第11話 青山先輩の過去は辛い



「だーかーらっ、私も今日からここに住むことになったの!」


 満面の笑みを浮かべて、こちらを見つめてくる先輩。

 思考が停止してから数秒の後、先輩はむくれて俺のみぞおちに肘打ちを叩き込んできた。


「グハッ!!!」


「もー、健人くんはいつから私を無視出来るようになったのかな?」


「すいません、意識飛んでました‥‥‥。いやいやそうじゃなくて!! なんでウチに住むことになったんですか!?」


 いや、全く理解ができない。

 二年前に何も言わずに転校して街を去った先輩が、突然二年越しに俺の目の前に現れて「今日から健人くん家でお世話になる」ってこれ何てエロゲ? 状態に陥っている。


「それは後で話すからとりあえず上げてもらって良い?」


「先輩いつからそんな図々しくなったんですか」


「前からこうして健人くん家に遊びに来てたじゃん」


「‥‥‥何も言えない」


「とにかくお邪魔します‥‥‥じゃないか、ただいまーっ!」


 先輩はそう言って靴を脱ぎ捨て、リビングへドタドタと走って行った。

 二年前より大人っぽさや上品さが溢れるようになった容姿からは、想像もつかない行動に俺は呆れた様子でため息をつく。


 急いで俺もリビングへ向かうと、先輩は冷蔵庫を漁っているところだったので、俺は先輩にチョップを食らわせた。


「いてっ、なにするんだよお」


「他人の家の冷蔵庫勝手に漁らんといてください」


 俺が冷蔵庫の中身泥棒の先輩に冷たい視線を配ると、


「えー、だって今日から一緒に住むんだよ? 私ん家でもあるから正当な行為だと、健人くんに異議を申し立てます!」


「ええい、うるさい! とにかく先輩はソファーに座る! 正座! 五秒で!」


 俺が強くそう言うと、先輩はそそくさとソファーの上でちょこんと正座をした。


「よろしい、家主の言うことは絶対ですよ先輩」


「ぐぬぬ‥‥‥してやられた気分だよっ‥‥‥」


 何やら悔しそうな表情を浮かべる先輩の向かい側に俺は座り、尋問を開始する。


「まず、転校先の事は今は聞かないでおきます。なぜ、この家に住むことになったかだけ教えてください」


「えぇ、どうしても言わなきゃダメ?」


「当たり前でしょう」


 すると、先程までのからかうような笑みとは一変し、目を細めてどこか遠くを見るような目をして話し始めた。


「まずね、両親が離婚したの」


 その瞬間、俺はとても居た堪れない気持ちに襲われた。

 まさか、先輩の両親が‥‥‥?

 部活の時、あんなに俺に母親の自慢や、夫婦仲が良いだとか話してきたというのに、その両親が離婚とは‥‥‥。


「原因は父親、うんうん、"元"父親の浮気だった。あんなに仕事が出来て、お母さんとも仲良くて、自慢のパパだったんだけどね‥‥‥しかも相手は私の三個上、21歳の女だった」


 俺はその言葉に、絶句してしまった。

 先輩の母親は、一度だけ陸上の大会の時に見た事がある。

 40代とは思えない美しさで、とても落ち着きがあり、何よりも優しい女性だった。

 職業は確か弁護士で、巷じゃ有名な敏腕美人弁護士として名を馳せていた程だ。

 そんな完璧な母親に、先輩の父親は何が不満だったのか? 如何せん不思議である。

 俺ならそんな女性、絶対に手放さないけどな‥‥‥。


 しかも、浮気相手が一回りも年下の若い女性ってのが‥‥‥本当に呆れたものである。

 男ってのは欲望に従順な生き物なのだと、思わされてしまう。


「先輩の母親って美人だし、優しいし、しかも弁護士ですよね? 一体父親はなんの不満が‥‥‥」


「さぁ? 単に年下が好きだっただけじゃない?」


 そう言う先輩の目はどこか冷めていて、もうあんな奴は父親でもなんでもないのだと、強く告げているかのような面持ちだ。


「離婚して、そして県外へ引っ越した。お母さんは女手一つで私を育ててくれたの」


「そーだったんですね、でもなぜ」


 すると、先輩は俺のその先の言葉を遮るように、


「ここからが、本題よ」


 鋭くも、寂しげな目線をこちらへ向け、ゆっくりと話し始めた。


「お母さんは元々、病気持ちだったの」


 病気持ちだったとは‥‥‥。

 少なくとも、俺が会った時は、健康体そのもののような気がしたのだが、あれは無理をしていたのだったろうか。

 そう思うと、胸がチクリと痛む。


「元々ガンがあって、私には何も言ってくれなかった。お母さんがガンだって知ったのは、お母さんが病室で静かに眠りについた時だったの」


「え、ちょっと待ってください。何故先輩はお母さんがガンだって知らなかったんですか?」


 普通、入院した時点で気づくはずだ。

 しかし、先輩は母親が息を引き取るまで、ガンのことを知らないと言った。

 どうも話の辻褄が合わない。


「それはね‥‥‥」


 すると先輩は瞳を潤ませ、涙を堪えるように震えた声で言った。


「私、向こうで不良だったの」


 その言葉に、俺は返す言葉が見つからなかった。

 先輩が、不良‥‥‥?

 あの、優しくてちょっと意地悪で、それでいていつも笑顔の眩しかったあの先輩、が?

 全くもって想像がつかない。


「ホント、自分でも後悔してる。家にいたくないからって朝まで遊んだり、金髪に染めたり、ピアスも開けたり、そして煙草も吸い始めた。あの時は本当になんて言うか、自暴自棄になってたの」


 だからさっきから気になるその耳にピアスの跡があるのか‥‥‥と納得してしまう。


「な、なぜ先輩は不良になっていたんです?」


「お母さんが、嫌いだったの」


「え」


 思わず、気の抜けた声が出てしまった。

 あんなに母親の事を自慢していた先輩が、お母さんが嫌いって、何があったのだろうか‥‥‥。


「何があったか聞きたいよね。まぁ簡単に言えば、父親と別れてからおかしくなっちゃったのよ、お母さん」


「‥‥‥やっぱり、未練があったんでしょうか」


「そうかもね、毎日『哲也‥‥哲也‥‥』って言いながら泣いてたから、もうその頃には心も身体もボロボロだったんだと思う。私はそんなお母さんが嫌いだった。あんな父親のどこに未練があったのか、どこに惚れていたんだが、ね」


「‥‥‥」


 何も言葉が出てこない。

 あまりにも壮絶で、悲惨な出来事だ。

 恋とは盲目とは良く言うが、まさにこのことなのだろう。


「何も言えないよね。でも、お母さんが死んじゃってから気づいたんだ」


「そうなんですか?」


「うん、お母さんね、死ぬ直前に私に『哲也と貴女を守れなかった‥‥‥こんな私を許してちょうだい‥‥‥』って言ったの。最後の最後まであの父親が好きだったんだなって。好きでいたことに後悔は無かったんだって、あの顔を見て感じたよ」


 前言撤回しよう。

 恋とは盲目かつ、見えないからこそ、感じ取れる愛があるものだと。

 きっと、先輩の母親は、自分が好きになった人を最後まで好きでいる自信があったから結婚し、子供も産んで育ててきた。

 その努力を例え愛する人に踏み躙られようとも、絶対に挫けることなく、愛することだけは止めなかった。

 そんな心意気を、俺は羨ましい、とまで思ってしまう。


 今の俺に、凛をそこまで愛せる覚悟があるのだろうか。


 度々不安になるこの事が、こんな状況でも頭の中を駆け巡る。


「だから、私はね。絶対に好きな人からもう離れないって、逃げないって決めたの」


「そうなんで‥‥‥って、え?」


 先輩の唐突の発言に、俺は驚いたような間抜けた声が出てしまった。

 好きな人から、離れないって、どういう事だ?


「私のお母さんが、最後まで父親を好きでいたように、私も健人くんを最後まで好きでいることにしたのだよ」


「‥‥‥」


 思考停止。緊急事態発生。

 な、何を言っているんだこの人は‥‥‥最後まで好きでいる健人くんってどこにいる、って俺の事ォォォオ!?!?!?


「はぁぁぁあ!?!?!?」


「うおっ、びっくりした。健人くんいきなり大声出さないでよ」


「いやいやいやいや! だって、え、? 先輩、『まだ』俺の事好きだったんですか?」


「当たり前じゃない、じゃなきゃ君の家になんて行かなかったよ」


「はぁ〜〜〜‥‥‥」


 魂の抜けたようなため息が、俺の胸の中から出されていく。

 ちょっと待ってくれよ‥‥‥先輩があの時から『今まで』俺の事を好きだった事を知っていたら、俺は絶対に先輩と付き合っていた。

 その頃ちょうど凛と過去最大の喧嘩しており、心の状態が混沌としていたから、きっとコロッと落ちていただろう。

 でも今は‥‥‥


「先輩、遅いっす」


「へっ? 何がかな? 健人くん彼女いないでしょ? だから君のことを一番に愛しているこの私が妻になるという事でこの家にお世話になるのだよ」


「ストーーップ!!」


 えっ、この人、俺の家に住む理由って向こうで住む場所や頼れる人がいないから、とかじゃなくてただ単に俺の妻になりに来たってこと? 何考えてらっしゃるの?


「いや、頼れる人いるんならそっち行ってくださいよ‥‥‥」


「えぇー、でも私は健人くんが好き、で、健人くんもあの時私に襲われて嫌じゃなかった。という事は好きってことだよねっ! 今日からよろし‥‥‥むぐっ!?」


 早口で捲したてる先輩の口を手で押さえて、一旦落ち着かせる。

 さっきから度々爆弾発言し過ぎでしょこの人‥‥‥。


「あのですね、先輩。確かに俺はあの時、先輩に襲われて嫌じゃなかったですよ」


「うん、そうなのだろう? きっと君のことだから凛ちゃんとは上手くいってないだろう?」


「いや、その、非常に言いづらいんですが‥‥‥」


「?」


 俺が申し訳なさそうに口を開くと、先輩はキョトンとした表情を浮かべた。

 そして、俺は一回深呼吸をして心を落ち着かせ、口を開く。


「昨日、凛と付き合うことになりました」


「‥‥‥昨日?」


「はい、昨日」


「‥‥‥何時頃?」


「正確には今日の午前0時過ぎですね」


「‥‥‥」


 先輩は急に押し黙ると、ジワジワと顔を真っ赤にさせて、俺の方へ駆け寄ってきた。

 すると、ずいっと顔を俺の目の前に持って来て、


「健人くんの‥‥‥バーーーーカ!!!!!」


 目に大粒の涙を浮かべながら、そう叫び散らしてリビングから出ていってしまった。

 俺は慌てて、先輩をおいかけ、玄関で靴を履いているところで腕を掴んだ。


「ちょ、待ってください!」


「離せっ! 健人くんなんかもういい!」


「落ち着いてください!」


「いやっ!! 凛ちゃんと仲良くしてればいいじゃん!! 私もう帰る!」


 なかなか抵抗して腕を解こうとする先輩を、俺は肩を掴み、こちらへ向かせる。


「帰るつったって、宛はあるんですか? あ、あるんでしたっけ」


「‥‥‥あるって言ってない」


「え、じゃあどこへ?」


「しばらくはネカフェで家探し‥‥‥」


「‥‥‥はぁ、分かりました」


 俺はそう言って先輩の肩から手を離し、仕方ない、と思い、


「家が見つかるまで、ウチに居ていいですよ」


「‥‥‥えっ!? ホントっ!?」


「急にテンション変わってる‥‥‥」


「あっ! ふ、ふーん? で、でも凛ちゃんいるじゃん。絶対ダメでしょ」


「凛には説明しときます、ぶん殴られる覚悟で」


「‥‥‥ほんと、そういう優しいとこ変わってない」


「俺はいつだってナチュラルガイです」


「ふふっなにそれっ、やっぱ馬鹿だよ、私の後輩くんは」


「重々承知の上です」


 俺と先輩は向かい合ってこの会話をなんだか懐かしむように、けらけらと笑った。


「じゃあ荷物は今日の夜届くからよろしくね?」


「って、居座る気満々だったんじゃないすか!!」


「てへぺろっ」


 そう言ってイタズラな笑みを浮かべて、べっ、と小さく舌を出す仕草に思わず動揺してしまう。

 そんなこんなで、先輩の家が見つかるまで、ウチで預かる事になったのだが、




「ねえケンちゃん? 今のどう言うこと?」




 いつの間にか俺の家に入って、俺たちの後ろで腕を組んで仁王立ちをしている幼なじみを、どう制覇するかが問題である。

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