玄関のドアを開けると、そこには小柄で同年代くらいの、温厚さが一目で見て取れる女性が立っていて、カノコを見ると不思議そうな様子で首を傾げた。カノコが「誰だろう」と考えてぽかんとしている間に、小柄な女性が先に口を開いた。

「ええと、トキタさんの……彼女さんですか?」

「へ? あ、いえ、トキタの姉のカノコです」

「あ、お姉さんだったんですね。驚きました」

 小柄な女性はあからさまに安堵し、その様子を見たカノコはトキタに好意を寄せる者かと訝しんだが、しかし彼女の左手の薬指には指輪があった。

「はじめまして。こちらのお家の隣に去年越して来ました、ツミホと申します。トキタさんとタタさんには主人と娘共々、いつもお世話になっております」

 素性がわかり、今度はカノコが大いに安心する番だった。彼女の朗らかな様子から察するに、この人は多分トキタの状況を知らないのだろうなとカノコは考え、慎重に言葉を継いだ。

「こちらこそ弟とタタがお世話になっております。えっと……何かご用でしょうか?」

「あ、はい。主人が山菜を食べたいと言うので、タタさんに何か良いレシピはないか伺いに来たんです」

 そういえば、タタはハウスロイドだ。家事全般に特化している。しかし、近所付きあいができるほど愛想よくは見えなかったので、カノコはいささか驚いて目を丸くした。ふきのとう、はそろそろ時期が終わる。こごみ、とかだろうか? などとカノコは考える。タタはいつもどんな態度でツミホに料理を教えているのだろう。カノコはその様子をうまく想像できなかった。

「あー、タタはちょっと外出してまして。すみません」

 トキタの話題になりませんようにと祈り、冷や汗をかく。ついでにタタもどこにいるか分からず、なんとか穏便に済ませたかった。

「そうなんですね。いつ頃お帰りになられるでしょうか?」

「えっと、ちょっと分からない、かな」

「そうですか……」

 肩を落としたツミホに対し、カノコは自分が悪いことをしたように罪悪感を覚えるが、この場は諦めて帰ってくれるかなと淡い期待をした。

「トキタさんはいらっしゃいますか? せっかく寄ったのでご挨拶だけでも」

 カノコはため息をつき、これはもうどうしようもないな、と開き直った。

「あー、その、ツミホさん。トキタのことでお話をしておかなければいけないことが……」

「なんでしょう?」

 カノコは感傷的にならないよう、努めて事実だけを淡々と伝えた。トキタがいま病院で昏睡状態にあること。意識が回復する見込みはほとんどないこと。治療を続けるかどうか判断中であること。ツミホはみるみる青ざめていく。タタの持ち出し事件のことは蛇足と思って言わなかった。

「トキタさんが。そうですか……」

 カノコは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。カノコが思っている以上に、ツミホとタタ、それからトキタは親しい仲であるようだった。

「カノコさん」ツミホは優しげな瞳で口を開く。「裏紙とペンをお持ちでないですか?」

「紙?」

 カノコはポケットを探り、しわくちゃの紙を見つけた。それを丁寧に引き伸ばし、玄関の棚に入っていたペンと合わせてツミホに渡すと、ツミホは紙に電話番号を書いた。

「これ、私の携帯の電話番号です。何かお力になれることがあれば、いつでもご連絡ください」

「ありがとうございます。ご心配おかけしてすみません」

  カノコは恐縮して紙を受け取ると、その紙がタタの部屋で見つけた紙であることを思い出した。電話番号が書かれている面を裏返すと、拙い花の絵が現れた。

「花……」

 カノコが無意識に呟くと、その言葉にツミホが反応した。

「花? 花といえば、今日は花瓶、空なんですね」

 カノコは顔を上げ花瓶を見やる。ツミホの言うようにその花瓶は確かに空だ。

「私、久しぶりにこの家に帰ってきたもので、家のことよく分からないんです」

「そうなんですか? タタさんがよくデルフィニウムを買いに行ってるんですよ。それはもう、しょっちゅう」

「そうなんですか」

「買いに行きすぎて、タタさん、花屋の人とすっかり仲良くなって、それでたまにお店のお手伝いしているらしいですよ」

 ツミホはくすくすと笑った。釣られてカノコもハハ、と表情を崩す。そういえば花屋には小さい頃一度だけ行ったなと記憶を掘り出し、出し抜けに、あれ、とカノコは思うところがあった。

「この辺りってどこにお花屋あるんでしたっけ?」

「場所ですか? ええと、ロボット公園はご存知ですか? あそこを抜けた先の商店街にありますよ。つばめ屋というお店です」

「ロボット公園の先……。ああ、だからか」

 今朝ロボット公園の近くでタタを見たのは、花屋にデルフィニウムとやらを買いに行っていたからなのかもしれない、とカノコは閃いた。どうやらタタはデルフィニウムが好きなようだった。なんのためにこのタイミングで、とは思ったが、心を落ち着けるためにでも買いに行ったのかもしれない、とカノコは適当に理由付けてそれ以上の詮索をやめた。

 とりあえずの目的地はそこかな、とカノコは意気込む。とは言え、花屋の店員に話を聞いてタタの行く先がわかるとも思えなかったが、他に探すあてもないし仕方ない仕方ない、とカノコは自分に言い聞かせた。

「どうされました?」とツミホは不思議そうにカノコを覗き込む。

「いえ、なんでもありません。すみません、この後ちょっと用事があるので、今日のところは、その」

「あ、すっかり長居してしまって、ごめんなさい。何かあれば連絡くださいね」

 それではお邪魔しました、とツミホは深々とお辞儀をして微笑み、そして去っていった。素敵な隣人がいて良かった、とカノコはしみじみ思い入った。

 さて、とカノコは息を大きく吸う。いったいあの子は何をしているのだろうかとカノコは呆れる。手のかかる幼いトキタの世話していた小学生の頃を思い出しながら、カノコはつばめ屋を目指して家を出た。

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