第5話

 どのくらい激しい戦いがあったんだろうか。流石はチート能力を手にしただけはある。城内の至る所に人が倒れている。全員が、同じローブを纏っているところを見るに、恐らくこの人たちはギルドの魔法使い。しかも、アカネさん達が身に付けていたものとは異なる色だ。

 たぶん彼らはマルクス率いるギルドの魔法使い。だが、皆あの転生者イクトにしてやられたようだ。

「ワタル君!? いったいどこに行くんだい!?」

「わかんない! けど、たぶん玉座の間だ!」

「ええ!? たぶんって!?」

 俺の役目はこの世界のイクトを、アカネさんの元へと連れていく事。記憶が正直定かではないから、連れていってどうなるのかは分からない。だが、連れていくのが正解だってことだけは分かっている。

 魔物は皆で何とか退けた。そして、この世界のイクトも、生気を取り戻した。後は、転生者イクトをどうにかする事だ。

 俺はイクトを連れて、城の階段を上っていき、そして、玉座の間へ。

 扉は既に朽ち果て、玉座の間の様子がはっきりと見える。

 アカネさんとヒカリが、苦い険しい表情で背中を合わせている。それを囲んでいるのは、確か、イクトの仲間の女魔法使いたち。そして正面に座り込んでいるのは……転生者イクト!?

「アカネさん! ヒカリ! 遅くなりました!」

 一体全体何があってこんな事になったのかは分からない。だが、二人が無事の状態でここにこの世界のイクトを連れて来ることには成功した。

 アカネさんは俺に気が付くなり、うっすらと微笑んだ。ヒカリの表情もまた、一気に明るいモノへと移り変わった。

「愚図だな、お前は。来るのが遅いぞ」

「でもよかった。これで任務達成ね」

「うむ。では、早速始めよう」

 アカネさんはそっと目を閉じ、そして、ゆっくりと開眼する。アカネさんの瞳は青く光っていた。

「反転生領域、始動」

 アカネさんがそう発すると同時に、俺とヒカリとアカネさん、そして、転生者イクトと、この世界のイクトの身体は青白く輝きだした。この世界のイクトを中心軸として、白い空間が、円状へと広がっていった。

 この空間、見覚えがある。確か、俺が荒野の世界に行った時だ。アカネさんに「元の世界に帰れ」と言われた時のアレか。

 突然の景色の一変に、見慣れない俺を含めて、この世界のイクトはきょろきょろとあたりを見渡す。

 この場にいるのは、俺、ヒカリ、アカネさんの3人と、2人のイクト。それ以外の者たちはこの場にはいない。やはり、ここはさっきまでいた玉座とは別空間のようだ。

「え? ここ、どこ? ワタル君。一体何が起きて……」

 突然の出来事にイクトは困惑している。イクト、それは正直俺も聞きたいわけだが。

「ここはさっきまでいた玉座の間とは別の空間。そして、異世界転生者を元の世界に戻し、能力も元ある形に戻すための特殊領域。反転生領域だ」

 と、状況を説明してくれるアカネさん。

 反転生領域。それがこの白い空間の名前なのか。

「我ら3人は、この世界の理から外れた存在。異世界……全世界を管理する世界の住人だ」

「え、ワタル君!? 別世界の、人間だったの!?」

「ま、まあ、一応。厳密には、この世界のワタル君の体を借りている感じです」

「な、なんて非現実的なんだ……」

 うん。俺からすればイクト達のような魔法を使う世界の方が非現実的なんだが。まあ、この世界の人にとっては、それは現実的なんだなと改めて思った。

 とはいえ、まさか、自分が異世界の人間だなんて言う日が来るとは正直思わなかった。そして、魔法を使える異世界の住人からしても、別世界というのは驚きを隠せないようだ。

「さて、転生者イクト。いや、地球世界の住人、秋山育人」

 秋山育人。それが、転生者の本名か。

 育人は座り込んだまま、虚ろな目で、アカネさんを見上げる。昨日までのあの馴れ馴れしい且つイキイキとした姿はどこにもない。青ざめた顔色の無表情なこの感じは、まるで、死人のような表情だ。一体何があったのだろうか。

「改めて明言しよう。秋山育人、元の世界に帰れ」

 うん。俺も言われたなアレ。改めてこんな場所でいきなりこんな事言われたら驚くよなと思った。

「い……やだ……。かえ……りた……くない」

 ぼそぼそと弱弱しい声でそう呟く育人。その声はまるで、昨日のイクトのようだった。

「うむ。確かにそうだな。お前はまだ、その力を……魔力をイクトに返していない。元の世界に帰るのは、返してからだったな」

 いや、アカネさん? なんとなくだけどそう言う意味で言ったんじゃあないと思う。

「この、ちからは……ぼくの……ちからだ……」

「お前の力ではない。そもそも、お前の世界に魔法は存在しない。嘘をついても無駄だ」

「うそじゃないもん……。ぼくのせかいは……ここだもん……」

「はぁ……。全く、困った大人だ」

 アカネさんは、ため息をつくと、育人に向けて手をかざした。すると、育人の姿は見る見るうちに変わっていく。

 整った容姿は崩れ落ち、若い肉体はやや老化していく。そして、髪が抜け落ち、髭が生えていく。変わりゆくその姿を見て俺は思わず目を疑った。

「あれ? イクトが二人……?」

 そう、整った童顔めいた容姿であった少年の育人は、奴隷として生活を送っていたイクトと相違ない大人の容姿へと姿を変えた。

「いったいこれは……? どういうことなんだ?」

「ちょ、あんた正気で言ってる? どうしちゃったの?」

 ヒカリが信じられないと言わんばかりに、俺に迫る。まずい、俺も転生者だとバレてしまう。

「あ、え、えーっと……」

 よりにもよって、記憶が浮かばない。やはり、アンチ世界のワタルから引き継がれている記憶とそうではない記憶があるようだ。

 あたふたする俺の視界に入るのは、不思議そうにこちらを見つめるヒカリに、黙ってこちらを眺めるアカネさん。

 くっ、何か、何か記憶は……。

『渉。義姉さんが見ている。だから全力で泳いで来い』

 あー。思い出そうとしたら、水泳大会で緊張する俺を励ましてくれた、死んだ兄貴の恋人が思い浮かんできた。

 彼女はかなえ義姉さん。不愛想ながらも、時々見せる優しい笑顔に、俺も憧れていたっけ。でも、かなえ義姉さんは事故で兄貴と一緒に……って、今は関係ないし。何とかこの状況を切り抜けないとだろ。なんで今こんな記憶を?

「そ、そもそも二人はどうやってイクト……秋山育人をこんな状態に持っていったんだ? だって育人って、チート能力を……」

「ホントあんたどうしたの? まるで別人みたいね」

「え、いや、それは……」

 まずい。これも知っていなきゃおかしい事だったのか。

「あんた、本当にワタル? 別人じゃない?」

 ヤバイ。バレる。そこで追い詰められている育人以上に今こちらが追い詰められている気がする。バレたら一貫の終わりだ。

「ヒカリ。ワタルは憑依能力を使って、頭が混乱している。大目に見てくれ」

「え!? あ、そうだったの!? ごめん。気づかなくて」

「い、いや。大丈夫」

 はあ。なんとか助かったな。てか、アカネさん。今、俺を庇った? ワタルの記憶をたどっても、憑依能力を使って混乱したことはないはずだが……。いや、定かではないけど。

「あの世界に住まう私たちは、共通して、異世界転生者に対してのみ発揮する能力。異世界転生者を元いた世界のステータスに強制的に戻す能力を保持している」

「え……。ええ!?」

「全ての魔法を好きな威力で放つ能力を持ったイクトも、元いた世界、地球世界のステータスに戻った。つまり、魔法が全てのこの世界で、魔法を一切持たない地球世界の存在と化した」

 淡々ととんでもない事説明しているけど、それ本当の話!?

 つまり、チート能力俺TUEEE状態の異世界転生者に対するチート能力じゃないか!?

 この人たち、なんつー恐ろしい能力を……。というか、今共通って言ったか!? ってことは、まさか俺にもその能力が!?

「して、育人の本来の姿はコレだ。だが、育人は容姿をこのように変えていた。あのチートめいた魔法を使ってな。容姿を今戻したのは、あの場にいた者たちへの余計な混乱を避けるためだ。あの者たちはイクトの容姿を気にいっていた。それを変え、下手に暴れられたら面倒だからな」

「なるほど……。え、でもなんで育人はそんな事を?」

「大方、あの女子ギャラリーたちの様子を見るに、女子受けよくする為でしょ」

「ああ……」

 まあ、確かに童顔で整った顔のイケメンな少年だったな。女子受けがいいと言われれば確かにそうなのかもしれない。

 話に割って入ってきたヒカリは、腕を組み、呆れた表情で育人を見下ろしている。

「ぼくのすがたはこれじゃないもん……こんな不細工じゃないんだ……」

 変貌した自分の姿に、育人は目を泳がせている。そんな彼を見て、ヒカリはため息をついた。

「確かにあの姿は可愛い顔していたわ。それもルックスだけで言うなら女子受けは完璧に近いと思う。でも、あんたのそのなんでも思い通りになると思い込んだ自己中心的且つ我儘で幼稚なその性格は超ブサイク。姿変えたって意味がない」

「ヒカリ、ちょっと言いすぎじゃないか?」

 まあ、確かに育人はかなり調子に乗っていた様子ではあった。でも、それをブサイクの一つで済ませるのは少し酷い気がする。

「事実よ。なんか文句ある?」

「いや、別に……」

 ヒカリの鋭い目つきに、思わず身体がすくんでしまった。ヒカリって、結構キツイ印象があるな。

「まあ最も、それを増長させていたのは、何でもかんでも褒めたたえるあの女子集団ね」

「女子集団って、育人の仲間の彼女たち?」

「そ。あの女子集団が見ていたのは、育人自身ではなく、俺TUEEEなあの力と顔。それだけだった。育人は、混沌に包まれた世界を救おうと立ち上がる勇気を持っていたり、なんだかんだで私らを助けたりする、優しさも持っていたのにね。にも関わらず、誰もそこを褒めはしなかった。はっきり言って最低よ」

「ヒカリ……」

 と、思っていたけど、人の事しっかり見ていたりするんだな……。なんというか、掴みどころのない奴だ。

「うむ。というわけで、容姿もそして能力も、地球世界のステータスに戻ったわけだ。後は、その能力をイクトに返して万々歳だ」

「ちょっと、待ってください。能力を俺に返すって、どういう……?」

 と、イクトがアカネにもっともな事を尋ねる。うん、俺も正直気になっていた。

「育人は、元々は別の世界の存在だった。だが、半年前、何者かの手によって、この世界へと転生させられた。だが、この世界にはこの世界の育人……つまりお前がいたわけだ」

「え? ではこの人は、別世界の俺って事ですか?」

「そうだ」

 アカネさんにそう言われ、イクトは育人をじーっと眺めている。確かに、元に戻った容姿は、いたいけな少年の容姿ではなく、少々肌の荒れた大人のそれだ。奴隷として生活していたイクトほどではないが、髪も長く、髭も生えている。少なくとも顔のパーツは同じと言っても差し支えはない。

「だが、一つの世界に二つの存在は共存できない。にもかかわらず、育人は転生し、チートめいた能力を手に入れた。だが同じ時期に、イクトは魔力をすべて失った。そうだろう?」

「確かに……。半年前、突然僕は魔法が使えなくなりました」

「それは、イクトの持つ力そのものが、転生してきた育人の元へ宿ったからだ。それも、精々レベル25程度だったイクトの魔力が、レベル99の限界状態に大幅強化されてな」

 アカネさんは俺たちに説明するように、そして、育人に言い聞かせるかのように、こう続けた。

「転生してその世界で生きるという事は、代わりに、その世界の誰かの人生を奪取するという事。これは、とても辛く悲しい、恐ろしい事。本来あってはならない事だ」

 アカネさんは一度一息つくと、重々しい口調でこう言った。

「異世界転生は、必ず誰かが不幸になる悲しい事象。止めなければならないんだ……」

 そのセリフは、俺の心にも重くのしかかるようで、少し息苦しく感じる。けど、それ以上に、それを言っている時のアカネさんの表情は、どことなく、寂しそうに思えた。

「だから、秋山育人。元の世界に帰れ。お前は、お前の世界の戦場で、イクトの魔法ではなく、育人自らの力で、自分の世界の敵と闘うんだ」

 アカネさんはそう言うと、育人に手を差し出す。けど、育人はその手を思いっきり振り払った。

「勝手な事ばっか言うなよぉおお!!!! そんな話、信じるわけないじゃんんんんん!!!!」

 涙を流し、泣きわめきながら、育人はこう続ける。

「そもそも僕は、気が付いたらこの世界にいて、そして黒い影みたいなやつから、この力はお前の物だって言われて手に入れたのがあの力なんだ!! あれはもう僕の力だ!! そいつの人生なんか知るかぁああ!! これは僕の一世一代の大チャンスなんだよ!! それを利用して何が悪い!? この世界はもう僕の世界だぁああああ!! あの世界の連中は僕を認めてくれなかった!! あの世界は僕は実力を出せなかった!! でもこの世界は違う!! 皆は僕を認めてくれるし、僕は自分の実力を出せる!! もうあんなクソみたいな世界になんか戻ってたまるかぁああああああ!!」

 髭を生やし、髪にちらほらと白くなっている育人は、まるで子供のように駄々をこねている。

「お前のそれは、自分の力でもなければ、チャンスとも言わん。ただの現実逃避だ」

「うるせええええええええええ! お前に俺の何が分かるってんだぁあああああああ! 敗北者の俺の悔しさが、認められなかった俺の悲しさが、叶わなかったものの心の痛みが、お前らなんかに分かってたまるかぁあああああああああああ!!」

 元の世界で、彼の身に一体何があったのだろうか。ここまで泣き叫ばれると、こちらが悪く感じてしまう。

「やれやれ。困った転生者だ。少し過激派の気持ちが分かった気がする」

「ちょ、アカネ隊長!?」

「冗談だ、ヒカリ。それでも転生者が消えていい理由にはならん」

「はあ。それならよかった」

 ん? 過激派? いったい何の話だろうか。突っ込んで聞いていいのか、それとも聞かない方がいいのか。……なんて考えている矢先。

「俺は絶対戻らねえからなあああああああああああ!!!!」

 育人は叫ぶと、その場に蹲ってしまった。もはや、昨日までの姿は見る影もない。

「仕方がない。強制的に返そう。これ以上の説得は無理だ」

 アカネさんは静かに目を閉じ、そして、そっと目を見開く。すると、アカネさんの瞳は、青く光った。あの深海のような青い目、確か、俺も荒野の世界で食らったやつ!? あの目を見て、俺は荒野世界から飛ばされた! ちょ、マズイ!

「あの、アカネさん! ちょっと待っ」

「待ってください!」

 と、アカネさんを止めようとした俺とほぼ同時に、イクトが口を開いた。

「なんだ? 力なら今戻すぞ? 最も、こんなチートめいた力のままではなく、イクト本来の実力になるがな」

「いや、その人を、この世界にこのまま留めてあげていただけませんか? 力もそのままで結構ですので」

 イクトのその提案に、俺も含めて3人は目を見開いた。

「ちょ、あんた正気で言っている!? その力は元々あんたの魔力! しかも、マルクスを圧倒した力は、いつかあんたが開花するかもしれない力なのよ!?」

 確かに、魔法がないことでイクトはこの世界で奴隷に堕ちた。けど、イクトは元々魔法使いで、育人が現れたことで魔法が無くなったってだけだ。それを拒否するのは引っかかるが……。

 でも、それでもイクトはさっき魔物と戦った。それが答えなのかもしれない。

「いいんです。もう僕には、魔力は必要ない。それ以上に大切な力を、ワタル君に教えてもらったから」

「イクト……」

 イクトはうっすらと微笑むと、俺たちにこう話した。

「半年前。僕は魔力を失って、落ちぶれました。そして、奴隷として身を置き、死んだように生きていました。けど、それでも僕は生きていたんです。だからこそ、魔道具の力を借りはしましたけど、魔物を打ち倒すことも出来ましたし、連中に一矢を報いる事も出来た。魔法なんかなくても、僕は生きている。僕には、生命力って言う特別な力がある」

「生命力……」

 それを聞くと、ヒカリは一旦目を見開いて、そのまま顔を俯かせた。なんだろう。どうしたんだろうか。

「生きてさえいれば、魔法なんかなくたって、また僕は戦える。だから、いいんです」

 一方で、それを言っていた時のイクトの目は、まっすぐ前を見据えていて、迷いがないように思えるもので、とても、綺麗だった。

「なるほど。イクトの言い分は分かった。で、ワタル。お前の言い分はなんだ?」

「あ、はい」

 あーそうだった。俺もちょっと気になる事があったんだったっけ。

「えっと、言い分って言うか、ただ単に聞きたいことがあって……」

 俺の聞きたいこと。それは、アカネさん達に対してではない。そこで蹲っている、俺と同じ世界の同胞に対してだ。

「あのさ、育人。どうして、元の世界に戻りたくないんだ?」

 それは、素朴な疑問。こんなに駄々こねてまで、地球世界に戻りたくない理由について。

「俺の世か……地球世界にだって、女の子はいるだろうし、魔法はないかもしれないけど、でも代わりに楽しい事はいっぱいあるだろう?」

 地球世界は娯楽に溢れている。テレビにラジオにインターネット、映画、動画、小説や漫画、ゲームにスポーツ。その他諸々。娯楽はいくらでもあるし、時間が足りないって思えるくらいだ。

「まあ、勿論、この世界にも奴隷があったように、元の世界でも辛い事ってのはあるかもしれないけど、それは、どこの世界でもそうじゃないかな。だから聞きたい。何故だ?」

 俺のその疑問に答えるように、育人は顔を上げる。けど、その表情は涙でぐちゃぐちゃだった。

「決まっているじゃないか! この世界だと僕は神だ! 女の子にモテまくり、世界の命運だって僕の手の中にあると言っても過言じゃあない! 元の世界では味わえない興奮ばかりだ!」

 なるほど。確かに初めて会った時はかなりイキイキとしていたし、女子からちやほやもされていた。正直、羨ましくないと言えばウソになる。

 けど、それとは別に俺は、ある事が気になっていたんだ。

「本当にそれだけ?」

「あ、ああそうだよ! だから俺はこの世界じゃあないと生き」

「元の世界でも、そうすればいいじゃあないか」

「……は?」

 俺の発言に、育人は口をポカンと開けている。あれ? 俺何か変な事言ったか?

「……はあ。ワタル。地球世界には魔法は存在しない。だから、もうそいつに何言っても無駄だ」

「いや、魔法とかそう言うのは関係ないです。だって育人は……ただ、人気者になりたいだけなんですから」

「何……?」

 育人はさっき言った。認めてもらえなかったって。実力を発揮できなかったって。

 それは、育人は元の世界で何かをしようとしていたって事じゃあないかと思った。でも育人は、こちらの世界でそれができると言った。

 それが、どうしても気になったんだ。

 元の世界とこの世界は全然違う。まずそもそも魔法がない。にも関わらず、育人は元の世界でできなかった事をこの世界でやろうとしていた。それは一体何か。

 育人はこの世界でチート能力を手に入れ、無双していた。そして、女子から絶大な支持を得ていた。つまるところ、チヤホヤされたい。たぶんそれが育人の望み。でもそれは、元の世界でだってできる。

「勿論、神になんてなれないし、世界の命運を手中に収める、何て大それたことは出来ない。でも要は人気者になって、自分のフォロワー増やしたいだけじゃあないのか、育人は」

「…………」

 俺の発言に、育人は黙り込んでいる。

「そしてそれは、元の世界で育人が本当にやりたかった事にも繋がっているんじゃあないのか」

「それは……」

 育人は何かを言いかけると、すぐにまた黙り込んでしまった。

 けど、育人の唇は震え、息が荒くなっていた。

『もう俺は泳げない……。でも、泳ぎたいよ……。悔しいよ……』

 その仕草は、地球世界にいたある男を彷彿とさせるもので、心が苦しいものだった。

 だからこそ、俺には分かる。育人の気持ちが。

 ソイツにはもうチャンスはない。でも、目の前にいる育人は、ソイツとは違う。

「俺はさ、お前の事が羨ましいよ。やりたい事あって」

「え……」

 きょとんとした顔でこちらを見つめる育人に、俺は一息ついた。

「俺さ、もうないんだ。やりたい事。だから、空っぽな感じで生きてきた。でも、育人は違う。世界跨いでまで、やりたい事を貫こうとしている。そんなにすげえ事を元の世界で成し遂げたかったんだろ。やりたい事だらけじゃあないか。だから、羨ましいよ」

「お前……」

 育人も、結局はイクトと同じ。まだ、泳げるんだ。その事に気が付いていないだけで。

「……そうだよ。僕、人気者になりたかった」

 育人は胸の奥にため込んでいた自分の意思を、俺に吐き出していく。

「と言っても、やりたい事は、音楽だった。ミュージシャンになって、ファンを沢山つけて、そして、ファンを自分の曲で笑顔にしたい。それが、僕のやりたい事だった」

「そっか。音楽か……。凄くいいじゃあないか」

 すげえな。俺は歌上手くもなければ、楽器の演奏ができるわけでもない。つくづく無能な奴だよ。俺は。

「やっぱ羨ましいよ。凄いじゃんか」

「けど、僕には……そんな才能はなかった……」

 それを言った時の育人の声は、今までで一番、震えているような感じがした。

「路上ライブやっても客は来ないし、声もかからない。オーディション受けても不合格。気が付いたら30近くになっていた。そして気が付くと、職にも就かずに、無気力に生きる存在になっていた。もう、僕には才能なんかないんだよ……」

 才能がない。育人はもう一度そう言った。でも、そんなの俺にとっては知ったこっちゃない。

 だって育人は、俺にないものを一つ持っているから。

「なあ育人」

 俺は、両手で育人の両耳を引っ張った。

「痛っ!? な、何をするんだ!?」

「今つねられているここは?」

「え?」

「なんていう部位?」

「み、耳……?」

 涙目でそう答える育人だが、俺は次に移った。

 今度は育人の頭をグリグリさせる。

「ここは?」

「あ、ああああ頭!?」

「じゃあ、ここ」

「手!?」

「せーかい。じゃあ、ここは?」

 育人の手をつねるのをやめ、俺は、自分の右手を、自分の胸に当てる。

「自分で、自分の胸に手を当ててみろ」

 育人はいわれるがまま、自分の胸に手を当てる。そして、同じように俺も自分の胸に手を当て続ける。

「ドクン、ドクンという鼓動が手に伝わっているか?」

「う、うん……」

「心臓、動いているな? つまりお前は、生きている」

 きょとんとした顔で、俺を眺める育人だが、俺は話を続ける。

「曲を聴く耳もあるし、曲を考える頭もあるし、楽譜を書く手だってある。つねったりグリグリしたら痛かったんなら、育人の身体は、まだ生きている。心臓はまだ動いているんだよ。そう、だからまだ育人は終わっていないんだよ」

 俺はイクトの顔をチラっと見る。イクトもこちらに気づくなり、コクリと頷いた。

「そこにいる、こっちの世界の育人も、魔法を使えなくなって、それからは死んだように生きていたらしい。でも、こっちの世界のお前は、それでも立ち上がった。力はなかったけど、巡ってきたチャンスをモノにして、抗ったんだよ。そして、勝ち得たんだ。それは、今日まで生きてきたからこそ、成し得た事なんだ」

 そして、イクトは力を取り戻す機会を今現在得ている。それも、今日まで生きてこそのものだ。

「こっちの世界の育人が、それが出来たんなら、育人だってできるさ。同じ存在なんだから。それに育人はまだ生きているし、何よりも持っている。魔法よりも強い、とっておきの力。生命力って言うチート能力があるあじゃないか」

 そう。育人はまだ先がある。死んでいない。だから、こんなところで立ち止まらせちゃあダメだ。

「才能がないなんて、自分で決めつけないで、そのチート能力をフルに使って、立ち向かおうぜ。そして無双しようぜ。生きている育人には、元の世界でもそれができるんだよ」

「できる……? 元の世界でも……?」

「ああ。だって、育人はまだまだ先なげえだろうし、何より、生きている。だから、できるんだよ」

「…………」

 なんか少し説教臭くなってしまったけど、でも、これが俺の考えだし、俺の想いだ。こんな異世界に逃げ込んでいないで、育人にはもっと明るい未来を掴んで欲しい。

「ブ、ククク」

「んな!? 何を笑って……」

「いや。生命力が、チート能力何て言うやつ、初めてみたよ。じゃあ、この世の中、チート能力者だらけじゃあないか」

「そ、そーだよ。だから、アクションさえ起こせばいつかきっと無双できるんだよ。生命力持ったチート能力者はな。そしてそれは、生命力を持った奴の特権なんだ」

 そう。それは、今を生き、これからを生きられる人たち全員の特権。

 ……俺とは違う。だが、育人はまだまだ戦える。

「はぁ……。そっか。気が付かなかったよ。僕の能力はまだ死んでいない。生きている限り、アクション起こせばあっちでも無双できる……か……」

 育人はそっと立ち上がると、イクトに対して頭を下げた。深々と。

「ごめん。こっちの世界の僕。この魔法は君のなんだよね? 返すよ」

「育人……」

 どうやら、育人はその決心がついたようだ。目は腫れてはいるものの、表情は、付き物が取れたかのように明るかった。

「本当に、返して貰っていいのかな?」

 さっきまで返さないと駄々をこねられていただけあって、返すと言われて困惑するイクト。でも、アカネさんはそんなイクトの背中をポンと押した。

「言っただろう。その力は元々イクトの魔力だ。あるべき姿に戻ってもらわないと、正直困る。我々はあくまでも世界の調和を取り戻しに来たのだからな。だから、遠慮なく受け取ってくれ」

「……はい。では、そうします」

 イクトは育人に近づくと、そっと手握った。

「君も、元の世界でまだまだ戦える。奴隷からこうして自由になった僕と同じように。だって、僕らにはとっておきの能力があるから」

「みたいだな。これからは生命力をフルに使って無双しようと思う。元の世界で。魔法を好きに使ってすまなかった。これは君の魔法だ」

 両手でを取り合う育人とイクトだったが、育人の右手が赤く光りだした。その光は瞬く間に、イクトの左手に移動していく。これはもしかして力が戻ったのか?

「うむ。力が元の持ち主に戻ったな。後は元の世界に戻すだけだ……が、その前に一つ聞きたいことがある」

 アカネさんが聞きたい事? 一体なんだろうか。

 そう思う中で、アカネさんは育人にこう尋ねた。

「お前に力を渡した人物は、どんな奴だった? 黒い影がどーとか言っていたが」

 ああ、確かにそれは気になった。黒い影みたいなやつから渡されたって言っていたけど。

「文字通りです。黒い人影が、突然目の前に現れて、この力はお前の物だって言って、一瞬瞬きすると、その黒い影は消えていなくなりました。だから、どんな奴かと言われても」

「そうか。分かった」

 黒い影。それが、育人に力を渡した人物。一体どんな目的でこんな事を……。

「では、これより秋山育人を元の世界に戻す」

 と考えているうちに、アカネさんは再び目を青く光らせた。

「育人の魔力はイクトへと移り、転生時の記憶や実績も、この世界のイクトへと引き継がれる」

「え、アカネさん? では育人はこの世界での記憶は失くしてしまうんですか?」

「消えるとは言っていない。引き継がれるだけだ。だから、なるべく異世界の事は忘れろ」

 なるほど。記憶は残るんだな。そう言えば、俺も最初、忘れろって言われたっけ。結果的には忘れてないが。

「この世界の事、後は任せた。イクト」

「うん。君ほどの能力はないにしても、君のような能力を開花させるように、最善を尽くすよ。任せてくれ」

 そっか。イクトはチート能力ではなく、ただの一魔法使い。全ての魔法を好きな威力で使えるわけではなくなったのか。でも……。

「大丈夫さ。なんせ、僕らにはとっておきのチート能力があるからな」

「だね。いつか絶対に、開花させてみせるよ」

 イクトも、そして育人も、きっともう大丈夫だ。チート能力よりも大事な力の事を、二人は分かってくれたから。それに、優しく微笑み合う二人を見て、そう思った。

「では、これにて任務完了だ。皆、ご苦労だった」

 アカネさんがそう言うと、この白い空間は光り輝きだし、俺たち全員の視界を奪う。

 その瞬間に見えたのは、青白い光に包まれ、スーッと消えていく優しく微笑んだ育人の姿と……。

「ありがとう。ワタル君」

 そんな温かい言葉だった。

 やがて、視界は徐々に回復していき、その光景が目の当たりになる。

「イクト君の力を馬鹿にするやつは、私達が許さない!」

 そう、気が付くと、女魔法使いに取り囲まれるアカネさんとヒカリの姿が目の前に広がって……って、マズイ! この状態であの空間に連れられたんだっけ!? 二人ともピンチじゃあないか!

「アカネさん! ヒカリ!」

 俺の叫びも虚しく、四方八方から降り注ぐ炎や氷の塊が、二人を襲う……その瞬間だった。

 二人の真下に白い紋章のような者が出現し、それが輝きだす。すると同時に、二人目掛けて放たれていた魔法は全て消滅した。

「危なかった。二人とも、大丈夫ですか?」

 そう言ったのは、さっきまで転生者イクトが膝をついていた場所で右手を前に掲げる、長い髪と髭が特徴的な青年。恐らく彼が二人を助けてくれたんだろう。

「本当だ。育人君の冒険が、半年間の記憶が、流れ込んでくる。なるほど。この半年にそんなことが。はいはい、なるほど」

 その人はぼそぼそとそう言いながら、二人を取り囲んでいる女魔法使いたちにこう言い放った。

「えっと、そ、そこの子猫ちゃんたち~? イ、イクトだよ~?」

「「「「イ、イクト君!!」」」」

 と、その声を聴いた瞬間に嬉しそうに笑みを浮かべた女魔法使い……だったが。

「「「「え……」」」」

 イクトの姿を見るなり、皆の笑顔はスーッと消え失せていくのが分かった。

「こんな姿になったけど、これが僕の本当の姿なんだ。はいはい、というわけで戦いは終わりだよ子猫ちゃんたち~。仲良くしようね~」

「「「「……誰?」」」」

「……あ、あれ?」

「はぁ。ホント最低ね」

 青年の名前はイクト。転生者イクトの真似をしてみたものの、圧倒的なチート能力を持っていない且つ、美少年ではない事から、女魔法使いたちは、次第に傍を離れていった。

 この時のイクトの涙目と、女魔法使いに対するヒカリの鋭い目つきを、俺はたぶん、決して忘れることはないと思う。

 ……やがて、この世界で新たなる王の即位が行われた。

 即位したのはなんと女性。なんでも、マルクスが即位するずっと前に即位していた元々王族だった人の娘らしい。本当なら、イクトが王になるはずだったんだけど、イクトは三つだけ勅命を出して、すぐさま辞退した。一つは奴隷の解放。そして二つ目は、魔力を持たない人に対しての魔道具の支給。

 そして、三つ目はマルクスのような独裁者が王になる事を防ぐためにも、今の制度を改め治すべきだと主張した。

 それで、この世界を統治する存在は、最も強いギルドではなく、よくある王族制へと変わっていった。

「転生者もいなくなり、この世界も調和を取り戻した。もう大丈夫だ」

 即位式も終わり、町の外に出る俺たち三人。一目のつかない草むらで、俺たちはたたずんでいた。

 ちなみに俺は憑依能力を解除し、既にアンチ世界のワタルになっている。

「まさか、転生者の考えを変えさせるとはな。正直驚いたぞ。ワタル」

「うん。育人、あんだけ戻りたくないって言っていたのに」

「あはは……確かにそうでしたね」

 戻る気はないと言っていたイクトも、最終的には自分の意思で戻ると言ってくれた。正直、そう言ってくれたのは本当に嬉しかった。

「今まで、転生者の意思など関係なく任務をこなしていた。結局のところ、転生者が拒もうが元の世界には戻すからな。説得は無意味だと思っていた」

「え? アカネさんも説得はしていたじゃないですか。最初」

「私がしたのは単なる警告だ。お前のように面と向かって転生者と向き合った事はない。だから聞きたい。何故だ? 何故そこまでする?」

 何故って、そんなの決まっている。

「元の世界に戻っても、異世界での時と同じように、チート能力使っていきいきと無双してほしいからです」

「……何?」

「ごめん、ちょっと何言ってんのかわかんない」

 うん。今のは例えが悪かった気がする。

「んーと……俺はただ知ってほしいだけなんです。皆まだ生きているんだって。終わりじゃあないんだって。先があるんだって。だからチャンスなんて沢山あるんだって。それを知らないまま、現実から目を背けて、死んだように生きてほしくない。だってそんなの、勿体ないじゃあないですか」

「生命力はチート能力。そう言っていたもんね」

 少し納得したようで、なるほどね、とヒカリは頷いてくれた。

「ああ。だから、そのチート能力使って、自分のしたいようにしてほしいなって……」

「そうか。なら、何故、何がきっかけで、お前はそう思うようになった?」

 え、何だ? なんかめっちゃ責められてないか? 俺。というかなんでそんな事を……。

「今までワタルはそんなに積極的に語り掛けたりはしなかったからな」

 ……なるほど。いつの間にかワタルとは思えない行動をとってしまっていたのか。迂闊だった。

「確かに……。説得めいた事していたけど、でもワタルそんな事までは言った事なかったから、ちょっとびっくり」

「あーそれは……その……」

 じーっとこちらを見る二人の視線がキツイ。どうする? 身の上話を友人の話ですけど、みたいな感じで話せばいけるか? でも、疑われないか?

「え、えーっと……」

「ふっ。まあいい。大方、何かの本を読んで思うところがあったのだろう」

「実は俺……へ?」

「最近、本読んでバッカだったもんね。難しそうな本。なんだっけ、あの本。降霊のススメ……だっけ?」

「あ、ああ、それです。その通り……」

 助かった……。ワタルとしては在りもしない身の上話するわけにもいかなかったからホント誤魔化せてよかった。てか、こっちのワタルも本よく読むんだな。ワタルも趣味が読書で良かった。しかし、降霊のススメってなんだ? 怖いのは苦手だぞ俺。

「長話もこのくらいにするか。もう、この世界に長居は無用だ」

 そう言いながら、アカネ隊長は懐から取り出した透明なガラスの球体を頭上に掲げた。

「ようやく帰れますね。元の世界に」

「そうね。はーあ、疲れた。戻ったらお風呂入りたいわ~」

「はは。確かに俺も疲れ……っ!?」

 あれ……。おかしいな。どうして胸の痛みが……?

 この痛みは、地球世界の俺だけじゃあ、ないのか……?

 だってワタルには心臓が……。

「ワタル? どした?」

「な、なんでも……ない……。はは……」

 額から汗が噴き出る中で、俺は心配そうにこちらをみるヒカリに微笑みかえる。

 ここでバレるわけにはいかない。いかないんだ……。

「はぁ。じゃあ、戻るか。元の世界に」

 アカネさんの手の中で、球体は光り輝き始める。

 この世界に来た時のように、青い光に包まれる俺たち。だが、この時、アカネさんは俺の方を向いて、静かにこう言い放った。

「元の世界に帰れ。仙波渉」

「え……? んな!?」

 アカネさんの目は青く光り、そして俺の視界は、青い光に染まっていった。

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