第8話 過去 後編

 佳純は茫然としながら、自室のベッドで横になっていた。寝支度を済ませ、部屋の明かりも消しているというのに、一向に眠れる気がしなかった。

「……遥」

 か細く呟やかれた言葉は、暗闇に吸い込まれていく。瞼を閉じる度、かつての記憶が走馬灯を見るかのように蘇ってくる。




 あたしが遥と、〝琴吹遥〟と出会ったのは幼稚園の頃だった。どうして仲良くなったのかは覚えていないが、大した理由ではなかったはずだ。

 黒く長い艶やかな髪。それに少し不釣り合いな男の子っぽい顔つき。時々発する謎のネーミングセンス。もしかしたら、出会った時から他の子には無い不思議な何かを感じていたのかもしれない。

 遥はとても活発的であった。男の子に混じって走り回ったり、泥遊びなどをよくしていた。当然、おままごとをしたり、絵を描いたりもしていた。だが、どちらかと言えば身体を動かして遊ぶことの方が多かった気がする。

 それなのに、何故だか遥は凄く大人びて見えたのだ。どうしてかは分からない。年相応にはしゃいでいたし、そのせいでよく怪我もしていた。けれどやはり、遥は大人びていたように感じる。なんと言うか、他の子に比べ周りのことを、世界のことを多く知っているような気がしたからかもしれない。あたしは、子どもながらにそんなことを考えていた。

 それでも、遥のことをおかしいとは思わなかった。自分や他の子たちと変わらない、どこにでもいる普通の子だと思っていた。あの光景を目にするまでは。

 ある時、中庭で遊んでいると一匹の蝶が遥の手の平に止まった。自分の手に止まってくれたことがよほど嬉しかったのか、遥は大はしゃぎしていた。

「かすみちゃんみてみてっ! 手に止まったよ! すごく可愛い」

 遥は喜んで蝶を見せてきたが、あたしはすぐにその場から離れた。当時のあたしは虫が嫌いで、触るどころか近付くことも出来なかったからだ。

「どうしたのかすみちゃん?」

「はるかちゃん平気なの? それ虫でしょ? あぶないよ……」

「あぶなくないよ。この子おとなしいし、噛んだりもしないよ。だからおいでよ!」

 遥の手に止まった蝶は、羽を休めるようにただじっとしていた。その様子を見て、危なくないということはなんとなく伝わった。それでもやはり、漠然とした恐怖心を拭うことは出来なかった。

「無理だよ……。こわいもん」

「……そっか。あっ! だったら、こうすれば平気かな?」

 何を閃いたのか、遥は手の平の蝶を見つめそっと微笑んだ。そしてそのまま、躊躇うことなく蝶を握り潰した。

「ほら、動かなくなったでしょ? これでもうこわくないよ」

 そう言って遥は、当たり前のようにあたしに手を差し出した。潰れた蝶の残骸と体液にまみれた遥の手を前に、あたしは動くことも声を出すことも出来ずにいた。目の前で起きたことが何なのかすぐに理解出来ず、完全に停止してしまったのだ。

 そんなあたしのことを、遥はしばらく不思議そうに眺めていた。だが、反応がないことが分かると、残骸と化した蝶をまた見つめだした。

「フフ、やっぱり可愛い」

 子どもというものは愛くるしい半面、残虐な一面を持っている生き物である。だが、自らが殺した生き物に、優しく愛でるような視線を送るのは、残虐と呼べる範疇をとうに超えていた。

 遥と同様に、生き物を傷付けたり、殺したりする子は他にもいた。しかしそれは、無知であるが故の行為である。命の尊さを知らないからこそ行える、ある種の特権と言えるかもしれない。

 けれど遥は違った。命を奪うこと、殺すということが何なのかを遥は知っていた。教わったり、学んだりしたものではない。生まれながらに持っていた一つの性質。本能と呼ぶべきものだったのだろう。

 遥の異常さを知った者は、あたしという例外を除き、誰一人として遥に近付こうとはしなかった。傍にいてはならない、触れるべきではない、そう悟ったからだ。きっとそれは正しい判断だ。あたし自身、これ以上近付くべきじゃないと感じていた。だが、既に手遅れだった。だってその時にはもう、遥はあたしにとって特別になっていたから。

 小学校へと上がってからも、遥の奇行は続いていた。それどころか、悪化の一途をたどっているように見えた。初めは周囲を飛び交う虫だけだったものが、小鳥や野良猫と言った小動物まで手にかけるようになっていったのだ。

 当然ながら、その行為はクラスや学校内でも槍玉に挙がり、それ相応のいじめにもあっていた。けれど遥は、そんなことを意にも介さず過ごしていた。それどころか、喜んでいるようにさえ見えたのだ。内履きが隠されようと、机や黒板に遥を中傷する言葉が書かれていようと、給食に虫を入れられようと、遥は絶えず笑っていた。

 このままいじめが深刻化していくかとも思ったが、そうはならなかった。いじめを行っていた者たちや傍観していた者たちが、遥が持つあまりの異常さに気付き始めたからだ。そして遥そのものに対して、絶対的な畏れを抱いた。

 いじめは徐々に緩やかになくなっていき、それに比例して皆が遥を避けるようになっていった。学校中の誰もが慄き、バケモノを見るような目を遥に向けた。高学年になる頃には、生徒どころか教師までもが遥を遠ざける有様であった。

 相変わらず、遥がそんなことを気にしている様子はなかった。それでも時々、とても悲しそうな顔をすることはあった。その時のあたしは、それがどうしてなのかなど考えもせずに、ただ遥の傍に居続けた。それが、あたしにとっての幸せだったから。

 だけど、遥の傍にいたからこそあたしは知っていた。自分と遥があまりにも違う存在だということを。見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、抱く思い、それら全てが違っていた。

 そう、あたしと遥は同じ世界で生きられない。いずれ別れる時が来る。そんな思いがよぎることもあったが、跳ね除けるように自分に言い聞かせた。そんなはずない。違いなんてない。たとえ何があろうとも、遥の傍にいる。共に歩んで行く。あたしはそう思い続けた。

 けれど、その日は突然訪れた。

 今までと何一つ、変わることはないと思っていた。だがその日の遥には、明らかな違和感があった。見かけで分かるようなはっきりとしたことではない。ただ、嫌というほど伝わってきたのだ。遥が――遠くなっていくことを。その違和感の正体を確かめるべく、あたしは帰り道の途中で遥に尋ねた。

「……ねぇ、遥。何かあったの?」

「別に何もないけど、どうして?」

 遥は笑っていた。いつもみたいな無邪気な笑顔であった。そのはずなのに、まるで作り物の笑顔を見ているようで、ひどく不気味だった。今まで幾度となく、遥が生き物を殺す瞬間を見てきた。血や体液で手を汚しながら、死骸に笑いかける姿を見てきた。そんな瞬間でさえ、遥を不気味だと思ったことなどなかった。

 だと言うのに、その時だけは違っていた。今までに見たどの遥とも異なる存在。姿形が同じだけの、別人と話しているような気分になったのだ。

「……なんか、遥の様子がおかしいと思ったから。……本当に、大丈夫なの?」

「全然ヘーキ、大丈夫だよ。それにおかしいどころか、アタシ今すごく幸せなんだ! こんなの初めてっていうぐらい気分がイイんだ」

 あたしの思いとは裏腹に、遥は本当に幸せそうに見えた。喜びに満ち溢れた表情が、嘘偽りであるとは思えなかった。

 だがやはり、遥が浮かべているのは作り物の笑顔だった。何故そう断言できるのか。それはあたしが、一番間近で遥の笑顔を見てきたからだ。遥の本当の笑顔を知っているからだ。だからこそ疑問であった。幸せだと言い張りながら、作り笑いを浮かべる遥が不自然でならなかったのだ。

「やっぱり、何かあったの?」

「だから何もないって。あ、でも昨日、お父さんとお母さんと一緒に、お月さまを見たんだ! すごく綺麗で素敵だったの。そうだ! 佳純、今日うちにおいでよ。見せたい〝もの〟があるんだ」

「えっ!」

 遥の言葉に、あたしは驚きを隠せなかった。十年近い付き合いになるが、あたしは遥の家に行ったことがなかったのだ。というのも、遥の家族は人を家に呼ぶのが好きではないらしく、遊びに行くことが出来なかったのだ。だからこうして、遊びに誘われたことが嬉しかったが、同時に不思議にも思った。

「……い、良いの? 今までずっとダメだったのに……」

「うん、大丈夫! お父さんもお母さんも、今ならきっとイイって言ってくれるから」

「そ、そうなの? うん、じゃあ分かった! 遊びに行くね」

「オッケー、決まり! じゃ、行こっか」

 遥を遠く感じたことや作り笑いのこと、思うところは色々とある。しかしこの時は、遥の家に行けることだけで頭が一杯になっていた。寄り道をするのはいけないことかもしれないが、少しくらいなら親も許してくれるはずだ。そんな軽い気持ちで、あたしは遥の家に向かった。

 しばらく歩くと、遥が住んでいるマンションに辿り着いた。あたしの家からもそう遠くなく、場所がどこかも知っていた。そのため、何度か目にしたことはあったが、入るのは今回が初めてであった。オートロックの扉をくぐりエントランスに入ると、マンションの住人と思わしき男性と出くわした。

「こんにちは!」

 遥につられ、あたしも小さくお辞儀をした。しかしその男性は、遥を見るなりぎょっとした顔をして、挨拶も返さずそそくさと立ち去ってしまった。どうやらこのマンション内でも、遥のことは悪い意味で有名らしい。

 気に留めることもなくエレベーターに乗り、遥の部屋がある階まで上がった。そこは最上階ではなかったが、街を見渡せるほど高く、とても良い眺めであった。しかし、当時のあたしにはその場所は高過ぎて、怖いと感じた。だがそれと同じくらい、こんな所に住んでいる遥を少しだけ羨ましく思った。

 そんな景色を素通りし、遥は部屋へと向かう。あたしにとっては物珍しい景色でも、遥にとっては見慣れたものなのだろう。そうして遥は、いそいそとポケットから鍵を出し、扉を開けた。

「ただいまー!」

「お、おじゃまします……」

 どちらの言葉に対しても返事はない。それどころか、人の気配が全くなかった。また、リビングへと続く廊下からは、妙な閉塞感や圧迫感、緊張感ばかりが伝わってきた。何より、廊下の向こうから漂ってくる、強烈な鉄臭さが気になって仕方がなかった。

「どうしたの? 早く上がりなよ」

 おかしいことには気付いていた。けれど、遥は何も感じてはいないようだったから、自分の気のせいなのだと思うことにした。でも本当は、それが間違いであることを知っていた。

 あたしは、この時点で引き返すべきだったんだ。そうしなかったのは、遥を手放したくなかったから。遥に関わることで、遥という存在に踏み込むことで、少しでも引き留めることが出来ると思ったからだ。

 遥がリビングの扉を開けると、強い逆光が飛び込んできて、一瞬目が眩んだ。光を遮るようにして目を細めると、室内の様子が徐々に認識することが出来た。そしてあたしは、驚愕することになった。

 ――赤い。とにかく赤いのだ。壁も床も天井も、あらゆるところが赤く染まっていた。細めていたはずの瞳は自然と見開かれ、部屋の全てを映し込んだ。部屋中に飛散している赤色。もちろんそれが、最初からある模様などではないことはすぐに分かった。だとすれば、これは一体何なんだ。

「遥……これ⁉」

「何してるの佳純、こっちおいでよ! お父さんもお母さんも、佳純に会いたいって言ってるよ」

 遥の方へ目を向けると、不自然にベランダに寄せられたソファーがあった。その上に、遥の両親らしき人たちが、肩を抱きよせながら座っていた。

 言動から察するに、遥が動揺しているようには見えない。だが、こんなものが普通であるはずがない。そう思いつつ、恐る恐る遥のもとへと近づいた。

「――いやっ⁉」

 ソファーに座っていたのは、首に刃物が突き刺さったような傷跡のある男性と、原形が分からないほど顔が変形した女性だった。どちらも、既に死んでいると一目で分かった。

 あたしは、胃袋から込み上げて来る内容物を必死に堪えた。苦しくて辛くて仕方がなかったが、目の前のものを直視することに比べれば、取るに足らないことであった。

「えへへ、仲イイでしょ! これが佳純に見せたかった〝もの〟だよ。昨日もこうして、三人でお月さまを見てたんだ」

 蹲るあたしをよそに、遥は死体となった両親へ飛びつきじゃれついていた。親子であれば当たり前のように目にする光景を、遥は死体に行っていた。一人楽しげに笑いながら、あたかも両親が生きているかのように、言葉を交わす素振りを見せる。その姿まさに、狂気そのものであった。

 遥、今のあなたには何が見えている。何が聞こえている。あたしと遥は違う存在だ。いずれ異なる世界で生きていくことになる。そんなことは、分かっているつもりだった。だが既に、あたしと遥の生きている世界はこんなにも違っていたというのか。

「どうしたの佳純? さっきから変だよ?」

「……変なのは、あたしじゃないよ。遥の方だよ!」

 蹲る身体を、あたしは無理やり立ち上がらせた。そうしなければいけないから。そうしなければ、遥はもう戻って来れなくなるから。とっくに手遅れなのかもしれない。だとしても、こんな世界に遥を留めておくわけにはいかなかった。

「アタシの何が変なの? どう考えても佳純の方が変だよ。それに、急に大きな声出すから、お父さんもお母さんも驚いてるよ」

「そんなわけない! だってもう、その人たちは……死んでるんだよ」

 こんなこと、言うべきではなかったのかもしれない。遥の幸せそうな顔を見るとそう思ってしまう。だとしても、こんな世界は間違っている。仮初の幸福に縋りつこうとも救われたりしない。たとえ目を背けたくなるほどの現実だとしても、受け入れなくては前に進めないんだ。

「目を覚まして遥っ! その人たちはもう……」

「……うん、そうだよ。二人とも死んでる。でも、それがどうかしたの?」

「え……? ……ど、どうかしたって、そんなの……」

「お父さんもお母さんも、もう死んでる。今ここにいるのが、ただの死体だってことも分かってる。だけど、お父さんもお母さんも、アタシのことを見てくれてるよ?」

 両親の死体から離れ、遥はあたしににじり寄ってきた。アタシを見てくれている。その言葉に反して遥は、何ものをも映そうとしない空虚な瞳をしていた。それはまるで、ぽっかりと空いた穴そのもので、このまま吸い込まれてどこまでも落ちていくのではないかと思うほどであった。そんな恐怖を前に、あたしは後退りすることも出来ずにただ震えていた。

「アタシには見えてるよ。そっと微笑んでくれる顔が。アタシには聞こえてるよ。優しく迎え入れてくれる声が。アタシは感じてるよ。柔らかくて心地の良い温もりを」

 手遅れどころの話ではなかった。遥は、目の前の現実を全て受け入れた上で、自らその世界に足を踏み入れたんだ。

 遥の世界は歪だ。歪であることが正常で、正常であることが歪な世界。けれど、その世界を作り出したのは、遥の両親でも、周りの人間でもない。遥自身だ。だがしかし、そんな世界の中でさえ、遥という存在はとても歪なものであった。

「生きてる時は、アタシのことなんてちっとも見てくれなかった。けど今は、ちゃんとアタシを見てくれてる。傍にいてくれる」

 遥の瞳には、何も映っていない。人間も、動物も、世界も、あたしでさえも、遥の瞳には映らないんだ。

 知っていた。遥はあたしを見ていない。あたしにとって遥は特別な存在だった。でも、遥にとってはそうではなかった。ずっと傍にいたけれど、それはただの、近くにいる一人の人間でしかなかったんだ。

「アタシはずっと独りぼっちだった。誰にも見てもらえなくて、誰の中にもいなかった。そのことを知って、寒くて、痛くて、苦しかった。でも、今はもう平気! そうじゃないって教えてもらったから」

 だからきっと、あたしは許せなかったんだと思う。遥は言った。自分は孤独だと、誰にも見てもらえなかったと、誰の中にもいなかったと。でも、本当はそうじゃない。遥は自ら周りを遠ざけた。誰も見ようとしなかった。誰の中にもいようとしなかった。全て、遥自身で招いたことだ。

 にもかかわらず、ただ己を悲観するだけで、誰かと向き合おうともしない。そんなこと許せるはずがない。遥に抱く初めての怒りは、消え入りそうだった感情の炉に再び火を焚きつけた。身体を震え上がらせていた恐怖はいつしか憤怒へと塗り替わり、血液までもが沸騰しそうになっていた。

「だからアタシは」

 遥の言葉を遮るように、甲高い音が部屋に響いた。不意をつく衝撃だったためか、ソファーのひじ掛けにもたれるようにして遥は尻餅をついた。そのまま遥は、赤く腫れた頬を押さえながら、呆けた顔であたしを見上げた。

「……かす……み?」

「……たしは、……あたしは! 遥のことをちゃんと……ちゃんと見てたよっ‼」

 感情の奔流とでも言うのだろうか。塞き止められない思いが、心を決壊させた。激流と化した涙が、熱を帯びた瞳から溢れ出す。こんなにも滲んだ視界では、遥をしっかりと捉えることが出来なかった。それでもあたしは、遥に目掛けて自分の全てをぶつけた。

「あたしは……ずっとずっと、遥を見てた。誰よりも傍にいた」

 そうだ。あたしが、あたしだけが傍にいた。誰もが遥を遠ざけていく中で、あたしだけが遥の傍に居続けた。それは誰かに頼まれたからじゃない。あたし自身が、七瀬佳純という一人の人間がそれを望んだからだ。

「それでもまだ、知らないこともあるけど、知ってることも沢山あるんだよ……? 遥の良いところも、悪いところもいっぱい言えるんだよ……?」

 明るいところ。勉強が出来るところ。礼儀正しいところ。背が高いところ。そのことを気にしているところ。髪が長くて綺麗なところ。大人びてるのに子どもっぽいところ。時々ふざけた物言いをするところ。可愛いものが好きなところ。ネーミングセンスが酷いところ。すぐにはしゃいで怪我をするところ。無邪気に笑って、生き物を殺すところ。

 遥のことを一つ知る度に嬉しくなって、まだ知らないことがあったのだと悔しくもなった。あたしは、遥の全てが好きだった。遥という存在を、どうしようもないほどに愛おしく感じていたのだ。

「遥は……あたしのこと、どのくらい知ってるの? あたしの良いところ、悪いところ、遥は言えるの?」

「……ア、アタ、……アタシ……は……」

 言えるはずがなかった。だって遥は、あたしのことを知らないから。あたしのことなんて、見ていなかったから。

 あたしはずっと、遥の傍にいた。でも、遥の傍にいたのはあたしじゃなかった。それはただの、あたしという形をした有象無象の一人でしかなかったから。言ってしまえば、誰でも良かったんだ。たとえ誰であろうと、遥にとっては等しく無価値なものだったから。

「ねえ、遥。目を背けずにあたしを見てよ。あたしはどこにも行ったりしない。ずっと遥の傍にいる。だから……」

「……あぁ、……あぁあ……」

 胎児のように身体を抱えて、遥は自らを閉ざした。恐らく、これ以上精神へ負荷を掛けまいと防衛機制が働いたのだろう。それほどまでに、遥は追い詰められていたんだ。他の誰でもない、あたしの思いに。

 だからこそ、見捨てるわけにはいかなかった。置いて行くわけにはいかなかった。無理矢理でもいい。嫌われたって構わない。今遥を救えるのは、あたししかいないと思っていたから。

「いい加減、向き合おうとしてよ遥っ! あたしの目を見て。ちゃんと遥が映ってるよ。あたしは今、遥のことを見てるんだよ⁉」

 両手で顔を鷲掴みにし、強引にこちらを向かせる。焦点の合わない瞳が逃げ場を求めたが、そんな場所はどこにもない。小刻みに震えながら逃れようとする遥を、あたしは決して離さなかった。

「誰も見ようとしないくせに、誰も見てくれなかったなんて言わないでよ! 自分で独りになったくせに、寂しいだなんて言わないでよ!」

「あああ……ああぁあぁ……」

「あたしの中に遥はいる! 遥が認めるまで、何度だって言う! あたしの中に、遥はいるんだよっ‼」

「ああああぁぁぁアアッッ‼ アアアアアアァァァあああぁぁっ!」

 それは、崩壊を知らせる叫びだった。苦痛に悶えるように、頭を押さえながら遥は暴れ始めた。ソファーの角、テーブルや椅子の足に身体をぶつけながら、床を転げ回った。

 押さえつけようとしても、信じられないほどの力にあっけなく突き飛ばされてしまう。どうすればいいか考えていると、途切れることのなかった絶叫が突如として止んだ。様子を見に行くと、遥の動きも止まっていた。

「……はる、か?」

 返事はなかった。一見、寝ているのかと思うくらいに、遥は静かに横たわっていた。だが、すぐ異変に気付いた。遥は身動きどころか、呼吸さえも止まっていた。瞳孔は開き、身体中が痙攣を起こし始めていた。直感した。遥は死のうとしているんだと。

「遥っ⁉ ねえ遥! 起きて! 起きて遥っ‼」

 いくら揺さぶろうとも、一向に起きる気配はない。それどころか、顔色が悪くなり、徐々に生気が失われていっているのが分かった。

 このままでは遥が本当に死んでしまう。あたしはすぐに電話を探し、病院に連絡した。すぐにつながらないもどかしさに苛立ちを隠せず、壊れるくらい受話器を強く握りしめていた。そして電話がつながると同時に、早口で今の状況を捲し立てた。

「お、お願いします! 早く来てください! 遥を……遥を助けて下さい‼」

 電話越しの相手は、落ち着いて状況を説明するよう言ってきたが、そんなこと出来るはずもなかった。焦るほどに思考は乱れ、発する言葉も単調になっていく。それでもどうにか状況を説明し、救急隊を呼ぶことが出来た。

 ビジートーンが聞こえると、力が抜けてしまったのか、あたしはその場にへたり込んでしまった。そしてそのまま、何も出来ない己の無力さと、遥を失う恐怖にただ泣き崩れていた。

 そこから先のことはあまりよく覚えていない。気付いた時にはたくさんの大人たちがいて、慌てふためくように忙しなく動いていた。よくよく考えると、死体のことなどは全く話していなかったため、救急隊の人たちもさぞ驚いたことだろう。

 そのままあたしは、遥と一緒に病院へ連れられ、しばらくの間入院することとなった。そして、家族立会いの下、診察やいくつかの検査を受けた。結果は特に問題はなかったらしく、あたしはすぐに退院することとなった。

 退院後、警察の人が家に来て、事件のことを色々と聞いてきた。けれど、あたしは何も話さなかった。何故なら、あたしが知っているのは遥のことだけで、事件については何も知らなかったからだ。彼らが知りたいのは事件についてで、遥には見向きもしなかった。そんな者たちに語ることはないと、あたしは沈黙を続けた。

 同じように何度か事情聴取をされる中で、あの部屋で起きた事件のとこを偶然知った。遥の父親が母親を殺し、その父親を遥が殺した。正直、とてもショックだった。でもそれ以上に、遥のことが心配でならなかった。遥は大丈夫なのか。遥は今後どうなるのか。遥にまた会うことが出来るのか。そんなことばかりを考え、気がかりで仕方がなかった。

 事件が起きてからしばらく経ち、警察の人があたしのもとに来ることはなくなった。そう思っていた矢先、また一人の警察が家に来た。無精髭を生やし、ぼさぼさ頭で、ネクタイの曲がった男の人だった。失礼かもしれないが、どことなく間の抜けた顔をしていたため本当に警察なのかと疑ってしまった。

 その男の人はあたしの母と話をし、何かを頼み込んでいるようだった。母は渋い顔をしていたが、懸命に懇願する態度に折れたのか、頼みごとを聞き入れたようだった。

 その後、あたしはその男の人と二人で話をすることになった。どうやら、頼んでいたのはこのことだったらしく、母が了承してしまったため、あたしはその男の人と直接対面した。

「初めまして、七瀬佳純ちゃん。俺の名前は春日野高宏。もし良ければ、君の話を聞かせてくれるかな?」

「……あたしが、警察の人に話せることはありません」

 そう、警察の人にあたしが話すことなど何もない。遥のことを、事の顛末を把握するための要因としか見ていない者たちに、何を話せというのだ。あたしは今まで通り、この人が根気負けするまで沈黙を貫くまでだ。

「そうだね。でも俺は、警察として来たわけじゃなくて、遥の身内として来たんだ」

「えっ、……遥の、身内?」

「そう、俺は遥の」

「遥は! 遥は今どうなっているんですか⁉ 大丈夫なんですか? あたしはまた、遥に会えるんですか?」

 身内と聞いた瞬間、遥のことで頭が一杯になった。少しでも遥の現状を聞き出そうと、あたしは必死になっていた。

「おおう……まあ、落ち着いて落ち着いて。順番に話していくからよ」

「ご、ごめんなさい……」

 話を聞きに来たはずが逆に質問攻めに遭い、度肝を抜かれたようであったが、高宏さんはすぐにあたしをなだめてくれた。

「ああ、いいよいいよ。えーと、それでなんだっけ? ああ、そうそう。俺は遥の母親の弟で、遥の叔父にあたるんだ。まあそんな話はともかくとして、ここからが本題だ」

 その瞬間、あたしは自分の目を疑った。高宏さんの間の抜けた顔が、別人のように引き締まったからだ。

「……俺は、遥を引き取ろうと思っている」

「引き取る?」

「そう。あいつのことは、昔から気にかけているつもりだった。姉貴や義兄さんとも、何度も話をした。だけど、結果としてあんなことになっちまった。それについて、俺も責任を感じている……。だから俺が遥を引き取って、二度とこんなことが起こらないようにしたいんだ」

 あたし自身、事件の経緯や事情については知らないことの方が多かった。だが、事件の原因となったのは間違いなく遥だ。そのことだけは分かっていた。それ故に、また同じようなことが起こる可能性は捨てきれない。だからこそ、遥という存在を、責任を持って監督する者が必要となることも理解出来た。しかしそれは……。

「それは、遥を監視するってことですか……?」

 あたしの言葉に、高宏さんは僅かに眉を動かした。それは動揺したというよりは、子どもであったあたしがその事実に気付いたことに、驚いている様子であった。

 高宏さんが遥を引き取るということは、警察の保護下に置かれるということだ。殺人を犯したとはいえ、遥は未成年であるため罪に問われることはない。しかし、遥のこれまでの奇行を加味すれば、その状況は一気に覆る。

 保護という名目のもと、遥は要注意人物として常に警察に監視されることとなる。それはつまり、消えることのない執行猶予を言い渡されたことに等しい。

「遥のことを思えば、その方が良いのかもしれません。でも、あたしはそんなの……」

「違うよ。……確かに、悪く言えばそういうことになる。だけど俺は、そんなことを抜きにして、あいつと、遥と家族になりたいんだ」

 そう告げた高宏さんの瞳からは、嘘偽りなどのない真っ直ぐな思いが伝わってきた。目を見れば分かるという、そんな曖昧な言葉を体現していた。

「俺は、あいつのことを見ているつもりだった。分かってやってるつもりだった。でもそんなのは……ただの自己満足でしかなかったんだ」

 言葉を漏らす度に、拳は固く握られ、思いつめた表情になっていった。それだけで、高宏さんが正義感や責任感の強い人なのだということが、なんとなく分かった。

「……だから今度は、ちゃんと遥と向き合いたい。傍にいてやりたい。家族になってやりたい。そのために、俺は佳純ちゃんから、遥の話が聞きたいんだ」

「……どうして、あたしなんですか? 別に、あたしじゃなくても……」

「君が他の誰よりも、遥の傍にいてくれたからだ。だから頼む。この通りだ……!」

 誰よりも傍にいた。その言葉は、遥にとって無価値だったはずのあたしに、意味を与えてくれた。特別な存在なのだと認めてくれた。

 一回り以上も年下の子どもに深々と頭を下げる姿は、人からすればあまりにも情けなく見えるかもしれない。けれどあたしは、この人であれば信用出来ると思った。最初に抱いた印象が嘘のように消え去った。そして高宏さんは、あたしにとって最も頼れる大人となったのだ。

 高宏さんは遥のことを考え、見ようとしている。身なりはだらしなくていい加減にかもしれないが、その中身は愚直なまでに真摯で誠実だ。だからあたしは、高宏さんに全てを話すことにした。


 ……そういえば、あたしはどうして遥を好きになったのかな?


 あるところに一人の少女がいた。少女は、何も描かれていない真っ白なキャンバスに、自分の好きなように絵を描いた。少女は、絵を描くことに夢中になった。それこそ、時間を忘れ、周りが見えなくなるほどに。

 決して上手なわけではなかったが、完成させた絵を前にして、少女はとても満足していた。折角だからと、少女は喜び勇んで多くの人に自分の絵を見せて回った。


 ……多分、幼稚園の中庭で見た光景。あれがきっかけだったんだ。


 しかしその絵は、多くの人にとって受け入れ難く、目を背けたくなるようなものだったのだ。少女の絵は罵倒され、誹りを受け、破り捨てる者さえいた。そんな人々の反応を見ても、少女は悲しんだりせずにまた絵を描き始めた。

 同じ扱いを受けようとも、何度も何度も、何枚も何枚も、少女は絵を描いた。ただひたすらに描き続けた。


 ……危ういほど純粋で、怖いくらい美しかった。あたしなんかでは、永遠に辿り着けないような聖域に、遥は最初から立っていた。


 すると次第に、少女の絵ではなく、少女自身が批難されるようになっていった。絵を見た誰かが、少女はこの絵そのもののような人間なんだと決めつけた。そうして、少女の真意を確かめもせずに、人々は少女を糾弾した。

 石を投げられ、追いやられ、ついには居場所すらもなくなった。それでも少女は、絵を描き続けた。たとえ独りになっても、少女は絵を描き続けた。たとえ誰も見てくれなくても、少女は絵を描き続けた。


 ……奇跡の担い手が神と崇められるように。価値あるものが賛美されるように。新しき命が慈しまれるように。あたしの中で遥は特別になった。


 少女はただ認めて欲しかっただけなんだ。自分は、こんな絵が描けるんだよと、こういうものが好きなんだよと、誰かに知ってもらいたかったんだ。

 ただそれだけのために、少女は絵を描き続けた。


「だけどあたしは、そんな遥を……傷付けたっ……!」

 あたしの思いを遥が受け止めきれないことを、壊れるくらい傷付くことを、あたしは分かっていた。分かっていながら、自分の身勝手な思いを遥にぶつけたんだ。

 あまりにも情けない自分に腹が立った。へし折れるくらいに、奥歯を強く噛み締めた。それは怒りに震えていたからじゃない。そうしなければ、泣いてしまいそうになったからだ。

 強く噛み締めるほどに嗚咽が漏れる。堪えようとするほどに涙が零れそうになる。自分の思いも留めておけない。あたしの小さな器は、今にも割れてしまいそうだった。

「……そうか。そんなになるまで、佳純ちゃんは遥のことを思ってくれていたんだな。……ありがとう。本当にありがとう」

 やめて、お礼なんて言わないで。そんなんじゃない。そんなことを言われる資格なんて無い。あたしはただ、遥の傍にいたかっただけなんだ。自分の欲だけを満たそうとした醜い人間なんだ。

「なぁ、佳純ちゃん。もし佳純ちゃんが良いのであれば、俺のお願いを聞いてもらえないか?」

「……な、なん、なんで……す、かっ……?」

「これから先、遥がどうなるのかは、俺にもまだ分からない。それでも、遥の友達でいてくれないか?」

 あたしは、押さえていた全ての感情を吐き出した。咽び泣くのではなく、大声を上げて泣き叫んだ。そんなこと、今更頼まれるまでもない。たとえ何があろうとも、どんな困難が待ち受けていようとも、遥はあたしの友達なんだ。

 遥の顔が見たい。遥と話がしたい。遥に謝りたい。遥の傍にいたい。これ以上詰め切れないほど、あたしの心は遥で一杯になっていた。ああ、早く。早く遥に会いたい。

 ――だが、あの日を最後に、遥が学校に来ることはなかった。高宏さんに連絡して聞いてみても「今は入院中で、学校に行ける状態じゃない」と、詳しいことは教えてもらえなかった。

 そのまま小学校を卒業し、中学に上がってもまだ遥の姿はなかった。高宏さんに事情を聞こうとも考えたが、また同じことを言われるだけだと思いあえて連絡はしなかった。その代わりに、信じ続けた、遥が帰って来ることを。願い続けた、遥にまた会えることを。

 だが、三年という年月は、それらの思いを掠れさせるほど長いものだった。忘れられるわけでも、諦め切れるわけでもない。それでも、遥を思う日は少なくなっていった。

 もう止めにしよう。あたしも新しい一歩を踏み出そう。そう思い始めていた高校入学の春、あたしは遥と再会した。

 最初は見間違いかと思ったが、身体が、心が、遥を感じていた。昔にも増して高くなった背が、三年という月日の長さを物語る。面影はあるが顔つきも変わっており、短くなった髪も相まって更に大人びて見えた。

 偶然か必然か。悲願の成就か、はたまた神の悪戯なのか。そんなことはどうでもよかった。気付いた時には走り出し、遥を強く抱きしめていた。遥の匂いを、体温を、感触を、存在を、人目を憚ることなく堪能していた。

「遥ああぁっ‼ 本物? 本物だよね⁉ ……良かった。本当に良かった!」

「うわっ⁉ えっ、やだ痴漢? あ、なんだ佳純か……。もう、急にどうしたの? 驚かせないでよ」

 その反応に、なんとなく違和感があった。しかし、それはかつて感じたものとは違う。〝遠い〟ではなく、遥を〝薄い〟と感じたのだ。

 遥も驚いているようであったが、あたしのものとは明確な差が生じていた。およそ三年という時間も、遥にとってはその程度だったのだろうか。遥にとってあたしとは、そんなにも小さなものでしかなかったのだろうか。そう思うと、今しがた湧き上がっていた喜びは、悲しみへと転じていた。

「だって、だってあたし……遥ともう会えないと思ってたから。だから、あたし……」

「もう会えないだなんて大げさな。中学の卒業式から、まだ二週間くらいしか経ってないでしょ? そんなに私に会いたかったの?」

「え……?」

 ――誤差。それはどのような事柄においても、等しく発生しうる現象である。世界時たるグリニッジ平均時でさえも、閏秒という誤差が生れる。しかし、今目の前で起きているのはそんな些細なものではない。加速的に増長し続け、あたしと遥の溝をなおも広げていった。

「そういえば、地元の高校だってのに、見知った顔が全然いないんだよね。みんな他の地区や県外に行っちゃったのかな?」

 確かに、小中を通して同じ学校の者はいなかった。だが、そもそもの前提が間違っている。遥は一度として学校に来てはいない。仮に、あたしと違う学校に通っていたのだとしても、それは明らかにおかしい発言なのだ。

 確かめなくてはならない。違和感の正体や、今何が起きているのか。空白の三年間に、何があったのか。遥に直接、問い質さなくてはならない。

「遥、あのさ……」

「あ、そうだ! ねえ、佳純。今日うちに来ない? 高校入学のお祝いしようよ! それに、お父さんもお母さんも、久々に佳純に会いたがってるだろうし」

 この時点で、遥に問い質す必要がなくなった。何故なら、あたしは悟ったからだ。違和感の正体も、発言の矛盾も、空白の三年間も、全てを悟った。

 結論から言うのであれば、遥は――人間になったのだ。

 最後に会ったあの日から、遥が何を思い、何を考え、何をしてきたかまでは分からなかった。けれど、何をしようとしていたのかは分かった。遥は、人間の世界で生きようとしていたのだ。人間の世界で生きるために、遥は自分という存在を作り変えたのだ。

 記憶を捻じ曲げ無理矢理に繋ぎ合わせ、不必要なものを全て捨て去った。だから今の遥には、あの日の出来事も、小さな命を奪い続けていたことも、両親の死でさえも無かったことになっている。

 空白の三年間だけではない。琴吹遥として生きた十五年間の過去を、春日野遥として生きた十五年間の過去へと改竄したのだ。つまり有り体に言ってしまえば、今目の前にいる遥は、かつての遥ではない。あたしが愛した琴吹遥ではないんだ。

「……ごめん遥。今日は、用事があるから……行けないや」

 だが、たとえそうだとしても、あたしの目の前に遥はいるんだ。記憶が無くなっていてもいい。かつての純粋さや、美しさが失われていようとも構わない。あたしの中で、遥が特別であることは何一つとして変わらないんだ。だから今度こそ、離れぬように、別たれぬように、遥の傍に居続けよう。

 障害は多いかもしれない。でもきっと、二人なら乗り越えていける。記憶に相違が起きたのなら、捏造して補填しよう。ありもしない思い出を共有していこう。三年という空白を、二人の思いで満たしていこう。

 これは間違ったことなのかもしれない。けれど、どうしても必要なことなんだ。元々歪だった世界を正常な世界へ戻すために、必要な歪さなんだ。

「だから、また今度遊びに行くね」

「……そっかぁ。なら仕方ないね。それじゃ、また明日!」

「うん、また……明日」

 嗚呼、そうか。今度はもう、三年間も待たなくていいんだ。明日になれば、また遥に会えるんだ。明日会う遥は、三年前の遥じゃない。それでもあたしは、遥の傍にいる。たとえ何があろうとも、どんな困難が待ち受けていようとも、遥はあたしの友達だ。

 そうこれは、遥という存在を汚し、人間へと堕としたあたし自身への罰なんだ。それと同時に、遥を人間として縛り付けるための制約でもある。いや、呪いと言った方がいいのかもしれない。

 だからあたしは願い続ける。森で眠る王女に、王子が口づけをしないように。決して呪いが解けないように。遥が目覚めるその日まで、あたしはただ、願い続ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る