第8話

「田嶋さん。あなたは管理監督者がどのようなものか勉強しているのですか」


 田嶋の目の前で、渋谷支店外為課の山階が怒気をはらんだ顔で話を続けている。


 山階は外為課の主任調査役だ。入行して25年超のベテラン行員であり、半年前に渋谷支店に異動してきた。25年目にして初めて管理職級の主任調査役になっており銀行員としての出世は遅れているといって良い。


「私には直接の部下がいないのはご存知でしょう。同じ課の同僚全員が女性ですし、お子さんがいらっしゃる方ばかりですから、時短勤務の方は当然として、それ以外の方でも、ほとんど残業はできません」


 山階の表情が曇る。疲れが表情に出ていると表現した方が正しいだろう。


「この同僚の業務のカバーまで私がやっているんですよ。この働き方改革が叫ばれている時代なのに、22時までに支店を出ることはなく最終退行はいつも私ですよ。いくら私が管理職級で残業代がタダだからって、あまりにも仕事が偏っているとは思いませんか。課長は私の業務のカバーまでは出来ませんし、分担の見直しも考えてはくれません」


 田嶋は聞いていることを伝えるために、大きく頷いた。


「そもそも、主任調査役になり残業代がつかなくなりました。それだけでも家計としては大打撃です」


 こういう場合は話を遮ってはいけない。田嶋はひたすらに山階の話を聞いていることを示し続ける必要がある。たまに山階と目を合わせるようにする。


「部下を持たない私が管理職として残業代がつかないというのは、法律に逸脱しているのではないかと思います」


 どうやら、山階は法律を勉強したようだ。


「まず、労働基準法第41条を確認してみましょう。きちんとプリンターで印刷してきましたよ」そう言って山階は法律の条文の印刷された紙をスーツの右胸の内ポケットから出してきた。髪の毛が薄くなり、少し脂ぎった頭に乗せていた老眼鏡をかけ直す。そして、少し嫌みに感じられる読み方で条文を読み始めた。




(労働時間等に関する規定の適用除外)

第 四十一条 この章、第六章及び第六章の二で定める労働時間、休憩及び休日に関する規定は、次の各号の一に該当する労働者については適用しない。

一  別表第一第六号(林業を除く。)又は第七号に掲げる事業に従事する者

二  事業の種類にかかわらず監督若しくは管理の地位にある者又は機密の事務を取り扱う者

三  監視又は断続的労働に従事する者で、使用者が行政官庁の許可を受けたもの




「この条文にあるように『監督もしくは管理の地位にある者』は『労働時間』『休憩』『休日』に関する労働基準法上の規定の適用を受けません。この『管理監督者』を定義すると、労働条件の決定その他労務管理について経営者と一体的な立場にある者をいい、労働基準法で定められた労働時間、休憩、休日の制限を受けない従業員をいうと認識していますが、間違いないですよね」

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