滅びの日09
化け物が出た。
確かに、継実の耳にはそう聞こえた。叫んだ声に余裕がなく、心の底から慌てているようにも。
直感的な印象を騙るならば、この言葉に嘘は感じられない。
「っ!」
継実がそれを理解した時、獣であるモモは既に動き出していた。声が聞こえた方へ走り出すという形で。
継実とモモの周りには大人と子供が囲んでいたが、モモの身体能力ならばその隙間をすり抜けるなど造作もない。継実にはなんとかその動きが見えたものの、普通の人間からすれば瞬きする間もなく姿が消えたようなものだ。
「えっ!? ちょ、君――――」
辛うじて反応出来たのは、二十代ぐらいの青年だけ。その青年でも、呼び止めようとした時にはもうモモは彼方に走り去り、姿は遠く離れてしまっていた。それは一目で人間が出せるものではないと分かる、超越的な速さである。
正体を隠すつもりがない、人外の動き。
誰もが茫然と立ち尽くす中、継実だけは思考を巡らせる。
もう、モモの正体を隠す事は無理だ。
バレてしまったからには何かしないといけないのだろうが、何をすべきかなんて分からない。分からないから、この問題は一先ず棚上げにした。小学校のテストと同じだ。すぐに答えが出せない問題は、一旦飛ばした方が良い。より配点が高く、緊急性の高い問題を解くために。
そう、今ならば『化け物』をどうするのかという問題だ。
モモが化け物の方へと向かったのは、何をするため? その化け物というのはどれだけ強くて、どうやって対処しなければならない? そもそも化け物とはどんな奴なのか?
どれもこれも、此処で考えていても答えが出ない事。ならば自分がこの問題を解くためにすべき事はただ一つ。
化け物の正体を確かめるべく、モモの後を追う事だ。
「わ、私、彼女の後を追います!」
「なっ!? 待つんだ! 危ない!」
継実も素早く駆け出し、人の包囲網から抜け出す。本気になればモモほどのスピードはなくとも、人間離れした速さは出せる。勿論人間じゃないと思われたくないので加減はするが、大人がギリギリ追い付けない速さで駆けた。
走っていくと、段々音が聞こえてくる。
どおん、どおんと、叩き付けるような爆音。或いは奇怪な暴風の音色。大地が震えるような地震まで起こり、ただ事ではないと窺い知れる。
それでも、震動や音だけで何が起きたか知るのは難しく。
「……う、そ……」
『化け物』が見える位置まで駆けた継実は、唖然としながら立ち尽くす事となった。
継実の居る避難所の敷地内――――そこからざっと三キロは離れているだろうか。モモが跳び回っていた場所は。
三キロも離れた位置から大きさ二メートルに満たないものを目視確認するのは、人間には至難の業であろう。しかし今の継実の視力ならば造作もない。むしろ視界に収めている範囲が広い分、モモの素早い動きを易々と追える。
そして普通の人間には遠過ぎて聞き取れないであろう、楽しげな笑い声も継実の耳には届いていた。
「あっははは! 中々やるじゃない! テレビでしか見てなかったけど、思ったより強いのねぇ!」
モモは大地を、恐らく音速の何倍もの速さで駆けていた。彼女の周りに
例えその遊び相手が、世界を滅ぼした魔物であろうとも。
【バルルオオオオオオオオオオンッ!】
遥か彼方まで届く、既知のどんな生物とも異なる咆哮。
冷え固まった溶岩のような、異質の皮膚。
山のように巨大な体躯を、アシカのような手足で動かす怪力。
何もかも見た事がある。忘れもしない、いや、忘れられる訳がない。そいつは継実の全てを奪い去った元凶なのだから。
ムスペル。
人類文明を破滅に追いやった怪物が、そこには居た。何故こんなところに、と疑問を抱くものの、考えてみればそれほど驚く事ではないだろう。継実がテレビで見た時点でも世界中で百体以上、日本だけで二体も現れている。今更日本にもう一匹現れていたとしてもなんらおかしくないのだ。
無論、だから平静でいられるというものでもないが。
「む、ムスペルだ……!」
「嘘だろおい!? なんでこんなところに……!」
継実が呆けていると、後ろから大人達の声が聞こえてきた。振り向けば、つい先程まで継実達を囲んでいた大人達が居る。ようやく継実に追い付いたのだろうが、誰もがムスペルの姿に慄き、後退りしたり尻餅を撞いたりしていた。
人類文明を破壊した化け物とほんの数キロしか離れていないのだから、誰だって恐怖するに決まってる。継実だって、ムスペルを前にしたら怖くて足がガタガタと震えているのだから。
……或いは、怖いのはムスペルと対峙している方かも知れないが。
【バルルルォオオオオッ!】
ムスペルは雄叫びを上げながら、ぐるんとその身体を一回転。アシカのような体躯が回る事で、尾っぽらしき身体の末端が鞭のように振るわれる。
ムスペルの尾が狙うは、無論モモ。彼女は丁度瓦礫の上に四つん這いの姿勢で止まっており、尾は正確に瓦礫の頂上を捉えていた。すぐに逃げねば何千トンあるかも分からない大質量が、隕石のようなスピードで直撃する。その破壊力が如何ほどかは、語るまでもあるまい。
継実より素早く動けるモモならば、ムスペルの尾の動きは見えている筈。されどモモは瓦礫の山の上に居るモモは跳び退こうとする素振りすら見せない。
理由は簡単。必要がないからだ。
「ふんっ!」
迫り来るムスペルの尾に対しモモが起こした行動は、力強く握り締めた拳を、されど決して全力ではない掛け声と共に放つ事。
ただそれだけで、自身の何百倍もの巨体を誇るムスペルの一撃は、止められるどころか跳ね返されてしまった。
【バルオォオッ!? バ……ルルオオオオオオオオオオオオオンッ!】
攻撃を防がれたムスペルは、しかしそれで呆気なくやられはせず。跳ね返された勢いでぐるんと回転し、今度はモモと正面から向き合う。
そして開いた口から、半透明な『波動』を吐き出した。
「おっと、これは流石に勘弁ねっ!」
波動を見るやモモは素早くその場から跳び退く。
直後ムスペルが吐き出した波動は瓦礫の山を直撃――――次いで瓦礫の山がどろりと溶けて、弾け飛んだ。波動は何キロもの距離を進み、大地に巨大な溶岩の軌跡を刻み込む。
あの技は継実も見た事がある。奇妙なアオスジアゲハと戦っていたムスペルが繰り出した一撃だ。恐らくムスペルという種にとって、当たり前に使える攻撃方法なのだろう。そしてアオスジアゲハはあの攻撃を跳ね返したが、モモは颯爽と逃げ出した事から、モモの力では防ぐ事は出来ないらしい。
だからといって、モモにとってその攻撃が恐ろしいとは限らない。彼女の素早さにムスペルは追い付けず、吐き出す波動がモモに当たる気配がないからだ。思えばモモの力は体毛を自在に操る事で、アオスジアゲハは翅から奇妙なレーザーを放つ事と、二匹の力は全く種類が異なる。恐らく生物種の違いによるもので、どちらの方が強いという話ではないのだろう。
それに、人間にとっての迷惑さも恐らく大差ない。
モモは颯爽と大地を駆け抜け、ムスペルは必死に追い駆ける。当然吐き出す波動も猛烈な速さで動き、あたかも大地を薙ぎ払うように振るわれた。波動の力により大地は溶解し、沸騰したマグマへと変化。
更に波動が撃ち込まれた際の衝撃により、マグマは何百メートル、或いは何キロと飛んでいく。飛んでいく中で冷え固まったそれは、つまりは単なる岩石。
直径一メートルを超えるような岩が数百メートルの高さから落ちてくれば、生身の人間にとっては十分に致死的な災厄だろう。
「に、逃げろ! 岩が飛んでくるぞ!」
大人の誰かがそう叫び、周りに避難を促す。継実もその言葉に逆らう気はない。周りの人々と同じく、いそいそとムスペル達から離れるように逃げた。
違いがあるとすれば、大人達と違って岩が当たっても死ぬ心配のない継実は、後ろを振り向く余裕があったという事。
「だったら、コイツはどうかしらッ!」
そして遠く離れた位置で叫ばれた、モモの声が聞こえるという事。
本能的に『気配』を察知した継実は、反射的に後ろを振り返る。
するとそこではモモが
モモの圧倒的優勢なのは見ただけで分かる。されどムスペルもまた人の世を破滅させるほどの『魔物』。モモの体毛は最早内臓に達しているのではと思うほど深く食い込んでいるが、ムスペルに死の気配はまるで感じられない。それどころか傷口がぐずぐずと蠢きながら再生し、受けたダメージを即座に回復していく。
あまつさえこんな技を繰り出しながら、体力はさして消耗していないらしい。
【バルルルルオオオオオオオオンッ!】
絶叫と共にムスペルはのたうつように暴れ、口から波動を吐き出した。
最早波動は何処に狙いを定める事もなく、あっちこっち出鱈目に撃ちまくるだけ。見ているだけでムスペルの必死さは伝わり、流石のモモも ― 無論押さえ付けている方が遥かに不自然なのだが ― 完全には動きを止める事が出来ていない。波動を放つ口が自分の方を向かないよう体毛を引っ張ってコントロールしようとし、実際波動がモモを直撃する事はなかったが、動きを完全に制御出来ている訳ではない。
その証とばかりに、ムスペルが大きく薙ぎ払うように頭を振る事を止められず、大地に大きなマグマ溜まりを作ってしまう。
そして暴れ回るムスペルの身体が勢い良くそのマグマ溜まりに突っ込めば――――何千メートルにも渡るマグマの海が、継実達の方へと飛んでくるのだから。
「なっ……!?」
目にした光景に継実は声を詰まらせ、驚きから足を止める。されど思考は停止せず、即座に自分がすべき事を考えた。
結論はすぐに導き出される。というより悩んでいる暇などない。
ここで自分がなんとかしなければ、あと数秒で大量の岩石が降り注ぎ――――此処に逃げ延びた人々を襲うのだから。
後は殆ど無意識の行いだった。自分の腕に力を集めるイメージ。そのイメージを強く抱いたまま、大きく腕を振るえば、なんだかよく分からない力が空を駆け抜ける。力は継実の目にも見えないが、兎に角何かが飛んだという認識だけはあった。
自分の放った力は迫り来るマグマと同じく数キロに渡って広がった、と継実は思う。果たしてそれが正しいか否かは、継実からほんの数十メートルの位置の空中で冷え固まった岩石が静止した事で全てを物語った。不自然な飛行物体と化したそれを押すように継実が両手を前へと突き出すと、イメージ通り岩石は押し返される。
押し出された岩石は、継実の方に飛んでくる時よりを遥かに上回るスピードで飛翔。お返しとばかりにムスペルの身体にぶち当たる。
体長数百メートルを誇るムスペルからすれば、直径十メートルにも満たない岩石が当たったところで砂粒ほどにも感じないだろう。しかし継実の力により加速したそれは、多少なりと違和感を覚える程度の威力はあったのか。ムスペルはほんの一瞬だけではあるが動きを止めた。
その隙をモモは逃がさない。
「ふんっ!」
ムスペルに巻き付けた自身の体毛を、モモは一気に締め上げる。
ムスペルが我に返った時、全てが手遅れだった。モモの体毛はムスペルの肉を一気に切り裂き、完全に横断……つまり切断したのだ。傷口がこれまでにないほど激しく蠢いて再生するも、ばっくりと開いた断面を塞ぐ事は叶わず。
ムスペルの頭が首からずるりと落ち、大地に転がる。
これでもムスペルの身体と頭はまだ生きていて、断末魔の叫びと錯乱したような暴れ方をした。が、新たに伸ばされたモモの体毛が残りの肉体を細分化してしまう。ぐずぐずの肉塊となったそれは、ついに動く事も叫ぶ事もない。
ここまで完膚なきまでにやったなら、野生の本能なんて殆どない継実にも分かる。
モモは恐るべき魔物ムスペルを、大した苦もなく仕留めたのだと――――
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