第6章 黄色い罠

 ほんの少しだけ休んで、私たちは迷路を再開さいかいした。急がないと、本当におそくなっちゃう。あまり時間をかけて、お父さんとお母さんを待たせたらいけない。連絡れんらくがつくならともかく、携帯けいたい圏外けんがいなんだから。


 生垣いけがきには花がいている。落書らくがきの代わりに、道をもどっていないかを花の印象で確かめる。ここまでの大半の場所が舗装ほそうされた道だったけれど、このエリアは短い草が生えていた。


 ピンクの小さな花で始まった生垣は、季節外れのツツジをかせていたかと思うと、突然とつぜん、ピンクのバラになった。とてもいい香りがする。ちょっとっぱい香りだ。


「歌でも歌う?」

「いや……」


 こういうとき、たけしはノリが悪い。つまらないな。少し学校の話でもしてみよう。


「高橋先生って、どんな先生?」

担任たんにんの?」

「うん」


「国語が好きな先生。だけど、ちょっとひいきする」


「ひいきするの?」


「うん。うちのクラスに佐々木って女子がいてさ。その人が、字がきれいで、国語の成績せいせきもいいから、好きみたいなんだ」


「そっか」


「まあ、先生が感想文を読んでくださいって言って、手を挙げたのがその人だけだったからかもしれないけど。『みんな、やる気なさすぎ』って、先生、おこってたから」


「ふうん」


 赤いミニバラのエリアにさしかかり、私たちは右へ曲がった。


「学校の話、してるけど、お姉ちゃんはどうなのさ? あんまり友だちいないって言ってなかった?」


「ああ、うん。まあ……」


 そこはあまり、つっまないでほしい。気が強い女子が多くて、ぐいぐい自分の主張を通そうとするから、ちょっと苦手なんだ。


「女子は難しいの」

「そんなもんかなぁ」


 ちょっとしたことで、すぐに気持ちが変わるから。


「あなたみたいに、ゲームだけ与えておけば機嫌きげんがいい、なんてほど単純じゃないのよ」


「それは……」


 毅はだまり込んでしまった。目の前が行き止まりになって、私たちは来た道を少しもどらなければいけなかった。


 行き止まりに何度かぶつかりながらも、どうにか黄色いバラのエリアまでやって来た。なんとなく分かれ道がってきた感じだ。


「そろそろ次に着くんじゃないかな?」


 私は少し先の道を見ながらつぶやく。黙ったままでいてほしくなかった。


 その次の角を道なりに曲がったところで、私は思わず足を止めた。場違いなほどはなやかなワンピースを着た女子が、生垣のバラをんでいた。


「クイーンだ」


 クイーンは、ゆっくりと私をり返った。

「あら、マーサじゃない」


 クイーンというのはニックネームだ。本名は松尾奈々。女王様気取りで何でも自分で決めたがるので、そういうあだ名がついている。みんな、本人に理由は言わないが、クイーンは別に自分のニックネームをきらってはいないらしく、クイーンと呼んで文句が来ることはない。


 ただ、ここまでだれにも会わなかったはずなのに、ここで急にクイーンに会うなんて、ちょっと不自然な気がする。


「あなたの横にいるの、どなた? ボーイフレンド?」


 クイーンは私の思考にお構いなしに、冗談じょうだんをぶつけてくる。


「弟よ」

「ええ、もちろんわかってるわ」


 オホホ、と笑いそうな表情でこちらを見てくる。気に入らないけど、さからうといじめの対象になる危険があるので、おとなしく切り抜けるしかない。


 クイーンのお父さんは実業家で、各方面に投資もしており、それなりに影響えいきょう力があると聞いている。お母さんはお母さんで、教育委員会で力を持っているそうだ。


「クイーンも迷宮をしに来たの?」


 気楽に聞こえるようにたずねる。クイーンは笑い出した。


「あら、そんなわけないじゃない。私の父はここの経営にもからんでるの。私はちょっと様子を見に来ただけよ」


「そうなんだ。すごいね」


 こう言っておけば、害はないはずだ。


 それにしても、ちょっと様子を見に入って来られるなら、どこかにかくとびらか何かがあるんだろう。やめたくなったら、中止にできないのかな。まあ、クイーンに言うと、何が気に入らないのかと、問いめられそうだけど。


「あなたも弟さんを連れているなら、しっかりなさいね。このエリアでは、よく道に迷って帰れなくなる方がいるそうよ」


「え?」


 クイーンは気取った微笑びしょうかべたまま、黄色いバラを1りん、私にさし出す。私が受け取ると、そのまま私たちが来たほうへ立ち去ってしまった。クイーンの姿すがたが見えなくなると、自分が緊張きんちょうしていたと気づく。少しかたった気がする。


大丈夫だいじょうぶ?」


「うん。まあ、クイーンはめれば基本、無害だから」


 そうじゃない場合もあるけれど。そんな言葉はみ込んで、私は先を急いだ。


 クイーンに渡されたバラの処理しょりに迷いながら、私は歩いた。かおりはいい。さっきのピンクのバラよりも、少しあまめの香りだけど、バラはバラだ。


 生垣の周辺に木が出現し、次第に森のようになってくる。そして、生垣が広がったかと思ったら、完全に森のような場所に出てしまった。


「うわ、ここ、どうすればいいんだろう」

「さあ」


 生垣に沿って歩いたほうが、安全だろうか。それとも、森の中心を真っすぐ進むべきだろうか。ただ、さっきクイーンは、迷って帰れなくなる人がいると言っていたから、生垣は見えていたほうが安心な気がした。


 左の生垣に沿うように、私は慎重しんちょうに歩いた。道と言えるような道はなく、足元は土と草と葉っぱでおおわれている。


 私は急いでいたつもりだった。反対側にいくつかの道があるだろうと思って、ひたすら生垣沿いを歩いていた。


「お姉ちゃん!」


 毅の叫び声に、私ははっとして周りを見回した。何も変わっていない、ただの森だ。そして、左側には生垣が続いている。


「大丈夫? なんかねむってるように見えたよ?」

「え?」


 気づかなかった。どうして歩きながら眠れるんだろう。


「なんか変な魔法がかかってる気がする」


 毅は落ち着かない様子で視線をさまよわせていたが、あきらめたように溜息ためいきをついた。


「そのバラが原因じゃないかな。森の中に捨てちゃおうよ。クイーンもわからないよ」

「……そうだね」


 クイーンにもらった黄色いバラなんて、確かに、そんなに縁起えんぎがよさそうでもない。私は少しだけ生垣からはなれて、森の中にそのバラを放り込んだ。けれども、私の手から離れた瞬間しゅんかん、そのバラはいきおいよくえ始めた。


「うわ、まずい!」

「走ろう!」


 火の回りのほうが、私たちが走るより早いはずだ。急がないと、丸焼けにされてしまう。


 ほとんど考えるひまもないまま、私たちは走りに走った。でも、私より毅のほうがおそい。


頑張がんばって!」

「はあ、はあ……」


 私にこたえる余裕よゆうもなさそうだ。どうしよう。火はすぐ近くまでせまってきて、もうすぐに私たちを呑み込んでしまいそうだ。


「ああ、もう! 離さなければよかった!」

「離さなかったらてたかもしれないよ!」


 そのとき、生垣のバラが目に入った。黄色ではない。赤や白、ピンクのバラだ。逃げても間に合わない、どうにでもなれ、と、カラフルなバラをそれぞれ1輪ずつみ取って、火のほうへ投げた。何が起きるかなんて、まったく予想もつかなかった。


 一瞬にして、森は何ごともなかったかのように静かになった。先ほどまで燃え上がっていたはずの木々も、最初から何もなかったかのように、元どおりそこに立っていた。


「あれ?」


 毅も立ち止まる。考えてみれば、黄色いバラ1輪で、火なんて起こせるはずもなかった。魔法には魔法で対応するしかないはずだった。解決した理由はわからないまま、私はその場にすわり込んだ。とにかくつかれた。


 毅も座り込んでしまった。携帯を確認すると、もう16時近くなっている。どうしよう。そんなに何時間もかかるなら、午前中からお弁当べんとうを持って入らないといけなかったかもしれない。せめて13時くらいには、始めたほうがよかった。


「行かなきゃ。お父さんとお母さんが待ってる」


 私はどうにか立ち上がって、おしりの土をはらう。毅の手を引き、そのまま生垣に沿って歩いた。


 間もなく、出口らしい場所に着いた。森のせいで道が見えない。本当にここが正しい出口なんだろうか。それとも、あと2つ、まだこの先にあるんだろうか。


 出口のところへ着くと、「次へ進む」という文字とともに、矢印が描いてあった。


「うーん、いいのかなぁ」


 毅が私に問いかけてくる。


「わからない」

 進めそうに見えるけど。


「まあ、いいか。最初に戻ったら、出たいって言っちゃおう」


 私たちはそのまま先へ進むことにした。


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