30.早馬
「ちょうど先ほど、エレナさんから早馬で連絡がありました。作戦は失敗した。死傷者は多数いる、と。」
青ざめた顔のパメラさんがそう言葉を発し、俺とノーマンさんは顔を見合わせる。
店の中は物音ひとつしておらず、先ほどの喧騒がまるで嘘のようだ。
俺は次から次へと出てくる唾を飲み込む。
少し前までは酔いかけていた頭も、急速に回転を始めているのが分かる。
「ど、どういうことだ、パメラ。」
ここにいる全員が思っているであろうことを、ノーマンさんが代表して辛うじてではあるが言葉に出す。
いつものような落ち着いた声でも、皆に呼びかけた大声でもない。
声から感じられるのは、震え。
俺は、自分の手を見る。
いつもより色が薄い?震えている?
そんなどうでも良いことを考えてしまうほど余裕がないのだ。
「とりあえず、ギルドにお越しください。そこで話を致します。」
ノーマンさんが勢いよく立ち上がるのに続いて、俺を含めた冒険者やギルド関係者が次々と立ち上がる。
パメラさんが駆け足で店の外へと出た。
周りを見渡すと、完全に酔っている人も多く、足取りが覚束ない人も一人や二人ではない。
だが、そのような人たちでさえ、その人の精一杯でギルドへと急いでいる。
ノーマンさんが急いで向かうのに続いて後ろで走る俺。
ノーマンさんとの会話はない。
ギルドは隣にあるため、たった数秒のことだ。
そのたった数秒の間に、色々なことを考えてしまう。
エレナたちと一緒に居たのはたった数日間でしかない。
ただ、この世界で会った初めての人たちであるからなのか、彼女らに対する思い入れは強い。
作戦に出発する朝にメリッサやアリシアに話しかけられたこと。
少しいつもと違う二人に気付いて明るく振る舞うクリス。
そして、皆の前で立派な演説をし、最後には大きく手を振っていたエレナの姿。
ここは日本とは違う。
命の危険が常に隣り合う世界だ。
---
冒険者ギルドの中に入ると、端の方にある今まで気にもしたことがなかったソファーを取り囲むようにして人だかりができていた。
ノーマンさんが迷わずその人だかりの中に飛び込み、俺も続く。
ソファーに座っていたのは一人の男。
名前は確かブラッドと呼ばれていたような気がする、レックスがリーダーを務めるB級パーティー『コマンダンテ』のメンバーの一人だったはずだ。
その脇には険しい表情で、作戦開始の朝にも会った、支部長と副支部長が立っていた。
「ブラッド、どうなっている。」
いつもより数段低い声で、ノーマンさんが尋ねる。
「ブラッド殿は休まずここまで帰ってきて、かなり憔悴している。代わりに俺が、」
「いや、支部長。大丈夫です。俺の口から話します。」
しばらく返事をしなかったブラッドを見かねて、支部長であるグレイグさんが話し始めたが、心の整理がついたのか、覚悟が決まったのか、グレイグさんの言葉をさえぎって、ブラッドが話を始めた。
「パメラさんから聞いたでしょうが、結論から言えば作戦は失敗しました。」
「それは聞いた。死傷者はどれくらいだ。」
「俺が作戦部隊を離れる前で20名ほど。」
20名というのを聞いて、あちこちから息をのむ音が聞こえた。
20名。退却時のことを考えると、その後もっと増えているのは間違いない。
あの朝、集まっていたのは騎士団を含めて150名ほどだっただろうか。
それを考えてみると、20名というのはかなり多い数字だ。
そもそも作戦は、大量発生しているゴブリンを間引き、上位種も可能な限り倒し、群れのリーダーの正体を確認し、撤退する、という街の防壁前での決戦に備えて出来るだけ無理はしないものだったはずだ。
「グレイグ、どういう状況だ。」
その言葉に合わせて、人だかりの一部が割れ、道ができる。
一斉に声のした方を振り向くと、急いで来たのだろう、額に汗を浮かべたバーナード様と、その執事のセバスさんが立っていた。
「バーナード。今、ブラッド殿に話をしてもらっているところだ。」
以前同じパーティーだったというグレイグさんが答えた。
グレイグさんがブラッドに向かって頷くと、ブラッドが再び話し始める。
「きっかけはCランクの冒険者が数人、功を焦って飛び出してしまったことでした。その時はまだ、斥候が得意な連中がゴブリンの陣容を把握しようとしている最中で。そこに居たのが普通のゴブリンであればよかったのですが、運悪く上位個体が複数体いて。」
「それで?」
一旦息をつこうとするブラッドを、誰かが促す。
「その飛び出した冒険者を助けようと、リーダーであるレックスさんの判断で、近くにいた俺たちのパーティーが救出に向かいました。しかし、次から次へと上位個体が現れて。」
「エレナはどう判断した。」
「救出が完了したら、どこかのタイミングで戦闘を切り上げて、一度態勢を整えようと。大勢が戦闘に加わって、押し寄せてくるゴブリンの量が減るのを待ちました。」
ここまで聞くと、全く順調ではないが、ゴブリンを間引くという、当初の目的を果たしているだけのように思える。
「・・・群れの長が現れたか。」
「はい、その通りです。それも、ゴブリンキング、でした。」
運が悪い。
というのも、以前聞いた情報ではゴブリンキングともなると、基本的には、群れが攻められたとしても対応は上位種に任せるため、群れがピンチに陥らない限りは戦うことはない、とのことだった。
今回ゴブリンキングが出てきたのは、攻めた場所の近くにたまたま居たか、それとも気まぐれか。
大きな群れであるため、森の広範囲に位置していたであろうから、現れるタイミングから考えると、そもそも近くに居たのだろう。
「現れた、その後は?」
「エレナさんの指示で撤退することになりました。情報が集まらないまま戦闘を始めてしまいましたし、敵の全容が把握できないまま敵のホームで戦って勝つのは難しいだろうと。幸い、道が狭くなっていて、戦うのに有利な地形を見つけていたため、そこまで行けば追ってこられても何とかなるだろうということで、そこへ向かいました。レッドディストラクションやコマンダンテなどのパーティー、騎士団の隊長クラスが殿を務め、その他が後詰め。自分も殿として戦おうとしたのですが、エレナさんが情報を伝えるために、街に戻れ、と。その後どうなったのかは分かりません。」
「なるほどな・・・。」
ブラッドが悔しさをにじませた表情で最後の言葉を述べた。
指示されたとはいえ、自分だけが戦場を離れたということが悔しいのだろう。
20名の死傷者がどのタイミングで出たかは聞かねば分からぬことではあるが、馬に乗って去る際に増えていったことを想像するのは難くない。
俺やノーマンさんを含めたこの場にいる誰もが、作戦に向かった知り合いや家族の安否を知りたがっているのは間違いないが、とてもではないが俯くブラッドにその事を聞く気にはなれない。
不安。心配。恐怖。
誰もが言葉を発せず、しばらく続く沈黙を、支部長であるグレイグさんが打ち破る。
「皆、顔を上げろ!我々には心配して、くよくよする暇はない!冒険者には、この街を守る責務がある。追って指示を出す。各自やるべきことをやって、30分後、再びここに集まれ!」
そうだ。さっきノーマンさんと話したことは何だったのか。
余所者の自分を受け入れてくれた街の人。
レッドディストラクションが守るこの街。
エレナ、メリッサ、アリシア、クリス。
正直、心配だ。正直、気になる。正直、すぐにでも向かいたい。
でも、俺には、俺たちにはやるべきことがある。
この街に来て数日とはいえ、俺も人間。
抵抗する力を持たないこの街の人を、愛車があり、抵抗する力を持つ俺が守るのは、当然のことだ。
震えの止まった手を握りしめ、ノーマンさんを見る。
先ほどまでの表情とは違う、決意の固まった顔をしたノーマンさんだ。
「ノーマン殿とブラッド殿、そして冬樹殿は、申し訳ないが少し付き合ってくれ。」
「俺も、ですか?」
「そうだ、冬樹殿。君も来い。新人に言うことではないが、敢えて言おう。期待は大きいぞ。」
グレイグさんに名前を呼ばれて、つい聞き返してしまう。
俺が?
そんなことを思って、慌ててノーマンさんを見る。
ノーマンさんは、腕を組みながら、俺の方を見て大きく頷いた。
・・・そうだ。大丈夫。ただ俺が精一杯やれることを、やるだけのことだ。
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