滅びの日05

 ツインテールで纏められている絹のように白い髪が、さらさらと風に靡いていた。

 こちらを見つめてくるブラウンの瞳はやや吊り上がり、けれども宝石のように透き通った美しさ故に目が離せない。

 百五十センチ程度と小さめの身体は手足もすらりと伸び、幼いながら魅惑的な容姿だ。胸の膨らみこそ見た目相応だが、他の容姿と相まって可愛さよりインモラルさの方が強く感じられるだろう。

 他にも端正な顔立ち、くすみ一つない肌、柔らかそうな唇など、魅了を挙げれば切りがない。男性は勿論、女性さえもときめかせるだろう――――事実継実はその少女を前にして、胸が昂ぶっていた。クラスメートの女子に、こんな気持ちを抱いた事なんてないのに。

 ……そんな美貌と同じぐらい気を惹くのが、彼女の頭からぴょこんと生えている『獣耳』と、お尻から垂れ下がっているふさふさな『尾』なのだが。何かのコスプレだろうか? その身に纏うお腹と肩が丸見えな露出度の高い服も、秋の終わりが近付いてきたこの時期だと、色香よりも寒さが大丈夫なのか気になる。

 とはいえ、どんな気持ちにしろ注目を集める見た目の子である事には変わりない。継実はぼんやりと、呆けたように美少女を見つめてしまう。


「ねぇ、話聞いてる? そんなところで寝ると風邪引くって言ってんだけど」


 継実が我に返ったのは、美少女から声を掛けられてから。


「こ、来ないで!」


 そして現実に戻ってきた継実が最初にした事は、美少女を突き放す事だった。

 尤も美少女は継実の拒絶に眉を顰めるだけ。距離を取ろうとはせず、むしろ身体を前へと傾け僅かに近付いてくる。


「んー? 私の事警戒してんの?」


「そ、そうじゃ、なくて……け、怪我、させちゃうかも、知れないから……」


「怪我?」


 怪訝そうな顔をしながら尋ねる美少女に、継実はこくりと頷いて答える。

 確かに、警戒心がないと言えば嘘になる。先の男のような『暴行』を加えられる心配はいらないかも知れないが、しかし食べ物や衣服を奪おうとして襲い掛かってくる可能性は否定出来ない。

 だけど、それ以上に傷付けたくない。

 人殺しになんてなりたくない。自分の力がどんなものか分からない今、些細な事で消し飛ばしてしまうかも知れない――――継実はそれを怖がっているのだ。


「大丈夫よ。人間風情に怪我させられるほど、こっちも柔じゃないから」


 ところが美少女は継実の気持ちなどまるで察してくれない。

 ずかずかと、堂々とした歩みで近付いてきた。


「ほ、本当に来ないで! 危ないから!」


「何? アンタその歳で中二病なの? 最近の女の子はおしゃまねぇ……つか、今そんな遊んでられる状況でもないっしょ」


 呆れたように美少女は肩を竦める。どうやらふざけているだけと思われているらしい。

 無理もない話である。向こうも子供とはいえ、背丈から判断するに恐らく継実よりも年上だ。自分より小さな子供が「私に近付くと怪我するぜ」と言ったところで、一体誰が信じるというのか。

 信じてもらうには実演するしかない。


「嘘じゃないの! こ、こうなの!」


 半ばやけくそ気味に、だけど万一があってはならないので向きだけは気にしながら、継実は渾身の力と共に右腕を大きく振るう。

 果たしてこんなやり方で合っているのかなど分かりようもないが、幸いと言うべきか、継実の力は『発現』した。自身の後方で爆発するかのように地面が吹き飛び、爪痕のようなクレーターを形成。自分の出した音の大きさに驚き、継実は小さな悲鳴を上げながら縮こまる。

 美少女も継実の力を前にして、驚いたように目を丸くしていた。しかしそれだけ。まるで大した事ではないとばかりに肩を竦めると、足こそ止めたが、後ろに下がろうとはしない。


「なんだ、『お仲間』なんじゃない。でも脅しをするなら、せめてこのぐらいやった方が良いわよ?」


 それどころかニヤリと笑うと、美少女は見せ付けるかのように両腕を広げた

 瞬間、継実と美少女の周りで大量の粉塵が舞い上がる。

 否、粉塵ではない。驚きから思わず凝視した継実は、その粉塵らしきものが砕け散った大地や瓦礫の一部だと理解する。

 そして砕けたものの中にはキラキラと輝く繊維状のものが何本も漂い、その繊維は全て美少女が広げた両腕の先と繋がっていた。

 つまりこういう事である――――この美少女は手の先から無数の糸を繰り出し、縦横無尽に動かした。糸の力は圧倒的で、広範囲の大地を軽々と粉砕してしまったという事。継実の渾身の一撃を遥かに上回る破壊力だ。しかもこれでも本気など微塵も出していないのか、美少女は余裕の笑みまで浮かべている始末。

 そして頭に生えている『獣耳』がぴょこぴょこと動き、お尻から生えている『尾』は立ち上がるや力強く左右に振られる。

 あの耳と尾はコスプレじゃない。生きた身体の一部なのだ。即ち彼女は人間じゃない。

 都市部で見掛けた、あの化け物達の仲間だ!


「ひぃっ! こ、来ないで! 食べないで!」


 恐ろしい存在と出会ってしまい、継実は頭を抱えて懇願する。人間一人消し飛ばせる力も、核すら耐えるムスペルと互角にやり合う怪物相手では役立たずも良いところ。平伏し、見逃してもらう以外生き残る術はない――――


「食べないわよ。肉食だけど、人間を食べるほど落ちぶれちゃいないもん」


 そう思っていた継実にとって、美少女のあっけらかんとした返事は、予想外のものだった。


「……た、食べ、ないの……?」


「食べてほしいの?」


「ち、違う! 食べないで!」


「なら良いじゃない。さっき言ったでしょ、人間を食べるほど落ちぶれちゃいないって」


 怯える継実に、美少女はあくまで淡々と答える。

 その言葉に嘘は感じられない。

 悪い男に騙されたばかりな手前、自分の感覚を何処まで信じて良いのか不安にもなるが……今回は、特に大丈夫な気がした。

 しかし疑問は残る。

 彼女がただの人間なら、自分に近付いてくるのは分かる。継実自身助けを求めて、見ず知らずの男に歩み寄ったのだから。だが彼女が『化け物』だとして――――ならば自分に近付いてきた理由はなんなのか?


「その、じゃあ私に、なんの用なの……」


 抱いた疑問を言葉にする継実。

 すると美少女は、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。目の当たりにした継実は背筋にぞわぞわとした悪寒を覚え、思わず息を飲む。

 嫌な予感がする。


「アンタ、私の家来になりなさい」


 その嫌な予感はどうやら的中したようだと、美少女の告げた言葉から継実は確信した。


「け、家来って、な、なんで……」


「ムスペル、だっけ? アンタ達人間がそう名付けた化け物。アレの所為でうちの群れは崩壊しちゃったからね。新しい群れを作ろうと思ったのよ」


 慄く継実に、美少女は臆面もなく答える。どうやら彼女は群れを作る動物らしい。そして家来と言うからには、その群れは『序列社会』の筈。

 逆らう、という選択肢はない。この美少女の力がどれほどのものであるか、継実は今し方見せ付けられたばかりなのだから。下手にご機嫌を損ねたら、冗談抜きに命が危ない。

 しかし相手が何者であるかも知らず、付き従うのも自殺行為かも知れない。人間的には礼儀を尽くしたつもりでも、別の生き物からしたら無礼千万という可能性もあるのだから。

 知識は力なり。

 本か何かで見た言葉を、今、継実は実感している。


「あなた、は、一体……」


「ああ、そういえば自己紹介がまだだったわね」


 半ば無意識に継実が尋ねると、美少女は妖艶に微笑む。次いでまるで演技をするかのような、滑らかで艶やかな動きで、己が胸の中心に両手の指を立てた。

 そしてその指を、ずぶずぶと自らの胸に突き刺す。

 比喩ではない。本当に、着ている服どころか胸の肉さえも切り裂きながら、指を自らの身体に突き刺したのだ。継実は人体の構造にそこまで詳しくはないが、突き刺さった指の長さからして、もう肋骨どころか心臓を貫通していてもおかしくないと思う。されど美少女の身体から赤黒い液体が溢れ出す事はなく、それどころか美少女は勝ち誇るように微笑んでみせた。

 この程度の傷など傷ではない。そう言わんばかりの仕草に、継実はますます恐れを抱く。身を縮こまらせた継実の姿に、美少女は更に気を良くしたのか。明らかに見せ付けるつもりで、ゆっくりと、胸に突き立てた手を左右に広げた。

 引き裂かれた服と身体の中に見えたのは、内臓や血の塊ではなく――――繊維。

 どうやらこの美少女の身体は、無数の繊維が集まって出来ているらしい。内臓も血管もない肉体故に、その身を引き裂いても眉一つ顰めなかった訳だ。化け物だと思っていたが、美少女はアオスジアゲハや街路樹とも違う存在。こんな気持ちの悪い生物、継実は見た事はおろか聞いた事もない。

 ガタガタと継実は凍えるように震えてしまい、足腰に力が入らない。身を逸らす事すら出来ず、美少女が胸を突き出しながら更に大きく胸元を引き裂いて――――


「キャンッ!」


 その胸元の中からパピヨンの顔が出てきた。

 ……チョウではない。犬種である。どうやら子犬のようでかなり小さい子だ。白い毛並みが美しい、『美少女』である。


「これが私の真の姿よ!」


 そして美少女は、誇らしげに胸を張った。胸から顔を出しているパピヨンも、どやっ、と言いたげな顔をしていた。パピヨン自体が割とそんな顔付きなのだが。

 よくよく見れば、出てきたパピヨンの体毛が美少女の身体を形成している繊維と繋がっている。どうやら彼女の身体は、体毛から形成されているらしい。異形の化け物と思ったが、実は有り触れた動物の化け物だったのだ。


「……あの、ちなみに名前は?」


「モモ様よ! よく覚えておく事ね!」


 美少女ことモモは、自らの名前を自信満々に教えてくれた。多分自分で名付けたのではなく、『飼い主』に与えられたのだろう。

 ……気持ちが落ち着くと、色々と気付く事がある。モモの立ち上がっている尻尾が左右にぶんぶんと振られている事、モモが忙しなくピコピコと動いている事、胸から飛び出たパピヨンの顔が「へっへっへっ」と息切れしている事。

 察するに、彼女は飼い主を亡くしたのだろう。

 一般的にパピヨンは活発で遊び好きな性格だ。人懐っこくて、飼い主以外にも擦り寄ってくる……逆にいえば、孤独はあまり好きではないタイプ。独りぼっちになって寂しくて、新しく『群れ』を作ろうとしたのだろう。が、犬の群れには序列があるものだ。本能的に下になりたくないのか、或いは甘やかされた事で自分がリーダーだと思っていたのか。

 いずれにせよ、そうした理由から「家来になれ」という頼み方になってしまったのだと思われる。

 もしも自分の予想が当たっているなら、この『モモ様』、口ほど横柄な性格ではあるまい――――継実はそう感じた。


「……家来には、なりたくないかなー」


「え、ぁ……そう、なの……」


 様子見で正直な気持ちを伝えてみると、モモの尻尾がしゅんと項垂れた。胸から跳び出している犬本体の目は潤み、作り物である筈の人間体の顔まで悲壮に満ちる。

 本当に、悪い子じゃないのだ。ただ人間とは価値観が異なるだけで。

 見せ付けられた力と最初の言い回しで恐怖を抱いていたが、もう彼女を恐ろしいとは思わない。むしろ独りぼっちになってしまった事が可哀想で、自分と同じだと共感して、助けてあげたくなる。

 勿論だから家来になろう、とは思わない。継実も我ながら傲慢だとは思うが、力で屈服させられたなら兎も角、そうでないなら自ら進んで下手には出たくないのだ。そもそもモモが欲しているものは、正確には家来ではあるまい。


「でも、友達になら、なっても、良いよ」


 孤独を紛らわせてくれる、『仲間』だろう。

 その予想が的中した事を物語るように、モモは大きく目を見開き、項垂れた尻尾をまた振り始めた。


「ほ、ほほほ本当!? 嘘じゃないわよね!?」


「うん、嘘じゃないよ。私も……お友達、欲しかったから」


「やったー!」


 家来になれという横柄な態度は何処へやら、モモは両手を広げながら継実に突撃。小さな継実を抱き締めてきた。更に人間体と犬、両方の顔でぺろぺろと舐めてくる。

 犬に顔を舐められるのは初めてではない。祖父母の家で飼われていた雑種が、よくやってきた事だ。しかし人間の顔にべろべろと舐められるのは始めて。あくまで繊維で作られた偽物であり、涎でべたべたになる感触はないものの、長年積み重なってきた『常識』がその行いを恥ずかしいものと考える。

 だけどそれ以上に、誰かと触れ合えている事実を体感させてくれて。

 気付けば、継実の目から涙が溢れた。


「……あ、あれ? なんで……」


「どうしたの? お腹痛いの?」


 泣いてしまった継実に、モモがなんとも頓珍漢な事を尋ねてくる。自分に責任があると一切考えない辺りが、なんとも犬っぽい。

 それが可愛らしくて、なのにどうしてかますます涙が止まらない。視界がぼやけて殆ど何も見えないけれども、おろおろし始めるモモの動きは分かるものだから口が自然と笑ってしまう。

 もう、纏めて吐き出すしかない。

 笑いと嗚咽の混ざった、産まれて初めての声を継実は上げてしまうのだった。

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