第8話
そして昼過ぎ。食堂にて。
「あれ? 財布……」
昼食を摂ろうと券売機の前にたったはいいが、この段階でそのことに俺は気が付いた。
「財布をヒカリに渡したまんまだ俺……」
そう。切符含め、この先何かと金がいる事もあるだろうと考えた俺は、ヒカリに金を貸すことにした。でも、急いでいた俺は、財布ごとヒカリに渡してしまったんだった。その事を今の今まですっかり忘れていた。
「ああ……お腹すいた……」
今日はもしかしたら、厄日なのかもしれない。
痴漢に遭うし、遅刻して教授からこっぴどく怒られるし、財布ないし……。そもそも朝は心臓も……って、そうでもないか。
今の今まで、今朝以降、胸は痛くなっていない。ヒカリの能力のお陰だ。これには本当に感謝してもしきれない。寧ろ、ここまでの悪運はこれのツケと考えれば安いくらいだ。
「ヒカリ、うまくやっているだろうか」
ヒカリからもらった端末、ミ・ツケールには反応はな……いや、ちょっと待て。通知が一つ入っている。相手は……ヒカリ!?
急いで画面をタップした俺は、ヒカリからのチャットを読んだ。
「能力者追跡中、喉が渇いて何かないか探したら、ジハンキなるものがあったわ。それで、サイフかざして光るボタン押していたらなんか沢山出てきた。この世界バッカじゃないの」
という内容と共に、ヒカリが撮ったと思われる写真が添えられていた。そこには、列車を待っているヒカリがホームのベンチで座っている写真。だが、問題なのは、ヒカリの隣に山のように積まれた、缶ジュース。一本120円。ざっと数十本はある。
……馬鹿はお前だヒカリ。ああ、前言撤回。今日は厄日だ。
「はぁ……。お金ないし、お腹減ったし、まだ授業あるし、どうしたものやら」
とりあえず、家から持ってきたお茶で空腹をごまかす。とは言え、中々きついな。乗り切れるのだろうか。
「あれ? もしかして、ワタル?」
「え?」
少し聞き覚えのある女性の声が後ろからする。この声、確か、俺が初めてアンチ世界に行った時に最初に聴いた声……。
「やっぱ、そうだ! ワタルじゃん! 元気?」
振り向くと、そこには優しく微笑みながら手を振る女性がいた。確かこの人は……。
「サヤカ?」
「うん! 奇遇だね!」
そこにいたのは、ワタルの幼馴染にして、アンチ世界に行った時に初めて出会った人物。サヤカだった。物凄く目立つ格好をしていたヒカリとは打って変わり、こちらは一般の女性にうまく溶け込んだ姿だ。でも、どうしてこの大学にしかも食堂にいるのだろうか。
「ワタルもこっちの世界に調査?」
「あー……まあ、うん」
嘘は言っていない。だが、こちらはまだワタルとしての俺はどうなったのか、状況説明が皆無。何も言えない。
「そっか。私もなんだ」
まあ、アンチ異世界転生世界の転生者解放騎士団員がここにいるってことはそういう事だよな。ってことは、ヒカリと同じターゲットか?
「サヤカも例の魔王とやらを追っている感じ?」
「魔王? ううん。全然違う」
違うのか……。え、そしたら今この世界に転生者が二人いるって事か?
ったく、痴漢の魔王一人に手を焼いたところなのに、他にもまだいるとは。
「私が追っているのは、ターゲット名、シャイン・ザ・ライト。男性。職業は……勇者」
「ブフォォッ! ゴホッ、ゴホッゴホッ!」
「ど、どしたの!? ワタル大丈夫!?」
「だ、だいじょーぶ……」
全然大丈ばない。なんてことだ。よりにもよって、この現代世界に魔王と勇者が同時に存在するとはな……。
そしてそれ以上に、今吐き出したお茶で俺のドリンクは底をついた。午後もまだあるというのに、どうすればいいものやら。
「そうだ、折角だしお昼一緒にどうかな?」
「え? でも、任務あるんじゃ?」
「いいじゃん。ちょっとくらい」
「とは言ってもな……」
俺金ないから一緒は出来ないんだが……。
「ご飯作りすぎちゃって、よかったら食べるの手伝ってほしいんだけど」
「一緒に食べます」
「やったー!」
任務? そんなの知らないな。ワタルの幼馴染が一緒にご飯食べようと言っているんだ。断る方が失礼だ。
「……って、いつもなら一人で食うって言うのに、ちょっと意外かも」
なんてセリフが聞こえてきたが、ご飯の為だ。気にしないようにしよう。
そして、学校内の空いているスペースを確保し、俺はサヤカと並んで座った。
「はい。ワタルの分」
「ありがとう。非常に助かる」
サヤカはおおよそ弁当一つ分くらいの白米とおかずをパックに入れて、渡してくれた。
「お茶もあるからね」
「ありがとう。大いに感謝する。命の恩人だ」
更に未開封のペットボトルを一つ、俺に渡してくれた。
「ふふ、変なワタル。そんなに礼言わなくていいよ」
「いや、そんなわけにはいかない。本当に助かったから」
「そうなの? ならよかった」
サヤカは嬉しそうにニッコリと微笑んだ。
「ワタルが私の手作り弁当食べてくれるの、物凄く久しぶりだから、嬉しい」
「そう……だったか?」
「何回か作ってあげたのに、全然食べてくれないんだもん。私の料理」
ワタルめ。不愛想というのは本当らしいな。女子からの手作り料理なんて、早々もらえるもんじゃあないぞ? 全く、困った奴だ。
だが、今の俺は渉。ワタルと同じ存在だが、別人だ。彼女の為にも、ここは美味しくいただくとしよう。
「はい。お茶」
「おお。わざわざコップまで!?」
「ふふ。異世界だと、何が起こるか分からないからね。せめて飲み物くらいはしっかり用意しないと。コップも当然ね?」
そのセリフ、どこぞのツンデレ金髪にも言ってあげて欲しい。人の金で何十本も飲み物買いやがって全く。
「あのさ、ワタル。クレナイ隊の様子はどう?」
コップを渡すと同時に、サヤカは俺にそう尋ねてきた。
「どうって、普通だけど?」
「あ、そうじゃあなくて……その……」
サヤカはどことなく寂しげな表情で、こう言った。
「アカネさんは元気? それと……ヒカリは? 元気にやってる?」
「元気……だけど。なんで?」
「なんでって……。二人とも知り合いだし、アカネさんに関しては元々私の隊の人だから」
「え?」
アカネさん、元はサヤカの隊……タソガレ隊だったか? そこに在籍していたのか。
「ススムさんの抹殺事件あったでしょ? 私は、自分の行動が正しかったのか、今でもわからないんだ。正直……」
「ススム……?」
なんだ? 何の話だ? 生憎、ワタルの方の記憶がさっぱりでわからない。死んだ俺の兄と同じ名前なのは気になるが。
「ヒカリとは、あれ以来疎遠と言っても過言ないし。だから、ちょっとね」
「そっか……」
何があったのか気になるところだが、記憶の無い俺にはそれしか言いようがない。
「まあ、ワタルが二人と一緒の隊に入ってくれてよかったよ。ワタルが一緒なら安心。二人ともしっかりしているから、愚図なワタルが失敗しないか心配しなくて済むし」
「……俺の事を褒めているのか、貶しているのか、どっちだコレ?」
「ん~~、どっちかって言うと後者だね」
「なるほど? ……なんか傷ついた」
「ふふ、冗談。幼馴染のワタルが2人についていてくれるから、安心だよ」
「そ、そうか?」
うんうんと言ってニンマリと笑うサヤカ。だが、よく見るとサヤカの目には相変わらず隈が出来ていた。初めて会った時といい、サヤカの隊は大変なのだろうか。
「そのお礼も兼ねて、私のご飯をどうぞ」
「あ、ああ。そうだな……ん?」
弁当を差し出してくれるサヤカだが、腕をよく見ると、鋭い何かで叩かれたような感じの跡が見える。
「サヤカ、その腕どうした?」
「え? あ、これ!? な、なんでもないよ! ちょっと転んじゃって……ははは」
「そうなのか?」
「ほ、ほら! そんな事よりも早く弁当食べて!」
弁当をすすめてくれるのはいいが、なんとなく違和感を覚える。まるで話を逸らすかのような。だがまあ、サヤカもそう言っているし、あーだこーだ考えても仕方がない。昼からも講義あるし、何よりも転生者が二人もいるこの状況だ。腹が減っては何とやらだ。今は遠慮なくいただくとしよう。
「じゃあ……いただきます」
「はーい」
優しく微笑むサヤカの横で、俺はパックに入ったから揚げを箸でつまむ。そして、それを口の中へと運び出す。
鶏肉のジューシーな旨味が舌を迸り、そして……身を揺るがす程の激しい電流が、俺の全身を駆け巡っていった。
「あっ……がっ……」
言っておくが、これはグルメレポーターのような例えではない。物理現象だ。今、俺に起きた状況そのものだ。
「この間訪問した魔法世界の魔物、サンダーチキンの肉を使ったんだけど、どうかな? 美味しい? 美味しい!?」
美味しいも糞もない。ただただ痺れる。一瞬は美味しかったが、その後の電撃で、その感覚も全て無へと還った。それを言いたい。はっきりと言いたい。……のだが。
「オ、オイシイ、ボク、モットタベタイ」
「本当に! うん! 是非ぜひ!」
何を言っている俺!? 何を馬鹿な事を言っているんだ!?
「ヤッタア。サヤカノオベントウ、マジ、サイコウ」
お、おい!? どうなっているんだ俺の口! なんでこんな身も蓋もない事を!?
「隠し味に、感情とは真逆の発言をさせるという不思議な魔法を使う、マギャクノクサって言う魔物から作られたコショウを使ったんだけど、よかった! 美味しいならそれで!」
な、なにぃーーっ!? そうか! それが原因か! だから俺はこんな思っても見ないことを口にして!
……というかサヤカ!! なぜそんなものを使うんだ!? ニッコリ笑ってないで説明してくれ!
「ウン、マジ、サイコウ、テンサイ」
「そんなに褒めないでよもう~!」
ああ、ダメだ……。口が止まらない……。
ワタル。お前がなんでサヤカの料理を食べてこなかったのか、たった今よーくわかった気がする。さっき思った事、どうか、謝罪させてほしい。ワタル、お前は、全然間違ってなんかいない。間違っていたのは俺だったようだ。
「まだまだ弁当沢山あるからね! 他にもマグマトマトとか、ブリザードエッグとか、ああそうそう、極めつけは白米! これ、ただの白米じゃなくて、実はあの魔力を吸う水を吸収して育ったという伝説の米から」
「ヤッタア、ボク、チョーウレシイ」
これなら、水でやり過ごした方が何百倍もマシだったようだ。
こうして俺は、人生で最も残酷な昼を過ごすことになった。やっぱ今日は……厄日なのかもしれない。
「はあ……。なんて日だ……」
サヤカの料理から解放され、昼に蓄えた別世界のあらゆる毒素を洗い流すべく、用を足し、講義のある教室へと向かったわけだが、俺は教室に入ると思わず目を疑った。
「やっほー、ワタルもこの教室なんだ!?」
「……なんでいるの」
扉に近い一番後ろの席には、何故かサヤカが座っていた。
「なんで……って、ワタルにまだデザート」
よし、もう授業など知らん。逃げよう。
「を、食べてもらおうと思ったんだけど、忘れてきちゃったんだ。アレ? ワタル授業は出ないの?」
「出るにきまっているじゃあないか。出席日数とか単位がピンチだからね」
そのピンチな出席日数やら単位を軽く犠牲にしてまで逃げようとしたわけだが、もはやこれは仕方がないと思った俺。なんせこっちは命に関わりかねないから。ただでさえ少ない寿命が、マイナスになりかねない。
「あはは……。あ、隣、空いてるよ」
「そっか。じゃあ、遠慮なく」
席はちらほら空いてはいるが、折角だしという事で、俺はサヤカの左隣に座った。
「やっぱ、そういう事なんだ……」
けど、ちょっぴりと悲しい表情を浮かべるサヤカ。もしや、料理の事で今逃げようとしたのがまずかったか!?
「あ、いや、えっと……」
どうする? この際だ。サヤカにはっきりと言っておくべきか? 料理が不味いって事。
「単位、足りてないんだ……ワタル」
って、なんだ。そっちか。まあ、確かにそうだな。
「まあ、色々あって大学行けない日とかがありまして……」
「相変わらず、愚図なんだね」
「そう言ってくれるな……」
愚図、か。小さい事からよく言われるな。遅刻もよくしていたのもあったけど、水泳でもなかなかタイムが伸びなくて、愚図って言われたこともあったっけ。まあ、今となっては泳ぐことさえ……。
「ワタル? どしたの? 暗い顔して」
「あ、いや。なんでもない」
いや、今はそんなのはいい。泳げなくたって、それ以外の日常を精一杯生きる。それで十分。十分なんだ。落ち込むな、渉。
「ああそう言えばこれ、頼まれていた奴」
「ん?」
サヤカは銀色の包み紙に入った小さくて丸い塊を手渡してきた。
「どっかの世界の昆虫の魔物の飴。カマキールだったかな? 隊の人に頼んで素材を調達して作ったよ」
「……え」
「はい。作るの大変だったんだからね」
「あ、ああ……。ありがとう……」
サヤカの無垢な笑顔が俺に手を差し出させる。
作るの大変だったのか。そっか。そんな苦労させて作らせておいて、断るのは流石にまずい。受け取らないとだ。
にしてもワタル。なんでそんなモノを頼んだ? もう素材の時点で怪しいじゃん。
カマキールって……。ん? カマキール? 何処かで聞いたことあるような?
まあいい。そんな事よりも、だ。
「ところで、サヤカは何故ここに?」
そもそもサヤカは異世界人。にもかかわらず、ここで俺と同じ学校の同じ教室に座っていること自体おかしな話だ。けど、サヤカはあくまでも任務でこっちの世界に来たと言っていた。そのサヤカがこの教室に座っているという事は、それはつまり……。
「決まっているじゃん。任務だよ」
「そっか。じゃあ、この教室のどこかに……」
サヤカが追っているターゲットは、この教室の中にいる学生に紛れている。でもなんで? どんな目的でターゲットはこの教室にいるんだ?
「ほら。この教室の一番前に座っている青年。彼が今回のターゲット」
サヤカが指さすところには、一人、黒髪の真面目そうな青年がぽつんと一人座っている。髪型が特徴的で、全体的にはボサボサで、上に逆立っている髪は、アホ毛にも見える。
サヤカは端末機、サガ・シダースを取り出し、画面を俺に見せてきた。
「髪型、同じだな……」
「うん……」
画面には元の世界での姿が映し出されていた。元の世界では勇者をやっているらしい彼
は、本来は青髪のボサボサヘア。こちらの世界では普通に一般男性に紛れた服装ではあるものの、本当の格好はごつい鎧を身に付け、神々しい剣を携えた青年だ。
「いったい、どんな能力を持っているんだ……」
元の世界では勇者。それが、こっちの世界ではどんな能力を使うんだろうか。まさか、魔法をそのまま使うなんてことはないよな? そんな事になったら、世間の注目の的だ。
「は~い、授業はじめまーす」
という声と共に、先生が教室に入ってきた。ガヤガヤしていた声も静かになり、一同は教壇の方へと目を向けた。
今のところおかしな点はない。強いて言うなら、先生がイケメンの為、先生目当てで授業を受けに来るいたいけな女子学生が多いという点だ。
ノートをとりつつ、そして転生者を見張りつつ、俺は授業を受けた。
一方その頃。とある世界。反転生領域の中にて。
「やれやれ、我々の存在意義は、世界の調和を乱す存在、転生者をいなくさせる事のはずですよ?」
「ああ。だから実際にそうしている」
眠りにつく転生者を目の前で、赤い髪の凛とした容姿の女性は、青い瞳を浮かべている。
概ね、今まさに任務を遂行し、転生者を元の世界に戻そうとしている最中なのだろう。
「甘いんですよ、あなた達は。こんな事したところで、焼け石に水なのです」
だがそんな中で、緑色の癖の強い髪の男は、深くため息をつきながら、その女性……アカネを蔑んだ視線を送っている。
アカネがやっているのは転生者を元の世界に戻す事。任務だ。だが、その男はそれを甘いと言っている。
「お前らは厳しすぎだ。お前ら過激派のやり方は、単なる虐殺に過ぎない」
アカネは、冷静に言葉を発しているものの、拳は強く握りしめている。その男に対して、強い何かしらの感情を持っているのかもしれない。
「タソガレ隊隊長、クラウス。異世界転生者は殺すべし。その考えは飛躍しすぎだ」
男の名前はクラウス。タソガレ隊を率いる隊長であり、異世界転生者は皆殺しにするべきという過激な考えを持っているようだ。
「世迷言を。全世界の生命は生まれ出でた世界でのみ生きるべし……それが我らの世界のルールなのです。これは我らの特権。それをあだなす存在は生命という概念を超えている。早急に何とかしないと世界の為にならないのですよ」
「……転生が、自分の意思に関わらず、でもか?」
「仕方がありません。これは悪戯に全世界の生命を転生させているであろう何者かに対する返答。転生させればその者は殺すというメッセージでもありますからね」
全世界で、異世界転生が多発している。それは、何者かが悪戯にそして意図的に起こしているとアンチ世界の人々は考えている。やり方は過激ではあるが、クラウスもまた、その者に対しての抵抗をしているようだ。
だが、それでもアカネはクラウスのやり方は許せないようで。
「狂っている」
クラウスに対して、アカネは一蹴した。
「根本的な話、元凶はその何者か、だと思うんだが?」
「確かに。ですがアカネさん? それ以前に、昨今の転生者についてどう考えますか?」
「どう……だと?」
「そもそも彼らの大半は心の底では願っている。別世界に行くことを。どうにもならない現世で、抑圧された欲望が破裂し、彼らは望んでいる。努力もせずに、飛躍しすぎた力を我が物にし、世界を自分の思い通りにする事を。まるで彼らは神になりたがっている」
「……否定はできない」
「でしょう? つまり、彼らの大半は元の世界に戻る事をあろうことか拒む現実逃避を極めるだけの腑抜けばかり。元の世界に返したところで無駄に残りの寿命をすり減らすだけ。放置しても彼らの傲慢さはやがて周囲を巻き込み、そのうち弱きを傷つける独裁者となりかねない。彼らを庇っていては、いずれ世界は滅ぶでしょう」
「なるほど。確かに一理ある」
そう言うアカネもまた、前の任務でそういった転生者と出くわした。だからこそ、一理あると答えたのかもしれない。だが、アカネはこう続けた。
「だが、全員が全員そのままとは限らない」
「ほう? と、言いますと?」
「私は、元の世界に戻る事を拒んでいたのに、最終的には自らの意思で帰るといった転生者を知っている。あの時の奴のすがすがしい笑顔は、とても気持ちのいいものだった」
アカネは転生者からクラウスの方へと目線を向けた。
「最近、部下に教えてもらった。転生者だって生きている。まだ機会がある。終わってなどいないってな」
「……ふむ、なるほど」
「だから私は考えた。誤った道へと進んでしまった転生者を教え導き、元の世界に返す。それが、我らの存在意義ではないかと。誰かが勝手に終わりにしていい生命なんかない」
「ほう。我々の考えとは、真逆ですな。いったい何故そのような甘いお考えになってしまったのか。元、我がタソガレ隊のメンバーあるまじき思考」
「元々、お前の考えには疑問を覚えていた。異世界転生者に罪はない。彼らは被害者だ。罪なき転生者を殺す必要はない」
「なるほど。それが今のあなたのお考えですか。よーくわかりました。流石は、元クレナイ隊隊長にして大罪人、異世界転生者ススムが勧誘しただけありますな」
「貴様……」
クラウスがその名前を口にしたその瞬間、アカネの目つきは鋭くなった。
「ふっふっふ、残念な事件でしたねえ。元クレナイ隊隊長ススム抹殺事件。いやあ、彼は数々の異世界転生者を解放し、元の世界へと返していった素晴らしい方でしたよ。まあ、最もその正体は、死者に自身の魔力を与え、生き返らせるというチート並みの能力、蘇生を手にした異世界転生者。大罪人でしたがね」
鋭い目つきでクラウスを睨むアカネに対し、クラウスはニヤリと笑った。
「いやぁ、異世界転生者はやはり不思議な能力を手にしてしまうんですねえ。あー、恐ろしい事です。死者を生き返らせるなど傲慢の極み。彼もまた、愚かな転生者の一人だった、そういう事ですかねえ」
「……貴様が、あの人を語るな」
それを言った時のアカネの表情は怒りに満ちていた。自分ではない他人の為に怒りを露にする。アカネにとって、ススムという人物はそのくらい大切な存在なのかもしれない。
そして、クラウスもそう感じたようで。
「ふっふっふ、随分と肩を持つんですねえ」
嘲笑うかの如く、クラウスは不気味に笑みを浮かべている。
「怒りに満ち溢れたその表情、人が大切な者を傷つけられた時に見せるそれと似ていますねえ。友を傷つけられた者、家族を傷つけられた者。色々見てきましたが、彼らが見せる他人の為に怒る表情は実に狂気。しかし、貴方の場合は……それも、言うなれば……恋人のような?」
恋人、と言われた瞬間、アカネの身体はほんの一瞬ピクンと反応した。
「……何だ? 何が言いたい?」
「いえいえ、彼の出自を調べたところ、彼は元の世界で婚約者がいたそうですね。でも、運の悪いことに彼は元の世界で起きた事故で婚約者と共に命を落としてしまった。ああ、なんと悲しいお話でしょうね、うっうっう……」
大げさにウソ泣きを演じるクラウスを、アカネは静かに見ている。薄気味悪い演技をしながら、クラウスは話を続ける。
「場面代わって、我々の世界。タソガレ隊が任務遂行中、あなたは唐突に、能力が使えなくなった。まるで、別世界のあなたが現れ、そちらに能力が移ったかのように」
クラウスの話すその内容。それは、魔法世界に育人が現れたことで、イクトが能力を使えなくなったケースと同じような事を言っているかのようだった。
「そして同じくメンバーのサヤカが魔物に襲われ、アカネさん、あなたは能力がないのにも関わらず、彼女を庇った。そして、サヤカ共々意識不明の昏睡状態となった」
その出来事を思い返しているのだろうか。アカネは無言だった。そんな彼女に対し、クラウスはこう続けた。
「しかし数日後、あなたは何事もなかったかのように現場復帰を果たしました。更には能力も使えるようになっていた! まさに奇跡の生還! いやぁ、その頃でしたねえ、面識のなかったはずのクレナイ隊隊長ススムは、突如としてあなたを……クレナイ隊に勧誘した。いーや、不思議な話だ」
「……たまたま仲良くなっただけだ。それに能力も、あれはただ疲れていただけだ」
「どうですかねえ? ふっふっふ」
不気味に笑いながら、クラウスはアカネの肩に手を添え、耳元でこう囁いた。
「仲良く死去した地球世界のススムさんとその恋人さん。ススムさんはこちらの世界に転生をしましたが、では、その恋人さんはいかがなものなのでしょうねえ」
アカネは拳を強く握り、静かに身体を震わせている。唇をぎゅっと噛み、真っ直ぐに前を見据えていた。
「もしかすると、その恋人さんも我らの中に潜んでいたりして?」
「…………っ!」
だが、それを耳元で囁かれた瞬間、アカネはさっきとは比べようのない鋭い目つきで、クラウスを睨みつけた。
流石に臆したのか、それとも余裕の演技だろうか。とっさに後ろへとクラウスは離れた。
「おーっと、怖い怖い。何も事実の話をしたのではありません。憶測を述べただけです。ご安心ください。証拠もないのに摘発しようなどとは思いません。ただ、一つ気になる事がありましてねえ」
クラウスは再びニヤリと微笑むと、それを口にした。
「あなたのところのワタル君でしたっけ? 先ほどの話と関係あるのかどうかは分かりませんが……彼、もしかして転生者じゃないですか?」
アカネは深くため息をついた。何故そのことをクラウスが知っているのか、と考えを巡らせたのかもしれない。だが、彼女は静かにこう言い放った。
「……そんな証拠はどこにもない」
「確かに。今はヒカリさんと共に地球世界へと任務で赴いているそうですが……」
それを聞いた途端、アカネは目を丸くした。
「なっ!? 初耳だぞ?」
「ふっふっふ。当然です。我々が手配しましたからねぇ」
アカネは、ヒカリが地球世界に赴いている事を知らないようだ。勿論、ワタルも共にいるという事も。そして、ワタルが任務に加わっているという事も。
「……私一人をタソガレ隊との共同任務にしたのは、それが狙いか? ワタルを任務に出させるつもりだったってわけか」
「ふっふっふ。いやぁ、アカネさん? 証拠というのは、暴き出すものですから。ふっふっふ」
「……何?」
「うちのメンバーは賢いですからね。もしかしたら、既に……」
「妄想だ。ワタルは何も関係ない」
「ワタルは、ですか? はあ、そうですかそうですか」
そう言いながら、クラウスは不気味に微笑んでいる。そんなクラウスに向けて、アカネは手持ちの灰色の棒を構え、赤く光る鎌を放出させた。
「言っておくが、今のを証拠とやらと言い張るのなら、私は今ここで貴様を斬る」
「武器を閉まってくださいな。怖い怖い。ほんの冗談じゃあないですか」
「なぜワタルにこだわる?」
「なぜって、彼はススムによって施された転生者に並ぶ卑しき存在、蘇生者ですからね。怪しい人物はうちのメンバーで徹底監視。お陰で、睡眠不足が続いていますよ。うちのメンバーは」
「蘇生者はワタルだけじゃない。他にもいるだろう? 何故ワタルなんだ?」
「ふっふっふ。さあ、それは言えませんね?」
アカネは鎌の先端をクラウスの喉に寸止めさせた。
「貴様の目的はなんだ?」
「まあ、怖い怖い。そんなに怒らないでくださいよ。目的ですか? そうですねえ」
クラウスは指をパチンと鳴らした。その瞬間、転生者の身体は炎に包まれた。
「んな!? 貴様……!!」
「転生者は殺す。目的はただそれだけですよ? ふっふっふ」
目を見開き、ガクっと膝をつかせるアカネだが、そんな彼女に、クラウスはハッキリとこう言い放った。
「次は、アカネさんの番か、“義弟”さんの番か、もしかすると両方同時かもですねぇ。ふっふっふ」
「…………っ!」
アカネは眉間にしわを寄せ、歯を思いっきり食いしばっている。だが、その時のアカネの瞳は、どことなく潤っていた。
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