさい! アンタが言うように私が悪かったのよね!? 反省するから、お願いだから置いてかないで!」
慌てた様子で呼び止めるモモ。だけど継実は無視して背を向け、そのまま歩き出す。モモが慌てて追い駆けてくる事は『気配』で察するが、振り返りはしない。
モモの何が悪かったかなんて、『非合理的』な人間にしか分からないだろう。そう、これが分からないのは人間じゃない。だから分かってほしいと思う自分は人間だと、無茶苦茶な理屈を継実は頭の中で組み立てる。不格好で、風が吹かずとも勝手に崩れそうなその理屈が、それ以上に不安的な継実の心を一時支えてくれた。
そして後ろでは、人間ではないが人間好きであるがために、酷く狼狽えているモモの気配が感じ取れる。
それをいい気味だと継実は嘲り。
……だけど何時までも謝り続ける声に、胸がチクリと痛み。
「(……私は悪くない)」
胸の中で独りごちた言葉は、自分の心にすら響かず。
口を閉じた継実は、追い駆けてくるモモを無視して歩き続けるしかなかった。
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