滅びの日06

「どう? 落ち着いた?」


「お、落ち着いた。もう大丈夫」


 モモに声を掛けられ、継実は赤面しながら頷く。

 涙はもう止まり、視界もすっきりしている。お陰で心配そうなモモの顔 ― ちなみに本体であるパピヨンは内側に引っ込んだ ― もハッキリと見え、それが無性に恥ずかしい。

 なんとなく継実はモモから視線を逸らし、東の空を眺める。空は未だ真っ暗……と言いたいが、地平線がほんの僅かに赤らんでいた。怪物に対する断続的な水爆投入が行われている訳でないのなら、それは間もなく朝日が昇ろうとしている証。一時眠ろうとしたが、その前にモモに声を掛けられて跳び起きたので、睡眠は取っていない。

 つまり自分は一晩中わーわーと騒いだり走ったりしていたようだと、継実は今になって実感した。なのにこれといった疲労感がないというのは、やっぱり自分の身体が人間離れしているようで、ありがたいと言うよりも気持ち悪い。一人でいたら、きっとまた不安や恐怖で頭がいっぱいになっていただろう。

 そうならずに済んでいるのは、モモが傍に居るお陰か。


「……ごめん。突然泣き出したりなんかして」


「? 私になんで謝るのよ。別に私は何も困ってないんだけど」


 継実が謝罪すると、モモは心底不思議そうにキョトンとする。犬だからか、泣いたり騒いだりする事を『悪い』とは思わないらしい。

 責められたいとは微塵も思っていないし、彼女が気にしていないならそれに越した事はないのだが、あまりにも淡泊な反応に継実は思わず笑みが零れてしまう。喜ばれる事をした覚えがないのに継実が笑ったからか、モモは眉を顰めていた。尤も尾はふりふりと揺れているので、内心楽しそうな人間を見て自分も楽しくなっているのだろう。やはり性根は犬である。

 そう、モモは犬だ。『中身』も見せてもらったので、間違いも嘘もあるまい。

 しかし犬には体毛を操り、人間に化ける力なんてない。それが出来る生き物は最早犬とは呼べず……正直モモにこの表現を使うのは今の継実としても申し訳ない気持ちになるのだが……化け物と称するしかないだろう。

 つまり、モモは都市部に現れたアオスジアゲハ達と同じ存在なのだ。普通の生き物でありながら超常の『能力』をその身に宿した、摩訶不思議な生き物達。

 そしてモモのお陰で今なら継実も少しは受け止められる――――自分の身に宿った力も、彼女達と同質のものだと。

 これまでその強大な力に怯え逃げてきたが、友好的なモモになら尋ねる事が出来る。

 彼女達は、何より自分が一体何者なのか、それを知るチャンスだ。


「ねぇ、一つ質問しても良い?」


「ん? 別に構わないわよ」


「じゃあ……あなたはどうしてそんな力を使えるの? どうして、急にあなたみたいな、凄い力を持った生き物が現れたの? 知能も人間と同じぐらい高いのもどうして? 何か知っていたら、教えてほしい」


 出来るだけ失礼がないよう言葉を選びながら、継実は懐いていた疑問をぶつける。それからどんな答えが返ってきても良いよう気持ちを強く持とうとして、無意識に息を飲んだ。

 そんな継実に対して、問われた側であるモモは目をパチクリ。更にはこてんと愛らしく首を傾げる始末。


「……別に意味なんてないんじゃない? 自分がどうして産まれたかなんて。頭の良さだって、生まれ付きとしか言いようがないし」


 挙句あっさりと、あまりにも味気ない答えを返す。

 『真実』に近付けるのではと思っていた継実は、拍子抜けするあまり崩れ落ちそうになってしまった。


「い、意味なんてないって……だ、だってそんな凄い力があるんだし、人間の言葉を話せるぐらいの知能なんて普通の犬にはないし」


「理由がなきゃ強い奴は産まれちゃ駄目なんてルールないでしょ。頭の良さだって同じ。どーせアレじゃない、突然変異とか進化論とか、そーいうやつ。よく知らないけど。大体私、もう二歳だから別に急に現れた訳じゃないし」


 どうにも納得出来なくて食い下がる継実だが、モモは適当な反応をするばかり。

 やはり納得出来ない……が、モモの言う事も一理ある。というより他の理由があるのだろうか? 例えば生物兵器として作られたというにはあまりにも人智を超えた力であるし、知能が高いというのも反乱を企てられそうで好ましくないだろう。或いは神様が人間を滅ぼすためとするには、継実自身の存在が説明出来ないし、モモのようにフレンドリーな個体が現れる筈もない。なんらかの『意図』があるとするには、自分達の存在はあまりに出鱈目で無作為過ぎる。

 逆に偶然の突然変異だとすれば、理由がないからこそ何が起きてもおかしくない。鳥が空を飛べるのは飛ぼうと努力したからでも、飛べるようにと神様が力を与えたのでもなく、偶々飛ぶのに適した『体質』だったからであるように。これまで存在が表沙汰にならなかったのは、わざわざ暴れる必要がないからか。知能が高ければそのぐらいは考えるだろう。

 体質だとすれば元々持っていた力であり、なんらかの ― 例えば命の危機とか ― きっかけで覚醒しただけ。選ばれた勇者だとかなんだとか、『責任』が生じるものではないという事だ。継実にとっては、ある意味安心な答えである。責任なんて生じても、力に溺れるよりも前に重圧で押し潰されてしまうだろうから。


「訊きたい事はそれだけ? なら、私はそろそろ寝たいわ。もうすぐ朝だし」


 考え込むという形で黙っていたので、継実の話が終わったと思ったのか。モモはそう言うと、返事を待たずにその場で横になる。

 一方的に話を終わりにされて、しかし確かにそろそろ寝るべきだとは継実も思う。何よりモモが眠いと言っているのだから、それを自分の都合で邪魔をするのは、些か身勝手に思えた。

 継実は口を閉ざし、反論を聞かなかった耳は目を閉じる。瓦礫や石だらけの凸凹した地面の上という、人間ならとてもじゃないが落ち着けない場所も、彼女達獣には大した問題ではないのだろう。特に不快そうな素振りも見せず、身体を丸めた寝姿は、正しく犬のそれだ。

 ただしモモはすぐには眠らず、片目を開けてチラチラと継実の方を見てくる。尻尾もぱたりぱたりと振っていた。


「……あの、隣で寝ても良い?」


「もぉー! しょうがないわねぇ! 今夜は冷えるし構わないわよ!」


 試しに頼んでみれば、モモは如何にも仕方なさそうに、けれども満面の笑みを浮かべながらぶんぶんと尻尾を振った。

 パピヨンならば ― というより昨今ならば ― 基本的に部屋飼いだろう。そして同じ家で暮らしているなら、ご主人と一緒に寝ていてもおかしくない。そう思って試しにこちらから尋ねてみたが、どうやら当たりだったようだ。

 いそいそと継実はモモの傍で横になり、彼女に寄り添う。密着してきた継実を見てモモは誇らしげに微笑み、あやすように継実の身体をぽんぽんと撫でた。尤もすぐに飽きてしまったのか、或いは今まで『撫でられる側』だったのであやす事に慣れていないのか、数十秒と経たずにうつらうつらし始めてしまうが。

 眠たそうなモモを見ていたら、継実も段々と睡魔を覚える。体毛で編まれたモモの『身体』はふかふかで、密着すると程良い温度があった。力の抜けたモモの腕が継実の身体の上に遠慮なく横たわり、優しく加わる圧迫感がモモの存在を感じさせて安心出来る。このまま目を閉じれば、すっと夢の中へと行けそうだ。


「……おやすみ」


「ん……おやひゅみ……」


 もう殆ど寝ているのに、モモは律儀に返事。可愛らしい反応にくすりと微笑み、継実も目を閉じた。

 そして思っていた通り、一気に眠りへと落ちていき――――


「あしたは、たくさんにんげんのいるばしょ、いこうねー……ぐぅ」


 モモの言葉で、瞬時に覚醒する。

 今、モモはなんと言った?

 たくさん人間の居る場所に行こうと言わなかったか?

 ならば彼女は、他の人間が『避難』している場所を知っている?


「も、モモ!? 待って、それどうい」


「うるしゃい」


「げぶっ!?」


 抑えきれず大声で問い詰めようとした継実、であるが、もう眠っていたモモから鉄拳を受けた。寝惚けて力加減が出来なかったのか、それともする気がなかったのか。殴られた継実の頭が地面に叩き付けられるや、小さな地震が世界を襲う。

 普通の人間なら、今の一撃で首から上が跡形もなく消し飛んでいるだろう。同じく人間を消し飛ばせる力を持つようになっていた継実は、なんとか頭の形は保っていた。が、割と本気で痛い。比喩でなく意識が遠退くほどに。

 訓練を積んでいたり、はたまたこうなる事を予測していれば踏ん張れたかも知れないが、生憎継実には経験も覚悟もない。飛んでいく意識は捕まえられず、素早く現世へ舞い戻るには体力が足りず。


「……がく」


 結果継実は白眼を向き、気を失う。

 自身のした事に気付きもしていないモモに優しく抱き締められながら、夢の世界に強制連行されるのだった。

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