第5章 お化け屋敷

 入口のドアは、私たちが近づくと勝手に開いた。両開きの重たいとびらで、私は背中せなか悪寒おかんが走るのを感じた。ただの遊園地だ、と自分に言い聞かせる。何が起きるのか、まったく予測よそくできなかった。


 建物の中は暗い。空気は少し冷たく、どこかのお化け屋敷やしきにでも入ったみたいだ。


 外にいたときには感じなかったのに、なんだか外でざわざわと木がれているような音がする。あのかわいい女の子がこんな魔法を使うとしたら、あの仮面のうらにどんな顔をかくしているんだろうと思ってしまう。


「お化け屋敷っぽいな」

「だね」


 たけしも気づいていたようだ。不意ふいにさっと、目の前を何かが横切ったような気がした。私は身震みぶるいする。


「痛いよ」


 毅の手を強めににぎってしまっていたみたいだ。


「ごめん」

「まあ、怖いの苦手なの、知ってるけど」


 いつもは頼りない弟に言われたくない。でも、否定ひていはできない。


 ともかく、私は前に進んだ。だけど、ほんの少し進んだだけなのに、後ろでギーッ、バタン、というドアが閉まる音がして、思わず身体がかたくなるのを感じた。


「ただの自動ドアだよ。mp3で音を出してるだけかもしれないよ」


 確かに、その通りだ。もう少し冷静れいせいにならないと。白い布をまとったお化けなら、別にそんなに恐ろしくはない。問題は、血みどろの姿すがたや顔のほうにある。ここは魔法の迷宮なので、本当に霊魂れいこんがさまよっているように見えるかもしれない。


 そう思っていたとき、目の前にぼんやりとした姿の、白っぽい幽霊ゆうれいが現れた。


「ひっ」


 声はあまり出なかった。鳥肌とりはだが立っているのがわかる。


 足元では古そうな板がギシギシと音を立ててきしみ、さすがの毅も少しかたに力が入っているように見える。


 霊のいるところは明るかった。照明ではない。霊自体が明るかった。照明は足元に、少し明るめのランタンがいくつか置かれている程度だ。


 どうにか幽霊のわきを通り過ぎると、目の前を黒い何かがバサバサとはばたいて横切った。


「コウモリ!」


吸血鬼きゅうけつきかもよ?」

 毅は笑いながらそう言って、私の手を引っ張った。


「さっさと行こう」

「わかってる」


 頭ではわかっている。心がついて行かないだけだ。唯一ゆいいつ救いなのは、暗闇くらやみの中が一本道になっていた点だ。そうでなければ、とても抜けられる気がしなかった。


 血みどろの男が目の前に現れ、思わずのけぞる。見たくないのに見てしまった。

 黄色く光る、飛び出た片目かためと、反対の目の、表面がはがれたような血と肉のかたまりだ。私は思わず、毅の手を引いて走り出した。もういやだ。何も見たくない。


 下を向いたまま走り、目の前が明るくなったのを見て、顔を上げた。だけど、それは出口でも何でもなかった。


「何、これ?」


かがみ


 毅は抑揚よくようのない声で答えた。返答を聞くまでもなく、私たちの姿がうつっている。鏡は1枚ではない。何枚も何枚も、展覧てんらん会で使うパネルみたいな鏡が、いろんな向きで並べられている。乱反射らんはんしゃする鏡の空間が、私たちの目の前に広がっていた。


 鏡がないと思ったところに足をみ出した。2歩進んで、次は左。でも、それは鏡だった。


「え? ちょっと、道じゃない!」


「道か鏡か、確かめてから進んだほうがいいかも」


 鏡が反射するのはわかってる。でも、こんなふうに道と鏡が判別はんべつできないなんて、そんなまさか。


 ななめに2枚置かれた鏡の行き止まりが、私たちの道をふさぐ。


「こっちじゃない!」


 右へ、左へ。鏡のかべでできた迷路だった。それだけなら、まだいい。


「きゃあっ!」


 突然、目の前にゾンビが現れて、私たちを驚かせる。ちょうど手探りで確かめようとしているところだったので、あわてて手を引っめた。


「嫌、もうやめて!」


「この建物から出ない限り、どうしようもないよ」


 わかってる。私たちはまだ、建物の中にいた。無限に映る自分たちの姿と、いつゾンビと出くわすかわからない状況じょうきょうの中、鏡の迷路を手探りで走り回る。


「お姉ちゃん、怖がらなくても、ここに実物はいないよ」

「わかってるけど……」


 本当に抜け出せるんだろうか。どこまで行っても、どれだけ進んだかわからない。しかも、こんな鏡の中では、もどっても気づかない気がする。


 実物がいないなら、どうして鏡に映るんだろう。なんだか気味が悪い。ゾンビが映るのはほんの短い時間だけだ。次の瞬間しゅんかんには消えてしまう。映像なら説明がつくけれど、さわった限り、鏡でしかない。


 ゾンビだけかと思ったのに、目の前の鏡に真っ黒の姿が現れた。吸血鬼だ。ええい、どうせ鏡だ! と思ったのに、きばをむき出しておそいかかってくるように見えた。


 逃げようとして左に向かおうとしたら、鏡にぶつかってしまう。


「落ち着いて」


 毅に声をかけられる。鏡地獄じごく延々えんえんと続いているように見えた。


「お姉ちゃん、携帯けいたいでも出したら?」


 毅が私の手を引いた。私はポケットからスマホを出す。

圏外けんがいだよ!」


「時間を教えてよ」


 私はスリープを解除かいじょして確認する。

「15時3分」


「うわ、思ったよりってる。さっさと出なきゃ」


 毅が私を引っ張ったので、私はスマホをポケットに戻す。顔を上げたとき、真っすぐの道が見えた。


「あっちだ!」


「鏡にだまされてなければね」

「そうだけど……」


 でも、間違いなかった。真っすぐ向かう道に出ると、もう鏡は見当たらなくなった。目の前には出口があり、そこから建物を出られるのだとわかった。


大丈夫だいじょうぶそう」


 そう思うと、なんだか急におなかいてしまった。


「ああ、何かおやつ、持ってきたらよかった」

「そうだね」


 私たちは建物を出て、周りを見回した。目の前に青い壁はない。そこにあった壁は、壁というよりも、生垣いけがきだった。


「生垣の迷路」


「少し休みたい」

 毅はリュックに手をかけようとする。


「待って、ペットボトル出すから」


 私は毅の後ろに回って、リュックからボトルを出した。それからナップザックを右肩だけはずして、自分のペットボトルを出す。お茶にしてよかった。なんとなく、気持ちが落ち着く。


 緑に囲まれて、心地のよい風を受けていると、自分がどこにいるのか忘れてしまいそうだった。

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