第9話

 田嶋はイライラしながら、外見は神妙に首を縦に振る。しかし、山階は田嶋を見ていない。自分の世界に没頭しているようだ。


「残業代がつかない理由は、管理監督者は、自己の勤務において裁量の余地が大きいことから、労働基準法の適用を除外しても保護に欠けることはないというものです。これも間違いないですよね」


 田嶋は頷くしかない。


「法律の解説書には、従業員が管理監督者に該当するかは慎重に検討されなければならないと書いてありました。本当は出退勤の裁量もない場合には、長時間労働のみならず低賃金まで助長してしまう可能性があるからです」


 ここで山階は大きく息をついた。老眼鏡を頭の上に戻し、支店の会議室を見渡す。


 長机だけが並んでいる殺風景な部屋だ。広い部屋で、田嶋は山階と向かい合って座っている。人事部の面談は一対一が基本だ。


 山階が更に口を開く。田嶋は発言を止めることはしない。止めたならば、相手はどんどんエスカレートしていくことを身に染みて分かっているからだ。


「当行は、肩書・役職で管理監督者となるかが決まっています。しかしながら、管理監督者に当てはまるかどうかは、役職名ではなく、その職務内容、責任と権限、勤務態様等の実態によって判断されるはずです」


 山階はかなり勉強してきたようだ。人事・労務管理の業務経験はないはずだが、論理的に話をしてくる。山階の話し方はあまり好きではなかったが、田嶋は先を促した。


「そして、このプリントにあるのが管理監督者の実態の判断基準です。厚労省のホームページを印刷しました」そう言って山階は一枚の紙を差し出す。


『これは業務中に印刷したのだろうな。会社の設備を勝手に使っていると指摘しても良いが』そんなことを田嶋は考えながら、表情は神妙に紙を受け取る。この紙も山階が右胸のポケットにしまっていたものだ。渡された際には、何となく山階の体温が残っているようで、田嶋はすぐに机の上に紙を置き、手を離した。そこには以下のように記載されていた。




労働時間、休憩、休日等に関する規制の枠を超えて活動せざるを得ない重要な職務内容を有していること

労働時間、休憩、休日等に関する規制の枠を超えて活動せざるを得ない重要な責任と権限を有していること

現実の勤務態様も、労働時間等の規制になじまないようなものであること

賃金等について、その地位にふさわしい待遇がなされていること



「この基準に外為課の主任調査役が該当していると思いますか。私はあくまで一担当でしかありませんよ」最後は怒気を含みながら山階が言う。


 田嶋は明確に立場を明らかにする時が来たと認識した。

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