第7章 渡れ、渡れ!

 どうやら問題なく抜けたようだ、とわかったのは、周りのかべさくら色に変わったからだ。


 今度は子どもの落書らくがきじゃない。ピンクの壁のあちらこちらに、星座せいざえがかれている。その星座は、星座早見表か何かを印刷いんさつしたように整っていて、落書きらしさはまったく感じられなかった。それぞれの星の間を、黄色い線が結んでいる。


 ピンクの壁の迷路は、今までとは少し違っていた。迷路になっていたのは、最初の2、3の分かれ道までだった。


 目の前の景色が一気に開けた。後ろに並んだピンクの壁は、左右に大きく広がり、はるか遠くで向きを変えている。目の前には一面の水が現れていた。


 一瞬いっしゅん、海に出たかと思った。ただ、左右の反対側の岸はかろうじて見えるし、あちらこちらに小さな島がある。


 比較的ひかくてき近い島々を見る限り、それぞれの島には、少なくとも2そうのボートが着いていて、それぞれ別の方向を向いているように見える。そこでボートを乗りえるようになっているらしい。


 船頭はいない。ボートは真っすぐにしか進まないのか、何かモーターらしきものがついているが、オールも見当たらなかった。


「水上迷路なんだよ」


 たけしの声は少し楽しそうだ。たぶん何かのゲームのイメージでも思いかべているんだろう。


 私は面倒めんどうだな、という気持ちになった。壁がない分、先は見えるのに、たどり着けないストレスにさらされそうな気がした。


 私たちが立っている岸には、ボートは1つしかない。左右にはいくらか歩けそうだけれど、横の壁はだいぶ遠く、岸がないところに立っているように見えた。泳いじゃダメかな。私は少しだけ水にれてみた。水温は低く、ざぶざぶ入ったら、とても冷たく感じるだろう。


 戸惑とまどいながら、私は目の前のボートに毅を乗せ、自分も乗った。


「まず、最初さいしょの島まで行くよ」


 ボートはひとりでに動き出した。湖らしい静かな波だ。すべるような動きで、少しもガタガタとれないのは不思議な感じがする。


 入口で聞いたとおり、全部魔法なんだ。魔法だと思ったから納得なっとくできるわけじゃないけれど、ともかく今までこの迷宮で、何も起きないほうがめずらしいくらいだった。


 最初の島に着くまで、十数秒だった。島には何もなく、ただ少し草が生えているだけだった。島の形はかぎ状で、違った方角を向いたボートが同時に停まっている。思ったほど時間はかからないかもしれない。


 乗り換えられるボートは2艘あって、どちらのボートも、最初のボートと別の向きだ。私はその片方かたほうに手をえた。


「いい?」

「うん」


 私たちは、手近なボートに乗り換えた。


 私たちが別のボートに乗ると、最初のボートはどういうわけか、自動的に元の方向へもどり始めた。


「ん、これって戻れないってこと?」

「同じ道では戻れないみたいだね」


 思ったより難しそうだ。どういうルートで動いたか覚えていないと、同じミスをり返してしまいそうだ。こんなときに一緒いっしょにいるのが毅なんて。この子、すぐ迷子になるような子だから、絶対ぜったい、通ったルートなんて、覚えてない。


 2つ目の島はまた違った形だった。たまごの上の部分だけ寝かせて、おしりのほうに横長の長方形をくっつけたような、奇妙きみょうな形だった。1つ目の島もそうだったが、島の大きさは子ども部屋1つ分もないくらいで、ボートの乗り換え以外の目的をまったく果たしそうにない。


 ボートを乗り換えて次へ進む。今度のボートは最初の方角から見ると、ななめ右のほうに進んでいた。ボートの動きはスムーズで、1回の乗船はほんの短い時間だ。だけど、次のボートの方向を見て、私はちょっと不安になる。1つは最初の島に戻る方向、もう1つは、今乗ってきたボートから、右へ進路を変えるボートだ。


「どうする?」

「戻るのに乗ってみよう」


 私が状況じょうきょうを伝えても、毅はおもしろがっていた。


「迷路の中なら、ときには逆向きに進まないと、目的地に着かないかも」


「まあ、確かに……」


 本当に合っているんだろうか。あまり時間をかけすぎて、お母さんたちに心配をかけたくない。それに、おなかいた。何かおやつが欲しい。


 着いた場所は、入ってきた場所とは違って、小さな島の1つだった。向かって右へ向かうボートを選んで乗る。


「右に行くの?」

「そうすれば、正面から見て、左になるから」


「うーん、かえって戻らないかなぁ」

「そう?」


 わからない。毅はゲームれしてるかもしれない。だけど、迷路に慣れって関係ない気がする。


はじっこまで行ったほうがいいかもしれないよ?」


「まあね」


 確かに、これだけはばが広いのだから、私が描くとしても、この広さを使って迷路を描きたい。毅の言うとおりかもしれない。


 ボート内でナップザックの右かたを外していると、すぐに次の岸に着いてしまう。いそがしくて、飲みものを飲むひまもない。正面に進路を取ろうとすると、毅に違うと言われた。


「もう少し左に行くんだよ」

「でも、進まないじゃない」


「迷路だから、真っすぐは行かれないよ」


 自信満々の様子で主張するので、仕方なく言うとおりにした。左斜め正面に進むルートを取る。本当にいいのかな。


 今度こそ、ペットボトルを取り出してお茶を飲む。場違いなかおりが広がって、私はどうでもいいか、と思い直した。迷路の正解を見つけるのに、方向音痴おんちも何もない。


 お茶を飲んだのはいいけれど、今度は片づける暇がないまま、岸に着く。次のボートで進路はまた左になる。


「行かれるならはしまで行きたいね」

「できればけたいんだけど」


 どうにか次の島に着くまでに、ペットボトルをナップザックに放りむ。そのまま左に行くのかと思いきや、今度は右斜め後ろと正面しかなかった。


「今度こそ、真っすぐ正面!」


 半ば強引ごういんに毅をボートに乗せる。毅は別に反対しなかった。


「これ以上後ろに行くのは、かえって違うかも。まだそんなに前に進んでないから」


 今度は意外なほど長く進んだ。多分20秒以上乗った。そして、着いたらまた左へ進むルートを取る。左の壁がはっきり見えるほど左に進んだ。だけど、次は左後方か正面か、どちらかしかない。


「左!」

 毅がまだ左に行くと主張する。後ろに向かうとわかっているのに。


「また戻るの?」

「たぶん大丈夫だいじょうぶ


 不安なんだけど。毅が勝手に乗ってしまうので、私も追いかけるしかない。


「方向わかってる?」

「お姉ちゃんが教えてくれるから、大丈夫」


「そういう問題かなぁ」


 確かに、私は毎回、どちらに向かっているか伝えている。だけど、これだけごちゃごちゃだと、私でも混乱こんらんしそうだ。私は、わざと正面側を向いてボートに座った。


「どうしたの?」


「わからなくなるといけないから。進みたい正面のほうを向いて座ってるの」

「ああ」


 壁にぶつかる岸だった。毅ははっきりと右に進路を取ると言ったし、もちろん、私も右のほうへ向かうのはわかってた。だけど、右斜め前に進むルートもあるのに。


「そしたら、さっきの場所に戻りそうだから」


「そう?」

「ほら、いいから、右!」


 よくわからない。何か毅なりの基準きじゅんがあるんだろうけど、私には理解できない。


 右に進むボートに乗ると、何か紙が落ちているのを見つけた。


「何、これ?」

「何?」


 身体の向きを動かさないように注意しながら、私はそれを毅が見える位置に広げる。そこには馬と魔女がいて、星空がきれいなイラストがあった。


「なんだろう?」

 とりあえず、確保しておこう。


「でも、よかった」

 毅が呟く。

「何?」


「正しい道に来てる。じゃなかったら、こんな紙、ないはずだよ」


 毅がうれしそうに言う。それからしばらくは、ただひたすら進み続けた。途中とちゅうで船を間違ったらしく、同じ島らしきところに戻ってきたが、どうにか2枚目の紙を拾うところまで来た。


「ペガサスになりたい」


 紙にはただ、それだけ書いてあった。たぶんさっきのが馬の絵だったから、その馬がペガサスになりたいっていう意味だと思う。


「どうやって?」

「さあ……」


 私たちは首をひねった。


 もう1枚、ヒントが出てくると思ったけれど、何もないまま、目的の場所に着いてしまう。ピンクの壁がせまくなる場所だ。出口は1つらしい。でも、そこにはピンクの両開きのとびらがあって、扉の模様もように最初の絵と同じ絵が描かれていた。左に馬、右に魔法使い、上に星だ。


「うーん、この問題を解かないと、進めないみたい……」


 私は何か動かないかと、魔法使いのつえさわってみる。


うでごとじゃない?」


 動かないので、毅が言うように、腕のつけ根から動かそうとしてみたけれど、これも意味がなかった。


「違う」


「変身の魔法ってわけじゃないのか」

「わからない」


 扉の上から下まで手を伸ばして、私はありとあらゆる場所を動かそうとしてみる。


「やめなよ、間違ってたらどうするの?」


「違って戻されたら、戻されたで、別にいいじゃない」


 そう言いながらも、本当は最後まで終わらせるほうがよかった。せっかく入ったアトラクションで、失敗して終わりなんて、おもしろくない。


 右のほうの星に手をかけた。すると、星が動く。それは斜め下に落ちるように動き、流れ星の絵を描いた。


「あ!」


 馬はペガサスになっていた。扉がゆっくりとおくへ向かって開き、私たちの目の前に黄色い壁が現れる。次の迷路の始まりだ。


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