ロボット公園の敷地をつっきり、そこから目の前に伸びる細いコンクリートの道を十分ほど歩くと商店街通りと合流する。シャッターがあちこち降りているが、通りのタイルは色褪せてもなお立派で、かつての活気を感じた。全くの廃区画というわけではなく、いくつかの店からは光が漏れている。通りをしばらく歩くと、「つばめ屋」という看板が目前に見えた。

 息を整えてから店のドアを引くと、カランコロンと来客を告げる音がなり、そこから一歩踏み入れるとむっとした花の甘い匂いに包まれた。

 店にはすっかり腰の曲がった老人と三十代くらいの男性店員がいて、二人は顔つきがよく似ていてた。おそらく、祖父と孫だろうとカノコは予想した。他の客はいなかった。

「ああ、タタちゃんだったら今朝来たよ」

 ひとしきり店の花を眺めたあと、タイミングを見計らって若い男にタタのことを尋ねると、彼は愛想良く対応してくれた。

「あんた、タタちゃんの知り合い? 俺、オグヤ。よろしく。それで?」

「えっと、タタのとこの、トキタはご存知ですか?」

「おお、トキタな。花を買いに来るのは基本タタちゃんだけど、あいつもたまにタタちゃんと一緒に店に来るよ。一人で来た時も何回かあったっけか」

 オグヤはトキタについて思いつくままに語りはじめたので、カノコは自己紹介をねじ込んでそれをどうにか止めた。トキタが病院にいることは伏せておくことにした。

「トキタの姉ちゃんか」オグヤはカノコをざっと眺めまわした。「あいつ姉がいたのか。いやーこんなに綺麗な姉ちゃんがいてトキタは幸せもんだなあ。なあじいちゃん」

 声をかけられた老人は立ち上がると「間違いない」と言って店の奥に引っ込んでいった。褒められ慣れていないカノコは照れて妙な呻き声をあげた。

「そ、それでですね。タタについて聞きたいことがありまして」

「ん? なんだい?」

 タタがどこへいったか知りませんか、とは直接聞くわけにもいかず、どうしたもんかと悩んだカノコは、ふと視界に映り込んでいる花に目を止めた。

「あの子、今日ここで何か買っていきましたか?」

 オグヤは、ああ、と顎に手を添え顔をあげて考えこむ。

「いや、何も買っていかなかったよ。もともとは、いつも通りデルフィニウムを買いにきたんだけど」

 やっぱりデルフィニウムか、とカノコは感慨もなく心の中で呟いた。

「もともとは、というのは?」

「ちょうど在庫が無かったんだよ、デルフィニウムの」

「なるほど。それで諦めて何も買わずに帰ったわけですか」

「いやまあ、でもタタちゃん珍しく焦った様子で食い下がったんだよ。普段はツンとしているタタちゃんがどうにか手に入れられませんか、どうしても今欲しいんですって言うもんでよ。妙だとは思ったが、しかしそんな急にも用意できなくてな。事情を聴いてみたけど、よく分かんなかった」

 オグヤは両手を顔の横まで上げ、お手上げだったことを示した。

「そうですか……」

 期待はしていなかったが、やはりタタがどこに行ったかの情報は得られなかった。ただ、病院に行く前にタタが花屋へデルフィニウムを買いに来た、という事実の答え合わせをしただけだ。

「タタちゃんひどくがっかりしてな、不憫だった。トキタにもすまねえことしたな」

「……え?」

 カノコはオグヤの言葉に違和感を覚えた。

「トキタ?」

「ん?」

「トキタにすまないって、どういうことですか?」

「ああ、いや、トキタがデルフィニウムをやたら好きなもんでよ。姉ちゃんは知らない? それでタタちゃんがよくお使いに来てたのよ」

 トキタに花を愛でる趣味なんてあったのか、とカノコは考えて、はたと気づく。

「あの、デルフィニウムって、私よく知らないんですけど、何色のお花ですか?」

「ん? ざっくり分けると白、青、紫なんかがメジャーだけど、タタちゃんがいつも買うのは青いデルフィニウムだよ」

 青いデルフィニウム。青い花。

 カノコはポケットから、ツミホの電話番号が書かれている紙を取り出し、その裏の拙い絵を見た。

「そっか」

 これは、トキタが幼いときロボットこ公園の砂場に描いていた花の絵だ。トキタがそのときのことをタタに話したのだろう。だからタタの部屋この絵があったのだ、とカノコは納得する。拙いとこまで丁寧に真似していて、それがカノコにはなんだかおかしかった。幼いトキタはこの花が「青い」と言っていた。その頃から相変わらず、トキタは青い花が好きなのだ。

「この絵」オグヤが紙を覗き込んで唸った。「どっかで見たことあるな」

 え、とカノコは目を丸くする。

「本当ですか? どこで?」

「どこだったかな……」

 カノコは思いつきを口にした。

「ロボット公園だったりしますか?」

「そうそう、ロボット公園だ。店閉めたあとあそこ突っ切って帰ろうとすると、よく砂場に描かれてるの見かけるんだよ。なんで分かった?」

「いえ、なんとなくです」

 今でもあの公園には拙い花が咲いているのだと分かると、小学生の頃の日々がふいにカノコの脳裏をかすめて、込み上げるものがあった。カノコは慌てて深く息を吸いながらオグヤに背を向けた。

「今日のところは失礼します。次来た時はきっと花を買わせていただきますね」

「デルフィニウム、用意しておくよ」

「はい、青色ので」

 カノコは小さく笑い、花の甘い匂いを引き連れて店を出る。外はちょうど日が暮れたタイミングで、電灯が妖しい光を通りに投げかけていた。

「暗いから気をつけるんだよ」

 振り返るとオグヤが店先に出て見送りをしてくれていた。カノコはオグヤに手を振ると、商店街通りを戻りはじめる。

 今でも公園の砂場にはトキタの花の絵が描かれていて、タタもその絵を真似している。タタのいそうなところ見つけた、とカノコは気合を新たに商店街の通りを抜けていった。

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