滅びの日08

 継実とモモが案内されたのは、何一つモノが置かれていない、半径数メートル程度の殺風景な広間だった。

 案内される道中、保護してくれた人が話してくれた内容曰く……本来この辺りには災害時の避難所があったらしい。しかしムスペル出現時の超巨大地震により、一応耐震設計されていた建物は残念ながら崩落。避難所としての機能は完全に失われてしまった。現在は集まった人達で片付けを進めているが、まだ殆ど進んでいないという。

 更に消防などから連絡は一切ない状況。つまり此処で何日待てば助けが来るとか、何処に向かえば助けが得られるとか、『将来の展望』と呼べるものは何もないという事である。


「つまり、助けは……」


「来ないわ。少なくとも今の時点では」


 擦れた声で問う継実に、広間まで案内してくれた若い ― そして割れた眼鏡を掛けている痩せ形の ― 女性はあまりにも希望のない言葉で答えた。

 継実は身体に巻いているボロ布をぎゅっと抱き締めながら、思わず息を飲む。真昼を迎えて降り注ぐ陽の中、ボロ布一枚でもかなり温かいが、手放そうという気にはならない。目を伏せた継実は、次いで女性の言葉を確かめるように辺りを見渡した。

 確かにこの辺りに転がるのは、どれもコンクリートで出来た瓦礫ばかり。一軒家ではなく、公共の施設が崩れたのだと予感させた。継実達の居る領域は大きな瓦礫が退けられた形跡があり、自分達が来るまでの間の作業で取り除かれたのだろう。広間には大きな欠片が残っていたりするが、その程度で愚痴を零すつもりなどない。むしろたった一晩でよくこの広さを確保したものだと、継実としては讃えたいところ。

 尤も、今はそのような話を切り出す雰囲気ではないのだが。


「……あの、外との連絡は取れていないのですか? スマホとか使えば、他の県とか市と連絡出来ると思うのですが……持っていない私が言うのも、難ですが」


「ううん、当然の疑問よ。だけど駄目なの……電波塔か基地局も倒壊したみたいで、電話も通じない。日本の何処かには無事なところはあると思うけど、此処に助けが来るのは何時になるのか……」


 継実が疑問を尋ねれば、女性は悲痛さに染まった顰め面になる。幼い継実に過酷な現実を伝えるのが辛い、というより、自分でも未だ飲み込めていない認識を言葉にして苦しんでいるようだ。

 故に彼女の言葉が、決して冗談などではなく、少なくとも彼女自身は心から信じているものだと分かる。そしてその信じている事が、決して思い込みや勘違いではないと継実も思う。

 ムスペルにより継実の暮らしていた都市は灰燼と帰した。消防隊や自衛隊も被害に遭い、誰かを助けるどころではないだろう。加えてムスペルが直に暴れ回っていたこの都市は被害の中心部であり、その周りにもそれなりの被害が広がっている筈。助けが来るとしたら外側からで、此処まで誰かが来てくれるまで相当の時間が掛かるだろう。女性が言うように、救助は恐らく当分の間来てくれまい。

 非常に重大な問題だ。それこそ人の生死に関わるほどの。


「あの、じゃあ食べ物とかは……」


「ないわ。あなた達が此処にやってきた時、瓦礫を退かしている人達の姿は見たでしょ? あれは勿論寝場所を確保したり、危険を取り除くためでもあるんだけど、何より埋まってしまった非常食を探しているの」


「非常食……」


「まだ何も見付かってないけどね。探し始めたのは今朝からだし……だからごめんなさい、食べ物や水は出せないの」


「いえ、気にしないでください。お腹は、まだ大丈夫……なので……」


 話の中でふと思い出す、昨晩の『食事』。血の気が引いていくのが分かり、女性に覗き込まれた事から顔が青くなっていると理解した。

 頭をぷるぷると横に振り、過ぎった考えを追い出す。顔色がこれで回復したかは自覚出来ないが、女性が首を傾げつつも離れたので、きっとそうなのだと思う。

 一旦考えを切り替えた継実は、自分達の置かれている状況を考える。

 避難所の倒壊により、食糧や水が瓦礫の下敷きというのは、非常に深刻な事態だ。何時救助が来るのか分からないが、都市が丸ごと倒壊するような事態となれば、救助が来るとしても何週間も掛かるかも知れないし……そもそも救助に来る余裕がないかも知れない。

 もしも避難所が機能していれば、数日程度は問題なく人々は暮らしていけるだろう。そこには水と食糧があるのだから。されど今その建物は潰れ、食糧も瓦礫の下。掘り起こさねば食べ物は得られず、掘り起こしたところで全てが食べられるとは限らない。

 そう、今や事態は「何時になったら元の生活に戻れるのか」なんて悠長なものではなく――――「果たして生き残れるのか」という深刻さなのだ。継実は思わず息を飲んでしまう。


「ふぅーん。そうなんだ」


 ちなみにモモは、まるで危機感を覚えていない様子だった。

 能天気な返事をするモモに、女性は引き攣った笑みを浮かべる。子供とはいえ見た目小学生高学年程度でありながら、説明の深刻さをまるで分かっていない様子のモモに呆れたのか。

 しかし女性はすぐに表情を切り替え、話を続けた。


「そういう訳だから、食事や水はないの。今日も、もしかすると見付からないかも知れないから、それだけは覚悟しておいて」


「……分かりました」


「分かったー」


「……ごめんなさい。頑張ってここまで逃げてきたのに、食べ物一つ出せないなんて」


「? なんでアンタが謝ってるの? 此処にご飯がないのはアンタの所為じゃないでしょ?」


 謝る女性に、モモは心底不思議そうに尋ねる。女性は一瞬キョトンとし、次いで「そうね」と微笑んで同意した。

 犬であるモモからすれば、責任がないのに謝るという事が理解出来ないのだろう。実際何故かと問われれば、継実としても中々上手く説明出来ない。そうした『合理的』な物言いが、子供達を飢えさせてしまった女性の心を軽くしたのだ。当人にそんな気は毛頭なくても。


「ま、なんでもいいや。ねぇ、休んだらちょっと此処見て回りましょうよ。他の人間にも会ってみたいわ」


「見て回りたいって……私達みたいな子供が動き回ったら迷惑」


「えぇー。挨拶は基本でしょー? 行きましょーよー」


 女性の気持ちなど露知らず、モモは元避難所内の散策を提案。継実が窘めるものの、中々諦めてくれない。尻尾をふりふりと振って、継実の腕を引く。

 どうしたものかと考えた継実は、中年女性に視線をちらりと向けた。もう一人からも止められたなら、もしかするとモモも諦めてくれるかも知れないと僅かに期待したのだ。


「ええ、構わないわよ」


 残念ながら、その期待は頼ろうとした女性の手によって打ち切られてしまったが。


「……え?」


「さっきも話したけど、救助が来るのは何時になるか分からない。つまりしばらくあなた達は此処で暮らす事になるわ。だったら挨拶は大事よ」


「え。あ、そ、それは確かにそうですけど」


 いきなり挨拶回りなんて。そんな内心から、継実は思わず否定的な反応を返してしまう。

 別段他者とのコミュニケーションが苦手という訳ではないし、何より女性の言い分は尤も。だが継実はどうにも踏ん切りが付かない性格で、何事もすぐには行動を起こせないタイプなのだ。

 モモとは違って。


「ほら、良いよって言われたし、早く行こう!」


 そしてモモは許しをもらえた事で、最早遠慮なしとばかりに継実の身体を引っ張る。


「え、あ、ま、ま――――」


 諦め悪く止めようとする言葉も虚しく、継実はモモに呆気なく連れ去られてしまうのだった。

 ……………

 ………

 …

 モモに引っ張られる事一分。継実は、人々の『作業現場』に来てしまった。

 そこは周りにある瓦礫の中でも一際大きな、明らかに巨大な建物が倒壊した跡だと分かる『山』だった。高さだけでも三~四メートル、横幅何十メートルの範囲にコンクリートの塊が転がっている。景観のため敷地内に植えられていたであろう樹木が何本か瓦礫に飲まれた状態で倒れており、建物が崩落した時雪崩のように周りに襲い掛かったのだと、地震発生時の状況が目に浮かぶ。

 災害救助に詳しい訳ではないが、これだけ大きな瓦礫の山を退けるには重機が必要であろう。単純なマンパワーの問題もそうだが、大きなコンクリートの塊となれば相当の重さがあるからだ。人力で運べない事もないだろうが、人手が必要だし、何よりうっかり落としたり転倒したりした時に危なくて仕方ない。加えて下手に瓦礫を退かせば、雪崩のように崩れてくる事もあるだろう。

 その危険な現場で、何人もの大人達が素手で瓦礫を退かしていた。今日の食べ物を得るために。

 ――――こんな真剣なお仕事中に、子供である自分が話し掛けて良いのだろうか?


「こんにちわーん!」


 生憎、犬の頭にはそんな懸念など一切過ぎらなかったようだが。


「ちょ、なんで声掛けた……」


「え? 声掛けなきゃ挨拶にならないじゃん。会釈は知ってるけど、みんなこっち見てないから気付かないだろうし」


「そうじゃなくて、忙しそうなんだから空気を読んで……」


「おう、お前達ついさっき此処に来たガキ共か」


「うん。そうよ」


 まるで罪悪感のないモモをどう叱ろうかと思う継実だったが、その前に作業をしていた男性の一人が継実達の下にやってくる。屈強な肉体と三白眼を持つ、中々厳めしい形相の人物だ。モモはまるで怖がらずに返事をし、男の三白眼が鋭さを増す。

 今の継実ならば、如何に屈強だろうともただの人間に負けるなどあり得ない。自分の身体にそれを可能とする力がある事は、継実自身分かっていた。しかしその力に目覚めたのはほんの二十四時間前の事。十年間培ってきた、十歳の少女のメンタリティはそう容易く変わりはしない。

 怒られるのだろうか。不安になった継実は一歩後退りし、

 直後、男の豪快な手が継実とモモの頭を掴んだ。


「はははっ! そうかそうか! もう元気になったのか!?」


 そして彼は楽しそうに笑いながら、二人の頭をわしわしと撫で回す。

 大きくてごつごつとした手の感触は、お世辞にも気持ち良くはないが、確かに撫でられていた。


「……えっと、は、はい。お陰様で……」


「おっちゃん! もっとわしゃわしゃーってやってよ!」


「ん? こうかー?」


「でへへへへへへへへー」


 男に力いっぱい撫でられたモモは、どろどろに蕩けた顔で悦に浸る。「そういえば犬って結構強めに触られるのが好きなんだっけ」と、継実はモモが喜ぶ理由を察した。


「お。なんだなんだ?」


「さっきの子達だ」


「もう動いて平気なのか?」


 モモの声を聞き付けたのか、瓦礫掘りの作業をしていた人達が次々とやってくる。

 彼等は継実達を取り囲み、怪我はないかとか、お腹は空いてないかとか、様々な事を尋ねてきた。継実が緊張して口を強張らせる中、人懐っこいモモはぺらぺらと正直に答える。気遣いも何もないありのままの答えは、大人達を安堵させたらしい。皆朗らかで、安心した笑みを浮かべた。

 とはいえ安心したらこれで終わりとならず、大人達は更に質問攻めをしてくる。今まで何処に暮らしていたのかとか、欲しいものはあるのかとか、病気は何かないかとか。家族や友人についてさり気なく話題を避けつつ、他の事はしっかりと確認してくる。


「あ、さっき来たお姉ちゃん達だ!」


「たちだー!」


 更にはこの喧騒の所為か、ボロ布を纏った小さな子供達にまで見付かった。

 継実よりも更に小さな、小学校低学年ぐらいの子供達は躊躇いなく突撃。何歳だのなんだの、モモ以上に遠慮なく尋ねてくる。更にはこちらが訊いてもいない事、何が好きだの名前だのをべらべらと話してきあ。

 正直、継実はお喋りが得意ではない。質問攻めされてもすぐには答えられないし、いきなり別の話題を振られたなら困惑からおどおどしてしまう。

 だけど質問というのは、相手の事を知りたいからする。自分の事を話すのは、相手に知ってもらいたいから。

 彼等は、自分達を受け入れようとしてくれているのだ。


「(そっか……私、此処に居て良いんだ)」


 受け入れてもらえる。助けてもらえる。

 平時ならば、いや、例え普通の災害時でもあまり心配する必要のない事。されど世界が滅ぼされた今、それでも人は、自分を助けてくれる。小さな子供だからと守ってくれる。

 それが堪らなく嬉しい。

 勿論、現実が厳しい事は分かっている。食べ物どころか水もなく、寝床だって剥き出しの地面の上。自分が羽織っている布を使えば少しはマシになるかも知れないが、これから寒さが厳しくなる中、布一枚では命に関わるだろう。冬を越すまでに、たくさんの命が失われる。

 だけど、それを減らす事が出来るかも知れない力を自分は持っている。

 宿した事に意味はないだろう。だけどそこに意味を与えられるのも人間なのだ。

 自分は彼等に『恩返し』出来るかも知れない。継実はそう信じた。


「ねーねー、おねえちゃんはなんでしっぽが生えてるの? おもちゃ?」


 ……信じる気持ちの前に、小さな女の子がぶつけてきたこの疑問をどうにかしなければならないが。


「ん? これはオモチャじゃなくて本物よ。ほら、自由に動くでしょ」


 女の子に尋ねられ、モモは尻尾をふりふりと複雑に動かす。単純な動きなら本当はオモチャなのだと誤魔化しようもあっただろうが、こうも自由に動かされては騙りようがない。子供達がはしゃぐのに反比例するかの如く、大人達の顔が強張る。

 恐らく大人達は、モモの尻尾や耳には敢えて触れなかったのだろう。多分コスプレだと思っただろうし、姿なんてお伽噺じゃないのだからあり得ない。

 あり得ないが、しかしこうも『人外アピール』をされては現実逃避も難しい。

 いや、逃避してばかりもいられない。何故ならこの人類は恐ろしい怪物の存在を知り、その怪物達により文明が崩壊したのだ。確かにそれらの化け物はどれもムスペルのような異形ばかりで、モモのような『普通の生き物』が超常の力を宿した例は報道もされていない。されどだからモモは見逃してもらえるというのは、いくらなんでも楽観が過ぎる。

 継実だって、モモの事をよく知らなかった時は怖がったのだ。避難所の人々が恐れても仕方ない。そうなった時、彼女は人懐っこいから大丈夫と説明しても、果たして信じてもらえるか……


「(なんとかして話を逸らさないと……!)」


 危機感を覚える継実だったが、そう簡単に名案は思い付かず。そうこうしているうちに自分達を取り囲む大人の一人が、ゆっくりと口を開き――――

 しかしその口が、モモへの疑問を言葉にする事はなかった。


「ば、化け物だ! 化け物が出たぞぉ!」


 何故なら遠くから聞こえてきた誰かの大声が、そんな『些末』な疑問を吹き飛ばしてしまったのだから……

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