引きこもり魔女はどうして子供が嫌いなの?
雨宮羽音
引きこもり魔女はどうして子供が嫌いなの?
山奥にある古くて小さな家の中は薄暗い。
布で締め切られた窓からは微かな光だけが差し込んでいた。
木材で建てられたこの家は、とても建築を
まるで焚き火の跡に残る崩れかけの残骸だ。とは言っても、一応人の住んでいる建物なのだから、焚き火なんかと比べたら数十倍の大きさになる。
それも仕方がないことだった。
この大きな焚き火の残骸を建てた家主は、建築家なんて立派な職業とはかけ離れた存在だったからだ。
「ああ…、今日は一段と冷えるねぇ」
暗闇の中にしゃがれた声が響く。
その瞬間、部屋の天井にぶら下げられたランプに火が灯った。
赤に限りなく近いオレンジ色の光が最初に照らし出したのは、かなりの歳を取っているのが見て取れる老婆の姿だった。
薄汚れた白髪。
一番特徴的なのは、角ばって曲がっている大きな鼻だ。
次第にランプの光は強くなり、狭い部屋の中を照らしていく。
辺りに所狭しと散らばっているのは、乱雑に重ねられた書物。ヘンテコな模様の描かれたいくつもの羊皮紙。奇妙な形をした枝のような物や人形の類い。
中でも特に目を引くのは、部屋の奥に備え付けられた巨大な壺状の鍋だった。
暖炉に似た形をした場所に置かれたその鍋は、臭そうな茶色い液体に満たされていて、火にかけられている訳でも無いのにぐつぐつと煮え立っている。
様々な物が並ぶこの部屋には怪しげな雰囲気が充満していた。
その様子を目にした人は決まってこう口にするだろう。「ここは魔法使いの家だ! ここは魔女の実験室に違いない!」などと。
そう言われたとしても老婆は決して反論をしない。
何故ならば、全く持ってその通りなのだから反論のしようがない。
年老いてしょぼくれた家主の老婆は、紛れも無く魔法使いであり魔女であった。
その証拠になるかは分からないが、彼女は真っ黒なローブに身を包んでいる。
老婆は足の踏み場も無い部屋の中をガサガサと音を立てて移動する。
そして壁にある窓に近づくと、おもむろに日除けの布を取り払い外の世界を覗く。
「おや、どうりで冷える訳だよ」
老婆は窓の外を食い入るように見る。
あまりに前のめりになりすぎて鼻がガラスにぶつかっていた。ただでさえ曲がっていた鼻なのに、今はペシャンコになっている。
外に広がっていたのは一面の銀世界。
どうやら雪が降っていたようで、見える範囲の景色は真っ白に染まっていた。
「こんな日は家にこもっているに限るねぇ」
そんな風に口から溢した老婆だったが、彼女は普段から基本的には家を出ない。
生活のためや庭の手入れで外に出る事はあるが、人里離れた山の中では他人との関わり合いも無い。
それ故に、老婆は万年山籠り生活を送っていた。
窓から離れた老婆は巨大な鍋に近づくと指を鳴らす。
途端に炎が巻き起こり、炙られた鍋の中身をいっそう激しく沸騰させる。
そのままゆっくりと、近くの椅子に腰掛けた。使い古された木製の椅子は、今にも壊れてしまいそうな悲痛な軋みを上げる。
「さてと、ちょいと外の世界でも見てみようかねぇ」
そう言って老婆は大きな紙を体の前で広げる。
年季が入り、何度も折り畳まれた跡がある紙には所々穴が空いていた。
老婆がその紙を覗くと、白紙であったはずの紙には沢山の文字が浮かび上がってきた。
まるで生き物の様に紙の上を泳ぎ回る文字を、老婆は眼鏡をかけて読み始める。
「飢饉に飢餓、汚職に暴動。戦争に殺人…。あーあー、本当に人間てやつは愚かで浅ましい生き物達だよ…もっと明るい出来事は無いのかねぇ」
老婆が読んでいるのは新聞であった。
蠢く文字を片っ端から目で追いかけて、そのたびに彼女はため息をつく。
「どうしてわざわざ群れて生きようとするのかねぇ…。顔を合わせたって、互いに憎しみ合い、争い合うだけなのにねぇ…」
どれだけ生まれ続ける文字を漁っても、満足出来そうな内容は見つからなかった。
老婆はとうとう諦めて、大きな紙を畳んでその辺に投げ置く。
「やめたやめた。あんまり人間達の世界を覗いていると、私の目まで腐っちまうよ。やっぱり一人で静かに暮らす方が幸せだねぇ。私はこの静寂が何より好きだよ」
老婆はしみじみと呟き、火にかけた鍋を見てから重い腰を上げる。
歳のせいか、一度座ると立ち上がるのに随分と苦労する様になってしまっていた。
「いい感じに仕上がってきたねぇ…。もうすぐ大詰めだよ」
老婆は満足そうに笑みを浮かべると、近くの机に置いてあった紫色の薬品を鍋に投入する。
黒い煙が立ち昇り、それを嗅いだ老婆が恍惚に身を震わせる。
続いて机にある薬草を刻み始める。
思わず鼻歌を奏でてしまうが、誰に聞かれる訳でもないのでその音量は次第に上がっていく。
刻んだ薬草が鍋に入れられると、濁った液体の中に瞬く間に溶けて消えていった。
老婆は次に使う材料を探して、キョロキョロと辺りを見回した。
目を止めたのは手のひらサイズの植木鉢。黄色くて美しい花を咲かせた植物が植えられている。
老婆が鉢ごと持ち上げて、おもむろに中身を引きずり出した。
「ピギィィィィィィ!!」
途端に部屋中に金切り声が響き渡る。
老婆が掴み出したのはマンドラゴラという植物だ。
根が人の様な形をしていて、顔まで付いている。引き抜いた際に断末魔の如き叫びを上げ、それを聞いた者は死に至るといわれている。
しかし、老婆は顔をしかめるだけで全く動じてはいなかった。
それどころか、片方の手で叫びを上げるマンドラゴラの頬を摘んで黙らせる。
「うるさいね! 静かにしないと刻んで昼飯にして食っちまうよ!!」
老婆の怒号にマンドラゴラは怯えて叫ぶのをやめた。
怖がり困惑しているその表情は、どこか愛らしいものを感じる。
「いい子だ、聞き分けがいいじゃないか」
老婆はマンドラゴラに優しく微笑みかける。
それを見たマンドラゴラは、酷い目に合わないと確信したのか安堵を顔に浮かべていた。
「よいしょっと」
「ピギ…」
掛け声と共に老婆はマンドラゴラを鍋に投げ入れた。
突然の出来事にマンドラゴラは叫びを上げる間もなく溶けて液体の一部となった。
「安心しな、すぐにお友達も一緒に煮てやるよ」
そう言って、老婆は机の上に吊るされた怪しい根っこの類を次々と無造作に鍋へ投入していく。
流れるような手捌きの中で、最後に手に取ったのはでっぷりとした人参だった。
色が綺麗で新鮮そうな、顔が付いている訳でも無い至って普通の人参。しかしそれは、大根なのではないかと疑うほどに大きく太い。
老婆は人参から伸びる葉の部分を包丁でザクリと切り落とす。そして根の方を鍋に入れようとしたその時だった。
ガシャ、ガシャンッ!!!!
家の外から聞こえる激しい物音。
金物が崩れ落ちて互いに擦れあったような不快な音色。
同時に、驚きと笑いの入り混じった幼い子供達の囁き声が聞こえる。
「んあぁーっ!! またあのクソガキ共かぁーっ!!」
鍋の前に立つ老婆は、目を見開いて怒りを露わにしながらそう叫んだ。
思わず握り締めた人参が、苦しそうにミチミチと悲鳴を上げる。
「ここには近づくなと何度も言っているのにっ! 分からない奴らだーっ!!」
老婆は家の入り口に向かって突進していく。
足元のガラクタが蹴り飛ばされて、着地点にある物を弾き飛ばして辺りは更に散らかった。
老婆が手で宙を
まるで意識を持っていて、鬼の形相を浮かべる老婆に恐れを為して
家から飛び出した老婆は、白く染まった辺りの景色を舐める様に見回した。
ゆとりをもって家を囲む柵の内側。
下ろし立ての絨毯みたいに美しく敷き詰められた積雪。その中に、いくつか小さな足跡が
残されていた。
足跡を辿ると庭に備え付けられた物置へと続いている。壁の無い粗末な物置には乱雑に積まれた庭具が置いてあった。
そのいくつかが地面の真っ白なキャンパスに転がっていて無造作な模様を描いている。
おそらく先程耳にした物音の原因はこの庭具達だろう。
崩した犯人を追って、老婆は柵の切れ目から敷地の外へと足を踏み出した。
真新しい雪に足跡をつけるとサクサクと心地の良い音が体を伝ってくる。
細いなりに見開かれた瞳で、人里に続く道を睨みつける老婆。
注意深く観察すると、山に生える木々の影に隠れて三人の子供が息を潜めているのが分かる。
悪戯心か、もしくは好奇心からか。数ヶ月に一度くらいの頻度で、子供達は山奥までやってきて老婆にちょっかいを出してくるのだった。
まだ年端もいかない幼子達だ。しかしそれで気を許す老婆では無かった。
「ここへは近づくなと前に忠告しただろうがっ!! わたしゃ子供が嫌いなんだよ!!」
しっかりと聞こえるように大声で叫ぶ。
突然の怒号に、子供達は一瞬だけピクリと体を震わせた。
「お前ら全員、カエルにしてからペチャンコに潰して干物にしてやろうかぁっ!?」
老婆の脅し文句に、しばらくの沈黙。
そして葉の擦れ合う様な微かな笑い声。
「ゲコゲコ! ゲコゲコ!」
子供達から帰ってきたのは、あからさまにふざけた返答の鳴き真似であった。
老婆はそれを聞いて、一瞬で頭に血が上るのを感じる。そのあまりの勢いに、脳の血管が切れてしまわないか心配になる。
それでも構わずに、老婆は人参を握り締めた片腕を振り上げて怪しげな呪文を唱えた。
怒りのせいか、それとも元々そういう物なのか。
非常に早口で綴られたその呪文は初めて聞いた人間には到底理解出来ず、文字に表すことも出来ないくらいに奇怪な言葉だった。
「───────っ!!」
老婆が言葉を終えた途端、その頭上で火の玉が弾け飛ぶ。
カボチャくらいの大きさの火の玉は、弾けるのと同時に強い光と大きな音、そして突風を巻き起こした。
狩りで使われる猟銃の発射音。
それを彷彿とさせる爆発音に驚いた子供達は、慌てて木々の影から飛び出し下山道を駆けていく。
「キャーっ!!」
少女と二人の少年。
どこか楽しげな悲鳴を上げながら、老婆の住む小屋から遠ざかって行き次第に姿が見えなくなる。
小屋の周りを囲む木々から、突風に煽られた積雪が時間差で地面に落下した。
「……二度と来るんじゃないよ!」
吐き捨てるように老婆が口にする。
そして肩の力を抜くと、ゆっくりとした足取りで自分の家に戻り始めるのだった。
「まったく、どうしてわざわざこんな山奥まで来るのかね…」
ひとり呟きながら視線を落とした老婆はあることに気がつく。
足元の雪に、二本の太い轍(わだち)が出来ていた。
まるで馬車でも通ったかの様な二本の線は、子供達が来たであろう人里の方角から伸びていた。
老婆は眉を
真っ直ぐに進んだ先。家を囲む柵の外側には、歪で不格好な姿をした雪だるまが
そこは丁度、小屋の入り口からは死角になる位置だ。
雪を踏みしめる音を立てながら、老婆は雪だるまへと近づいた。
そして
「くだらない……」
目の前の雪だるまは目と口の辺りに石をはめ込まれ、片方だけ木の枝で腕を生やされていた。無表情に見えて、どことなく不安感を抱かされる。
中途半端な状態の雪だるまを見て、老婆は合点がいった。
子供達は庭具の中からバケツか何か、頭に被せる物を探していたに違いない。そして物音を立ててしまったのだろう。
その姿が脳裏に容易く浮かび思わず呆れてため息をつく。
「母さん…」
突然、老婆に声がかけられる。
驚いてハッとした老婆は、キョロキョロと辺りを見回した。しかし周りには誰も居ない。
「ねえ、見てよ母さん…!」
再び聞こえた声は、あどけない少年の声だった。
混乱する老婆だったが、彼女はすぐにその正体に気が付き虚空を見つめた。
「ほら! 雪だるま! お姉ちゃんと作ったんだ!!」
それは記憶だった。
老婆の脳内に湧き上がった、とても古い記憶。
もう場所も覚えていないどこかの。
名前も覚えていない街の。
薄らと浮かび上がる情景。
家族で暮らしていた豪奢な屋敷の前で、雪にはしゃぐ息子と娘。金糸のような煌く髪をした、幼い双子。
そして老婆の若かりし頃の姿をした女の隣には、かつて愛し生涯を共にすると誓った男の姿。
その微笑みに、女も優しく笑い返すのだった。
「母さんっ!! 助けて母さんっ!!」
幸せな回想は、一瞬にして業火に包まれる。
紅蓮の炎で燃え盛る屋敷。夕暮れの如く染まる街。息を呑む集まった民集達の緊張感と熱気。
「魔女だ!! 魔女の一族を許すな!!」
農具や松明を握りしめ、血走った目をした男達が吠える。
女の胸から泣き叫ぶ子供達が無理矢理引き離される。二人は腕をちぎれそうなほど伸ばして彼女に助けを求めている。
傍には赤く染まり動かなくなった夫が転がっていた。
女は涙で顔を濡らし、懇願するように民集に許しを乞う。
だがその声は届かない。
子供達は帰ってこない。
かつて行われた魔女狩りと呼ばれる暴動。
後に暗黒時代として歴史に記された出来事。
それももう、老婆にとっては200年も前の記憶。
「ジョン……、アネット……」
救えなかった家族のことを思い出し、思わず自身の子供達の名を口にする。
その声色には自分だけが生き残ってしまった事への後悔と寂しさが入り混じっていた。
足元の雪溜まりに大粒の滴が落ちる。
雨が降り始めた訳ではない。
何十年ぶりかも分からない涙を、老婆が流しているのだ。
「……だから子供は嫌いなんだよ。くだらないことを思い出す……」
どうして子供が嫌いなどと口にする様になったのか、すでに老婆自身が忘れていた。
それをこんなに不格好な雪の置き土産で思い出す事になるとは思ってもいなかった。
老婆は震えた細い片手で涙を拭う。
乾いていたはずの頬の肌が、今は微かに水気を帯びていた。
ふと、手に握りしめた根菜が目に入る。
その根菜と無表情の雪だるまを交互に眺めてから、老婆は静かに雪だるまに歩み寄るのだった。
数十分後。
小屋の外に老婆の姿は無い。
すでに家の中へと入り、鍋の中の怪しい液体を世話する作業に戻ったようだ。
柵の外に佇む雪だるまは、頭に鉄製の歪んだバケツを被されていた。
足りなかった腕を枝で生やされ、鼻の部分からは異様に大きな人参が突き出している。
冷たい空気に包まれた山に太陽の光が差す。
ほんのりと暖かい光に照らされた雪だるまは嬉しそうな笑顔を浮かべてる。
その姿はどことなく、誇らしげに胸を張っているかの様に見えるのだった。
引きこもり魔女はどうして子供が嫌いなの?・完
引きこもり魔女はどうして子供が嫌いなの? 雨宮羽音 @HaotoAmamiya
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